小川幸司氏の『世界史との対話』は(上)・(中)・(下)の三巻ある。(上)を一昨年読み、面白かったので(中)・(下)も読みたいと思っていたところ、昨年夏に旅行先で(中)・(下)を発見。即、読破した。しかし、三冊で1200ページはある。(笑)
以下は、書評とは言えない読書感想文を、しかも大著の一部を抜き取り、思ったことを述べるだけである。
その一部とは『世界史との対話 70時間の歴史批評 (中)』(地歴社)の「第28講 東南アジアから見た「大航海時代」」である。ここでは、「海の道」というヨーロッパ・中東とアジアを結ぶ広大な交易路とその中継地点として発展してくる「港市国家」がP53辺りで扱われている。その「港市国家」の説明で、ひとつは領土支配の関心が薄く、ふたつめに各地からやって来た商人たちが混在する多言語・多民族の社会が形成された、としている。そして、港市の権力は、商人に快適な滞在をさせるために、身の回りの世話をする女性を提供した、とある。(商人は風待ちのために一年近く滞在することも) やがて商人と女性との間に混血の二世が誕生することもあった。
ここを読んで、西郷さんの島妻、愛加那さんを思い出した。
薩摩藩は、江戸時代に入り直ぐに、琉球王国を制圧し、奄美諸島を直轄地とした。(1609) それより奄美諸島には薩摩藩の代官が派遣された。代官には島の有力者の娘が、身の回りの世話をする者としてあてがわれる。代官との間に生まれた子供達が、代わる代わるやって来る代官の手足となり、島内の政治を回していく。そのようなシステムが奄美諸島には存在し、西郷さんの妻の愛加那さんが有名なのだ。(もちろん西郷さんは、代官ではなく、蟄居を命ぜられて奄美大島にきているが) 西郷さんが後に赦され、帰るときも、愛加那さんと子供2人は置いていかれた。
これまでは可哀想な話としか思っていなかった。しかし、この本で郷土史と世界史が繋がった。ちなみに西郷さんの奄美の子供達は、江戸時代の奄美諸島のシステムもなくなったからか 、後に鹿児島に呼ばれ、本妻の子供達と育てられた。愛加那さんの上の子供は、男で、西南戦争に従軍し、足を負傷して切断、後に京都市長となる、菊次郎である。一方、愛加那さんは奄美大島で一生を終えた。

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その一部とは『世界史との対話 70時間の歴史批評 (中)』(地歴社)の「第28講 東南アジアから見た「大航海時代」」である。ここでは、「海の道」というヨーロッパ・中東とアジアを結ぶ広大な交易路とその中継地点として発展してくる「港市国家」がP53辺りで扱われている。その「港市国家」の説明で、ひとつは領土支配の関心が薄く、ふたつめに各地からやって来た商人たちが混在する多言語・多民族の社会が形成された、としている。そして、港市の権力は、商人に快適な滞在をさせるために、身の回りの世話をする女性を提供した、とある。(商人は風待ちのために一年近く滞在することも) やがて商人と女性との間に混血の二世が誕生することもあった。
ここを読んで、西郷さんの島妻、愛加那さんを思い出した。
薩摩藩は、江戸時代に入り直ぐに、琉球王国を制圧し、奄美諸島を直轄地とした。(1609) それより奄美諸島には薩摩藩の代官が派遣された。代官には島の有力者の娘が、身の回りの世話をする者としてあてがわれる。代官との間に生まれた子供達が、代わる代わるやって来る代官の手足となり、島内の政治を回していく。そのようなシステムが奄美諸島には存在し、西郷さんの妻の愛加那さんが有名なのだ。(もちろん西郷さんは、代官ではなく、蟄居を命ぜられて奄美大島にきているが) 西郷さんが後に赦され、帰るときも、愛加那さんと子供2人は置いていかれた。
これまでは可哀想な話としか思っていなかった。しかし、この本で郷土史と世界史が繋がった。ちなみに西郷さんの奄美の子供達は、江戸時代の奄美諸島のシステムもなくなったからか 、後に鹿児島に呼ばれ、本妻の子供達と育てられた。愛加那さんの上の子供は、男で、西南戦争に従軍し、足を負傷して切断、後に京都市長となる、菊次郎である。一方、愛加那さんは奄美大島で一生を終えた。

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