季節の野原で葉っぱの音を・・・。

心の畑も耕せる農家でありたい。

座布団とクッション

2023年11月16日 | 里山暮らしの中の手作り
ふたつの違いは、床に置いて座るか、ソファーや椅子に置いて背中に当てるか。クッションの方が厚みがあり、座布団はほぼ平。
共通するのは、四角形でフワフワしているところ。
用途と見た目で考えれば、そんなところでしょうか。

先日、姉妹店(店ではありませんが、他に最適な表現する言葉がわかりません)のリーフボイスで、ふとん技術技能士に教えてもらう座布団作り講習会 
を開催しました。
数年前にも、同じ講師の方に教えていただいたことがある農婦ですが
その時は新鮮な仕組みの座布団作りに、ただただすごい!と思ったまま
でぬくぬくとその座布団に座り続けてきたに過ぎず
再度、関心のある方と一緒に深めたいと企画したものです。

中に綿や羽毛、羊毛などをギュウギュウにどんどん詰め込み量を確保するクッションと全く違うのは、表布に対して45度の角度で薄くて平な綿を置き、何層にも重ねていくところから始まります。
同じ角度で重ねることはなく、下の綿に揃えて積むこともなく
地道に積み重ねたその先で斜めに折って遠くにあったものをなじませつつ
座布団の要の角をとがらせる。
表から裏にひっくり返えされた後に更に融合させ、ぶれないようにポイントを押さえて重圧につぶれないよう耐える。


一体何を訳の分からないことを言っておるのだ。とつぶやかれそうな稚拙な文章力をめげずに続けるならば、
なんだか、農婦の人生を励まされているかのような座布団の構造に、
深く考えながらご指導いただいた時間となったのでした。
(更に訳わからなくて申し訳ありません)

ただ、長く日本の暮らしに根付いていた座布団は、椅子の生活が主流となった今では、必要のないものかもしれません。
それでも、体全部を乗せても安定したまま下で支えることで
何か落ち着く気持ちになれる誰かがいるのなら、
座布団の仕組みを考えた方にお礼が言いたいと思う農婦でありました。
でも、それを忘れてぬくぬくと座るだけの日々がきっとまた始まるに違いありません。
修行は続く。
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淡々と整える

2023年09月17日 | 里山暮らしの中の手作り


残暑厳しき折り、元々回路が整っていない農婦の脳は
いつにも増して速度低下の支障をきたしているのですが、
そんな時には、複雑で難解な思考を使わずに(元々使えない)
じっくりとひとつのことに向き合いながら淡々と、機織りするもの良いように思います。
横糸を一本入れては縦糸を交差させることを繰り返し、一段一段少しづつ、目と手で整えながら進んでいく。
ただ、それだけのことで、なんだか気ぜわしかった夏の乱れた心がじわじわと
整っていくような気がします。

昨日は、全3回の『桑・蚕・繭から命を学び、自然とともに生きる力を育む』 の企画が終了したのですが、自ら経験してこそ深く感じる「何か」を受け取っていただけたことに感謝をしている横で、ふと見ると
ヤギの親子が反すうしながら農婦を見つめています。
相手がどう動くかを見逃さないようにという草食動物の本能なのでしょうが
ヤギを襲うつもりのない農婦にとっては、これも心整えるには有難い姿でしかありません。

参加者さんに「ヤギって、食べるために飼ってるんですか?」と聞かれて
「鶏は食べますが、ヤギは食べませんよー」というやりとりをした後なので
もしかしたら、危機感を察知したのかもしれませんが。



少し前から、夜鳴く声がカエルの大合唱から静かな秋の虫になっています。
秋はすぐそこ。

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晴れたので、竹(の子?)を干しました。

2023年06月16日 | 里山暮らしの中の手作り

1ヶ月ほど前、成長著しい孟宗竹の数メートルにも伸びたものを、振幅に合わせて大きく揺さぶって、その振幅に耐え切れずグラリ・ポキンと折れるまで、何度も揺さぶって先の柔らかい部分を収穫していました。

それを皮をむき、大きめに切り、茹でて塩漬けにして1か月ほど乳酸菌発酵してあったものを、
梅雨の合間の晴天の今日、キャンプ利用されている方たちの楽しそうな声が響く中、陰干しをしました。

竹の塩漬けは犬も食わぬ。らしく、臭いを嗅いだだけであとは見向きもしません。
存在そのものがちょうど良いカラス避けの番犬となり、ありがたい限り。

適度な雨は農業にとって確かな恵となりますが、その恩恵を受け取りつつも、
久しぶりの晴天は、やはり心も晴れ渡ります。

お蚕さんも、ちょうど繭になってちょっとホッとしている、
ここ数日の農婦ですが、
夫は天気に関係なく、今日も田んぼでひとり黙々と草取りをしていました。
アメニモマケズ、カゼニモマケズ。
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花より影

2022年05月28日 | 里山暮らしの中の手作り

ドクダミの花にホワイトリカーを入れて作る虫刺されのエッセンス。

ドクダミが身近かにある方は、よく作るものですが、花よりガラス瓶と金ザルの影の方が美しいと感じる農婦。

きっと、ひねくれものなのでしょう。何かに対して誰もが美しいと賞賛するなら、殊更自分もその中のひとりになるよりも

あえて他に心配る目を持っていたいと思います。

昔から(いつ?)流行ものがキライで、自分が良いなと思う対象を、他の多くの方が「いいね」と言うようになると

それがキライになるという気の毒な精神を持っているのですが、だからこそ、淡々と地道になるべく中庸の中で歩いていきながら尚、今ないものが生まれることに心惹かれるものがあるのかも知れません。

それでも、ご縁のある方々からいいね。と言っていただけることには心からの感謝と、それに自惚れて地から足が浮かないように大地に足を差して、これからも更に歩いて行けるとありがたいと思います。

昨日、ようやく以前いただいたクワイの苗を田んぼのすみに植えました。いや、埋めました。

土の中に張り巡る根と、光と信頼関係にある葉っぱからも、見習うべきものが多くあります。

 

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火のある暮らし

2021年11月06日 | 里山暮らしの中の手作り

酷暑を過ぎたころから、いくつもの火のご恩で生かされるモノたちの作成計画を立て過ぎて、幾人もの方の協力をいただきながらの同時進行。が、まだ続いています。↑これは、愛農かまど。講師のご指導の下、参加者数名で3日間をびっしりかけて積み上げました。すごく良く考えてあって、戦後のモノが少ない時に身近にある材料で作れて、少しの薪で非常に熱効率が良く、煙突からの煙の逆流で時の女性の家事環境の劣悪さを改善しようと設計されたという講師の方のお話に、あたたかな思いやりを感じました。

 

↑これは、竹炭窯。炭窯作りに精通した方のおかげで、「そこにあるもの」で一緒に作っていて、まだ、制作途中です。竹害と言われるほど、日本中の里山、森や農地で竹の繁殖力の凄まじさに悩む現状にあって、少しでも人の暮らしに有益な炭に生まれ変われるといいなと思います。

大きな木樽をいただいたので、これを所謂、五右衛門風呂ではなく、横に釜を据える形で薪焚きの浴槽にしようと思います。

火のチカラでできることは、本当にたくさんあるのですが、どれも、スイッチひとつで自動で快適な状態にはならない。でも、そんな手間暇を楽しめる心を含めて丁寧な暮らしを求める方々に使ってもらえるように、地道に進んで参ります。

 

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自然の色をいただだく

2021年07月17日 | 里山暮らしの中の手作り

昨日は、若い世代の方々に、背高泡立ち草とヨモギを使っての草木染めを伝えていました。

中々窮屈な空間が解除されないままの日々が、どれほど「元気」の素を萎えさせていくのか。

それがこれからの人生にどう影響していくのか。アタマで考えるだけでは、到底解決できない課題ですが

「やりたい気持ち」があるならば、それを自分に出来ることで実現してもらえることは、自らも救われる思いがします。

緑色の草をたんまりと摘む。自分で自由に模様をつける。暑い中、直火の熱と煙に包まれながら、草の色も心も時間と共に解放されて、Tシャツに自然の色となって移っていく。そんな過程を経て絞めつけていた輪ゴムを解けば、そこに模様が出来る訳ですが、これからの人生で、締め付けられていたところが、くっきりと生きてきた証としての模様になった。くらいの広い心を育んでもらえたらうれしいなと思います。

みなさん、少しは気が晴れたでしょうか。天気も心も、晴れなければカビてきます。

今日はそれぞれの家でTシャツの天日干しくをしていることでしょう。心も晴れますように・・・。

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枠にはまる。って大事かと。

2021年01月09日 | 里山暮らしの中の手作り

FBと写真がかぶりますこと、ごめんなさい。

「家庭科」が自分の魂の原点にあると思っています。

そのせいか、大学でフランス語の授業があり、今、唯一覚えているのが

「家」は女性名詞ということ。だけ。

それはそうと、この手作りの家、素人仕事でメチャクチャで・・と言いつつ

土台と大枠はプロの確かな仕事があってこそ

自由な発想と、あるものでなんとかするという工夫の楽しさが得られていると

自覚しています。

世の中、引かれた線路の上を進むなとか、枠にはまって面白味がないとか

言う場面がある一方で

それに抵抗して、何かで少しでも奇をてらったことをし、それを批判されると

「〇〇の自由だ!」が常套句。

けれども、その自由には、理論に基づいた知識と経験があり

先人の知恵を一足飛びにいただいて

ゆるがない文字通りの土台と枠組みがあるからこそ

その安心感に支えられて自由が与えられていることを

忘れてはならないし、敬意と感謝の気持ちをもって

向き合っていくことが大事だと思うのです。

みなさんのおかげで今があると何度思ったことか。

これからも思い続けて人生の線路を歩いて参ります。

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オンラインで伝えるということ

2020年06月06日 | 里山暮らしの中の手作り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでは、IT技術の進化は小さな農家にも恩恵があり、仕組みを作った方々に

感謝しつつ、けれども、平面からでしか伝えられない故に、

どこまで本当の場に近づけるのか・・。と、思っていました。

五感に響くという意味では、視覚と聴覚のふたつしか鳴り響かないではないのかと。

それでも、その限られた条件の中でも、なんとか伝えなくてはならない環境に置かれて

初めて自分がこれまで、どれだけ現場主義でしかなかったのかを思い知らされました。

更には決められた時間割という制限も加わって、これまで使ってこなかった頭脳の領域を

新規開拓している、ここ3か月ほど。

 

まだまだ学校教育にお世話になっている子どもを育てるひとりの親として、

現場は止まっていても教育は止まることなく、

いえむしろ、机上では伝えられない学びがあると感じてもらいたい。

そんな想いで、昨日は汗を拭きながらパソコンと野の花や葉っぱを総動員して

オンライン授業をしていました。

平面に足らない部分を言葉で補って、これまでの自分の暮らしの在り方を、

これからの生活と環境と教育につなげています。

ありとあらゆることに感謝をしつつ、

やはり酷使して疲れた脳ミソ。

オンラインで作って見せた桜の塩漬けの蒸しパンを、

オフラインでいただきながら

桜の香りと汗をかいた肌に感じる爽やかな風にほっとします。

 

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手仕事の繰り返し

2020年03月22日 | 里山暮らしの中の手作り

冬の間、味噌作り教室をしておりました。

1年に1度お会いする方、その方とご縁のある初めましての方。

長い方では23年間、欠かさず来てくださっている方もいて

本当にただただ感謝という言葉以外に伝える術がありません。

味噌作りが終わると少し、ほっとして、それから醤油の絞りと仕込みに入ります。

味噌も醤油も、暮らしの中の日常にあってすぐに手に入るものでありながら

あえて時間と手間をかけて

人と人との温かな交わりを軸に関わってくださる方がいることに

今だからこそ、心底救われる想いがします。

発酵という食に加えて

動物たちの、ただただ生きることが全ての姿にも心満たされ

衣のこともそろそろ再開の芽が出始めました。

もう少ししたらお伝えできると思います。

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第1回 季の葉の時間 『栗の花で毛糸を染めよう!』のご案内

2015年04月28日 | 里山暮らしの中の手作り

どうしても、思った色にならないと、宿題の絵を前に納得のいかない様子の娘の話を聞くと

「光のように輝いて透明な感じにしたいのに・・・」

そこには、到底透明と言うには程遠い不透明な水色が、これでもかと画用紙いっぱいに塗りたくられ

もはや、どうにもこうにも進むことも退くこともできない上に、更に絵筆はペタペタと娘の手によって

もてあそばれていました。

息詰まる娘の呼吸を開放させるため、絵のプロの知人に電話をかけ、ことの成り行きを話すと、

透明絵の具の存在を教えてくれました。

そもそも、アタマに描いた色を出すには、選んだ素材そのものが合っていなかったのです。

画材屋さんで透明絵の具を購入し、娘は気を取り直して宿題をやり直しました。

透明ではありませんが、色ひとつに想いを込めるという意味では、重なるものがありそうです。

「栗の花で毛糸を染めよう!」

http://kokokonohatake.p1.bindsite.jp/pg1524.html#季の葉の時間 栗の花で毛糸を染めよう!

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