日本の季節は、4つ。
立春、立夏、立秋、立冬。 この前日が節分と呼ばれる季節の境目。 立春の前日の節分が半月前のこと。 この節分が、やはり1年の分かれ目と思えるのは 神様の仕組みに他なりません。 娘の帰りを待つ車の中で新聞を読んでいると 視界の端っこに、茶色の飛び跳ねるものが入ってきました。 すぐ目の前をいたちが、横切ります。 車の前でこちらを向いて、確かに目が合いました。 口には、ねずみをくわえています。 目が点の私を見つけるとすぐに走り去っていきました。 「ホント~!!」と喜ぶと予想して帰ってきた娘に見たままを伝えると ぽつん。と「いたちも生きていかなきゃならんからさ・・・。」 どこにいるのか、確かめずにはいられない。 妊婦を娘に持つ母の気持ちを教えてもらいます。 梅の木の下にいるのを見つけてそっと近づくと春草が足元に。 いつの間に・・・。 「森からの水をためてメダカを増やすんだ。」 そう言いながら実家の母がクワ1本で作ったちいさな ビオトープに、カエルの卵が浮いていました。 少し前までは、片時も母ヤギのそばを離れなかったのに。 娘も、いたちもヤギもカエルも。 みんな少しずつ少しずつ、準備していました。 節分から半月もたってから、やっと気づいた私は 自分からではなく、みんなに教えてもらいました。 人の世は、いろいろとざわついています。 怒りや、矛盾や、悲しさや。 その心を体に入れたままでは、 私は、みんなのエネルギーになる大豆やお米を育てることはできない。 私のマイナスの気持ちは そっと、土に降ろさせてもらって そうして、いつの間にか軽くさせてもらって それで、やっとのことで農業を続けさせてもらっています。 みんな生きる準備をしているのね。 だったら、私も仲間に入れて。 そんな気持ちで暖かな里山の中で暮らさせてもらい、 おとといの雨が有難い。 そう思える今があることに感謝しています。
おてんば娘の想像がつきません。
・・・ということは、今おてんば2重丸のうちの娘も将来は物静かな大人になるかも・・・。
ちょっと、安心したりして・・。
遠くにいても『季の野の森』の生活が息遣いが感じられて、子供の頃、野原を駆け回るおてんば娘だった頃の事を思い出します・・・・・。