昨日から、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの本にかなりはまっています。
奇跡のリンゴ、は、結構前に読んでいて、映画もテレビで見ていて、木村さんのことは知っていたけど、今回「すべては宇宙の采配」という本を読んで、まいってしまった。
この本は、無農薬リンゴを作る過程のことと平行に、木村さんの体験した かなり神秘的なことが沢山書いてあります。
いろんな体験をした木村さんが言うことはひとつ、「目に見えない部分を見ろ」と言うことです。
世間や常識や、これが正解、と刷り込まれたことから 制限がかかって、 見えなくなっているものが沢山あるのだ、ということです。
神秘的な体験は、ただのそのたとえに過ぎなくて、木村さんは「自分は宇宙人と会った」なんてことを言いたいのではなく、ただただ、見えてないものを見ろ、と言いたいのだと思います。
そして、自分が信じたほうに行け、と。
たとえば、スピリチュアルを売りにしている人が同じような本を書いても、多分 これほど心は打たれなかっただろうと思う。
木村さんが、ずっとフィールドに居続けて、沢山の苦労、損得もなく 一心に無農薬リンゴ作りに打ち込み、今でも、それに賭けて、まさに生きているから、心が動くのだ。
ずっと、農業を続けてきた人の言葉は、重みがある。
自分が思ったことは、信じていいのだ。 それに、いろんな理由をつけてあきらめて・・・なんでもあきらめることに慣れている私たち。そのことと引き換えに、享受していると思っていること。
見えている利益のために、必死で守っていること。
それから、農薬の恐ろしさも。野菜を食べるのが恐ろしいとさえ思った・・・。
木村さんのリンゴは、2年たっても腐らないのだそうです。 しかし、農薬や肥料をがっつり使ったりんごは、腐っていく。
そういえば、以前、市民農園を借りていたことがあって、そこでちまちまと野菜を作っていたのですが、農薬も肥料も使わなくてよい規模だったので、使わなかったら、確かに 野菜は 腐らなかった! なんでこんなに日持ちするんだろう、スーパーのはすぐにだめになるのに?と思ったことがあった。でも、同じきゅうりでも、隣の畑の人からもらった、肥料を使った大きいきゅうりは腐った・・・。
そういえば、コメも、祖父母のうちが田を持っていたのでどのような工程があるか知っているのだけど、何回も農薬を散布するし、肥料もがっつり巻くのよね。でも、コメになった時点で、そんな形跡はないので、知っていても 忘れちゃうというか。
恐ろしいですね、肥料も農薬も。
私は、農業に携わることはないかもしれないけど、これからは、自然農法のものを少し位高くても買うようにしようと思う。それが、自分のためにもたるし、自然農法を応援することにもつながると思う。
ちなみに、木村さんのリンゴ自体は、もうなかなか手に入らないものらしいです。
話はもどって、 意外と、「目に見えない部分を見ている」人っているのではないでしょうか? ただ、そうは思っても、いろんなしがらみとか、立場とか、めんどくささとかで・・・・流されちゃってる、というところが大半なのではないでしょうか。
それだけ、がんじがらめに、今も昔も、社会というものが機能しているので、そこから出られない、それくらい、世の中、と思っている世界は強い。
だけど、ふと思った。 もしかしたら、そう強く思っているのは自分の心なのかも。世間なんてのは、本当は 自分の心の制限の中になるのかもしれません。
だから、戦わずに、ちょっとなにかをずらせば、簡単に、目に見えないものは 見えるのだと、なんとなく思いました。
奇跡のリンゴ、は、結構前に読んでいて、映画もテレビで見ていて、木村さんのことは知っていたけど、今回「すべては宇宙の采配」という本を読んで、まいってしまった。
この本は、無農薬リンゴを作る過程のことと平行に、木村さんの体験した かなり神秘的なことが沢山書いてあります。
いろんな体験をした木村さんが言うことはひとつ、「目に見えない部分を見ろ」と言うことです。
世間や常識や、これが正解、と刷り込まれたことから 制限がかかって、 見えなくなっているものが沢山あるのだ、ということです。
神秘的な体験は、ただのそのたとえに過ぎなくて、木村さんは「自分は宇宙人と会った」なんてことを言いたいのではなく、ただただ、見えてないものを見ろ、と言いたいのだと思います。
そして、自分が信じたほうに行け、と。
たとえば、スピリチュアルを売りにしている人が同じような本を書いても、多分 これほど心は打たれなかっただろうと思う。
木村さんが、ずっとフィールドに居続けて、沢山の苦労、損得もなく 一心に無農薬リンゴ作りに打ち込み、今でも、それに賭けて、まさに生きているから、心が動くのだ。
ずっと、農業を続けてきた人の言葉は、重みがある。
自分が思ったことは、信じていいのだ。 それに、いろんな理由をつけてあきらめて・・・なんでもあきらめることに慣れている私たち。そのことと引き換えに、享受していると思っていること。
見えている利益のために、必死で守っていること。
それから、農薬の恐ろしさも。野菜を食べるのが恐ろしいとさえ思った・・・。
木村さんのリンゴは、2年たっても腐らないのだそうです。 しかし、農薬や肥料をがっつり使ったりんごは、腐っていく。
そういえば、以前、市民農園を借りていたことがあって、そこでちまちまと野菜を作っていたのですが、農薬も肥料も使わなくてよい規模だったので、使わなかったら、確かに 野菜は 腐らなかった! なんでこんなに日持ちするんだろう、スーパーのはすぐにだめになるのに?と思ったことがあった。でも、同じきゅうりでも、隣の畑の人からもらった、肥料を使った大きいきゅうりは腐った・・・。
そういえば、コメも、祖父母のうちが田を持っていたのでどのような工程があるか知っているのだけど、何回も農薬を散布するし、肥料もがっつり巻くのよね。でも、コメになった時点で、そんな形跡はないので、知っていても 忘れちゃうというか。
恐ろしいですね、肥料も農薬も。
私は、農業に携わることはないかもしれないけど、これからは、自然農法のものを少し位高くても買うようにしようと思う。それが、自分のためにもたるし、自然農法を応援することにもつながると思う。
ちなみに、木村さんのリンゴ自体は、もうなかなか手に入らないものらしいです。
話はもどって、 意外と、「目に見えない部分を見ている」人っているのではないでしょうか? ただ、そうは思っても、いろんなしがらみとか、立場とか、めんどくささとかで・・・・流されちゃってる、というところが大半なのではないでしょうか。
それだけ、がんじがらめに、今も昔も、社会というものが機能しているので、そこから出られない、それくらい、世の中、と思っている世界は強い。
だけど、ふと思った。 もしかしたら、そう強く思っているのは自分の心なのかも。世間なんてのは、本当は 自分の心の制限の中になるのかもしれません。
だから、戦わずに、ちょっとなにかをずらせば、簡単に、目に見えないものは 見えるのだと、なんとなく思いました。