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うんたま森のキジムナー

ドイツ皇帝博愛記念碑

平良港を少し上がったところに「ドイツ皇帝博愛記念碑」がある。
1873年(明治6年)、台風に遭遇して宮古島の南海岸に
座礁難破したドイツ商船ロベルトソン号を、宮古島の人々が手厚く介抱し、
船を与えて帰国させた、このことを知った
ドイツ皇帝ウイルヘルム一世は、宮古島の人々の勇気と
博愛の精神を讃えて1876年(明治9年)、軍艦チクローブ号を
宮古島に派遣して記念碑を建立させた時のもの。

ロベルトソン号のヘルンツハイム船長の航海日記が残されている。
1873年7月9日に台風に遭遇した。
懸命の避難作業を行なったが、行方不明者2名、船長を含めた
大半の乗員が怪我をした。
船もマストと舵を失い漂流を余儀なくされた。

7月12日 漂流しそして座礁した。
救命ボートで脱出を図るが挫折。
絶望の夜を過ごしていると明かりと人影が見えた。
朝なり潮が満ちてくるのを待って島人のカヌーが近づいて来た。
浜には医師も待機し手厚く保護された。
私たちは助かったと記されてある。

航海日記は宮古島を出航する8月17日まで記録されている。
時代は明治6年、人頭税が廃止されたのが1903年だから人々は
豊かではなかった。
それでも手厚くもてなしたことが書かれてある。
その41年後に日本はドイツに宣戦布告することになる。


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コメント一覧

きじむな
避難計画についての話し合いが行われています。
沖縄にミサイル部隊が発足しました。
ダイバー
遭難した船員と島民、国や言葉が違っても困っている人を見かけたら自然に人は助け合えるのに、政治家や軍人が勝手に戦争を始め、ウクライナやがザのように働き手が戦争にとられたり母親や子供たちが空爆で大きな怪我をしたり亡くなったり、結局一番辛い想いをさせられるのは戦争を始めた人たちではないんですね☹️
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