ほっとひといき

41歳、晩婚3年目の夫婦ふたりの生活について。

奇跡のリンゴ

2015-04-12 18:10:38 | Weblog
 昨日から、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの本にかなりはまっています。

 奇跡のリンゴ、は、結構前に読んでいて、映画もテレビで見ていて、木村さんのことは知っていたけど、今回「すべては宇宙の采配」という本を読んで、まいってしまった。

 この本は、無農薬リンゴを作る過程のことと平行に、木村さんの体験した かなり神秘的なことが沢山書いてあります。


 いろんな体験をした木村さんが言うことはひとつ、「目に見えない部分を見ろ」と言うことです。

 世間や常識や、これが正解、と刷り込まれたことから 制限がかかって、 見えなくなっているものが沢山あるのだ、ということです。

 神秘的な体験は、ただのそのたとえに過ぎなくて、木村さんは「自分は宇宙人と会った」なんてことを言いたいのではなく、ただただ、見えてないものを見ろ、と言いたいのだと思います。


 そして、自分が信じたほうに行け、と。

 たとえば、スピリチュアルを売りにしている人が同じような本を書いても、多分 これほど心は打たれなかっただろうと思う。

 木村さんが、ずっとフィールドに居続けて、沢山の苦労、損得もなく 一心に無農薬リンゴ作りに打ち込み、今でも、それに賭けて、まさに生きているから、心が動くのだ。


 ずっと、農業を続けてきた人の言葉は、重みがある。

 自分が思ったことは、信じていいのだ。 それに、いろんな理由をつけてあきらめて・・・なんでもあきらめることに慣れている私たち。そのことと引き換えに、享受していると思っていること。

 見えている利益のために、必死で守っていること。

 それから、農薬の恐ろしさも。野菜を食べるのが恐ろしいとさえ思った・・・。
 木村さんのリンゴは、2年たっても腐らないのだそうです。 しかし、農薬や肥料をがっつり使ったりんごは、腐っていく。 

 そういえば、以前、市民農園を借りていたことがあって、そこでちまちまと野菜を作っていたのですが、農薬も肥料も使わなくてよい規模だったので、使わなかったら、確かに 野菜は 腐らなかった! なんでこんなに日持ちするんだろう、スーパーのはすぐにだめになるのに?と思ったことがあった。でも、同じきゅうりでも、隣の畑の人からもらった、肥料を使った大きいきゅうりは腐った・・・。

 そういえば、コメも、祖父母のうちが田を持っていたのでどのような工程があるか知っているのだけど、何回も農薬を散布するし、肥料もがっつり巻くのよね。でも、コメになった時点で、そんな形跡はないので、知っていても 忘れちゃうというか。

 恐ろしいですね、肥料も農薬も。

 私は、農業に携わることはないかもしれないけど、これからは、自然農法のものを少し位高くても買うようにしようと思う。それが、自分のためにもたるし、自然農法を応援することにもつながると思う。

 ちなみに、木村さんのリンゴ自体は、もうなかなか手に入らないものらしいです。

 話はもどって、 意外と、「目に見えない部分を見ている」人っているのではないでしょうか? ただ、そうは思っても、いろんなしがらみとか、立場とか、めんどくささとかで・・・・流されちゃってる、というところが大半なのではないでしょうか。

 それだけ、がんじがらめに、今も昔も、社会というものが機能しているので、そこから出られない、それくらい、世の中、と思っている世界は強い。

 だけど、ふと思った。 もしかしたら、そう強く思っているのは自分の心なのかも。世間なんてのは、本当は 自分の心の制限の中になるのかもしれません。

 だから、戦わずに、ちょっとなにかをずらせば、簡単に、目に見えないものは 見えるのだと、なんとなく思いました。
  

 
 

今、ここにある幸せ

2015-04-02 16:50:53 | Weblog
 このところ、色々なことがあって、幸せについて考えてしまった。

 私が思う幸せ、というのは、最初にはっきりと言うと、今ここにいられることだと思う。

 未来でもなく、過去でもない、今を味わう幸せ。っていうか、どんなに考えても、幸せ、というのは、今ここにしかないものなんだと思う・・・。

 先のことなんてわからないのだから、憂いてもしかたがない。不安になるなんて、無駄だ。

 そして、過去は変えられないから、さくっと次に行ったほうがいい。

 だけど、私もそうなんだけど、「どこかに行けば、きっと幸せになれる」なんてついつい思ってしまうのだ・・・・。そこが、人間の弱さ。

 でも、それを利用して、いろんな商売なんかも成り立っていて、経済も回っているので・・・・それを考えると、むなしくなってしまう。


 次々と出る新商品や、流行りのものや、またテレビなんか見ても、そういうのにあふれているのですよね。

 先のことなんて、「今夜はあれを食べよう」くらいの期待でよいではないでしょうか。溢れすぎる期待は、きっと人間を不幸にする・・・ような気がする。


 こうじゃなければ、この条件が満たされなければ、自分は幸せではない、と思ったら要注意だな、と思う。たいてい、そういう場合、条件が満たされても、おそらく心は満たされない。 自分照らし合わせても、そうだったように思います。なぜなら、それは心が今、にいられないから・・・・。


 最近、友人から少し悲しい話を聞いた。

 Kちゃんは、私の友人の中でも、かなり満たされた人生を送っているように思えた。次男と結婚し、ふたりの女の子にめぐまれ、実の両親と同居の二世帯住宅を建てて、裕福で安定した生活を送っているように見えていた。

 私は、彼女が独身の時に、条件に合う相手との結婚のために、ものすごく頑張っていたことを知っていたので、本当に幸せになってよかったね、と思っていたのですが・・・。
 最近、彼女がストレスによる神経症を患って、ボロボロになっていることを、本人から聞いてびっくりした。なんでも、おもに両親との同居がストレスで、今は自分たちだけでアパートに住んでいるのだと。
 次男じゃないと、婿養子に入ってもらえないから、と言っていたほど、両親を大事にしていたのに、今は母親には憎しみしかない、とも言っていた。

 本当に酷な話なのですが、「自分の決めた条件」をクリアするために、ものすごく頑張って切り開いたものは、今では彼女を病気にするほど苦しめている・・・。
 そのために、捨てたものがあるのだって私は知っているし、すぐには子供が出来なくて、不妊治療も頑張ったのだって知っている。本当に、希望のためにものすごい努力をしたのだ。わたしだったら、ま、いっか、と思いそうなとこでさえ、頑張ってつめていた。

 彼女は、はっきりと自分の決めたレベルの結婚生活、という基準を持っていたので、たぶんそれ以外は選べなかったのだろう。

 「自分以外の皆がとても幸せそうに見えて、それもつらい」と言っていた。

 ちがうよ、ちがうよ、Kちゃん、・・・そう言いたかったけど、言えなかった。自分の目の前にあることは、全部幸せにつながっているんだよ・・・。

 ふと、思い出した。何年か前にもらった年賀状、Kちゃんは、女の子ならだれもが住みたくなるようなテラコッタの色の素敵な洋館と、素敵な庭の前で、家族と一緒にとても幸せそうに微笑んでいた。
 あの時も、幸せではなかったのだろうか?