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一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

国立新美術館

2010年01月30日 | 最近のできごと
 朝の家事をすませ、パソコンに向かって間もない時、固定電話のベルが鳴った。
 電話に出ると、数年ぶりに聞く、なつかしい声の洋画家の友人からだった。一回り以上年上の男性で、時々、電話や手紙のやり取りをしている。
「昨日、行って来ました。国立新美術館」
 弾んだ声で、私は言った。六本木にある国立新美術館は、2年前、横山大観展のチケットを貰って行ったので、2度目である。
「あ、行って来た?」
 Kさんが聞き返した。受付で署名して来たが、会場にいなかったKさんは知らないはずだった。
「はい。Kさんの作品、素晴らしかったです」
「どうもありがとう」
「ずいぶん、たくさんの人の作品が展示されてるんですね。絵の他にも詩や短歌や書道や写真も、全部、見て来ました」
「600点だからね、あれは文部省の企画でチャリティだから」
「出展者ごとのカードに書かれたチャリティへのメッセージも、ほとんど読みましたけど、声をかけられて賛同した人たちが出展したんですね」
「うん。ぼくはアフリカへ行った時、悲惨な子供たちを見ているからね……」
 と、Kさんが、そのチャリティに賛同した理由を話し始めた。
 半月前、Kさんから送られてきたのは、その企画展の『Heart Art in TOKYO 第13回 エイズチャリティー美術展』のプリント案内ハガキを封筒に入れた、便せん2枚の手紙だった。久しぶりのKさんの達筆と文章が、なつかしかった。
 手紙には、今回は所属団体主催ではないので、会場で会えないのが残念ということなどが書いてあった。
 以前は、よく、都美術館に出展したKさんからの招待状が送られてきた。
 何年か前に、Kさんが会場にいると招待状に添え書きされていたその日、ちょうど親しい編集者から電話がかかってきて会うことになったので、都美術館に誘って一緒に行った。Kさんが出展した作品を含めて、ひと通り見てから事務局の部屋へ行き、Kさんの名を告げると、職員が「K先生、お客さんです」と言ったので、「Kさん、先生って呼ばれるんですね」と、小さな感慨とともに言うと、Kさんは少し照れたように笑った。所属団体のパンフレットを見たら、理事のところにKさんの名前があった。Kさんのことを、反体制的で、自由人で、一匹狼的な、ユニークな芸術家と思い込んでいた私には、少し意外なことだった。
 そのことを、今日の電話で話すと、Kさんは所属団体が変わり、トシだからねと、そこでも理事をしてると答え、苦労話のような裏話のようなことも話してくれた。
 アフリカの話から、インドのカーストの話になり、さらに中国の話にもなった。
 中国やインドやアフリカなどに、Kさんは興味があるらしい。一人旅をしていると書かれた絵ハガキが、何度か送られてきたことを、思い出した。
「Kさんは、そういう所に旅行するのが好きなんですね」
「放浪が好きなんだ」
 と、その言葉が、Kさんらしいと思った。
「Kさん、煙草は卒業したんですよね?」
 編集者を誘って都美術館へ行った数年前の、さらに数年前、館内の喫茶店に向かい合った時、Kさんが煙草を吸っていなかったのを思い出して、ふと聞いてみたくなった。
「8年前に病気したからね」
「煙草を吸わないKさんて何だか不思議な感じ。別人みたいで、というのもヘンですけど」
 それまで、煙草を吸わないKさんは想像もつかなかった。
「8年間で肺の色がきれいになるらしいけど、ぼくはヘビースモーカーだったからね、どうかな。今でも、屋外で煙草吸ってる人見かけると、吸いたいなあと思うね」
「でも、ほんとになつかしいわ。昨日、Kさんの絵を見て、カードのメッセージ読んで、なつかしくて会いたくなっちゃった」
「今度、会いましょう。ぼくは世間を、あっと言わせたいと思ってるんだ」
「あ……期待してます」
 一瞬、言葉が詰まったのは、ちょっぴり複雑な気分になったからだった。数年前の電話でも、Kさんはそう言っていた。あっと言わせる作品ということだが、それは絵画なのだろうか、もしかしたら……。もう、だいぶ以前に、長編小説を書いているとKさんからの手紙に書いてあり、私は衝撃を受け、とても複雑な気持ちになった。洋画家のKさんが小説を書くなんて夢にも思わなかった。もちろん、画家が小説を書いても、少しもおかしくない。文学賞を取った画家もいる。
 Kさんはとても筆まめであり、書くことが好きな人である。Kさんが書いた小説は純文学に違いなかった。純文学を読んだり書いたりした同人誌時代は、もう遠い日のこと。生原稿を読む自信は、なかった。私は返事の手紙を書けなかった。
 もう、ずいぶん前のことで、Kさんは忘れているに違いない。けれど、世間をあっと言わせる作品が絵画でなくてもおかしくないと、思いたかった。 
 そんな想いがよぎったが、電話でそのことには触れなかった。
 Kさんは久しぶりのせいか、話したいことが多くあるような感じで、言葉が途切れない。
「今、大丈夫かな。話してても」
「ええ、別に急ぎの予定って、ありませんから」
 それからも、Kさんは所属団体の話や出展した作品の話などを続けた。私は興味深く、それらの話を聞いたり質問したりした。途中でKさんは、
「相変わらず、きみは、いい声してますね、さわやかで、透き通ってて」
 そう言った。
「あら。Kさんに声を褒められたなんて初めてみたい」
 電話では声を褒めるしかないとは言え、お世辞半分でもうれしかった。
「今度、ほんとに会いましょう。また電話をするから」
「はい。楽しみにしてます」
「さようなら」
 その、最後の言葉は、ちょっぴり寂しかった。そう言えばKさんは、電話の最後に「さようなら」と、いつも言う。
 すると、私の胸に、もうKさんと、ずっと会えないのではないかという寂しさが、決まってかすめる。またね、ではなく、さようなら。私は電話を切る前、さようならは言わない。電話をありがとうとか、うれしかったとか言う。
 初めて知り合ったのは、私が20代の始まりのころ。30代半ばを過ぎていたKさんとは、男女としての親密な関係になったことは1度もない。かといって、男と女の友情と言えるかどうか、わからない。食事や映画や演劇に誘われたり、アトリエにしている素朴な感じの、Kさんの部屋で、人生や詩や小説の話などをした。
 Kさんは文学的な長文の手紙を、よく送ってくれた。その中に、今でも忘れ難いのが、
 ──人生は退屈するほど長いのです。──
 という文章である。それは、Kさんの若い日の、ある体験を想わせる言葉で、私は深い衝撃を受けた。青春時代のことを、Kさんは語ってくれたことがあった。
 私の周囲に、Kさんのような人間は1人もいない。私にとってKさんは大切な友人であり、若い日の思い出の男性と言えるかもしれない。
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