goo blog サービス終了のお知らせ 

桔梗ちゃんの日記。

妖怪、忍者、神社にフジヤマ。日本がやっぱり一番好き。

(2) 三方原合戦!犀ヶ崖古戦場

2016-04-17 11:36:31 | 旅行
ネット情報によると、

三方ヶ原台地が亀裂・陥没してできた全長2km、幅50m、深さ90mの断崖。
徳川軍はこの崖に布で橋を渡し、犀ヶ崖北方に陣営を張る武田軍に奇襲をかけた。
土地勘のない武田勢は、その橋が布であることを知らず崖下に落ち、多数の死者がでた。
その伝説が現在の布橋という地名の由来になっている…

というのですが、実際足を運んでみると崖は狭いわ浅いわで、
落ちてもせいぜい骨折程度。


石碑の後ろには公衆トイレがあり、なんだかなぁ~、というのが現場の第一印象でした。


目の前は車がビュンビュン走ってるし。うへ

戦の後この場所から夜な夜な声や馬のいななきがする、もしやこれは武田勢の怨霊ではッ!
と当時はいわゆる心霊スポットでもあったのに。

山桃の木の下には即身成仏を遂げたお坊さんが埋まっている逸話もあるそうですが、
前も後ろも駐車場。こちらもなんだかお気の毒でした。



ここの資料館は宗円堂というお寺だったそうです。
合戦による死者の霊を慰めるために家康が行った「遠州大念仏」は、
今では遠州地域の郷土芸能。毎年7月15日に行われます。

念仏踊りで使う鐘をたたかせてもらいましたが、予想外の音がしました。
ブォォォォンと深くて大きな音。地獄の釜が鳴り響いているような、
そんな印象をうけました

思わず「本物ですか???」と聞いてしまった勝軍地蔵尊。
家康17歳の初陣からかならず甲冑に奉安して陣中守護神としていたもの。
答えは本物です、でした。



ひー
資料館が寺としてまだ機能していたら、「秘仏」になっていただろうに。

ここの資料館はお薦めです。
おじさんたちがいっぱい説明してくれます。笑

もうとても「崖」とはいえない反対側には学校があり、その拡張で埋めちゃったんだって。
なので幅が狭くなってしまいました。
また今は木を切ってしまって底があらわになっていますが、
昔は木々が鬱蒼と生い茂っており、それはそれは大変な崖だったみたいです。

そうだよね。
一応多数の死者を出しているのだから。

続いて「浜松・家康散歩道」をたどり、合戦で炎上した普済寺、
正室築山御前の廟がある西来院、矢の練習をした宗源院、
築山御前の首を切った太刀を洗った大刀洗の池跡を訪れた後、家路につきました。

普済寺


築山御前の廟。享年38歳。合掌。


今回の散策で一番面白かったのは、小豆餅ばあちゃんです。
家康が三方ヶ原の合戦で武田勢に追われ、
命からがら逃げ帰る途中に腹が減り、動けなくなってしまったそうな。
茶店で小豆餅を売っていることに気がつき、そこでほおばっていると
また武田勢がドヤドヤとやってきた。

当然脱兎のごとく逃げるわけですが、家康はそこで食い逃げと勘違いされ
背後から婆さんが追いかけてきてきたという。

銭を取るために数キロ走った、っていうんだから健脚おばぁだ!
婆ちゃんに静岡茶で乾杯!

トップの写真は犀ヶ崖の近くにある、おばあではなく
お爺ちゃんの手打ちうどん。美味でした。
帰り際に食べた鰻もおいしかったです!



最新の画像もっと見る