ほとんど顔見知りだった。
島外からやってきて困るのが住むところ。
当時は、アパートを斡旋する不動産屋がなく自分で
空き部屋を見つけてこなければならなかった。
たとえ空き部屋が見つかっても、地元の保証人2人の
署名が必要だった。沖縄に住むなら、
まず人脈作りからと言われる由縁である。
これは建前で、実際に空き部屋を見つけて
家主を探し「保証人を頼める知り合いがいない」
と正直に話すと
「心配いらんさぁ、私が保証人になるさぁ」と
家主本人から言われることも珍しいことではなかった。
ただし、空き部屋と家主を見つけるのは、意外と大変
だった思い出がある。
高校を卒業すれば島を出て行く。
戻ってくる人より戻ってこない人の方が多い。
どうしても過疎化が進むのだが、島の中でも地域に
よって大きな隔たりが産まれている。
4月1日現在 城辺町では110人減で過疎化が進み。
上野村ではリソート施設及び自衛隊誘致により
568人増えた。
以前は常時2隻体制だった保安庁の巡視船も
現在は8隻体制になっている。
夏に向かってレジャー関係のスタッフたちも
本土からやってきたり、飲食店で
リゾートバイトする人達も増えてくる。
当然、寝泊まりするところは必要なわけだが
建設ラッシュも重なり住むところがない。
地元アパートの家賃は天井知らずで値上げをして、
家賃が払えなくて追い出されるように
出ていく人までが問題となってきた。
落ち着きを見せるのは、まだまだ先のようだ。
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