戦時中空母に乗っていた人やゼロ戦のパイロットだった
人とかもいた。
ウエットスーツに着替えるとき、背中から腕にかけて
大やけどを負った後のある人がきた。
「その火傷はどうしたのですか?」ときいたところ、
その人は「大和の生き残りです。」
と言われた。
最後の出港の時に乗っていた乗員は3,332人
生存者は276人いたそうだ。
この方を含め大和に乗っていた人に2人出会ったことがある。
沖縄戦も終わろうとする昭和20年4月6日、
大和は沖縄に向けて出撃した。
翌7日九州坊の岬沖で米軍の集中攻撃を受けて撃沈されている。
生の話は聞いていても怖かった。
この方が韓国旅行に出かけた時、韓国の空港の
入国審査で腕の火傷のことを聞かれたそうだ。
その時も「大和の生き残り。」であると言ったら、
なんとホテルまで車送ってくれたという。
大和には韓国出身の人も乗っていたそうだ。
この仕事をしていると普通では出会うことの
ない人達との出会いがある。
でもさすがに戦争を経験した人は、
もういなくなった。
そうそう、大和には現金51万円が積まれていたそうだ。
現在の額にすると9億円!
もう少し水深が浅ければ潜るんだけどな・・・・・
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