平良のすぐ隣りが「久松」
家元が松原と久貝であることから久松という地名になった。
宮古島庶民史には、唐から7人の兄弟が漂着して村を広げ、
文化を発展させたと記されている。
久松集落内には歴史的巨石群のミャーカと呼ばれる昔のお墓や、
芋の主と呼ばれる御嶽などたくさんの歴史的建造物がある。
オバァは久松の出身で、あの久松五勇士の親戚で生の五勇士たちを
知っている。
久松は沖縄でも有数の漁村だった。
沖縄の魚の名前は、糸満方言、池間方言、そして久松の方言からきている。
昔はカツオ工場やクジラの解体工場もあってにぎわったそうだ。
私が宮古島に来た頃は久松にはまだたくさんのサバニが
現役で漁に出ていた。
公設市場の前には久松から水揚げされたカニや魚が行商人に
よって売られていた。
平良の隣りにあるのに、道路を渡れば久松の方言となる。
宮古島の方言の中でも聞き取りにくい方言だった。
今では方言で話す人も少なくなって、移住者が住む賃貸アパートだらけ
となっている。
久松には独立した久松漁業組合があったが、高齢化と後継者不足から
平良漁協に組み込まれて今では、ほとんど漁業者いなくなった。
サバニが現役で漁に出ている頃は、一升瓶に入れた船の燃料を
肩にのせて、漁へと出て行くオジィたちがたくさんいた。
久松漁港は整備されてきれいになっているが、昔の面影はない。
今でも当時のオジィたちのことを思い出す。
コメント一覧
きじむな
ダイバー
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事