季節の野原で葉っぱの音を・・・。

心の畑も耕せる農家でありたい。

妊婦を置いて

2007年03月19日 | 自然の中で暮らすために

明日とあさって。私は3ヶ月前から予定に入っていた講演会へ行くのです。

味噌作りも終わり、確定申告も終わり、気候も暖かになってきて

夫や娘たちと、慰安旅行も兼ねてお彼岸を迎える時期でもあり

「春から冬まで、よくがんばりました。また、巡ってきた春からの季節を前に、これを節目にして、これからの季節を又一緒に過ごしていこうね。お疲れ様でした。」

という気持ちも込めて、明日の日を選ばせてもらったのです。

・・・しかし。

ヤギが、まだ出産しません。交配から150日前後の妊娠期間の後と知識では

わかっていても、肝心の交配の日がわからずおおきなお腹を撫ぜても

ちっともわかりません。人間だったら超音波で、身長も体重も、出産予定日も

瞬時にピコピコとコンピューターがはじき出してくれるところです。

本当は管理から言ったら、きちんと発情を確認して

その時、交配させれば確実なのですが、

「ウチは自然に任せているから!」と威張って言うほどの、のん気さは

私にはありません。

予定を入れた時には、妊娠していることさえ知りませんでした。

私と違って、他の人の介添えなしに自力で出産して子供の面倒も見て

出産直後も寝たきりでなく、すぐに自分の後産の始末もするヤギ。

仔ヤギも、ウチの娘みたいに寝たままで何も出来ないわけではなくて

自分の足ですぐに立ち上がり、自分の足でおっぱいを探しに行きます。

私たち人間のなんと、本能の退化したことか。

そんな立派なヤギですが、そこはやはり人間。心配なのです。

もし、留守中出産してしまい、運悪くそこが寒い外だったり、

小屋の中へいれたままだとしても、時には、膜が破れず窒息したり

子供が弱いと、すぐに暖めたり人口哺乳したりしないといけない。

お母さんヤギの体調も確かめたい。

う~む。う~む。と悩んでいたら

「ボクが残ろうか?」夫が言いました。

申し訳ないけれど、お言葉に甘えることにしました。

知らずに、過ぎていくことは仕方ないけれど

知っているのなら、ありったけの気持ちを傾けたい。

人は傷つく。ということを知らずにトゲを刺すこともあるけれど

それを知った後なら、気持ちを共有しながら心を軽くしてもらいたい。

何にもしらないまま、気づかないまま人生を歩く方が楽かも知れない。

人を蹴散らして、自分の道を自分の思うがままに進んでく方が充実した気分に

なるのかも知れない。

人生に不可能はない。自己実現こそが、生きる目的。

そう言いながら、突き進んでいく事が外からは立派に映るのかも知れない。

私は明日、たくさんの方の前で、「心を耕す」ことを中心にお話をし、

娘たちと温泉にも入り、おいしいものを頂いて、交わったみなさんに少しでも

何かお役に立つ自分でありたいと思っています。

けれども、それは家でヤギを見守っていてくれる夫がいてくれてこそ。

無事に出産をしてもらいたいヤギが、いてくれてこそ。

そんな気持ちで行かせてもらおう。

自分だけのためではなくて、みんながよくならなくては結局は

私の平和もないのだから。

Imgp0011

お腹が重くて、歩くのもしんどいヤギ。

人間でいう肘で這いながらも自分のご飯は自分の力で得ようとする姿に背中を押され

まだ、インフルエンザの後遺症でなんとなく胸が痛いけど

やっぱり、這ってでも行って伝えたいことがたくさんあるのです。

どうか、無事で。と祈り、そして妊婦を置いて出かけます。

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