氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

231 病

2005-10-21 00:34:46 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

231 病

 あるお寺の掲示板にこんなことが書いてあるそうです。
「病気が治ることがご利益ではない。病気を無駄にしない心こそご利益である」
 
 私たちの神仏のご利益というと、私の願いが叶うことだと思っています。しかし、仏教の立場からいうと、願いが叶うこと、思い通りになることをもって幸せとする人生観こそ、逆に苦しみの源であります。自己へのとらわれから自由になることを理想としているそうです。

 本当の幸せは苦しみやマイナスの状況の中にあってもその現実を受け取る心の目を開くことのようです。

 病気を苦しむ人は「あなたは病気をしていないからそんな暢気な理屈がいえるんだ」と言います。しかし、どうしても変えることも、代わってもらうことも出来ない現実ならば、苦しみが苦しみのまま終わり、悲しみが悲しみのまま終わっていかなければならないほど、虚しく、やるせないことはありません。その苦しみや、マイナスの状況をとおして、学び、気づき、新たなるものとの出会いや成長があったとき、「苦しいことでしたが、かけがえのないことでした」と現実のうなずきが与えられます。その新しい出会いが大切なのですね。

 「われ思う。ゆえに我有り」といった哲学者カントのお話です。
 カントとは生まれつきいつ死んでもおかしくないくらい弱い体でした。あるとき一人の医者から君は体はともかく、丈夫な心のお陰でまだ生きていられる。そのことを喜びと感謝に変えていったらどうだろうかと言われました。

 そこでカント少年は今までの自分を反省したそうです。自分は今まで喜んだ事もなかったし、感謝したこともなかった。朝起きても、夢の中でも、「つらい、苦しい」が口癖だった。でもそれは止めてみよう。「ありがたい。うれしい」という言葉に変えて見ようと決心したそうです。そして80歳まで生きたそうです。

 あの大哲学者のカントでさえ病弱で、苦しいときがあったのですね。だからあの有名な言葉のように自分が思う事が出来るだけでも嬉しかったのかも知れませんね。
 気まぐれ剣士も剣道が出来るだけで幸せです。でもすぐ欲が出るのです。強くなりたいって。

いかがでした 
次回もお楽しみに
 以上