15世紀後半に宮古島の首長を務めていた大立大殿(ウプダディウプドゥヌ)
大立大殿は1390年にはじめて中山に朝貢した
与那覇勢頭豊見親の孫にあたり、のちに宮古島を治める仲宗根豊見親となる
空広(すらびゅう)を育てあげた人である。
豊見親は子供の頃から聡明であったそうだ。
大立大殿との出会いの逸話が伝えられている。
大立大殿は父が重い病のために隠居し、二人の兄も早くに亡くなったため、
家督を継いで首長として宮古島を治めていた。
ある日。大殿は部下を伴って漁に行く途中、畑で見事な指揮を
している子供を見かける。
その子供に興味を持った大殿は声をかけた。
「お前はどこの家の子供か?」
「私は根間の大親の養子で空広といいます。」
「年はいくつか?」
「7歳になります。」
先ほどの指揮ぶりといい、この堂々とした受け答えといい、
面白い子供に出会ったと喜んだ大殿は、空広を誘って漁に向かった。
この日の漁はとても大漁で、大殿は空広の知恵を試そうと考え、
「お前が今日の魚玉をうたせてみよ。」と命じた。
魚玉をうたすとは、とれた魚を人数分に配分することで、
空広は、瞬く間に手際よく公平に配り終えた。
空広の聡明さに大殿は感服し、それからは自分の子供のように
空広を可愛がって教育しやがて政務を手伝わせるようになった。
こうして大殿の元で教育を受けた空広は、のちに
大殿の後継者として島を治め、仲宗根豊見親と呼ばれるようになったと
伝えられている。

コメント一覧

きじむな

ダイバー
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事