僕は気功の先生だ。
気功の技を伝えている先生だ。
何かが起こった時に、自分の心と体を自分の力(技)でコントロールできるように、その技を身につけてもらうために、気功の技を伝えている先生だ。
しかし、今度の東北関東大震災のように実際に何かが起こった時には、何の役にも立たない。
技を身につけるのは一挙には出来ないからだ。
背伸びや、足叩きなどというものなら一緒にしてくれるかも知れないが、 簡単な技であるスワイショウ(手振り)にしても、息をゆっくり吐き出すことにしても、避難している人たちのところに行って出来るだろうか。
何だか馴染まないような気がしてならない。
そんなことをする気分にはならないだろうと思ってしまう。
医療関係者が医療活動をしていたり、カウンセラーが話を聞いてあげたりは勿論だが、テレビを観ていると、床屋さんが散髪ボランティアをしていたり、ラーメン屋さんがラーメンを作っていたりしていて、それぞれの職業に応じたボランティアをしている。
素晴らしいと思う。
そういう点で言えば、気功の先生なんて、いざという時には何の役にも立たないのだ。
何かが起こる前に、準備としての段階で必要な役割を持っているのだ。
この点を強調して僕の授業を行なわなければならないようだ。
明日から。
気功の技を伝えている先生だ。
何かが起こった時に、自分の心と体を自分の力(技)でコントロールできるように、その技を身につけてもらうために、気功の技を伝えている先生だ。
しかし、今度の東北関東大震災のように実際に何かが起こった時には、何の役にも立たない。
技を身につけるのは一挙には出来ないからだ。
背伸びや、足叩きなどというものなら一緒にしてくれるかも知れないが、 簡単な技であるスワイショウ(手振り)にしても、息をゆっくり吐き出すことにしても、避難している人たちのところに行って出来るだろうか。
何だか馴染まないような気がしてならない。
そんなことをする気分にはならないだろうと思ってしまう。
医療関係者が医療活動をしていたり、カウンセラーが話を聞いてあげたりは勿論だが、テレビを観ていると、床屋さんが散髪ボランティアをしていたり、ラーメン屋さんがラーメンを作っていたりしていて、それぞれの職業に応じたボランティアをしている。
素晴らしいと思う。
そういう点で言えば、気功の先生なんて、いざという時には何の役にも立たないのだ。
何かが起こる前に、準備としての段階で必要な役割を持っているのだ。
この点を強調して僕の授業を行なわなければならないようだ。
明日から。