季節の野原で葉っぱの音を・・・。

心の畑も耕せる農家でありたい。

美浜町 家庭の小学校

2024年07月16日 | 企画とお知らせ
※写真は、令和10年度に美浜町立小中一貫校が開校する、日本福祉大学美浜キャンパス
(画面右側の奥あたりが新校舎建設予定地。・・らしいです。)

最近になって(ようやく)気が付いたのですが
農婦の趣味は自分ひとりでやれることのほかに、
「誰かのために、あるといいかな。やれるといいな。」と思ったことを
公のチカラをお借りして、様々な役割の方々に協力、ご支援していただきながら、あっちからもこっちからも仕組みを作り、時には怖いもの知らずで
偉い方々にもお願いして筋道を立てながら、それぞれの立場を尊重しつつ
関心のある方に届くよう、計画実行することのようです。

地を這うのは仕事柄得意なので(?)時に、息切らしながら、いろいろな汗をかいては拭きながら、ひとり、う~んう~んと、うなりながら、必要な肥料や水を撒き、見通しが良くなるように草を刈り、一歩一歩進むうちに、何かが育っていくことは、例えそれが田畑の中であっても、人間社会の中であっても共通することだからこそ、やっているのだと、そこは認識しています。
農婦は、代表兼雑用係兼事務兼最終回の発酵調味料作り担当。
それでようやくたどり着いたのは、よく言われる言葉ですが、スタート地点。

詳しくは、ゼーゼー言いながら作ったリンク先をご覧いただければ幸いです。
【美浜町 家庭の小学校】
~いつかまた会う日を楽しみに!家庭と学校の接続プロジェクト~

http://kokokonohatake.p1.bindsite.jp/pg5466896.html  17日9時から受付開始です。

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衣の時間

2024年07月10日 | 衣食住の中の衣



耕して、植えて育てるのは、春の農家のシゴト。
水分を先に体内に入れておいて、雑巾を絞るように(時には絞らずとも滴り落ちるように)汗を流すのが夏の農家のシゴト。
巡る水の中で、農婦の中に残るものは、淡々と黙々と地道に歩くための心身の筋力なのかもしれません。
しかしながら、ダラダラと長くやっていては身にならず、ましてや現実的に身が持たないので、クールダウンも兼ねてパンパンとやることを切り替えていた、ここ半月でした。

育てた桑から更にお蚕さんを育て、繭から絹糸にする方法を関心のある方々と共に学び、育てた藍で染める。
命あるものが姿を変えて人間の衣食住の暮らしを支えるに至る過程を
手仕事で経験し、深く考え、それぞれに心で何かを感じることは、目の敵にしている訳ではありませんが、どんなにAIが進化しても真似のできない人間技と確信します。

思い立って、農婦の浴衣を子どもに縫ってもらっていたのですが
(逆じゃないのかとご指摘を頂きましたが、最近は若いもんに任せることにしました。)その過程を見ていても、専門性のある手仕事は、どれもその動作に無駄がなく、それを支える道具類と共に機能美を感じます。

その一方で、世の中、それぞれの役割や専門性のある担い手、技術、素材、機能、資源、頭脳明晰な方々の知識や思考回路など、様々なおかげがあって循環していることにも感謝をしつつ、
一介の農婦にできることはごくごく限られているとの謙虚さを持って、
やはり、地道に歩いていくことしかできません。
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7月31日 開催 オンリーワンの塩麴作りと、発酵料理教室のご案内

2024年06月29日 | 企画とお知らせ


7/31開催
オンリーワンの塩麴作りと、発酵料理教室のご案内です。
大府市で糀スコーレを主宰しているお二人を発酵料理教室でお招きしています。
主催者の季の野の台所は、座学と塩麹作り、おやつ担当。
詳しくは、リンク先をご覧ください。

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天地交互に目線を向ける

2024年06月19日 | 気持ちを語る

農夫と共に小麦の収穫をしているとカヤネズミの巣を見つけました。

突然の振動で驚いたであろう住人(住ネズミ)は、とうに避難していて
空き家となっておりましたが、丸くて柔らかな家を両手に包みながら
心が整っていくのを感じます。

今年度、地道に暮らし学び続けることに変わりはないものの
自ら「これからを積み重ねるための破れかぶれの改造計画年度」と位置づけている農婦ですが、「それならば!」とそこかしこから次々に課題が出されてきて、時に目線を地面から空に向ける機会が増えておりました。
与えられた課題は、時に(機能性の低い)脳みそのエネルギー全開で考えながら、手足を動かしながら、なんとかして(正解か不正解は別にして)自分なりの答えを出すことで、課題が課題でなくなると思っているのですが
その間にも、動物たちも植物も、自ら育っていくことを当然の事ながら止めません。
現実世界で何も育てなければ、また、自然に育っていくものを日々見てなければ、また、暮らしやすくするために育って行くものたちを刈り取り、収穫し、自分の服や手の汚れをいとわず掃除をすることをせず、我が道を進むことに邁進していけば、それはそれで効率は良いのでしょうが、生きている無数の相手と共に暮らしている農婦は、そうゆうわけには参りません。

今朝も4羽のうずらと、4匹の犬と、30羽の鶏のヒナと3匹のヤギと、1匹の猫と300頭のお蚕さん(こちらは繭を作り始めてお世話はひと段落)と、数人の人間のお世話をしてから、ぐんぐん伸びて勢力を増してきた草を刈るぞと、天から目線を下にして、地に足つけることを意識して、頭の中のやる事リストに記入しています。

今年の夏も猛暑に突入していくようなので、キケンから身を避けながらもひるまずついて行く覚悟をしつつ。
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経糸と横糸

2024年06月06日 | 気持ちを語る

開校中の魔女学校で、おひとりおひとりに裂き織りでの半幅帯を作ってもらうため、経糸を掛けて織れるようになるまでをお伝えしています。
あらかじめ布を裂いて作ってもらった横糸と、数種類ある経糸から
配色を考えて色数を決めるのですが、みなさんそれぞれの個性が経糸一本一本かけるごとに表れてきます。
秋には、もう一人の魔女先生のご指導の下、この半幅帯で着物を着ます。
全員織り終わったら、農婦も最後にひとりで経糸かけて織り進めます。

人生も、(親や教育に携わる方々から)与えられた糸を一本一本自分の意思で重ねていくうちに、いつしかそれが自身のゆるぎない基礎となり、整ったところで再び、自分の意思で横糸を入れて進んでいくというところは、織物と通じるものがある気がします。

織り進んでいくと、時には支えとなる縦糸が切れることもあるのですが
新たに糸を足して結び直して、再び進んでいけるもの。

農婦の縦糸も、織り進みながら、これまで幾度となく途中でブチブチと切れて来たことか。
それでも、その度に誰彼となく糸を足してもらっては地道に織り進んでこられたことに感謝をしているのですが、まだまだ全部織り上がってはおりません。
いや、一本織り上がっては、また新たに親や教育者の手を離れては自身で経糸をかけているので、一生終わらないだけな気もします。

昨日、そんな経糸が切れては結び直し、織り進んでは横糸に迷い、触ることすら躊躇したくなりながらもなんとか織り上げたことがあり、ようやく解放されたのも束の間、再び新しい経糸を手に握っている農婦。
次は、どんなものを織ろうかと思案中です。
そんなことをしているので、人には織れるように算段しているのに、
実際の半幅帯はいつまでたっても織れませんが
紺屋の白袴ということにしておきます。←ただの言い訳に過ぎません。
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生きる環境を変える日々

2024年05月25日 | 生き物のこと

ただ何事もなく同じところに暮らしているだけでも、季節は移り変わり、気温も風景も変わってはゆくのでしょうが、加えて人それぞれにやることがあって
違う所に行くこともあって、出会う方々も様々でと、人間に生まれてきたからには、自分の意思で、もしくは他者からの意思で、更に様々な理由で生きる環境を変えていけるのは、人生の醍醐味のひとつかもしれません。

写真は、五月晴れの下、竹のようちえんで大学生と幼児が田んぼで遊ぶのを、これは一体何事か?と見つめるヤギの後ろ姿。を撮る農婦は、同時進行で様々なことに手を付けていて、のんびりと癒されている場合ではない日々が続いており、
脳みそが徐々に散らかって来るのをひしひしと感じていたここ数日間を
どうしたものかと思案しながら次々と生まれては育ってゆく生き物のお世話をしておりました。

人に(農婦に)飼われている生き物たち自らに環境を変える自由はなく
日々成長して姿形が大きくなってきたので、今日は(ようやく)順に生育環境を変えてやりました。

小さな段ボール箱にいた、半月前に生まれたウズラ4羽を鳥かごへ。
中くらいの段ボール箱にいた、3週間前に生まれた鶏の中ヒナ13羽を小型ゲージへ。
薄っぺらな小さな網の箱にひしめき合って昨日、宅急便で送られて来たお蚕さん500頭を、桑の葉と共に、せんべいの缶へ。
保温器の中にいた、別の企画で頼まれて10日前に孵化させたヒヨコ12羽を中ヒナのいた場所へ。

一昨日は、静岡から引き取って来たメスの鶏9羽は、しばらく空いていた鶏小屋に入れました。

20日間で何種類もの生き物がじわじわと増えていて、それは脳みそ散らかる訳だと今更ながらに気が付いたのですが、ひとつづつそれぞれに応じた新たな環境に移動してやりながら、農婦の脳みそもようやく少しは片付いてきた気がします。

自分の意思で様々なことをしながら、片方で、自分では生きる環境を変えることのできない生き物を世話をしていること、更には
ペットとして飼育していくヤギとウズラ(と、犬とネコ)を除いては、
いつかいただく命として、明確に意識を分けて育てていくことを忘れずに参ります。

「君たちはどう生きるのか」とは、ウズラにもヒヨコにもお蚕さんにも犬にもネコにもヤギにも、問えません。

問えない農婦は、時に脳みそ散らかりながら、片付けながら、
いつも「全てに感謝」に行きつきます。
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殻を破る。

2024年05月13日 | 生き物のこと


人の思考や行動を激変させようとする時に、よく使われる言葉、殻を破る。
それが、本当はどれほど大変なことなのかを、ウズラの孵化を見ながら考えます。

視野を広く持て。現状維持を良しとするな。というアドバイスとして使うのは、狭い世界に閉じこもっていてはダメだと諭したくなるからでしょうか。
自らも、このままではダメだと思うからでしょうか。

本来は親が卵を温める孵化を、人が(農婦が)機械を使って同じような環境を整えている訳ですが、温度と湿度と、日に幾度も転卵をするその過程で徐々に育っていくのを守っているのは殻であって、決して否定されるものではありません。

話は別ですが、この3月、一元管理している紙のカレンダーを外に持ち出したがために紛失して幾日も見つからず、今年度の予定も頭も真っ白になった時がありまして、そんな時に目にとまった
「令和6年度 シルクおかや次世代担い手育成プログラム 」
以前から知ってはいましたが、「遠いし無理だわ」と思っていたのが、予定がわからないのをいいことに、やぶれかぶれで申込みをしました。
(カレンダーは1か月後に見つかりました)
往復500kmの距離を20回ほど通うのですが、内容はとても奥深く、先日既に3回目を終了しました。

その研修から帰宅する翌日をウズラの孵化日に設定してあったのですが、予定より少し早く、帰宅した夜から孵化が始まり、一夜明けて、ふわふわな姿となりました。

年度初めから、魔女学校、竹のようちえん、出張講座、とあるところの授業、そしてやってもやっても終わらない農地の草刈り(農作業は最近農夫と役割分担)、その他もろもろで、脳みそがヨレヨレ(体力だけはある)でしたが、孵化の世話と愛らしい姿を見て、ほぼほぼ修復されました。

外部の環境を維持してもらいながら、単細胞から細胞分裂を繰り返してカタチが出来て来るウズラや鶏のヒナほどの進化は望めませんが、
殻に感謝をしつつ、常に変化してゆく農婦でありたいと改めて思います。
が、ウズラの柄となぜか同じ柄のカーペットは、20年前から使い続けて未だ変化はありません。
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竹のようちえん 始まりました。

2024年04月27日 | グリーンツーリズム~農山村でゆったりとし

今年度、受け入れをすることになった、竹のようちえんが始まりました。
詳しくは、こちらをご覧ください。

農婦は、全体の進行役なので、
主催者の大学生と一緒に竹を切りに行った親子の皆さんを遠くに見ながら、
3週間後にヒヨコになる卵の準備などをしていたのですが、
気になって近づくと、やはりあれこれ気になって笑 
つっかけ(というのが標準語なのかどうか・・)のまま、竹林に入り
自然の中では、なんと小さいことかと見えた方々と対話をしてから
再び卵の準備を・・と帰りかけたら、農道につないでおいたヤギが、田植え直前の田んぼの様子を見にいらした方の軽トラの前から動かず、クラクションを鳴らされておりまして💦
謝りながら急いでヤギを移動させ、それからようやく卵の元へ。

春になって様々な命が動き出してきました。
自然に生まれて来る命あり、人間が(あえて使う言葉ではありますが)
「操作」して動き出させる命あり、その間にも、いただく命も常にあって
今を生きていることを改めて思い出させてもらいます。
人間以外は、今を生きること、未来につなげることをいつも考えているのだと思うと、竹からも、ヤギからも、空を飛ぶ鳥からも、夜に鳴き続ける田んぼのカエルからも、教えてもらうことばかり。 

 今年になってから、人に聞かれると「改造したんです!」
と答えている農婦ですが、その時点で多種多様な今を生きる自然の命たちから
何エラそうなこと言ってるんですか。と怒られている気がしてきました。
軽トラのおじさんに怒られる方がよほどマシだと思えてなりません。
それでも明日は必ず、田植えの邪魔にならないところにヤギをつなごうと、
反省は、しています。
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魔女学校の魔女たちと共に

2024年04月16日 | 今日の来訪者

今年度の魔女学校が、始まっています。

共に運営するもう一人の魔女先生は、静かに植物の命を伝え実践し、
農婦は、スピード感たっぷりの料理の仕込みと動物の命を動的に伝え実践。
静と動を繰り返す時間の中で、
同じことをお伝えしても、同じ風景を見ても、同じことをしていても、
お一人お一人が受け取り感じるものに同じものはひとつもなく、
その言葉を後に知ることが、農婦にとっての何よりの報酬です。

賑やかな日中を過ぎて夜更けに唯一聞こえる、フクロウの声とカエルの合唱に
疲れを癒してもらい、また今日も地道に、そして新しい方向へも歩いてゆこうとする覚悟とエネルギーを恵んでもらいました。
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繭からはじまる  絹糸道場    繭から糸への道をたどります

2024年04月12日 | 企画とお知らせ
農婦が農婦になる前は、10歳のころから家庭科の道を地道に歩いておりまして、農婦になってからは、その道から分岐して早や29年。
と、思っていたのですが
家庭科の中の衣の中の絹が、農業と結びついていることを知ったのは、ここ数年前です。
回り道だったのか、本当は分岐していなかったのか、元々一本道だったことに気が付かなかっただけなのか。いずれにせよ、自分だけでは、到底たどり着けない絹の道。
ご縁があって、この度、日本生活体験学習学会との共催(地方セミナー)で
講師にシルクライン 林久美子氏をお迎えして
『絹糸道場』を開催することとなりました。

詳しくは、チラシ、リンク先をご覧ください。
農婦と一緒に、絹の道を歩いていただける方のご参加心からお待ちしています。
とは言え、この日のシゴトは、お昼ご飯係なので、聖徳太子を見習いつつ・・。


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