goo blog サービス終了のお知らせ 

季節の野原で葉っぱの音を・・・。

心の畑も耕せる農家でありたい。

引っ越しします。

2025年05月12日 | お知らせ

このgooブログのサービスが終了するそうです。
それで、これまでの記事を
に引っ越しさせました。

2か月ほど前から引っ越しサービスのお知らせが表示されていたのですが、なんとなく「今日引っ越すかな」と思って最初の投稿はいつだったのと確かめたら
20年前の今日の日付けでした。
オンナの直感は自分ながらスゴイ!と思います。

20年間一日一日を積み重ねて丁寧に育てても、突然親元を離れて引っ越ししていく子どもの姿はいつの時代もあったことなのでしょう。デジタルも然りと妙に納得します。

写真は、ずっと前に気に入って購入してあった生地を縫い合わせ
その中に木綿を重ねて折り込み、作った円座。
化繊にはない、自然素材の優しさを手で、目で、肌で、そして心で感じます。
農婦の子どもの生まれた日のプレゼントに今日、送りました。
これからの長い人生で、幾度となく引っ越してゆく先々で、一緒に引っ越してくれると良いなと思います。
生地も記事も引っ越して、このブログはこれ以降の投稿は致しません。
引っ越した先のブログも、いつサービスが終了するかもしれないと思うと
同じ「ブログ」に執着する気にもなれず、少し前から始めていたnoteに
今後は投稿して参る所存にございます。
つながりを持たせるために、一つ前の投稿をnoteに重ねてあります。

時に嵐が吹き荒れてめげながらも、常に立ち直り変化していく自然の風景を見習いつつ、新たな歩を進めて行こうと思えるようになりました。

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やれることしか やれない  ?

2025年05月11日 | 気持ちを語る


ここ数か月ほどは、よんどころない事情があり農婦のシゴト量が新たな内容と共に増えていて、寝ても覚めても様々に考えに考えながら、いかに効率よく、段取り良く、相手の方にとって良かったと思っていただけるように、締め切りに間に合うように、やることを整理して(それでも脳ミソも敷地内も片付けきれない有様ですが)遠くを見つつ、けれども見過ぎないように足元を照らし、真っ暗な夜空を見ては明日やることを確認し、朝起きてから今日やることを再度確認し・・・と、きっとだれしもが多かれ少なかれ自分の人生を進みながら複雑な頭の中の回路を辿っては行きつ戻りつの時間を過ごしているのだと、思っています。(一文長すぎを自覚。)

今日、農婦のよんどころない事情を知っている方を訪ねた時に、
「ここに来る前は、田んぼでどろんどろんになっていたの」と伝えると
「やれることしかやれないから。」と言葉をかけていただきました。
もちろん、無理しないでね。完璧でなくて大丈夫。という気遣いから。

けれども「?」と思ってしまったのは、先の長い一文のように、それぞれに時期を決めては、準備や用意、仕組みを織り交ぜながら、ご縁のある方々との当日を迎え、自分に出来ることを相手が望むより、ほんの少しでもその期待を超えて、今日の日が良い日となって嬉しいと感じていただければ、農婦自身も嬉しいからに他なりません。

やれることしか やれない。と思うよりも、目的を達成するために何をしたら良いのかを考え続け、そのために行動を決める。と考えている農婦ですが、もちろん全て目的地にたどり着けない時もあり、そんな時は柔軟に目的地を変更することで、常に目的地に着くようにしています。

写真は稲の苗と葉先に着いた朝露。
きれいだ。と見とれているわけではなく、これを柔らかい箒で、「露払い」するのです。
葉先に刺激を与えると、エチレンという成長抑制ホルモンが出来るため、徒長を防ぐことが目的です。
頭ばかり伸びて根が弱い幼少期を過ごすと、生涯の後半の収穫時に倒れやすくなるのですが、なんだか人生に通じるものがある気もします。
それでも、この小さな苗が、秋にどうなるかは、他の様々な要因の影響も絡んでくるので、これで安心している場合ではありません。

あるのは時に自信が消えそうになりながらも奮い立たせて、時に嬉しく、時に感謝して、ご縁のある方々と人生の醍醐味を感じながら生きていく覚悟でしょうか。

明日のシゴトは、朝の露払いから始めます。
(誰も見てないのを良いことに寝間着のままで。)
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淡々と田んぼの準備

2025年05月03日 | 今日の農作業

思うところあり、20年以上前から取り入れてきた、けれども、ここのところさぼりがちだった微生物農法の学び直しをしています。
改めて資料を読むと、方程式のような、化学反応のような、英文法のような確かな理論と異なる場面での対応策、作物の代弁者のような文章で埋め尽くされています。
読んで知識を理解するだけでは何にもならないので
手書きで要点を書きながら、肥料設計をし、材料を揃えて久しぶりに発酵肥料を仕込んだのが3日前。

全然温度が上がらず心配だったのですが、今朝、いきなり温度が上がっていて
「生きてた。良かった。」と安堵しながら300kgをスコップで切り返しました。

同時進行で水温上昇の工夫をした稲苗のプールも作り、幼子を温かく迎えるような気分です。

けれども、秋まで気の抜けない、地道な農作業が続くことだけが分かっている今。
10に1くらいの、いや100に1くらいのほっとする瞬間は思い出した頃に点のようにあろうかと思いますが、だからこそ、その1を大きなエネルギーに変えてあとは不安をなくすためにも地道にその時その時に必要なことを
1つづつやって行く他、ありません。
農家に限らず、きっと様々な分野で同じような気持ちで頑張っている人が農婦の知らない世界でたくさんいらっしゃるはず。
そうやってそれぞれの役割を担って社会や世の中は回っていて、その恩恵を感謝して受け取ることを忘れないようにと自分に念押しします。
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手伝う時間

2025年04月14日 | 気持ちを語る

冬中引きこもってやっている味噌作り教室が終わると、そのあとは春の手作り醤油絞りをしに軽トラに道具を満載してあちこちまわり、それが終わると醤油仕込みに再びあちこち回るといつの間にか葉桜になっている。

・・というのが、これまでのパターンだったのですが、今年は桜の開花が遅く、あえて桜に連動させたわけではありませんが農婦のペース配分も必要に迫られて見直し、それなのに新たなことを織り交ぜたため、一昨日ようやく全ての発酵シゴトが終わりました。

ほっとした昨日は、桜を一気に散らしていく春の雨の中、遠方より友来たる。
と言うより、この冬、手がなくなってお渡しすることが出来なかった玄米餅を
「自分たちで搗くから!」と来てくださった女性たち。
「餅米が蒸しあがるまでの時間でなんでもするよ!」とのお言葉に甘えて農機具倉庫内のモノの大移動も手伝っていただきました。

農婦がどんなに筋力や体幹力があっても自分の手の数を増やすことは出来ず
同時に何か所も触らないと出来ない作業があってそんな時、いつもタコになりたい。との願いは叶わないままですが、ひとりでタコにならなくても、
沢山の手に救っていただけたことの感謝は言葉では言い表せません。

写真は、手作り醤油の絞りの時、いつも「自らが存在していることそのものが大事なんです。皆さんの手で、しょう油に伝えてください」と伝えている、手押しの様子。
参加された方々がこんな時によくつぶやかれるのは、「豊かだー」

何を持って豊かな暮らしとするかは人それぞれなのでしょうが、みなさんの言葉こそが農婦にとっての心の豊かさに他なりません。
新年度の落ち着かない日々が続くのは誰しも感じることですが、一農婦とて例外ではありません。
それでも根底にある、ゆるがないものの上には、変化し続けたい気持ちがあり、それはきっと生きているからなのだと思う他ありません。

雨が降ったので、外ではカエルが一斉に鳴き出しました。
ひとりじゃないこと、安堵いたします。
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春の風景の足元にあるもの

2025年04月09日 | 今日の農作業

里山に囲まれた農家の春の風景は、長年住んでいるのに申し上げるものヘンですが、なんだか穏やかな中にも懐かしい気持ちになります。
ただ、ほっと一息するのはつかの間のことで、今日は、昨年の秋から
ずっと気になっていた田んぼ回りの重い土を掘る作業を、ご縁のある土建屋さんと一緒にやっていました。
農婦は早く走ることは全くもって出来ないのですが、握力と体幹力と重いものを淡々と移動する持続力は、いつの間にか必要に迫られてではありますが身についていて、スコップ一本で全身泥だらけになりながらも手掘りで進める作業は、ある種の達成感を感じながらの心地よい時間でした。

重機での作業をお願いしたところは、田んぼの下の方に隠れていた青土(あおど)が出てきていました。文字通り、青い粘土質の土なのですが
亡くなった農婦の母は「田んぼの土が痩せてきたら青土を客土(きゃくど)にすると良いんだよ。」と言っていたのを思い出します。

青い土をお客さんと呼び、それがお米の豊作につながる。
土の下から現れた青いお客様を足元に見ながら、これから始まる本格的な農作業を前に、何とも言えない大いなる安堵感を感じずにはいられませんでした。

遠景の春の新緑と花開く里山風景の足元には、誰にも褒めてはもらえなくともようやく迎えることのできた大事な青いお客様がいることを、空を見上げて共に喜んでいるであろう農夫と一緒に感じた次第です。
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農家の家庭科なシゴト

2025年03月31日 | 衣食住の中の衣


連日違う場所に出向き、手作り醤油の仕込みと絞りが入り乱れる春ですが、麹も人も醸し醸される時間は、言葉では言い尽くせない様々なものが生まれ増えては分かち合っています。
そこにあっても、ただ心のみを酔わせることを良しとしない農婦は、「発酵の理論と醸される心」と言う、車で言うところの両輪を回しながら、様々にお伝えし手を使っていただくというやり方を、時に蛇行もしつつ進めていくことを貫いています。・・と書けばカッコいいように見えなくもないのですが、
ただただ、それしか知らないだけのこと。

今日は、そんな醤油の旅の間も内心やりたくてうずうずしていたことを、ようやく時間と心の余裕が生まれてやっていました。
以前藍で染めてあった麻生地を、数日前に桜で染め重ねてあり、その生地を表布にして、植物から生まれた木綿をお蚕さんの繭から生まれた真綿で幾重にもくるんだ綿を中に入れた「抱っこ布団」を嬉しい気持ちで作りました。
新たにご縁の出来た場所で、農婦もかつて経験してきた、命より大事な幼子を思う愛に満ちたお母さんたちに使っていただき、感想をお聞きしつつ改良を重ねていくつもりです。

例えるなら木綿の肌着にシルクのブラウスを来て、上着に麻のジャケットを羽織って藍の畑の中で桜を愛でるその姿を外から見る。と言ったところでしょうか。暑さ寒さをそれぞれの機能で緩和してくれると良いなと思います。

言葉にすればこれも「素敵」と言われそうなものですが、ここに行きつくまでには、地道な一歩一歩を淡々と歩いて来ただけに過ぎません。
これは、農婦の趣味などという浮かれたものにするつもりは毛頭なく、想いを込めつつも、生業としての農家のシゴトとしてのこと。
いつか、誰かの役に立てるまでに四季折々にやらねばならないことをこなしつつ、育てて行こうと思います。

そうこうしているうちに、同時進行で仕込んでいた甘糀用のおかゆが炊き上がりました。
これから一晩かけて糀に発酵してもらいます。
かつて、「被服は自分で進めないと一針だって進まない。食は自分が何もしなくても火にかけて置けばでき上がっていくから、手抜きができる」ことが楽を選ぶようで嫌だと、大学の学部を食物でなく被服を選択した若かりし頃の浅はかな自分を思い出す度に、現在、えらそうに「発酵の力は…」などと言えたものだと反省します。

本当は今日やるつもりだったお蚕さんの唯一のゴハンの桑の木の剪定を明日は必ずやろうと思います。
食も衣も、農業車の両輪であることを今更ながら知る農婦。
まだまだ修行が足りませぬ。(一体いつまでつづくことやら)
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手作り醤油とお米の値段と機織りの関係について

2025年03月19日 | 気持ちを語る

日本に住んでいれば誰でも多かれ少なかれ、何かしら急いで締め切りを視野に入れつつやらねばならないことの多い3月ですが、気が付けばあと10日で新年度だと、吹かなくても飛ぶような小さな農家の農婦もハタと気が付きます。

軽トラに荷物を満載して連日、あちこちに醤油絞りに出向き、そこに集うお仲間と対話しながら同時に手で伝え(だから=手伝うのです。とか言いながら)
1つの樽の中の醤油をみんなで分かち合う喜びを共有し合う時間は、旅のサーカス団さながらの準備と当日と終わっての夜はどれだけぐったりとしていても、翌日次の場所へと向かうエネルギーとなっていることに間違いはありません。

そんな中、吹かなくても飛ぶほどの小さな農家であっても、他の方からすれば一応農家とみなしてくださるのか、どこに行っても、必ず誰かが「お米が高くなってきて・・」と話しかけてくれます。
お米の値段が高くなってきているということは紛れもない事実ですが、その事実に対しての考えや価値観、意見や思いは千差万別。
それは、きっと朝日が昇るのを見るのが、ビルのすき間からなのか、
山からなのか海の水平線からなのか、雨嵐で朝日が昇っていることが見えないだけなのか、ようやく光差す冬の遅い日の出なのか、夏の登った途端に暑くなる元凶なのか。どれも日の出という事実に対し、思うこと、見えるもの、感じることが千差万別と同じような気がします。

話が飛躍するようですが、だから農婦は勝負事が好きではありません。
勝者は喜びのコメントを出しますが、敗者の悔しさを思えば、それが何だと思うのです。もちろん、いつでも立場は入れ替わるし、悔しさをバネに頑張る精神力があるからこそ、次に挑んでいくのが勝負の醍醐味なのでしょうが。
その意味では「参りました」と自らが敗者の宣告をして終わる将棋は素晴らしいと感じています。
異物をくるんで真珠になるアコヤガイと、心の核の悔しさをくるんで愛となる農婦とでは似て非なるものがありますが、「お米が高い」とだれかが言うだけで、こんなにも様々に思考回路が無駄に働きます。

そして、醤油絞りと仕込みの切り替えのすき間時間に日程を合わせて
シルク担い手研修の総決算で長野まで出向き、2日間無心の鶴になって絹の機織りをしてきました。

農婦は皆さんが順に織ったあとのトリでした。(ここでも鳥)
途中では影響が出なかった、糸のねじれや摩耗、張り具合のツケが出て来るためか、1日目は経糸が30回も切れ、その都度、指導をしてくださる方と必死でつないでは切れ、つないでは切れで遅々として進まず。
織り傷もあちこち出て来るので「自分の傷だらけの人生と同じなので気にしませんですー」と言っては笑われましたが、それこそが悔しさ故の傷をくるむ真綿のごとく。

2日目は、経糸は10回くらいしか切れなかったものの、想定外の雪の影響で早くに帰路に着くのはキケンと判断し、あえて手間暇のかかる模様を入れ込みました。

機織りをされたことののない方にとっては、理解しにくいこととお詫びするのですが、経糸1本づつを見極めて増減しながらすくい、形作っていく手法です。

真ん中のピンクの楕円を入れ込むと、そこだけが2重の糸が入るため、両端の糸が空いてきていまします。それを補う意味で両サイドに適度に白色の色を織り込み、均等を保たせて織り進めました。
本当は朝日を織り込みたかったのですが、模様を入れるのを初めてチェレンジしたために円が広がりすぎてしまい、途中から「これは春の繭にすることにしました!」と問題を問題のままにせずに答えに変えました。

毎日違う場所、違う人々との手作り醤油の旅とお米の話題、トラブル続きでも自分で決めて挑んだ手間暇かけた機織り。
どれもが大変、楽しかったし様々に人生考えた有難い時間でした。
あした、いや今日からは新しい手作り醤油仕込みの旅が始まります。
いつもの場所といつもの人たち。新しく出会う場所と新しく出会う人。
縦にも横にも色とりどりに交差して細い糸の幅分づつ織り進んでいくように、
人生進んでいくうちにいつか、だれかの役に立つ長いストールが出来る日が来ると確信しています。
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醸し合う時間

2025年02月24日 | 気持ちを語る

今日は、今年最後の味噌作りの日でした。
ここ2か月ほどは、連日自宅兼作業場で、ただただ黙々と淡々と準備をしてみなさんのいらっしゃるのを待つ日々だったので、世の中が三連休だったことをご家族連れの方が多く、子どもさんの数で言えば、保育園さながらの賑やかさと、大渋滞の末に遅れて到着されるみなさんから教えていただく始末です。

そんなみなさんと向き合いながらも、遅れる皆さんを待つ時間が少しあったので、自家消費用に大麦麹と小麦麹の塩麹を仕込みました。

麦麹は大小どちらも香りが良く、味噌作りで自由にブレンドしていただく5種類の麹の中でも、最近人気が高まっています。
とは言え、
かつて東海地方内でしか波及させてこなかった、栄養価が高くタンパク質豊富で一番深い発酵をする大豆麹も根強い人気があり、中でも八丁味噌と同じ作り方の味噌(農婦の味噌作りでは全麹味噌と呼んでいます。)は、赤味噌のお好きな方の行きつく先の宝石のごとくとなっています。

それでも、幼少のころから慣れ親しんだ米糀のほのかな甘さを、香りと味覚で定着されていた地域出身の方は、大豆麹にはめもくれず、米糀だけを入れられます。それも規定よりも多めに。

結局、なにを選択するかはみなさんの子どものころからの食習慣による影響が大きく、同じ日に味噌作りをされる方が10人いれば10種類の味噌が、それぞれの手によって仕込まれていきます。
時々「おススメの味噌はなんですか?」と聞かれますが、
農婦が何を薦めたって、それは自己満足でしかなく、
ご自分の意思によるものではないのです。
自分の道は自分で決めてこそ、文字通り手前味噌となり大切に召し上がっていただけると確信しています。

ただ、麹の種類の相談に乗って欲しいと言われることはあるので、
そんな時は相手のことを思い、尊重しつつ提案させていただいて同意のもとに
マイブレンド味噌を仕込んでいただくやり方を貫いています。

自分の考えを貫くために、相手に対してこうして欲しいと思い言葉にするよりも
相手に対して常にどうしたいか聞くことに比重を置くことが大切だと思う思考回路は、農婦の幼少のころの育ちによるものかもしれませんが
そうやって、人と人とはお互いに気持ちをも醸し合って、今はない何かが生まれていく。その繰り返しなのだと思うのです。

長く居座った寒波は明日から一転、日中は暖かくなるようですが、
農婦も今日までの味噌作りから一転、明日からは手作り醤油の仕込みと絞りに切り替えます。
週末からは、引きこもりの1,2月から一転、毎日違う場所に出向く社交的な(?)日々が始まります。

青虫はサナギになり、羽化してどこかへ飛んでいきます。
農婦も自然の生き物の中の小さなひとつに過ぎません。

そういえば、先日の春一番の前日、ウグイスの初鳴きを聞きました。
暖かな春はすぐそこ。

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匂いの記憶

2025年02月15日 | 味噌作り

先日の節分は温暖な地域にしては珍しく、雪の朝でした。
その日のうちに雪は溶けたものの、この冬はいつもよりも冷え込む日が多い気がします。
そんな中でも、里山の中の隠れ家のような場所の農婦の敷地には
連日の味噌作りにいらしてくださる方々が足を運んでくださって
心の温かさを受け取っています。
時にご友人との再会の場となり
時に子ども会の集まりのようにもなり
時にご家族の共同作業の場ともなり

味噌を仕込みながら、みなさんそれぞれにこれまでの人生、これからの生き方を語られます。
農婦はその対話のおじゃまをしないように、あるいは一緒に農婦も混ぜてもらって、気が付けば味噌の仕込みが終わっている。
そんな毎日を過ごしています。

初めての方は、必ずこれまで来ていただいたことのある方と一緒に来ていただくことにしているのですが
昨日初めていらした、お年は70代と思われるご婦人は
味噌作りの間も、そのあとのお茶の時間も静かに淡々としたお姿だったのですが
帰り際、「今日は楽しかった。子どものころ、家で祖母が大豆を茹でて味噌を作っていて、自分は回りで遊んでいただけて手伝ったことはないのに、大豆を茹でた匂いで、その時の記憶を思い出したの。」と話してくださいました。

半世紀以上前の記憶が匂いで蘇る。人の記憶は、何かをしてなくても
かつてそこに居たこと、その時そばにいた人のことまでも思い出させてくれることを教えて頂きました。

最近、生成AIなるものが人間社会の中に気が付かないうちに入り込んできているようですが、どんなに言葉巧みに、いかにも生身の人間が感じたような文章を作りだすことが出来てでも、実際に五感を使って経験することは出来ません。
農婦とて、こうした発信の仕組みを有難く使わせていただいてはいるものの
自分で経験したことがあり、他者との関わりによって感じた事、考え尽くしたことしか文字にはできません。

今朝も、これを書きつつ
今日来られる皆さんの分の大豆を茹でています。
1年ぶりにお会いする方が多いのですが、そのお顔を思い浮べながら。
それぞれの五感に響く対話が待っているのかを思うと
それだけで嬉しくも有難いとも思いつつ。
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火で焼く大地

2025年01月27日 | 気持ちを語る


いつもの冬のように味噌作りに来てくださる方々に、いつも以上に様々にお声をかけていただきながら、毎日を過ごしています。

そんな中、昨日は地域一斉の野焼きの日でした。
ここのところ雨もなく、乾いた大地と乾いた枯草、強い風が吹いていたこともあり、走るように火が大地を焼き尽くしていく様を言葉もなく見つめながら
人も草も、最後は炎に包まれてそして次への再生を促していくのだと感じます。
本当は桑の木のところは火が燃え移らないようにと熊手を動かしていたのですが、風の勢いの前には、人間のやることなんてなんの力にもならず、
「もう、止められない。このまま焼かれていくのを見守ろう」
と覚悟しながら、それでも、もちろん春の芽吹きを信じています。
風が強かったので炎は上に登らず、低姿勢のまま枯草だけを焼いて行き、
枯草を炭に替えて、あたり一面まるで喪に服したような様相です。

思い出すのは、詩人 金子みすゞの「大漁」

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。


途中、バッタが何匹も飛び出して来ていました。
飛べない虫や蛙はそのままそこにいるかしかありません。

恩恵を受け取るものいれば、突然で思いもよらないまま命をなくすものたちもいることを、想像だけでなく現実として受け取ります。

少し話は飛躍しますが、「楽しくなければやれない」
とおっしゃる方がいますが、農婦は楽しいから農業をしている訳ではありません。楽しさを求めることもありません。
ご縁のある方々に喜んでいただけれることができれば自分も嬉しい。
そんな心持ちで今も生きている農婦は、淡々とコツコツと地道に生きていくほかありません。

今日も、みなさんの味噌も心も醸されてゆくこれからの1年を思い、感謝の言葉をお伝えしながら味噌を仕込んでいただきつつ、静かに喜んでくださる姿が嬉しい限りです。

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