もふもふ的世界

主に、音楽制作・言語学・心理学・哲学・文学・音声学・音波・システム開発 等々色々と呟いて参ります。

内閉

2013-05-29 06:24:29 | ブログ
自分が支配者になる事が出来るのはどこであろうか。

それは、「閉じた空間」の内部であると私は思う。
すなわち、他者からの干渉の可能性を一切排除した場である。
そこではいわゆるデカルト的な「考える」主体の「私」が支配者として君臨する。

例えば、本を読んだり、音楽を聴いたり、その他趣味に没頭したりすることは、「閉じた行為」であると言える。

精神的に逃避したいと感じた時には、どうしても自己の存在(生きている実感)が危うくなっているのである。
そんなときは、画を描いたり、曲を作ったり、何か物を書いたりすることによって「考え、判断する私」を認めてあげることが重要なのであろう。

そうすることで、開いた世界(すなわち社会)での生活へと戻ってゆけるのだ。

支配

2013-05-24 04:00:02 | ブログ
「全てのことに理由がある」というのは真理か否か。

私は真理であると思う。
「理由」という言葉は、「原因・根拠」であり、さらに言い換えると「『今』の一歩前の段階」すなわち、「過去」の時間軸に起こった、「『今』の種となるべき要素」である。

我々人類がこの世界に誕生するはるか昔から、時間は滔々と流れている。
時間の概念が我々人間の今生きる世界を支配している以上、「全てのことに理由がある」は真理であると言えるだろう。

では「全てのことに意味がある」というのは真理か否か。

それは私は即座に真理であるとは言いにくい。
「意味」という言葉は、「ある事象に対して人間がある一定の価値を与えたもの」である。
すなわち、ここでの私の定義に基づくと、人間が存在しないところに、「意味」は存在しないと言える。

当然、人間が存在しないところでも、時間は進み、気象は変化し、大陸は移動し、生命は誕生し、星は流れる。
その世界、ひいては宇宙の営みに対して、人間側からの一方的な価値付けが、「意味」ということになる。

「全てのことに意味がある」という言葉には、全てのことを知りたい、価値を与えたい、という人間の支配欲が見て取れる。支配欲というと聞こえは悪いが、その支配欲こそが、人間の知的好奇心・探求心をかきたて、進歩させてきていることは間違いない。

ゆえに、「全てのことに意味がある」と信じ、困難な現実に向き合い続けることは、人間の無限の可能性を信じることであり、その知的営為を拡張していくことに他ならないのであろう。