気まぐれ剣士の言いたい放題
202 ルビンの壷
皆様、「ルビンの壷」という絵をご存じでしょうか?
白い紙に、シルエットで中程がくびれた壷が描かれています。 ところが、これは一種のだまし絵になっていて、ふたりの人間の横顔にも見えるようになっているのです。
面白いのは、「壷があるよ」と言われてこの絵を見れば壷だけが見えますが、 「人の横顔だよ」と聞いて絵を見れば、もう横顔だけしか見えなくなってしまうことです。
実際には、「壷」と「横顔」両方の要素が描かれているのですが、そのふたつを同時に見ることはできません。どちらかを見ようとすると、もう一方は見えなくなってしまうのです。
面白いですね。両方同時に見えてもよさそうなのに、本当にどちらか一方しか見えないのです。
ひょっとしたら私たちは、ものごとをちゃんと見ているつもりでも、自分のなかにある偏った見方をしてしまっているのかも知れません。
例えば
「失敗」=「自分の無能さの結果」
あなたには、そう見えますか? でも、こんな見方もできますよね。
「失敗」=「自分の課題を教えてくれた貴重なきっかけ」
「失敗」=「自分の望む結果への新たなスタート」
そういえば発明王のエジソンは、電球のフィラメントを発明した時、何千回も失敗してそうです。でも、エジソンは“失敗したのではなく、何千ものフィラメントに適さない物質を発見したのだ”といったそうです。失敗ではなく発見と思えば勇気も湧くし、勢いもつきますね。見る方向、考え方を少し変えるだけで、ずいぶん気が楽になるかもしれません。
気まぐれ剣士も、試合で負けたときは、自分を責めるよりも相手を誉めるようにしています。“よく俺に勝った。大してものだって”。こう考えれば、自分も傷つかず、相手にも失礼にはならないですよね。でも、相手にしてみれば、気まぐれ剣士に勝ったところで嬉しくもなんともないでしょうね。ごもっともでございます。
いかがでしたか。
次回もお楽しみに
以上
202 ルビンの壷
皆様、「ルビンの壷」という絵をご存じでしょうか?
白い紙に、シルエットで中程がくびれた壷が描かれています。 ところが、これは一種のだまし絵になっていて、ふたりの人間の横顔にも見えるようになっているのです。
面白いのは、「壷があるよ」と言われてこの絵を見れば壷だけが見えますが、 「人の横顔だよ」と聞いて絵を見れば、もう横顔だけしか見えなくなってしまうことです。
実際には、「壷」と「横顔」両方の要素が描かれているのですが、そのふたつを同時に見ることはできません。どちらかを見ようとすると、もう一方は見えなくなってしまうのです。
面白いですね。両方同時に見えてもよさそうなのに、本当にどちらか一方しか見えないのです。
ひょっとしたら私たちは、ものごとをちゃんと見ているつもりでも、自分のなかにある偏った見方をしてしまっているのかも知れません。
例えば
「失敗」=「自分の無能さの結果」
あなたには、そう見えますか? でも、こんな見方もできますよね。
「失敗」=「自分の課題を教えてくれた貴重なきっかけ」
「失敗」=「自分の望む結果への新たなスタート」
そういえば発明王のエジソンは、電球のフィラメントを発明した時、何千回も失敗してそうです。でも、エジソンは“失敗したのではなく、何千ものフィラメントに適さない物質を発見したのだ”といったそうです。失敗ではなく発見と思えば勇気も湧くし、勢いもつきますね。見る方向、考え方を少し変えるだけで、ずいぶん気が楽になるかもしれません。
気まぐれ剣士も、試合で負けたときは、自分を責めるよりも相手を誉めるようにしています。“よく俺に勝った。大してものだって”。こう考えれば、自分も傷つかず、相手にも失礼にはならないですよね。でも、相手にしてみれば、気まぐれ剣士に勝ったところで嬉しくもなんともないでしょうね。ごもっともでございます。
いかがでしたか。
次回もお楽しみに
以上