桔梗ちゃんの日記。

妖怪、忍者、神社にフジヤマ。日本がやっぱり一番好き。

(3)真田の郷で誕生日:2日目

2016-03-28 18:18:54 | 旅行
角間渓谷って大分県で見た耶馬渓に似てるな~、と思ったら
看板に「信濃の耶馬溪」、と書いてありました。あははは



2日目は数々の奇岩が見れる角間渓谷遊歩道散策からスタート。


まずこの階段を一気に上ります。


岩屋観音


圧巻!フィクションであるとはいえ、ここで猿のように飛んで
落ちたらただではすまないかと…!


山、山、山。


山肌には雪、足元には霜柱、顔をあげればつららがあちらこちらにあるとはいえ、
鳥の鳴き声は春のさえずりでした。


十二分に森林浴を堪能したあと信綱公のお墓がある信綱寺へ。
信綱は昌幸パパの一番上のお兄さんです。
ここのお墓は威厳たっぷり。さすがと思ってしまった。





左脇にあった、如意輪観音さま、なのかな、心引かれます。


信綱専用コンセント。(違います)


「たちょば」というのだそうです。近辺を散策してみつけました。
真ん中にあるのは八幡神。神を祀るお墓を目にするのは初めて。


最終スポットの上田城。あと1週間ほどで桜が開花します。


あちらの山が上杉領。めっちゃ近。笑


そして大きな真田石に抱きついて(張り付いて)家路につきました。


熱くなりすぎて何度鼻血が出そうになったかしら。笑
やはり戦国武将ものは萌えますね!



(2)真田の郷で誕生日:露天温泉で

2016-03-28 14:08:29 | 旅行
宿泊した宿のウリは広々とした露天風呂。
基本的に混浴なのですが午後7:30~8:30の1時間だけ
女性専用になったので入りに行きました。

外階段を上り暖簾をくぐった瞬間、笑っちゃいました。
だって思いっきり「外」なんですもの。

男脱衣所はあけっぴろげ、女性用には薄い暖簾がかかってはいるものの
湯船に浸かってしまえば下から完全にのぞくことができる。さすが混浴。
囲いは目隠しというよりは、山から下りてくる動物避けの垣根でした。

湯船はふたつ。ひとつは茶褐色の炭酸温泉、もうひとつは真田水を加熱したもの。
これはネットで拾った写真でお風呂が小さく写っていますが、
実際はもっと大きいです。当然こんなに沢山の雪はありません。


とはいえ、外には残雪やつらら、氷が張っている夜ですからガタブルで。
寒い、寒い、と言いながら湯船に向かって小走りしました。

まずは炭酸温泉から。
ジャブンと入った瞬間、飛び上がりました。つ、つめた!
まるでぬるいプールに入っているかのよう。
温泉プールの方がまだ温かいよ、というレベル。

ひー!

慌てて隣の「真田水」風呂へ移動。
炭酸温泉よりはマシでしたが、それでも熱くはなくぬるめです。

シマッタ!、と思いましたよ。
寒くてお風呂から出られなくなってしまったのですから。

ぴーんち!

1時間後にはまた混浴になってしまうので時間がくれば
何が何でも上がらなくてはなりません。
温度が異なる湯船に交互に入り、血流をよくする策にでました。

ぬるめのお湯でも、肩までつかっていればやはり気持ちがいいわけで。
雲ひとつない星空の下、ぼけ~っと一人で30分。

すると。
唐突にあることが脳裏にひらめいてしまったのです。
それは、「幽霊と混浴」。

今から思えば、なんでそんなこと考えるかな。笑

しかも、
「知らない間に幽霊がお風呂にいたってこういうシチュエーションだよね」

と、うっかりつぶやく始末。
それも漆黒の闇が広がる山側に背中を向けながら。

その瞬間背後でお湯がチャプン!

あせりましたよ。
水音なんか今まで一度もしなかったですし。
それに完全に露天ですから水が滴るものなどどこにもないのですから。

斜めにかけられた「女」暖簾のほんの一部だけが風でヒタヒタヒタ…

うわぁ、コテコテだなぁ、と思っていると
今度は水音がしたあたりから分厚い湯気がもわーーーーーっ。
私をめがけて思いっきり流れてきました。

視界はあっという間に真っ白に。
湯気だって今まで全然なかったのに!

なんだいきなり。
怖いじゃないか。

ここで「キャー!」と逃げ出せば怪談的なオチになるのでしょうけど、
私はそういうキャラではないし、
とにもかくにも寒くてお湯から出られない。はは

ただやっぱり脳内でいらぬことがひらめいてしまうので
もぐら叩きのようにポコポコと妄想を叩き消し、
ただひたすらに「霧隠才蔵、霧隠才蔵、霧隠才蔵…」と
ちっとも面白くないギャグを飛ばしてました。

しばらくすると湯気は消え、
また普通のクリアな露天風呂に。
顔をあげると星の数がまた少し増えてました。

・・・綺麗だニャ。

交互に入る策が良かったのか、
女性専用時間が終わるころにはじんわり汗をかくほどに。
男性陣が来る前に間に合って良かったです。
寒い夜のぬるい露天は大変だ!笑


上の画像はネットからの拾いもの。
 

(1)真田の郷で誕生日:1日目

2016-03-27 10:28:34 | 旅行
今年の誕生日はコテコテなことがしたくなり、真田の発祥の地で一泊旅行してきました。

真田氏館跡から始まり、真田本城跡、真田神社、
真田昌幸の墓、真田三代の隠れ温泉、
真田信綱の墓、シメに上田城と真田一色。

前回のブログで書きましたとおり、奇しくも先週、
大阪で知らないうちに真田丸を駆け抜けていました。
なんたる偶然ww 笑いましたよ!
その後大阪城も行っていましたしね。

また、今回は史跡と神社のみで予定を組んでいたのですが、
旅の途中で宮司にあっさりうながされ、結局お寺へも行くことに。
やはりお約束のお墓参りはついてくるのです。はは

宿で御飯を食べて温泉に入り、ガイドブック『真田三代と信州上田』寝そべりながら
読んだときはあやうく鼻血がぶー。
真田氏のキーパーソンとして自分の名前がついた武将が何度もでてくるのですものwww
盛り上がり過ぎなんだってば自分。

むろん、その時の浴衣の柄も六文銭。
とても楽しかったです。

ー ー ー

腹が減っては戦はできぬ!真田の郷でまずしたことは昼ご飯でした。
「討ち入りセット」でHBD、自分!


真田氏館跡。ここを散策した時は、青空が広がっているのに
雪がちらほら舞っていました。


お館からの景色は、最高です。
立っているだけでわくわくし、人生の展望が開けていくような気がしてくる。
一面に広がる田んぼや連なる山々を見ながら昌幸パパはクルミをコロコロしていたのかな。


城跡からのぞむ景色は素晴らしいのが常ですが、
真田本城跡も絶景でした!!!!!!
この旅行で訪れたなかでイチオシのスポットかも。



上田城内にも「真田神社」はありますが、あちらは松平神社が上田神社になり、
近年になって真田神社になったもの。
真田氏をご祭神として参拝するならやはり真田氏発祥の地にある山家神社です。

しっかしなんでカーナビは田んぼのあぜ道を通らせるかなッ。
普通に道路があるってぇのに。
私の旅っていつもそう。笑

山家神社


真田神社


山家神社の宮司さんはとても気さくな方で、いろいろと教えてもらいました。
なんでも真田神社は明治まで山家神社の裏にあったそうです。
その石垣の跡も案内してくださいました。

畑として崩されてしまうのも時間の問題かと。
寂しい話です。



「是非長谷寺(ちょうこくじ)へも行かれてください」と詔を頂戴し(笑)、
真田幸隆・昌幸公のお墓へ。



長谷寺にはお馬さんがいました。足の長いイノシシかと思った(笑) 


そして松尾城跡と日向畑遺跡をさくっと見て角間渓谷へ。
真田の郷の隠し湯といわれる茶褐色の炭酸泉の温泉宿に一泊しました。

お部屋の名前は「由利の間」で、鎌を握る由利鎌之助の絵がありました。
先週の鎌八幡につづき、ここにもまた「鎌」があったという。

上のお地蔵さま写真は本城跡で撮ったもの。
お賽銭だって当然六文銭です。
私も10円でお供えしました。





真田丸を駆ける!

2016-03-19 10:19:42 | 旅行
大河ドラマの話ではないです。笑

17日(木)に突然会議の予定が入り、大阪へ行ってきました。
ですが次の日にはまた別の会議があることから完全にとんぼ返り!

とはいえ長距離移動なのに会議2時間であっさり帰路に着くっていうのもつまりません。
会議が長引かなければどこかひとつでも観光地を巡ろうと、
行きの新幹線のなかで「梅田」と「社寺」でグーグル検索、
面白そうな宮をひとつ選択しました。

選んだのは鎌八幡。
悪縁きりに効くらしく、鎌が木に刺さっているという。
戦国時代には既に信仰があった古刹です。

鎌八幡
http://kamahachiman.sakura.ne.jp

ですが予定は未定であり、会議が時間通りに終わるはずもなく。
加えて「八幡」というから神社かと思ったらなんとお寺で。

どっひゃー!

つーことは「閉門」してしまうわけですよ!!!
最寄りの玉造駅に着いたのが午後4時51分。
鎌八幡の閉門時刻は5時なので猛ダッシュ!
「徒歩15分」という道のりを駆けって駆けって駆けまくり、

山門の前でぜぇぜぇ、はぁはぁ。

「すみません、よろしいですか!!!」

お参りでしたらどうぞ、とご住職に促され
4時59分にお寺入りしました。

たのも~!額面通りの駆け込み寺。笑
ありがたし!合掌!

実はここ、昔から榎信仰はあったとはいえ「鎌八幡」として広がったのは
武将真田幸村がきっかけ。
大坂冬の陣の際、この地に陣を構えた幸村も鎌八幡大菩薩と称して鎌を打ちつけ祈念し、
その結果、戦勝したというのです。

元のご神木は戦災の被害を受けましたが、今ある榎は
当時根元にあったひこばえを大きく育てたものでした。

素晴らしいなあ!
鶴岡八幡宮の銀杏の木を思いだしましたよ。

写真は絶対禁止ですのでありません。
ググれば不届きものが撮った写真が簡単にででてきますので興味のある方は検索してください。
お灯明とお線香をお供えし、ご住職にお礼を申し上げてお寺を後にしました。

その後はベタですが真田軍が守った大阪城へと足をのばしました。



家康のものとなった城の鉄砲穴から豊国神社が見えるって、何。嫌がらせか。www



私らしいなぁと思うのは、女を捨てて(笑)駅から鎌八幡までダッシュしていても、
神社は横目でチェックしているわけで。
「へえぇえ、『三光神社』っていうんだぁ~」みたいな。笑

後で調べたら、真田陣は三光神社から鎌八幡まであったそうです。
私は真田山を頂上まで駆けっていたのでした。

足軽かっつの。www

そして私はそれだけでは飽き足らず、そのまま京都へ寄り(笑)伏見稲荷を参拝、
帰路についたのでした。




この次はゆっくりじっくりまわりたい。
次回への宿題です。

[参考URL]

鎌八幡で語り継がれる-大坂冬の陣
http://www.tama-tsukuri.info/真田丸と真田信繁-幸村-巻1/鎌八幡で語り継がれる-大坂冬の陣/

あの人の人生を知ろう~真田 幸村
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic31.html

大阪城天守閣
http://www.osakacastle.net










外江戸大新宿散策

2016-03-07 10:48:49 | 旅行
怪談闇ハイクでお世話になっている中野純さんに、個別でツアーをお願いしました。
 
天龍寺、旧旭町ドヤ街、雷電稲荷弁天、新宿追分、緑苑街、玉川上水跡、
太宗寺、成覚寺、正受院、犬小屋跡、東大久保富士、大聖院、
抜弁天、鬼王神社、成子富士、熊野神社、十二社池(弁財天池)跡・滝跡を廻るといった、
「外江戸大新宿一周『水と山の女神』タイムスリップハイク』」のプライベートツアーです。

参加者は9名。
JR新宿駅南口を午後1時に出発し、和気あいあいと散策を開始しました。

丁度この古地図の上を歩いた感じになるかな。

水路、川や池、いろいろと埋め立てられてしまったけれど、
昔は水の町だったことをひしひしと感じたウォークでした。

例えば、「十二社池の上」というバス停がありますが、一体どこが池??というのが現状。
でもお話を伺うと、水こそありませんが地形は残っていることに気がつくんですよね。
熊野神社から見渡す景色は風光明媚だったんだろうな~

天龍寺。
このあたりは渋谷へと続く川の水源にもなっていた池があったそうです。
(上にある古地図の画像にも池や川が記されています)


新宿追分。足元にこのようなモノがあったなんで知らなんだ!!!
もちろん追分団子は買い食いしましたよ。笑


水路跡。その昔、四谷大木戸で江戸への配水量が調節されており、
そこで余った水は渋谷川へと流したそうです。


この道も以前は川でした。


今回の散策で一番印象に残ったのは成覚寺(じょうかくじ)です。
山門をくぐるとそこは別世界。空気感がぜっんぜん外とは違います。

創建は(1594年)、色町として栄えた内藤新宿のいわゆる「投げ込み寺」。
これはウィキ情報ですが、投げ込まれた飯盛り女の数は2200とも3000人余りとも言われ、
多くの女性たちがここで無縁仏となりました。

碑に「子供」とあるのは当時そう呼ばれていたから。

そして、ベタですねぇ、中野さんが「子供とは飯盛女のことです」と言った途端、
見事に誤作動が発生、シャッターが切れなかったという。


玉川上水で心中した菩提を弔う為に建立した旭地蔵もある境内に、
恋川春町のお墓があったことは面白い発見でした。
恋川春町は「黄表紙」という新しいジャンルを作った人物です。
漫画好きな人は一度手を合わせに行くといいかも。笑

酒上不埒(さけのうえのふらち)という狂名を持つ狂歌師でもあった
春町の墓がここにあるのはなんだか彼らしいな、と思ってしまいました。



そう広くはない境内なのですが、とにかく花が凄い。
インパクトも量もそこから放たれるナニカも別格です。
参加者のお一人もおっしゃっていましたが、
沢山の花が無くてはならない、そういった場所なのでしょう。

椿は私も好きですが、枝もたわむほどに咲き溢れたものは今まで見た事がない。
「狂い咲き」と言ってもいいぐらいでした。



そんなこんなで楽しい時間は過ぎてゆき、8時少し前にウォークは終了。

資料にあった、
「色町の飯盛女は衣を脱がす奪衣婆の化身のようなもので、
花街の芸者は水辺で妙音を奏でる弁天様の化身のようなもの」
という中野さんの言葉は言い得て妙だと思います。

その後は飲み会へと移行。
よく笑い、お話しました。
帰る頃には声枯れしたほど。あはははっ。

楽しかった!

一番上のわんこ写真は、五代将軍綱吉が発布した天下の悪法、
「生類憐れみの令」(1687年)のお犬さま。