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きび工房「結」ベン&サザエの 気まぐれカフェと野菜づくりな日々

吉備の國に伝わる温羅伝説の鬼にこだわるベン
鬼結び(おむすび)にこだわるサザエ
そんな何気ない日常の忘備録

長い間ご無沙汰しておりました。

2011年07月16日 | 日々のこと

暑い日が続いておりますが

みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?

わたくしサザエは、この時期が一番の苦手でして

先週の土日も目が腐るほど(笑)

ただひたすら、眠っておりました。

よ~くあんだけ眠れたものです。

ここ一ヶ月くらい、船酔い状態で

頭が フワフワ ゆらゆら

大分、食欲も戻って参りました。

そんな中、ちゃんとお仕事はこなしております。

が・・・「結」は 梅雨休み&夏休み です。

ええ加減なお店で申し訳ありません。

そこで、

気まぐれカフェ&ギャラリー きび工房「結」

と、「週末」→「気まぐれ」 へと チェンジ!!

こんなわがままな「結」ですが

8月6日(土) 7日(日) と予約が入りました。

素敵な和物のリフォームが勢ぞろいです。

詳細は近々お知らせいたします。


緊急! 署名のお願いです。

2011年04月24日 | 日々のこと

私たち、そして未来へ向かい

今できることを選択して動き出しましょう!!

以下転送です。

大塚愛です。
転送します。
25日23時締め切りの署名、ぜひご協力ください。

●20ミリシーベルト撤回を求めるネット賛同署名が開始されています。   よろしくお願いします!

・・・・・・・・・・・・・・・

美浜の会、フクロウの会、グリーン・アクション、FoE Japan、グリーンピース
・ジャパン、原子力資料情報室の6団体は、下記のような緊急声明および要請を
政府に対して提出します。連名可能な団体・個人は、4月25日(月)23時(一次
締め切り)までに、下記のフォームよりご連絡ください。
https://spreadsheets.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dGFmYldDV3RzVXFiV2Z5NDhuQXp4OXc6MA

=======以下声明&要請文
呼びかけ団体:グリーン・アクション、グリーンピース・ジャパン、原子力資料
情報室、福島老朽原発を考える会、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会、
国際環境NGO FoE Japan

【緊急声明と要請】
子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な決定に抗議
し、
撤回を要求する

4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の
目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に
通知した。この年20ミリシーベルトは、屋外で3.8マイクロシーベルト/時に相
当すると政府は示している。
3.8マイクロシーベルト/時は、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している
「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線
量を子どもに強要する、きわめて非人道的な決定であり、私たちは強くこれに抗
議する。

年20ミリシーベルトは、原発労働者が白血病を発症し労働認定を受けている線量
に匹敵する。また、ドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当する。
さらにこの基準は、大人よりはるかに高い子どもの感受性を考慮にいれておら
ず、
また、内部被曝を考慮していない。
現在、福島県によって県内の小・中学校等において実施された放射線モニタリン
グによれば、「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)に相当す
る学校が75%以上存在する。さらに「個別被ばく管理区域」(2.3マイクロシー
ベルト/時以上)に相当する学校が約20%も存在し、きわめて危険な状況にあ
る。

今回、日本政府が示した数値は、この危険な状況を子どもに強要するとともに、
子どもの被曝量をおさえようという学校側の自主的な防護措置を妨げることにも
なる。
文科省は、20ミリシーベルトは、国際放射線防護委員会(ICRP)勧告Pub.109お
よびICRP3月21日付声明の「非常事態収束後」の基準、参考レベルの1-20ミリ
シーベルトに基づくとしているが、その上限を採用することとなる。
21日現在、日本政府からは、本基準の決定プロセスに関しては、何一つ具体的な
情報が開示されていない。また、子どもの感受性や内部被曝が考慮されなかった
理由も説明されていない。文科省、原子力安全委員会において、どのような協議
が行われたのかは不明であり、極めてあいまいな状況にある(注)。

私たちは、日本政府に対して、下記を要求する。
・子どもに対する「年20ミリシーベルト」という基準を撤回すること
・子どもに対する「20ミリシーベルト」という基準で安全とした専門家の氏名を
公表すること

(注)4月21日の政府交渉で、原子力安全委員会は正式な会議を開かずに、子どもに年20ミリシーベルトを適用することを「差支えなし」としたことが明らかに
なった。また、4月22日、5人の原子力安全委員の意見とりまとめについて議事録
は無かったと、福島瑞穂議員事務所に回答している。

(参考)
4月21日付ドイツシュピーゲル誌の20ミリシーベルト設定に関する記事(「文部
科学省、子どもたちに対してドイツの原発労働者と同様の被爆限度基準を設
定」)
より、専門家のコメント
エドムント・レンクフェルダー(オットーハーグ放射線研究所)
「明らかにがん発症の確率が高まる。基準設定により政府は法的には責任を逃れ
るが、道徳的には全くそうではない。」

腹をくくって 受け入れる

2011年03月29日 | 日々のこと

東日本大震災により

物価が上がる、税金が高くなる

いろんな物が品薄になる

東電の今までのずさんさ

起こることに対して

嘆いたり、ぐちを言ったり、批判する。

おまけに、買い込んだり・・・

その一方で、テレビを見て被災者へ同情

どこか人ごとなんですよね。

それが悪いことではなく

しかし、同じ日本人として

なんか、違うような気がするんです。。。

「今私にできること」

景気の悪化や物資の不足

起こる現象を受け止めること

被災者の人とは比べ物になりませんが

腹をくくって、今回の災害を

間接的に受け入れることなのかも・・・

これは、あくまで私個人の考えですが


仕事があることに感謝し

暖かい部屋で食事をし、

暖かいお布団で眠れること

そして、何よりも大切な人と生きていること

すべてが愛おしく、ありがたく・・・

 

―以下転送です。―

 

東京人は本当に買い占め必要か? 伊集院静さん

2011.3.28 21:45
 

作家の伊集院静さん

 直木賞作家、伊集院静さん(61)が、妻で女優の篠ひろ子(63)と住む宮城県仙台市での震災体験と被災者への思いを綴った。(夕刊フジ

 仙台市の自宅で被災した。妻が耐震補強をしていたから、家はなんとか倒れなかった。備蓄があったので、水を近所に配った。周囲は壊れかけた家が多く、お年寄りたちは避難所に逃げた。私は声を掛けた。「諦めたら、死ぬぞ」と。

 被災から5、6日目、多くの遺体が見つかっているというニュースをラジオで聞いた。周りは死者ばかりなんだ…自分は生きているが、本当に生きているのか? なんでこんな切ないんだという悲しみが来た。男の私でそうだから、お年寄りや女性、子どもはもっとだ。ケアしないとその人の一生にかかわる。被災者の近くの人はなるべく声を掛けてほしい。

 寒さと余震に震えた。東北の救援が大事なのに、東京からのニュースは原発ばかりで、怒りが込み上げた。人々を生きて救い出してほしいと願った。

 被災した側だから言う。東京人は本当に買い占めをする必要があるのか、自らに問い返すべきだ。道徳や規律がなければ“街”ではない。東京人はコミュニティーのない「仮住まい」にいるのだろうか。不道徳の連鎖は卑しい。未来のあるものを優先しなければならない。

 被災者には、必ず再生すると言いたい。前よりもっと良くなる。信じ合おう。諦めるな。(作家)

 ■伊集院静(いじゅういん・しずか) 1950年山口県生まれ。著書に「機関車先生」「乳房」など。

 

出荷停止翌日に命絶つ 「福島で野菜作れなくなる」農家の64歳男性

2011.3.29 14:29 (1/2ページ)
  

自ら命を絶った男性が作ったキャベツ畑を見詰める次男=28日、福島県中部

 福島第1原発事故で福島県産の対象野菜の出荷停止が決まった翌日のことだった。18歳から農業一筋で生きてきた県中部の男性(64)が24日朝、家のそばで自ら命を絶った。水素爆発を伝える映像を見て以来、将来の不安を口にするようになっていた。「おやじはあの事故に殺されたようなものだ」。5年の農業経験しかない次男(35)が跡を継いだ。

 「寒いから服を着る」。24日午前5時ごろ、寝室から出た男性が妻(61)に残した最後の言葉だった。行方が分からなくなり、次男が自宅周辺を探し回った。約2時間後に見つけたが、手遅れだった。

 男性の上着ポケットには歩数計の機能が付いた携帯電話。画面は約700歩を示していた。丹精込めて作ってきたキャベツ畑を直前まで見て回っていたんじゃないか。次男はそう感じた。

 農薬や化学肥料の使用を極力控え、こだわり抜いたキャベツ7500個は十分に成長し、後は出荷を待つばかりだった。学校給食用も含まれていた。「安全な食べ物を子どもに届けたい」が口癖だった。

 「もっと安全に。もっとおいしく」。46年間の経験に旺盛な知識欲。農業専門雑誌を取り寄せるなどし、米と野菜の生産技術を磨いてきた。質の良い野菜は、周囲の農家もうらやむほどだった。