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「国民の期待に応えます!」by内藤大助

2007-10-24 18:49:21 | スポーツ
【亀田家との因縁】

●因縁勃発!(05年1月)

(亀田興毅)日本王者の内藤に対し1月、週刊誌の中で
「あんなの弱い。パンチもないしな」とコメント。

(内藤)東京初進出を発表した18歳の注目ホープ亀田興毅に
マスコミを通じて対戦を呼び掛ける。

(亀田興毅)自身の後楽園デビューが決まり、都内の所属ジムで会見。
その席で内藤について聞かれ「誰やそれ? まったく興味ないわ。
おれの目標は世界やから」と斬る!



●「内藤の方が楽」問題(05年8月)

(内藤)02年4月以来のポンサクレックとの再戦を発表。
「もう一度挑戦できるのは何かの因縁。リベンジしたい。
僕が勝ったら亀田選手を対戦相手に指名したい」と宣言。

(父・亀田史郎氏)「内藤君にはぜひ勝ってほしい。
もし内藤君がポンサクレックに勝てばうちの興毅に運があるということ。
内藤君の方が世界奪取しやすいやろ。
試合当日には『頑張れ、内藤』の横断幕を作って後楽園ホールに応援にいくつもりや」。


●内藤陣営が挑発も亀田家「6回戦レベル」と逆襲(05年10月)

(内藤)宮田会長はポンサクレック戦に「亀田さま」「亀田(長男)」
と記載した通常の4倍の大きさとなる関係者用入場IDカードを準備。
3兄弟と父史郎氏も含めた4席分を招待シートとして用意。

(父・亀田史郎氏)「最初はオレだけでも試合を見に行こかと思うてたけど、
もう行かん。アホらしい。内藤選手がかわいそうや」。

(父・亀田史郎氏)結局、内藤-ポンサクレック戦を観戦。
「6回戦レベル。どっちもな。もっとやると思ってたけどな。
興毅の相手とちゃうよ」と切り捨てた。
当の亀田は2人の弟とともにTBSテレビ「東京フレンドパーク2」の収録に参加したため会場に現れず。



【3年前1回34秒KO負けの王者に雪辱戦】

02年4月、1回34秒でKO負けした王者との再戦で屈辱を晴らし、世界最強を証明して過去の傷をすべて清算する。

忘れもしない。中学2年の春から、いじめグループに集中砲火を浴びた。
顔以外の体を殴られ、給食を取り上げられた。時計など貴重品も強奪された。反抗すれば嫌われ、無視された。
ボクは強くなりたい-。豊浦高卒業後、離婚して埼玉で暮らしていた実父の経営する会社に勤めてボクシングを始めた。
心の傷を成長の糧とし、日本フライ級王者にまで到達した。
「オレが全日本新人王になった時、いじめたヤツが『元いじめられっ子、全日本制す』の新聞を持って来た。
いじめたヤツって誰だって言うからお前だって言ってやった」。その同級生とは今も付き合いがある。今回も応援に来る。
世界最強を証明して見返す覚悟もある。

 いじめの傷は消えない。1回34秒でKO負けした記憶も残り続ける。
「また1回KO負けしたら恥ですね。そう思うと怖いというのはある。
でも1ラウンドから攻めないで負けるのが一番、良くない。自分を信じています」。
内藤は両拳で苦痛に満ちた過去をすべて乗り越えるつもりでいる。



【負傷判定●世界ならず/ボクシング】




WBC世界フライ級2位内藤大助(31=宮田)が不運に泣いた。
同級王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(28=タイ)と02年4月19日以来1270日ぶりに再戦。
左回りに動いた1回は王者の左パンチを回避して打ち合い、ジャッジの支持を得た。
だが2回に偶然のバッティングで右目上をカットし、流血で視界を遮られて失速。
出血がひどくなった7回2分38秒に試合を止められ、0―3の負傷判定で敗れた。


負傷判定で敗れ、ボンサクレックと抱き合って健闘を称えあう

 0-3判定でも完敗だったとは思えない。3度目の挑戦があれば…との思いもある。
ただ、世界戦は数千万円が動くイベント。ジム側の負担も大きい。
「やれるものならやりたいけど、世界戦はすぐにできない。
今後はゆっくり考えたいと思います」と内藤。
これで日本選手のフライ級世界戦は12連敗。
日本タイトル戦最短24秒KO勝ちの記録も保持する「最短男」は、不運の敗戦をかみしめた。



●お願いです




 07年5月31日、ポンサクレックの3度目挑戦決定も
約4000万円の経費を用意できず
「ファイトマネーはゼロでいい。リングに上げてください」
と、スポンサー募集会見も兼ねた。



◆極貧生活 初の世界戦が決まった02年3月に勤務先の自動車整備会社を退社。
セレス小林とのスパーリングで得た7万円の収入で生活。
07年6月まで時給900円で週5回、レンタカー店で働き、
喫茶店に勤める真弓夫人と合わせた月収は約12万円(02年4月2日、07年7月18日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)


●WBC世界フライ級新王者に



奇跡が起きた。内藤が17連続防衛中の同級王者ポンサクレックに3―0の判定勝利を収めた。
02年4月の初挑戦でわずか34秒のKO負けし「日本の恥」といわれた。
3度目の挑戦で無敵王者に打ち勝ち、世界王座奪取に成功。


ボンサクレックと健闘を称えあう

判定を聞いた内藤は、右のほおをつねった。すぐには現実を受け入れられなかった。「夢じゃないかと…。勝っているかどうかは分からなかった。夢中でした」。念願のベルトを巻かれると涙が止まらなくなった。顔をくしゃくしゃにして号泣した。



 勝利を目指して戦った。しかし、まともに戦って勝てるとも思っていなかった。ポンサクレックは17連続防衛中で、ボクシングにスキがない。防衛戦では8人の日本人に圧勝している。内藤も2度挑戦してともに完敗。真弓夫人(34)まで「今日が最後だと思ってました」と話すほどだった。

 しかし、挑戦者は2度の敗戦を見事に生かした。低い体勢で懐に入り、王者の必殺の右アッパーをかわし続けた。逆に得意の右強打をカウンターで顔面にたたき込んだ。9回には逆襲に耐えて、左右のフックで反撃。最終回は疲労でふらふらになりながらもパンチを出し続けた。
3-0の判定勝利。奇策でも奇襲攻撃でもなく、真っ向勝負で大番狂わせを起こした。

発奮材料があった。世界戦を前に、王者が12月に地元タイで20度目の防衛戦を計画していることを公表。協栄ジムの金平会長も、亀田とポンサクレックの対戦交渉をしていた。戦前から周囲は王者の勝利前提で動いた。「この野郎と思ってましたよ」。じくじたる気持ちをすべてリングにぶつけた。

 デビューから2つの引き分けを挟んで19連勝(14KO)。「強打ホープ」として注目を浴びた。だが世界初挑戦ですべてが暗転した。02年4月、タイでポンサクレックにわずか34秒でKO負け。日本人世界戦最短敗戦記録だった。「ネットの掲示板には『日本の恥・内藤』と書かれました」(内藤)。そのころ同級に亀田が華々しくデビュー。以来、裏街道を歩んできた。

夫婦で月収12万円のアルバイト生活からの脱出も間違いない。「これで亀田とは立場が逆になった。対戦については今はあえて何も言いません」。負け犬人生に終止符を打った男が、一転してフライ級世界戦線の中心になった。


○内藤一問一答

 --王者の実感は

 内藤「負けたら引退して飲食店を開こうと思っていた。修行に行く覚悟もあったし、まだ実感はない」

 --注目度が増した

 内藤「コンビニでスポーツ新聞の1面を見てウォーと思った。店員さんに新聞を見せて『誰これ?』と驚かせたらびっくりしてました」

 --ポンサクレック戦勝利で月収12万円の貧乏から脱出か

 内藤「奥さん(真弓夫人)と引っ越しできるかなと話しました」

 --亀田戦を望むか

 内藤「ポンサク、ポンサクと言ってたから、ポンサクレックを倒してから来いと言いたい気持ちもあるけど。でも正直やりたいですね。ファンは見たいカードだと思うし、僕自身も見たいですから。ボクシング人気を盛り上げるためにも対戦したい」


●内藤が王座奪取!反撃開始(07年7月)

(内藤)ポンサクレックに3度目の挑戦で判定勝利。
32歳10カ月という日本人2番目の年長記録で世界王座奪取に成功。
「これで亀田とは立場が逆になった。世界王座を取ったのだから、どっしりと構えますよ。
今度はこっちが『6回戦レベル』とでも言いますか。あっちが(戦いたいと)言ってくるまで待つ」。

(亀田興毅)「内藤とはいつでもやってやる。逃げてないし、ずっと待ってるで」
とWBC王者への挑戦者にも自ら名乗り。

(内藤)奇跡の勝利から一夜明け「実現するならぜひやりたい」
と初の防衛戦の相手として亀田興毅を希望。
「亀田が日本人選手と戦うのを見たいでしょ。
大みそかの生放送『内藤祭り』でどうでしょう。
でもうまいこといって(亀田が)逃げるんじゃないですか」とニヤリ。

(父・亀田史郎氏)「(対戦希望を聞き)こっちはすぐにでもやりたいんや。
現実問題として条件をしっかりクリアしてからオファーを出して欲しい。
それができないなら『亀田』の名前を出すな」。

(内藤)亀田陣営がターゲットを坂田に集中し、
現時点での対戦には否定的ということに
「自分のことを弱いと言うならリングで決着をつけてほしい」
とあらためて対戦をアピール。



8月16日、ボクシングWBC世界フライ級王者内藤大助(32=宮田)の初防衛戦が亀田兄弟の二男大毅(18=協栄)と10月11日、東京・有明コロシアムで行われることが正式決定した。



●新キーワード「ゴキブリ」(07年7~8月)

(父・亀田史郎氏)王座奪取した内藤のトリッキーな動きに
「ゴキブリ」とコメント。

(内藤)大毅の「世界前哨戦」から一夜明け、挑戦を視野に入れられ
「兄弟どっちでもいいが、兄の方が強いからね。
史郎さんは自分をゴキブリと言ったけど、地球が滅んでも最後に生き残るのはゴキブリですよ」と余裕を見せた。

(内藤)「亀田兄弟と日本人の初対決ですからね。何で日本人と戦わないのかと、
みんな思ってますからね。ここで戦わないと亀田の人気は下がるんじゃないですか。
ゴキブリはしぶといよ。地球が滅亡しても生き残るんだからね。ゴキブリが1番強いことを証明しますよ」

(二男・亀田大毅)記者会見で「ゴキブリに分析もくそもあるか。
ゴキブリ退治、ゴキブリホイホイや」と王者を見下した。



(内藤)大毅に「ゴキブリ」呼ばわりされたが
「まあ亀田節はいいファンサービスになるんじゃないですか。
こっちは大人の対応をしますよ」と王者の貫録を見せた。

(内藤)8月21日、世界戦決定後では初の会見で「ゴキブリ呼ばわり」されたことに触れ
「ばかにし過ぎでしょ。自分たちが言われたら、激怒するのにね。勝手過ぎる。
でも『怪物VSゴキブリ』でいいよ。ゴキブリのオレに負けたらゴキブリ以下だからね。
僕が亀田にKOして勝つ。国民の期待を背負うつもりで頑張りたい」


○内藤一問一答

 -大毅の印象は

 内藤「度胸がある。大観衆の中でカラオケを歌うことは僕にはできないから」

 -ファイトスタイルの印象は

 内藤「何かいつもニヤニヤしてますね」

 -大毅の怖さは

 内藤「自分を強くて格好いいと信じ込んでいること。まだボクシングの怖さも知らないからね。まあ勘違いを思い知らせますよ」

 -大毅から「オレと試合ができるように準備だけしっかりしとけ」とのメッセージがありますが

 内藤「相変わらずアホですね。それ、チャンピオンの発言でしょ。やはり勘違いが一番怖い」

 -亀田家とは因縁がありますが

 内藤「今回も親が止めるかと思ったら親子そろって『ゴキブリ』呼ばわりでしょ。亀田家には負けられないし、負けたくない」

 -大毅に望むことは

 内藤「誰か(坂田)に言っていたように『負けたら切腹』と言ってもらいたい。勝つ自信があるなら言ってほしい」

 -大毅の人形はどうしますか

 内藤「家の玄関に飾って、魔よけにします」


亀田大毅のぬいぐるみにかぶりつく内藤


●亀田家から「挑発」波状攻撃(07年7~9月)

(内藤)大毅に対し「何で内藤といつも呼び捨てなんだ」と14歳年下の相手に不満を爆発。
さらに「怖いのは大観衆の前でカラオケをする度胸。ボクシングでは負けないが、
カラオケは弟子入りしたい」と止まらなかった。

(父・亀田史郎氏)二男大毅の標的を内藤にする考えを明かす。
「内藤や。(WBA王者の)坂田よりも評価が高いんやろ。1番強い人間とやったらええ。
亀田家は日本人相手でも逃げへん」。

(内藤)「本当に決まってほしい。こっちも気合が入りますよ。撤回しないでほしいですね」と話す。

(父・亀田史郎氏)二男大毅との対戦が決定し、亀田一家はメキシコ合宿に出発。
現地では世界ランカーとスパーリングを敢行する。当然、仮想内藤と思いきや…。
史郎氏は「6回戦レベルの内藤に世界ランカーはいらんやろ。
内藤対策は日本人の4~6回戦ボーイで十分やろ」と言い放った。
続けて「まあ苦手の減量だけきちんとしといてや。うちの近所の岩盤浴の招待券でもやるか」。

(三男・亀田和毅)メキシコから帰国。大毅-内藤戦に
「ガード固めて左フック1発や。(大毅の)デビュー戦の1回23秒KOを越えるやろ。
逃げない相手やからな。オレでも負けへん」。

(三男・亀田和毅)内藤のスパーリングパートナーに名乗り。
「どれだけ通用するかやってみたい。逃げるな」と立候補。
ファイトマネーに恵まれない内藤に1ラウンド10万円も用意。
さらに内藤を倒さなければ10万円の「ボーナス」を出すことも宣言。

(内藤)やんわりと拒否。
「ごめん。逃げるわ。本番前に自分を痛めつけて、弱らすつもりでしょ。敵に塩を送るわけには」と苦笑い。
「極貧」世界王者は「何で16歳で、そんなに金があるんだよ」
と、うらやましそう?だったものの「でもお金じゃないし」ときっぱり。

(二男・亀田大毅)大阪市内のオールジムで4回戦、
6回戦の若手ボクサー8人を相手に10ラウンドのスパーリング。
「内藤は熟して腐ってるわけ。ちゃんとした、すごい王者現れるで」。


【王者の余裕で大毅にハンディ】

亀田家初の日本人対決は異例の「ハンディマッチ」になる。世界戦決定後では初の内藤の会見。内藤はデビュー時から慣れ親しんだ日本製のウイニング社のグローブを使用する考えを明かした。大毅はナックル部分の薄いメキシコ製のレイジェス社を使う。不利とみられるが、内藤は「重さは一緒だし、ハンディは感じない」と余裕を見せた。

 過去の国内の世界戦では、公平を期すためもあり、別会社のグローブを使った例はない。通常は王者が選択したグローブを挑戦者も使用する。今回は大毅側が先にメキシコ製を主張し、内藤側はそれを受け入れた上で、日本製の希望を貫いた形。日本ボクシングコミッション(JBC)も、両者の合意があれば容認する方向で、国内初の「別グローブ対決」が実現する。



【異例の単独ポスター】



 内藤-大毅戦には2人でポーズを取った定番の宣伝ポスターがない。
各陣営がそれぞれ単独で写ったポスターを独自製作した。
王者は「国民の期待に応えます!」、挑戦者は「亀田伝説 夢の始まり(2章)」。
ポスターには別々のタイトルが添えられた。

 異例の2枚のポスターは、両陣営の激しい敵対心の表れでもある。
2年前に日本王者だった内藤が、亀田兄弟の父史郎氏から「6回戦レベル」と格下扱いされた。
以来、メディアを通じた舌戦を展開してきた。
今も内藤は亀田一家から「ゴキブリ」とさげすまれている。
決戦前から両陣営は一触即発だった。
試合まで接触を回避するため、最終交渉の段階で、別々のポスターを製作する方針が決まった。
協栄ジムの金平桂一郎会長は「変に絡むともめる原因にもなる。互いに納得済みです」と説明した。



●侍の意地?それとも罰ゲーム?“切腹問題”浮上(07年8~10月)

(内藤)大毅に対し8月21日の会見で内藤は一言。
「誰か(坂田)に言っていたように『負けたら切腹』と言ってもらいたい。
勝つ自信があるなら言ってほしい」と挑発。



(二男・亀田大毅)決戦前日の10月10日、都内で行われた会見で問答に大毅は「負けたら切腹するよ」。

(内藤)「本当にやんの? 負けたら絶対にやれよ。なにで切腹すんの?」。

(二男・亀田大毅)「お前がもってこいや。お前負けたら切腹するんか」。

(内藤)「おれはしないよ」。

(父・亀田史郎氏)「そんなんで成立するか」。

(二男・亀田大毅)「思いが違うねん。根性ゼロや」。

(亀田興毅)記者席に紛れ込んだ兄興毅も参戦。、
「アンチ亀田の国民の期待に応える」とコメントした内藤との応酬がスタート。
大毅の印象について「ないです」と内藤が返した直後、興毅は「国民の期待に応えたれよ」。

(内藤)「おれの会見やってんだよ」。

(亀田興毅)「応えたれ、応えたれよ、しっかりな」。

(二男・亀田大毅)話題は調印式での服装へ。大毅はハーフコートと靴を金色で統一した派手ないでたち。
内藤はグレーのジャージー姿。大毅「金は輝いとるからや。王者はそんなもんや。スター性が違うやろ。
内藤君これ着ても似合わんと思うわ」。

(内藤)「それを着て似合う人もなかなかいないと思うけど」

会見後、挑戦者の切腹発言について王者は笑いながら言った。「勝ったらぜひやってもらいましょう」。一方で「でもあの勘違いが怖い」と引き締めることも忘れなかった。



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