宮古島の中心は平良の町、15世紀から16世紀初頭、
張水港付近島外から商人、いわゆる寄留商人が集落を築き、
商売を始めた。
やがてその付近に自然発生的に市場が生まれた。
やがて取り扱う商品も増えて賑わうようになり、
「西里通り」が誕生した。
島の物流は張水港からやってくるので、海向きに一歩通行に
なっている現在の西里通りとは、方向逆であった。
ときは流れて1907年(明治40年)頃、
「下里市場」(旧公設市場)が誕生し西里通りに
繋がる市場通りが形成されてくる。
下里市場には、当時は漁業が盛んであった久松集落から鮮魚が届き、
大変賑わったという。
大正10年頃には西里通りに誰もが自由に売り買いしたり、
ぶつぶつ交換ができる中央市場ができた。
大正時代に入ると荷馬車などの普及と、幹線道路の整備によって、
島内の肉や魚、野菜などが下里市場に集まるようになる。
下里通りには荷物を運ぶ多くの馬車が往来していたことから地元では
「馬車道」と呼ばれていた。
現在の下里通りの歩道タイルや駒止、街灯などをよく見ると
馬車の車輪がモチーフになっている。
宮古島では地上戦はなかったが戦後、空襲で焼け野原になった街並みは
市場とともに復興してきた。
公設化された下里市場を中心に、1968年(昭和43年)に
北市場ができ、1970年(昭和45年)に東市場が誕生する。
島内各地からのバス路線も充実し市場通り(下里通り、西里通り)3通りを中心に
宮古島で一番の賑わいを見せたそうだ。
これが平良の中心地の成り立ちである。
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