うんたま森のキジムナー

大和

1980年代~90年代には、遊びに来られるお客さんの中に、
戦時中空母に乗っていた人やゼロ戦のパイロットだった
人とかもいた。

ウエットスーツに着替えるとき、背中から腕にかけて
大やけどを負った後のある人がきた。
「その火傷はどうしたのですか?」ときいたところ、
その人は「大和の生き残りです。」
と言われた。
最後の出港の時に乗っていた乗員は3,332人  
生存者は276人いたそうだ。
この方を含め大和に乗っていた人に2人出会ったことがある。

沖縄戦も終わろうとする昭和20年4月6日、
大和は沖縄に向けて出撃した。
翌7日九州坊の岬沖で米軍の集中攻撃を受けて撃沈されている。
生の話は聞いていても怖かった。
この方が韓国旅行に出かけた時、韓国の空港の
入国審査で腕の火傷のことを聞かれたそうだ。
その時も「大和の生き残り。」であると言ったら、
なんとホテルまで車送ってくれたという。

大和には韓国出身の人も乗っていたそうだ。
この仕事をしていると普通では出会うことの
ない人達との出会いがある。
でもさすがに戦争を経験した人は、
もういなくなった。
そうそう、大和には現金51万円が積まれていたそうだ。
現在の額にすると9億円!
もう少し水深が浅ければ潜るんだけどな・・・・・


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コメント一覧

ダイバー
昭和20年、終戦時に18歳でも今年は93歳☺ 今まで固く口を閉ざして、戦争体験を一切話さずにいた方が、歴史上の事実を話して置かなければならないと決心したと先日の新聞に取り上げられていました💕
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