7~8年前のメモが出てきました。読み返してみると私の書いた文章でしたので、ここでご紹介します。
いわゆる第六感、第七感以上の能力は人体を通してしか発動しえない。つまり「魂」単体ではその力を発揮させられないのである。
ここに於いてはっきりしている事が有る。
まず第一に、それらの力を発現させる為には、人体そのものが本来の有るべき状態になっていなければならないという事である。
そして、その状態とは精神、肉体共に清々しく活力あふれている状態を云うのである。
そのように有る為には、それを邪魔するものを排除し、必要なるものを取り入れる事である。
つまり、ヨーガでプラナヤーマと言われる腹式呼吸を行って大量の空気を自然的に取り入れる事。
果物、野菜を良く噛んでたくさん食す事。
湯引きをしてから肉を食べる事。決して食べ過ぎない無い事。
適度の運動を行い、且つ、常に安心しているように精神修養する事。
良い水を多く呑む事。良い水とは早く吸収でき、早く排泄できる分子構造を持った物を言う。
第二には、いわゆる「無の精神状態」になれるように努力、修練する事である。これは天風さんが云う処の安定打坐法、私の言う無我行を用うればなんら難しい事ではない。
一般に「無の境地」とか「空」とか言うと非常に難しく考え、坐禅を何十年とやっても得られぬもののように考えられているが空とか無(我)の境地とはそのような難しいものでは決してない。
難しい事を言う人は「無の境地」「無我の境地」「空」とは、いったいどのような状態を云うのか知らないのである。
失礼ながら、禅宗の坊さんでさえ「では、無の境地とは具体的にどのような心の状態を云うのですか?」と聞かれると答えに窮してしまう。
その挙句には「不立文字!」などと苦しい言い逃れをするのである。
では、ここにはっきりと言おう。「無の境地とは如何なる精神状態なりや」。
それは究極の精神統一された状態を言うのである。
しかしこういうと益々訳が分からんようになってしまう。
人が心を何かに集中させているとやがて五官が完全に消滅して、意識のみになる。
ここまでは何とかできる。その後道が分かれる。第三禅の般若への道と、第四禅の空(=無我の境地)への道である。
空の精神状態(=無我の境地)とは、例えば次のように表現できる。
「貴方が何かの音や音楽に聞き入っておった時、その音・音楽をいきなり消されたとする。すると貴方の意識は消された音・音楽を全力で追いかける。その境地が空、無の境地、無我の境地である。」
この境地を繰り返し体験しておったなら、近いうちに(つまり、五年、一〇年などと言う年月を要しないで)第七感以上の力を貴方も体得するのである。
久しぶりに見たメモに若干の修正を加えたものですが、こんな文章を書いておったという事に我ながら感心した次第。自賛するようですが、以前のメモや文章を読み返す時、とても自分の書いたものとは思えないものを書いておった、と驚愕する事が有ります。人間夢中になるとわけ分からん力を出すものだと感じます。
いわゆる第六感、第七感以上の能力は人体を通してしか発動しえない。つまり「魂」単体ではその力を発揮させられないのである。
ここに於いてはっきりしている事が有る。
まず第一に、それらの力を発現させる為には、人体そのものが本来の有るべき状態になっていなければならないという事である。
そして、その状態とは精神、肉体共に清々しく活力あふれている状態を云うのである。
そのように有る為には、それを邪魔するものを排除し、必要なるものを取り入れる事である。
つまり、ヨーガでプラナヤーマと言われる腹式呼吸を行って大量の空気を自然的に取り入れる事。
果物、野菜を良く噛んでたくさん食す事。
湯引きをしてから肉を食べる事。決して食べ過ぎない無い事。
適度の運動を行い、且つ、常に安心しているように精神修養する事。
良い水を多く呑む事。良い水とは早く吸収でき、早く排泄できる分子構造を持った物を言う。
第二には、いわゆる「無の精神状態」になれるように努力、修練する事である。これは天風さんが云う処の安定打坐法、私の言う無我行を用うればなんら難しい事ではない。
一般に「無の境地」とか「空」とか言うと非常に難しく考え、坐禅を何十年とやっても得られぬもののように考えられているが空とか無(我)の境地とはそのような難しいものでは決してない。
難しい事を言う人は「無の境地」「無我の境地」「空」とは、いったいどのような状態を云うのか知らないのである。
失礼ながら、禅宗の坊さんでさえ「では、無の境地とは具体的にどのような心の状態を云うのですか?」と聞かれると答えに窮してしまう。
その挙句には「不立文字!」などと苦しい言い逃れをするのである。
では、ここにはっきりと言おう。「無の境地とは如何なる精神状態なりや」。
それは究極の精神統一された状態を言うのである。
しかしこういうと益々訳が分からんようになってしまう。
人が心を何かに集中させているとやがて五官が完全に消滅して、意識のみになる。
ここまでは何とかできる。その後道が分かれる。第三禅の般若への道と、第四禅の空(=無我の境地)への道である。
空の精神状態(=無我の境地)とは、例えば次のように表現できる。
「貴方が何かの音や音楽に聞き入っておった時、その音・音楽をいきなり消されたとする。すると貴方の意識は消された音・音楽を全力で追いかける。その境地が空、無の境地、無我の境地である。」
この境地を繰り返し体験しておったなら、近いうちに(つまり、五年、一〇年などと言う年月を要しないで)第七感以上の力を貴方も体得するのである。
久しぶりに見たメモに若干の修正を加えたものですが、こんな文章を書いておったという事に我ながら感心した次第。自賛するようですが、以前のメモや文章を読み返す時、とても自分の書いたものとは思えないものを書いておった、と驚愕する事が有ります。人間夢中になるとわけ分からん力を出すものだと感じます。
中村天風先生のことは23年前から心の師として本は心の羅針盤としてます
先生のことは天風と虎で検索中に先生のブログに遭遇したというわけです
一度HP見てください
カロス健康センターで検索いただくと出ます
ブログもリンクしてます
先生の体験談大変参考になります
ありがとうございます
中村天風先生のことは23年前から心の師として本は心の羅針盤としてます
先生のことは天風と虎で検索中に先生のブログに遭遇したというわけです
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先生の体験談大変参考になります
ありがとうございます