1979年7月22日
『Q:意識と目撃者は同じものですか?
M:目に見えるものにとっては意識が目撃者だ。意識を目撃する別の原理が存在し、そしてこの原理はこの世のものではない。
Q:あなたはどうやって意識を目撃するのですか?
M:自分が座っているという事実をあなたはどうやって目撃するのだろう?努力せずに、それとも努力してだろうか?
Q:努力しないでです。
M:同じやり方だ。あなたが努力をするならそれは肉体的見地からのものだ。知識「I Am」が世界全体の魂なのだ。知識「I Am」の目撃者は知識「I Am」よりも前にある。あるがままに自分自身を理解しようとしなさい…どんな修正も加えずに。色んな材料からなる色んな食器を用意するように、あなたは何かを作りたいと思う。目撃することや気づきとは、あなたが自分の深い眠りを観察するのと同じことだ。それと等しいのだ。
Q:理解できません。
M:理解できるのではない。自分自身をじっと見つめてみなさい。鑑賞というスクリーン上に現れるものは皆、必ず消える。鑑賞する者が残るのだ。
Q:鑑賞者というのもマインドの一概念ではないでしょうか?
M:概念とマインドは鑑賞者から生じる光の輝きだ。
Q:「I Am」が、あなたが万物の骨子であるとみなすものですか?
M:そうだ。「I Amness」は自然に現れ自然に消える…それは家を持たない。それは夢の世界のようなものだ。何かになろうとしてはいけない…霊的人間にさえ。あなたは顕現されたものだ。木は種子の中に既に存在する。そのようにこの「I Am」はある。それをあるがままに見てみなさい。あなたが目にするものに干渉しようとしてはいけない。これを理解したなら、あなたの必要性とは一体何だろうか?
Q:何もありません。
M:あなたはこの確信の中に落ち着かなければならない。ジュニャーナ(知識)が全宇宙の魂だ。シッディ(霊力)に夢中になってはいけない。故意にシッディを求ないにもかかわらず、あなたの周りには奇跡が起きるだろう。それらの所有者であると主張してはいけない。
あなたから1000km離れた場所にいるあなたの帰依者は、形を取ったあなたのダルシャンを受けることができる。あなたの帰依者があなたの知識を讃えるときはいつでも、その知識は具体的な形を取るのだ。自分が何かをしていると思ってはいけない。音は空間全てを満たしている…同様に、知識「I Am」は全ての場所を満たすだろう。これを理解すれば、あなたにとって死はなくなる。自分を一個人だとみなすなら、あなたは必ず死を受ける。
霊的探求者は何かになりたいと思っている…ただあるがままのあなたでありなさい。人々があなたの元へやって来たら、あなたから自動的に言葉が出てくる。ヴェーダを学んだことはなくても、あなたから生じるものはヴェーダやウパニシャッドにあるものと同じものだろう。喋るときには、自分がジュニャーニであるとか知識人であるという観念をこれっぽちも持たないだろう。
Q:私は「I Amness」という重荷を感じています。それを取り除く方法とは?
M:あなたはそれを植えたことはないというのに、取り除くという問題が何処にあろうか?
Q:わかっています…しかし私のマインドはそれを取り除くべきだと感じているのです。
M:マインドは至高の原理を認識することはできるだろうか?マインドに従ってはいけない…マインドは独自の自然な成り行きに従っているのだ。あなたはマインドと同一化して、それを代弁しているのだ。
どんな無理をして、マインドは空や空間を変えることができるのだろう?
空間とは、それを通して世界を観察する「I Am」の眼鏡なのだ。五感はあなたを知ることができないが、あなたは五感を知っている。
Q:「あなた」とは、何を意味しているのですか?どちらの「あなた」ですか?
M:あなたは二元性を感じているので、私はあなたの中で聴いている人を指して言う。
Q:私は外側の意識ではありません。
M:実は、あなたはそれから離れて、それを認識するのだ。もしあなたが自分は意識だと言うなら、その時あなたは世界全体だ。あなたは「I Am」から分離している。「I Am」それ自体が幻なのだ。知識「I Am」と世界はマーヤの悪戯なのだ。それらには何の実体もない。実際は何の言葉も存在しないが、あなたは自己満足のために言葉を話す。
あなたは飢え、渇き、目覚め、眠りの状態を知っている。これらがなければ、あなたは何か?あなたはこれらが自分の恒久的なニーズだと思っている…これがムーラ・マーヤ(根本的な幻)の悪戯だ。「I Amness」には特定の期間がある。あなたはどれくらいこれらに付き合うつもりだろう?
Q:記憶は世界を真実のように見せます。記憶が緑色を登記しなければ、緑という色は存在しません。
M:記憶は「I Am」の内にある。相対的な反復はマーヤの芝居だ。8日間眠ることができなければあなたは生きていられるだろうか?
Q:いいえ。
M:すなわち、あなたは目覚めと眠りの状態を越えるということだ…要するに、幻は消える。
Q:朝目を覚ますとき、「I Am」意識は何処から現れるのでしょう?
M:あなたにそれを理解することはできない。フィルムのように、それは既に存在し、再生されているのだ。この化学物質はヴェーダでは大原理と呼ばれるものだ…それがヒラニャガルバ(黄金の子宮)だ。「I Amness」は深い眠りの中で忘れられ、目覚めと夢見の状態に現れる。
Q:どうやって先ほどのものを覚えておくのですか?
M:それが「I Amness」の技なのだ。自分自身にどんなアイデンティティーを抱いているのかね?
Q:私は目撃者です。
M:何の?
Q:肉体ー精神の全活動の、です。
M:これは肉体ー精神の特性に過ぎず、”自己”知識ではない。腐りかけた食物に虫は湧く。同様に、肉体とは腐りかけの食物なのだ…”自己”はその中でのたうつ。肉体が腐りかけれると、虫「I Amness」が働く。その味が「I Amness」だ…そしてそれは舌なしで楽しむ。私達はこの腐りかけの食物の味に満足感を得過ぎているのだ。あなたはどんな知識が欲しいのかね?
Q:私の真の”自己”についてです。
M:肉体が自分だと思っている限り、真の知識を手にすることはないだろう。マラティには「借りものの妻」という言い回しがある…彼女は返さなければならない。同様に、この肉体は借り物なのだ…あなたはそれを返さなければならない。この肉体とのアイデンティティーは消えなければならない。
Q:どうしたらこの自己同一化を取り除くのに成功するのでしょう?
M:深い眠りと目覚めの状態を調べようとしてみなさい。これらは時間に縛られている。目覚めと眠りの状態の体験なしに、あなたとは何なのかを明らかにしようとしなさい。
Q:その時私は言葉がありません。
M:本当に?ヴェーダも「これではない…あれではない」と言い、終いには静かになった…それが言葉を越えたものであるかのように。深い眠りと目覚めの状態がなければ、あなたは自分が在ることがわかるだろうか、あるいは「I Am」を体験するのだろうか?
Q:いいえ。
M:生まれたものは…あなた自身、それとも2つの状態だろうか?ここに来れば、あなたはすぐに一掃されるだろう。あなたこれらの状態から何を自分自身として選び取るのだろうか?
Q:何も。』