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月華抄 北園俊治

*下鴨水口町9番3 新邸普請 其壱


 来年の2月に落慶の見込みの新邸予定地へご案内。
 左京区下鴨水口町9番3となりました。                地図

  今の住まいの下鴨北園町50番2のマンションから、下鴨本通をひたすら北上。
 現地へは徒歩で10分、自転車では数分の距離です。


 南北の下鴨本通と、東西の北山通との、交差点。

 南東角の下鴨南野々神町には、京都ノートルダム女子大学と附属の小学校。
 我が家の広域避難場所でもあり、選挙の投票所ともなります。

 北山通よりさらに北へ上がるのは、先頃まで未知の世界。どきどき致します(笑)。


 北山通を越えると、下鴨本通は主要地方道でなくなり、たゞの道路(笑)。
 主要地方道(府道)40号線は、一旦、北山通を西に入り、下鴨中通を北へ。
 

 Enne倶楽部のansmarin嬢の情報によれば、京都で唯一のタイ料理店"Taam Sabaai"。
 交差点を上がって、すぐ西側です。
 
 ちなみに、うちのマンションの上の階に、この店で働く留学生のおります。
 数年前に、水道の誤操作で階下の我が家に水をこぼされ、大騒動。書棚に受難。
 お詫びのしるしに、無料招待券を頂戴致しました(笑)。


 写真の上は、下鴨北野々神町の東方向の筋。遠望する山並は比叡山。
 宝ヶ池通への抜け道とするのはご遠慮願っています。車の騒音と事故防止のため。 
 
 写真の下は、只今の進行方向の、元?下鴨本通を北に向いた写真。
 ふだんは視界に遠い真北の「西山」は、ぐんぐん迫って参ります。

 北山通以北も、昭和初年に区画整理された住宅地。
 最高級住宅地の北山・北大路間より若干下がるとはいえ、土地価は高額です。
 
 区画の割り方は、元?下鴨本通・下鴨中通間に縦の道路を1本通す、標準の規格。
 北山通以南の同区域では間に2本通しており、今までの日常ながら、例外的。

 
 下鴨南茶ノ木町の左京キリスト教会。公道の交差点の東北角。


 元?下鴨本通と、東西の玄以通との、交差点。

 写真の下は、玄以通を西に向いたところ。遠くの山並は鷹峯でしょう。
 送り火の舟形も見えます。
 この日は秋晴れで空気の冷え、透明度の高く、妙に間近に山の迫る感じです。

 玄以通も北へ越えます。どこまで行くのでしょう(笑)。


 ついに来ました、元?下鴨本通の最果て、どんつき。目前は西山の麓。

 のどけからまし、賀茂の原風景。
 なんと区画の一角に畑。こゝまで上がると、ちらほらと田畑の残っているのです。
 区画内の全てを宅地と致さずに、田畑を残された家もあるのでしょう。

 主は向かいの家にお住まいのようで、休日、子供たちも畑仕事。
 

 秋のモンシロチョウも逃げませず、私の自転車の前籠の中で雌雄の戯れ。

 さて、この角の畑を西に入りましょう。新邸は、この筋です。
 下鴨水口町は、玄以通から2筋北。
 

 写真は、西を向いたところ。
 数寄屋風書院の邸宅から洋風の家まで、バラエティに富むのは下鴨の風景。

 とはいえ、1筋西に越えると、北区上賀茂池端町。区の境なのですね。
 ちなみに大学以来の同僚のW松氏の新婚を過ごしたハイツも、こゝより北西に1筋ずつ。 
 

 写真の上は、新邸の東隣の洋館。アールヌーヴォー調の透かし窓の玄関はお洒落。
 本来の一筆であろう100坪ほどの敷地。土地価だけで1.5億円前後でしょう。

 番地に枝番の付く場合は、分筆したことを表します。
 相続や販売を繰り返すうちに、細分化されたよう。

 私などの現代のサラリーマンには、億円の邸宅は買えませんもの。
 新邸は約30坪。写真の下の、赤い柵のバルコニーの家を全面改築致します。
 前の所有者(売り主)は、住友系列のセメント会社の専務氏です。

 公道の側溝からは、心地好い流水の音。名にし負はゞ下鴨水口町。
 泉川の分流か、区画の東角の田畑への用水でしょう。

 背後は北の西山、東北に遠望するのは比叡山。

  普請は、この道43年、棟梁叩き上げの名匠、稲田信良氏に全幅の信頼で一任。
 氏は、数寄屋建築協議会、京の匠の物語などを主宰されています。

 図面は、私の案。これから棟梁と打合せを重ねて参ります。

 「新築そっくり」という謳い文句の全面改築には、わけのござります。

 まず、改築なら、建蔽率と容積率の超過を、ある程度は許容してもらえること。
 下鴨の区画整理内は、新築の場合、建蔽率50%、容積率80%という建築規制。
 まともな間取りを考えるなら、相当の敷地を必要とします。
 高額の土地価と合わせ、ゆゑに億円となってしまうのです。

 それと、稲田氏の工務店は良心的な価格設定なので、新築の半値で済みます。

 もっとも、普請に際しては、氏の職人魂を頼み、御指南を賜りつゝ趣を磨いて参る所存。
 建具も旧家の御屋敷の古材など、数寄を凝らして参ります。

 庭普請は、かねてよりの、創造園主宰の近藤正雄氏に依頼申し上げる予定。

 住宅ローンは、どういう風の吹き回しか、三井住友銀行で受けて下さりました。
 取引銀行ですし、当初の思惑どおりです。 

 仲介は「すみしん不動産」。見事に住友で統一されました。
 

 1筋北の西山の山麓には、瀟洒な御屋敷の並びます。
 おそらく、洛中洛外の眺望は素晴らしいでしょうね。
 各界有力者の、本邸、別邸かと思われます。

 山の向こうは、水生植物群落の深泥池なのですよ。


 すぐ東の下鴨北茶ノ木町の公園にある、竣功記念碑。
 「加茂之莊土地区劃整理組合」により昭和16年に建立されたもの。
 

 さらに東の、宝ヶ池公園スポーツ広場と、林山の送り火の「妙」。
 西山、林山、送り火の「法」のある東山と、連なっています。

 宝ヶ池通は、国際会館(国際会議場)への主要道路として整備。
 両陛下をはじめ、各国の首脳、VIPの車列のお通りあそばされます。


 さて、北山通まで引き返して参りました。
 とりあえず、新邸予定物件へのご案内はこれまでと致しましょう。

 以下は、買いたくても買えなかった物件のご紹介(笑)。
 やはり、今の住まいの最寄りの最高級住宅地の中では手も足も出ませず。


 写真の上は、現住所から3筋北、下鴨本通の東側の、下鴨夜光町の約60坪の土地。
 当初は東隣とよく似た邸宅の付いていたのを更地としました。
 ちょうど1年前、このオープンハウスでの業者との出会いから、本格的に活動を開始。
 デフレと不況のため、かなり価格を下げても、土地価は約8000万円。

 写真の下は、そこから1筋北の、下鴨梁田町の土地。分筆して、30数坪でそれぞれ販売。 
 売り主の意向で相場より破格の設定ながら、新築の場合、総額6000万円の見積もり。
 何度も住宅ローンの事前審査にかけたものゝ、私の収入では、あと1000万円ほど届かず。
 東隣の家は、最近、東京の若手のドラム奏者の夫妻の買われたそう。


 こちらは、おそらく日本の宅地の最高値の街、我が下鴨北園町の物件の数々。
 
 左上の疎水畔の建設中の家は、発売当初は総額で限りなく1億円。36坪。
 一等地。宝くじでも当たれば、ぜひ此の地をと、狙っていたのですが(笑)。
 私の今の住まいは、画面のすぐ右手(北)になります。

 右上は、記念碑的な1番地の、昔ながらの素晴らしい数奇屋の邸宅。
 おそらく区画整理された時代の建築かもしれませず。約50坪。
 土地相当額の販売で、当初は限りなく1億円。現段階では8000万円台。

 写真の下も、古い立派な御屋敷の跡地で、100坪近くあり、土地価1.7億円。 
 

 かにかくに、人も家も縁のもの。
 普請の落慶の折には、御茶会をもちます。お渡り下さりませ。

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