氣まぐれ剣士の言いたい放題

氣まぐれ剣士が剣道その他を思うままに書いています。
一度のぞいてください。

227 浄土宗

2005-10-15 08:37:54 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

227 浄土宗

鎌倉時代に法然というお坊さんが観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)というお経にであいました。そこには座禅など組まなくても南無阿弥陀仏と仏の名前を唱えれば極楽往生出来ると書いてありました。それからは、何でもかんでも南無阿弥陀仏一本だそうです。

法然の弟子の親鸞は南無阿弥陀仏を何回も言うことはない。十回唱えれば十分だということになりました。それが念仏十念だそうです。

ところが心配性な人がいます。七回唱えたところで死んでしまったらどうしようといいました。そこで十遍言わなくてもいい、一遍で言いといったのが一遍上人だそうです。一遍だけ南無阿弥陀仏を唱えるだけよいから、特にお寺は必要でない。道でもどこでも修行の場です。

法然と親鸞と一遍と念仏宗で誰が一番受け入れられたでしょうか?
法然さんのように事あるごとに何回も何回もブツブツと南無阿弥陀仏と言うのは面倒です。といって一遍さんのように一回と言うのも何か物足りない。十遍くらいが適当であろうということで親鸞さんの念仏十念が最も受けいれられたそうです。

ついでにお釈迦様は5048巻の大蔵経を説い弟子たちと色々議論しています。どんな質問にも親切に答えているのですが、ある質問には決して答えませんでした。それを「釈尊無記」と言うそうです。無記というのは沈黙のことです。「死んだらどうなるのか」という質問には何も答えねいで沈黙しています。

やはり昔からしつこい人がいて、「どうしてその質問に答えないのですか」と質問した人がいます。するとお釈迦様は、「私の教えは生きているときの教えだ。だから、死んだ後のことについては答えない」といいました。「私には死んだ後のことには関心がない」とも言っています。

お釈迦様も死んだ後のことについては知らないのでしょうか。それとも、知っていても教えたくなかったのでしょうか。ひねくれ者の気まぐれ剣士は、さすがのお釈迦様も知らないからこんな言い訳を言っているのかなと思ってしまいます。

でもこの手は使えそうですね。知らないときには、「気まぐれ剣士はそんなことには関心がない」といえば良いですよね。ひとつ勉強になりました。

いかがでした
次回もお楽しみに
以上