自身の親の経験を含めて私見を書いてみます。
認知症の老人が施設の中を徘徊しているのをTVが報じていた。職員は懸命に徘徊老人を自室に連れ戻していたが、すぐに徘徊を始めてしまう。これを家族の責任にしたら大変だ。
だが対応が間違っているのだ。
なぜ認知症老人は徘徊するのか?
老人たちは自分の家を探しているのだ。なんでこんなことが分からんのか?と思う。
認知症老人たちは我が子の顔さえ分からなくなってしまう。彼らが覚えているのは子供の時の我が家だ。今自分がいる家(施設)は自分の家ではない。
だから「自分の家に帰ろう」と歩き出す。自分の家を探しているのだ。
彼らのいる(=記憶にある)世界と面倒を見ている世界とは異なっている。
認知症老人に子供の頃の音楽(童謡や流行った歌など)を聞かせると急に元気になり記憶が戻ってくるという。
おそらく音楽だけでなく、その時代委に生きた世界を再現することによって彼らの自信がよみがえってくると思う。
父が90になったころ「わしの頭はどうにもならんようになってきた」と言っていた。
そのうえ、母と次兄が囲碁を取り上げた。それによって症状は一気に悪化した。
高齢化者社会において認知症老人が増加するのはやむを得ないことであろう。それを家族に任せるのはあまりにも酷だ。
対応すべき施設を作り受け入れるのだ。
だが今のやり方は間違っている。
認知症老人が徘徊する理由の二つ目の理由。それは彼らが肉体的に疲れていないことがある。疲れていれば徘徊するより眠ってしまう。
いつも自室に居って何もせずにいれば夜間に徘徊するのは当然だ。それを強制しているのが施設の職員だ。
年を取れば筋肉が衰え頭も鋭さがなくなってくる。だから筋肉を鍛え、脳を鍛えるのだ。
夕方になればふらふらになるまで運動をし、碁や将棋、文章を書く、絵を描くなどなど創造性のある活動をするのだ。
私は施設の職員を非難しているのではない。
年をとればとるほど体を鍛え、脳を活性化させるのが大事なのだ。それでも死はやってくる。それでいいのだ。
認知症の老人が施設の中を徘徊しているのをTVが報じていた。職員は懸命に徘徊老人を自室に連れ戻していたが、すぐに徘徊を始めてしまう。これを家族の責任にしたら大変だ。
だが対応が間違っているのだ。
なぜ認知症老人は徘徊するのか?
老人たちは自分の家を探しているのだ。なんでこんなことが分からんのか?と思う。
認知症老人たちは我が子の顔さえ分からなくなってしまう。彼らが覚えているのは子供の時の我が家だ。今自分がいる家(施設)は自分の家ではない。
だから「自分の家に帰ろう」と歩き出す。自分の家を探しているのだ。
彼らのいる(=記憶にある)世界と面倒を見ている世界とは異なっている。
認知症老人に子供の頃の音楽(童謡や流行った歌など)を聞かせると急に元気になり記憶が戻ってくるという。
おそらく音楽だけでなく、その時代委に生きた世界を再現することによって彼らの自信がよみがえってくると思う。
父が90になったころ「わしの頭はどうにもならんようになってきた」と言っていた。
そのうえ、母と次兄が囲碁を取り上げた。それによって症状は一気に悪化した。
高齢化者社会において認知症老人が増加するのはやむを得ないことであろう。それを家族に任せるのはあまりにも酷だ。
対応すべき施設を作り受け入れるのだ。
だが今のやり方は間違っている。
認知症老人が徘徊する理由の二つ目の理由。それは彼らが肉体的に疲れていないことがある。疲れていれば徘徊するより眠ってしまう。
いつも自室に居って何もせずにいれば夜間に徘徊するのは当然だ。それを強制しているのが施設の職員だ。
年を取れば筋肉が衰え頭も鋭さがなくなってくる。だから筋肉を鍛え、脳を鍛えるのだ。
夕方になればふらふらになるまで運動をし、碁や将棋、文章を書く、絵を描くなどなど創造性のある活動をするのだ。
私は施設の職員を非難しているのではない。
年をとればとるほど体を鍛え、脳を活性化させるのが大事なのだ。それでも死はやってくる。それでいいのだ。