氣まぐれ剣士の言いたい放題

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216 我慢

2005-09-26 22:26:11 | Weblog
気まぐれ剣士の言いたい放題

216 我慢
 
  「我慢」とは、「我(われ)の慢心」。 我が慢心しなければ、「我慢」する必要もなくなります。

日本人にとって、いつの頃からか「我慢」することは、身に付けねばならない美徳のひとつになってしまいました。 私たちは「我慢」して、耐え忍んで、努力に努力を重ねて精進するこが、 成功への秘訣であり、尊いことのような価値観をいつの間にか、刷り込まれてしまったようです。

「足るを知る」ことと、「我慢」することは、「似て非なる」ものです。「足るを知る」心は、常に自分が満たされていることを知っていることであり、「我慢」する心は、自分が満たされていないことを知っていて、それに無理矢理フタをして、誤魔化そうとしていることに他なりません。

「我慢」の心は、「自分はこんなものじゃない…」と、今の自分を認めていないことに、その源があります。

つまり自分の現在地を客観的に見ようとせず、自分の価値を必要以上に高く見積もっている場合は「傲慢」に、自分の価値を不当に低く見積もっている場合は「卑下慢」というそうです。

どちらも「今、あるがままの自分」を認めておらず、「慢心」しているので、「不平・不満」や「愚痴」が多くなり、被害者意識が高まります。

「自分がこんなにやっているのに~」と思った途端、「我(われ)の慢心」が生れます。「私ばっかり…」「自分だけが…」と「我慢」する心は、実は「特別意識」の塊です。「我慢」の心は、いつかどこかで必ず、弾けるそうです。

自らの欲望を「我慢」せず、欲しいものは、欲しいと認めるといいかもしれません。
自分の欲求を素直に認めて、自分が大したものではないことを自覚することが大切です。

「大したものではない自分」を認めることが出来ると、「慢心」することもなくなるそうです。
「慢心」しなければ、「我慢」することもありません。
無理して「我慢」することなんてないのです。
あなたは、そのままで良いのです。

自分をありのままに見つめることは簡単なようで難しいかもしれません。気まぐれ剣士は、いつも自分は強いと錯覚をしているようです。
以上