般若心経と言えば玄奘訳のものがよく知られれていますが、鳩摩羅什訳もいいものです。因みに般若心経のサンスクリット語原点は日本に有る事をご存知ですか?
それはともかく今日は鳩摩羅什訳の般若心経を読み下してみます。漢訳文は漢字変換が面倒なのでご勘弁下さい。
観世音菩薩が般若波羅蜜の三昧を深く行じていた時の事を振り返ってみたら五蔭(=五蘊)は空であった(=知覚されなかった)と分かり<一切の苦厄を無くしたのだ>。
注:<一切の苦厄を無くしたのだ>はサンスクリット原典には存在しません。鳩摩羅什や玄奘が付け加えたものですが、これは彼らが般若波羅蜜(多)のなんたるかを知らなかったためです。
鳩摩羅什は般若波羅蜜と漢訳し、玄奘は般若波羅蜜多と訳しています。何でこうなるのでしょうか?パーリ語ではパンニャパーラミと言いそれを鳩摩羅什は般若波羅蜜と訳しました。
サンスクリット語に堪能だった玄奘は梵語の「パンニャパーラミータ」を般若波羅蜜多と音訳しました。
玄奘は観音菩薩を「観自在菩薩」と訳し、鳩摩羅什は「観世音菩薩」としました。
観世音(=観自在)菩薩、元はヒンズー教のシバ神にあると言われており(仏教者の信仰を否定するつもりはありませんが)、釈迦とは関係ないものです。
舎利弗よ。(般若波羅蜜の三昧中)色は空であるから崩壊すると苦悩することが無い。受も空だから(快・不快を)感受することが無い。想も空だから(声香味触法を)表彰することが無い。行も空だから(色声香味触法を)欲求することが無い。識が空だから(顕在意識に於いて)知覚・分別することが無い。
注:色受想行識の五蘊については先の文章をご参照下さい。
それは何故だろうか?
舎利弗よ。色は空と別の物ではなく、空も色と別のものではないからだ。つまり色が空であり、空が色なのだ。受想行識も同じだよ。
舎利弗よ。何故なら(般若波羅蜜に於いて)諸法の相(姿・概念)が空(=知覚されない)であるからだ。だから(彼にとっては)何も生じないし消滅しない。汚いものも浄いものも無く、増えたり減ったりするものが無い(つまり何も無い)のだ。これが空の真理だ。(空には)過去が無く、未来が無く、現在も無いのだ。
(このように)菩薩は一切知覚せず、想いはかることもなかったので、般若波羅蜜(の三昧)に安住している間、妨げになるものの全く無い境地に有ったのだ。
注:ヨーガは「安住」と言う言葉を「心に何も存在しない状態と定義しており、私もそのように使っています)
妨げになるものの全く無い境地に有った菩薩には恐怖感が無く、物事を逆様に考えて夢想(=妄想)することも無かった。これが本当の涅槃だよ。
過去・未来・現在の仏達も般若波羅蜜に安住して阿耨多羅三藐三菩提(=無常にして完全なさとり)にいたったのだ。
だから般若波羅蜜は大明呪であり、無上明呪であり、無等等呪であると知りなさい。
一切の苦悩を完全に取り除いてくれるのだ。これは真実であって嘘ではない。
では般若波羅蜜の呪文を教えよう。さあ言うよ。ギャーテイギャーテイ ハラギャーテイ ハラソーギャーテイ 涅槃が分かったね。
摩訶般若波羅蜜大明呪経
以前にも言いましたが、般若心経の後半「(過去、現在、未来の)三世の仏達も~」以降の文章は要らないものです。
また鳩摩羅什、玄奘共に般若波羅蜜(多)とは無我の境地の三昧(ヨーガで言う無想三昧)の事であるとは知りませんでした。
その上二人とも五蘊(=五蔭)とは何か?を分かっておらず、竜樹の嘘八百の理論を信じてしまったのです。
だから分かったようでわからない訳をし、それをもとに次代の仏教者、仏教学者達が釈迦の仏教を根本的に否定する論理を積み重ねてきたのです。
もう釈迦の作り上げた仏教とは正反対の教説を説く仏教(らしき)ものに惑わされるのは止める時です。
それはともかく今日は鳩摩羅什訳の般若心経を読み下してみます。漢訳文は漢字変換が面倒なのでご勘弁下さい。
観世音菩薩が般若波羅蜜の三昧を深く行じていた時の事を振り返ってみたら五蔭(=五蘊)は空であった(=知覚されなかった)と分かり<一切の苦厄を無くしたのだ>。
注:<一切の苦厄を無くしたのだ>はサンスクリット原典には存在しません。鳩摩羅什や玄奘が付け加えたものですが、これは彼らが般若波羅蜜(多)のなんたるかを知らなかったためです。
鳩摩羅什は般若波羅蜜と漢訳し、玄奘は般若波羅蜜多と訳しています。何でこうなるのでしょうか?パーリ語ではパンニャパーラミと言いそれを鳩摩羅什は般若波羅蜜と訳しました。
サンスクリット語に堪能だった玄奘は梵語の「パンニャパーラミータ」を般若波羅蜜多と音訳しました。
玄奘は観音菩薩を「観自在菩薩」と訳し、鳩摩羅什は「観世音菩薩」としました。
観世音(=観自在)菩薩、元はヒンズー教のシバ神にあると言われており(仏教者の信仰を否定するつもりはありませんが)、釈迦とは関係ないものです。
舎利弗よ。(般若波羅蜜の三昧中)色は空であるから崩壊すると苦悩することが無い。受も空だから(快・不快を)感受することが無い。想も空だから(声香味触法を)表彰することが無い。行も空だから(色声香味触法を)欲求することが無い。識が空だから(顕在意識に於いて)知覚・分別することが無い。
注:色受想行識の五蘊については先の文章をご参照下さい。
それは何故だろうか?
舎利弗よ。色は空と別の物ではなく、空も色と別のものではないからだ。つまり色が空であり、空が色なのだ。受想行識も同じだよ。
舎利弗よ。何故なら(般若波羅蜜に於いて)諸法の相(姿・概念)が空(=知覚されない)であるからだ。だから(彼にとっては)何も生じないし消滅しない。汚いものも浄いものも無く、増えたり減ったりするものが無い(つまり何も無い)のだ。これが空の真理だ。(空には)過去が無く、未来が無く、現在も無いのだ。
(このように)菩薩は一切知覚せず、想いはかることもなかったので、般若波羅蜜(の三昧)に安住している間、妨げになるものの全く無い境地に有ったのだ。
注:ヨーガは「安住」と言う言葉を「心に何も存在しない状態と定義しており、私もそのように使っています)
妨げになるものの全く無い境地に有った菩薩には恐怖感が無く、物事を逆様に考えて夢想(=妄想)することも無かった。これが本当の涅槃だよ。
過去・未来・現在の仏達も般若波羅蜜に安住して阿耨多羅三藐三菩提(=無常にして完全なさとり)にいたったのだ。
だから般若波羅蜜は大明呪であり、無上明呪であり、無等等呪であると知りなさい。
一切の苦悩を完全に取り除いてくれるのだ。これは真実であって嘘ではない。
では般若波羅蜜の呪文を教えよう。さあ言うよ。ギャーテイギャーテイ ハラギャーテイ ハラソーギャーテイ 涅槃が分かったね。
摩訶般若波羅蜜大明呪経
以前にも言いましたが、般若心経の後半「(過去、現在、未来の)三世の仏達も~」以降の文章は要らないものです。
また鳩摩羅什、玄奘共に般若波羅蜜(多)とは無我の境地の三昧(ヨーガで言う無想三昧)の事であるとは知りませんでした。
その上二人とも五蘊(=五蔭)とは何か?を分かっておらず、竜樹の嘘八百の理論を信じてしまったのです。
だから分かったようでわからない訳をし、それをもとに次代の仏教者、仏教学者達が釈迦の仏教を根本的に否定する論理を積み重ねてきたのです。
もう釈迦の作り上げた仏教とは正反対の教説を説く仏教(らしき)ものに惑わされるのは止める時です。