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しっちょいどんの世界史勉強ノート

世界史の勉強をまとめていきます。

小川幸司『世界史との対話』と愛加那さん

2014-01-25 02:45:23 | 書評
小川幸司氏の『世界史との対話』は(上)・(中)・(下)の三巻ある。(上)を一昨年読み、面白かったので(中)・(下)も読みたいと思っていたところ、昨年夏に旅行先で(中)・(下)を発見。即、読破した。しかし、三冊で1200ページはある。(笑)
以下は、書評とは言えない読書感想文を、しかも大著の一部を抜き取り、思ったことを述べるだけである。

その一部とは『世界史との対話 70時間の歴史批評 (中)』(地歴社)の「第28講 東南アジアから見た「大航海時代」」である。ここでは、「海の道」というヨーロッパ・中東とアジアを結ぶ広大な交易路とその中継地点として発展してくる「港市国家」がP53辺りで扱われている。その「港市国家」の説明で、ひとつは領土支配の関心が薄く、ふたつめに各地からやって来た商人たちが混在する多言語・多民族の社会が形成された、としている。そして、港市の権力は、商人に快適な滞在をさせるために、身の回りの世話をする女性を提供した、とある。(商人は風待ちのために一年近く滞在することも) やがて商人と女性との間に混血の二世が誕生することもあった。

ここを読んで、西郷さんの島妻、愛加那さんを思い出した。
薩摩藩は、江戸時代に入り直ぐに、琉球王国を制圧し、奄美諸島を直轄地とした。(1609) それより奄美諸島には薩摩藩の代官が派遣された。代官には島の有力者の娘が、身の回りの世話をする者としてあてがわれる。代官との間に生まれた子供達が、代わる代わるやって来る代官の手足となり、島内の政治を回していく。そのようなシステムが奄美諸島には存在し、西郷さんの妻の愛加那さんが有名なのだ。(もちろん西郷さんは、代官ではなく、蟄居を命ぜられて奄美大島にきているが) 西郷さんが後に赦され、帰るときも、愛加那さんと子供2人は置いていかれた。

これまでは可哀想な話としか思っていなかった。しかし、この本で郷土史と世界史が繋がった。ちなみに西郷さんの奄美の子供達は、江戸時代の奄美諸島のシステムもなくなったからか 、後に鹿児島に呼ばれ、本妻の子供達と育てられた。愛加那さんの上の子供は、男で、西南戦争に従軍し、足を負傷して切断、後に京都市長となる、菊次郎である。一方、愛加那さんは奄美大島で一生を終えた。


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『ユダヤ・ジョーク集』続き

2014-01-15 17:36:46 | 書評
昨日の続き。『ユダヤ人のジョーク集』の序文にのっている話。
題名は無し。


モシェは息子のアブラハムがキリスト教の洗礼を受けるというので、動転した。
彼は一週間断食して神に祈った。
そしてシナゴーグで一週間目にまだ神の助けを求めて祈っていると、空腹からめまいがした。
それでも力をふりしぼって天に通じるように祈った。すると、目の前があやしく輝きはじめ、荘厳な光の輪のなかに、人間の力ではとても表現できないような神々しいものがあらわれた。
モシェは、目を輝かせた。
ついに神が目の前にあらわれたのだ。
「神よ、全能なる神よ、祝福されよ。あなたはついに姿をあらわしてくださった、神よ、私の一人息子のアブラハムがキリスト教の洗礼を受けると言っています。どうぞ、お助けください」
すると、重々しい荘厳な声が聞こえてきた。
「私の息子もそうだった」


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『ユダヤ・ジョーク集』

2014-01-14 20:06:27 | 書評
『ユダヤ・ジョーク集』ラビ・M・トケイヤー著,加瀬英明訳 
講談社+α文庫 1994年


P159 
「嫉妬の報酬」

アイザックは、非常に嫉妬深い男だった。  
幼いときから、親が自分の兄弟に自分に隠れてオモチャを買って与えたり、菓子や飴をよけいにやっているのではないかと疑って、ヤキモチを焼いた。  
学校にはいると今度は、同級生の点が少しでもよいと、ヤキモチを焼いた。  
もちろん会社にはいっても、そうだった。  
しかし、彼がもっとも嫉妬心を燃やしたのは、サーシャと結婚してからである。  
アイザックは、牛乳配達や、新聞配達には、自分の住んでいる団地のアパートの二階にあるロビーにも入れなかった。一階のロビーの外の玄関に置かせ、自分で取りに行ったのである。  
もちろん、買い物にも行かせなかった。家の電気の修理や、下水の修理は、自分でやった。
 といって、いくら嫉妬深いアイザックでも、やはり生活のためには会社へ行かなければならない。そこで、会社に行くと、アイザックは何回も家に電話をして、新妻がちゃんと家にいるか調べていた。  
ところがある朝十一時ごろ、アイザックは虫の知らせというのか、新妻が必ず家に男を引きこんでいると直感したのである。  
そこで彼は、急いで会社を出るとタクシーを拾い、全速力で走らせて家に帰り着いた。
彼は階段をあわててのぼって、体当たりをするようにドアを開けるや叫んだ。
「サーシャ、サーシャ、隠さずに男を出せ」  
妻のサーシャはネグリジェを着て、二階の寝室から目をこすりながら降りてきた。
「あら、あなた、何を言ってらっしゃるの?」
「とぼけないで男を出すんだ、男を!」
「まさか!男なんかいませんわよ。おかしいわ。ホホホホ」  
サーシャはアイザックが出かけてから、もう一回寝て、今ようやく目を覚ましたかのように見えた。  
アイザックは必ず男がいると確信していたので、アパートのなかを探しはじめた。彼は一部屋、一部屋探し回った。といっても、小さなアパートである。  
彼は寝室でベッドの下をのぞいた。それから戸棚を開ける。風呂場を探す。それから応接間へはいって、テーブルの下を見る。カーテンの陰を探す。絨毯の下まで、あらゆるところを探した。  
彼は、男が窓わくにすがってぶら下がっているのではないかと思いついた。そうだ。そうにちがいない。  
アイザックが窓から体を乗り出すと、ちょうど下を、男が一人、ズボンをたくしあげながら、走っていくところだった。  
アイザックは、とっさに冷蔵庫を持ち上げると、男に向かって投げつけた。冷蔵庫はみごとに男にあたった。その男は死んだ。  
男が死んだのを見て、アイザックはようやく正気にもどった。  
考えてみれば、妻が男を引き入れたというのは、まったく自分のいつものヤキモチから出た妄想にすぎなかったのだ。嫉妬深さのために、罪もない人を殺してしまった、と思うと、アイザックは手洗いにはいり、天井からヒモをつるして、自殺した。  
意識がもどると、アイザックは天国で長い列のなかに立っていた。  
アイザックの前には、彼が殺した男が立っていた。やがて神に近づき、まず、アイザックが殺した男が神の前に立った。
「わが子よ、おまえはどうしてここへやってきた?」   
すると、男は、
「私は、あの日、目覚まし時計が鳴らなかったので寝坊して、目が覚めたらもう十一時近くでした。そこで、あわてて走りながら洋服を着て飛び出したところを、どういうわけか、上から冷蔵庫が落ちてきて、それにあたってここへ来たわけです」  
と言った。  
神は大きくうなずいた。
「そういうこともあるだろう。さ、天国へ」  
つぎは、アイザックの番だった。
「わが子よ、どうして、ここへやってきたのだ?」
「自分は子どものころから嫉妬深く、今朝も、そのために妻が浮気をしていると思いちがいをして家へ帰り、窓から下を見たら男がズボンをたくしあげながら、あわてて逃げるように走っていたので、上から冷蔵庫を落としました。その罪を悔いて、自殺したのです」  
とアイザックは答えた。  
すると、神は言った。
「そういうこともあるだろう。しかし、おまえはもう許された。天国のほうへゆけ」  
そして、二人は神が指す楽のほうへ歩いていった。  
そのとき、アイザックはつぎの男が答えているのを聞いた。
「どうして、ここへ来たのかわかりません。私はただ、冷蔵庫のなかにいたのです」


ユダヤ人は色々な差別を受けてきたが、このジョークが心の健康を保ったのだろう。ユダヤ人のジョーク集はたくさん出版されているが面白いものが多い。オススメである。

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『チャイナ・ナイン』

2013-12-23 23:40:45 | 書評
遠藤誉の『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男達』(朝日新聞出版)を読んだ。彼女の著書は初めて読んだが、面白くてすぐ読み終わった。佐野眞一の『あんぽん』並のノンフィクション!(笑)人気のあるノンフィクション作家は、文章が本当に上手い!(当たり前だが)
さて、印象に残ったのは、鄧小平が、最初の10年の後継者に江沢民を、次の10年の後継者に胡錦濤がなるように、また江沢民には「先富(先に富んだ者が中国経済を牽引し)」を、胡錦濤には「共富(まだ富んでいない者を富ませていき、みんなが共に富む)」を指示していたというところ。日本の自民党と民主党もそうであるが、自由と平等のどちらに軸足を置くかということであれば、同じであろう。そういう視点でみると、全く正反対の国のようで、どちらの国もフランス革命の影響下を生きている。

羽田正『東インド会社とアジアの海』

2013-12-19 22:22:14 | 書評
講談社 興亡の世界史15 羽田正 『東インド会社とアジアの海』のP352 を少し要約すると、「ヨーロッパ製品の価格が高かった理由は、職人の工賃が高かったことである。それは北西ヨーロッパでは農業生産物の価格が高く、生活にお金がかかったからである。逆に温暖なアジアの諸地域では豊富に産する農産物の価格が安かった。毎日の生活にそれほどお金がかからなかった。必然的に工賃も安くてすんだ。人々は貧しかったから工賃が安かったのではない。インドの綿織物が北西ヨーロッパで爆発的に売れた理由は、高品質なのに価格が安かったからである。有力な輸出用商品を持たずにしかも物価が高いという二重のハンディキャップを北西ヨーロッパの人々が克服し、アジアの海での貿易活動に参加出来たのは、アメリカ大陸の存在があったからである。北西ヨーロッパの人々がアジアの物産と交換した「自分たちの」商品は、主として南北アメリカという本来別の地域で産出する銀だった。ポルトガルやオランダは一時日本の銀を利用するがこれは1670年代までである。ヨーロッパ人が南北アメリカを植民地にしなければ、またアメリカで銀山が発見されていなければ,彼らはアジアの物産を購入する資金を十分用意することはできなかっただろう。その意味で、ヨーロッパの人々による「新大陸発見」は,、人類の歴史の展開に計り知れない重みを持っている。(例えるならば、ほとんど元手をかけずに人の家から持ち出したお金を使って、本来足を踏み入れることのできないはずの店の一流品を買い、それを自分の家に持ち帰って利用したり、売却して利益を得たりしていたということである。これを200年も続ければ、北西ヨーロッパが全体として豊かになり、世界をリードする経済力を身に付けるのも当然だろう。アメリカの銀とアジアの物産が「近代ヨーロッパ」の経済的基盤を生み出したのである。) 」
現在、中国やインドが経済発展して、欧米を追い越しそうな勢いも、歴史は元の流れに戻っただけなのかも知れません。