真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

鬼となりても

2019年04月16日 | 端感
私の部屋には壁に2本のお刀がある。




刀の上に鬼がいるのは、道に於いて【鬼】たるべしと心に決めている所為である。




菩薩様も2体身近にいてくれている。



お地蔵様は道ばたでの長い修行を誓われていまだ御修行中だが、ご縁があった御尊体もご先祖様といてくれている。



ブドウにおいては驕慢に大が付くのがいい。
「我こそは日本一なり」という威勢が欲しい、天狗になって鼻高々を目指したい。




 


  -あなた方の中で罪のないものは石を投げよ-

荒野の教えでは不義密通は死罪、石打の刑だった。

イエスは石打の刑に処される女を前に「あなたがの中で罪がない人はあの女に石を投げなさい」
と言ったという。

罪のない者などいるわけがない、誰しも心にかすかな陰りをいだいているものだ。


日本においても「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と親鸞さん(法然さんという説も)のパラドクサルなお言葉が残っている。

筆者註 この言葉に電撃を受けた17歳の私はきっぱりと共産主義少年をやめた



優れた人が極楽にいけるという、優勝劣敗の現代思想、市場原理主義ともNWOとも同根である。また資本主義の裏側に双子の兄弟共産主義がある。
この誤った考えは地球の破壊という深刻な状況を招来して、ドン詰まりに来た。



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先日の稽古では、居合形を無維庵師範、不完庵師範代と打った。
「形の順序を追う」ことのほかにある「口伝」の重要性を感じてもらった。

映像や言葉では伝わらない「気配」を伝達することが肝要だとポイントを絞った。


こうした親密な稽古を通じて、育ってゆく関係こそが人生の宝物であることに気がついて、業の品質・高低を云々する前に、信頼恭順を結び合うのが正しい。

入門するということは私淑することだ。







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