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しっちょいどんの世界史勉強ノート

世界史の勉強をまとめていきます。

秦は15年しか続かなかったのになぜCHINAになれたか。

2014-10-24 00:03:20 | 書評
正式には,山川詳説世界史BのP71「~,秦は統一後わずか15年で滅んだ。」ということである。秦は前8世紀に建国されている。
CHINAといえば中国であり,秦が語源であることは知っていたが,この当時に15年で世界に普及させることは難しかっただろう。

「しかしその統一は十五年しか続かなかったので,その名がなんでそんなに遠くまで伝わったのだろうと,私などかねがね不思議に思っていました。ところが近年になって,秦という名が漢代でも中国を指す名称として使われていたことに気づきました。従来も漢代の西域人らが中国のことを秦とよんだことは指摘されていたのですが,実は漢代に中国人自身が中国人と外国人とを区別するときに,「秦・胡」「胡・秦」などといったのです。 P53より」
(『中国通史 問題史としとてみる』堀敏一著 講談社学術文庫出版 2000年)

家にはこの本が2冊並んでいる。最近、また同じ本を買ってしまうことがある。


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山本博文 『歴史をつかむ技法』 

2014-05-14 23:24:33 | 書評
山本博文著 『歴史をつかむ技法』 新潮新書発行 2013

P203に近世外交史の研究者である武田万里子さんの説を紹介。秀吉の書中にある「大明」と「大唐」などの使い方の違いから,秀吉の目的は明の征服ではなく,明を屈服させて大明四百余州のうちの百カ国を割譲させようとしたものだったとする。そしてその百カ国とは秀吉が居を構える予定の寧波を中心とする中国沿岸部と推測している。
この説に従えば,秀吉は,海禁政策をとる明に軍事的圧力をかけ,中国沿岸から東南アジアにかけて展開していた東アジア海域の中継貿易の主導権を握ろうとしたのだと考えることが出来る。こう考えれば「唐入り」もあながち誇大妄想によるものだけとは言えなくなる,と説明している。

インドまで攻め込むつもりとは頭が狂ったとしか思えなかったが,なかなか現実的な説が提唱されていることを知った。豊臣秀吉が朝鮮出兵をしなかったらその後の歴史はどうなっていたのだろうか。想像もつかない。


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白川静+梅原猛 対談 『呪の思想 神と人との間』

2014-05-12 19:19:33 | 書評
山川詳説世界史BのP21に「彼ら(エジプト人)が使用したエジプト文字には,碑文や墓室・石棺などに刻まれる象形文字の神聖文字(ヒエログリフ)と,パピルス草からつくった一種の紙(パピルス)に書かれる民用文字(デモティック)とがあった。」とある。

白川静+梅原猛 対談 『呪の思想 神と人との間』 平凡社 2002年
P25
「白川 日本の場合には伝承という形でしか見られないけれども,向こうの場合には文字がありますからね,文字の中に形象化された,そこに含まれておる意味というものを,その時代のままで,今我々がみることが出来る訳です。だから三千年前の文字であるならば,その三千年前の現実をね,みることが出来る。
梅原 それはやっぱり象形文字の特徴でしょうか。
白川 そう,象形文字であるからそれが出来るんで,これが単なるスペルだったら,みることが出来ません。
梅原 出来るとしたらやっぱり中国とエジプトでしょうか。
白川 エジプトのヒエログリフですね,それは象形文字ですから,そういう意味をもっておったはずです。だけどそれがデモティックになってしまったら,普通のスペルになってしまいますから。あちらでは,もう使っておる民族が違い,言葉が違う訳。つまり,漢字が仮名になったのと一緒ですね。」


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若田部昌澄『経済学者たちの闘い』

2014-03-02 02:19:13 | 書評
重商主義と重農主義は、商業重視主義や農業重視主義と思ってしまい、商業は自由で、農業は規制でガチガチというような勘違いしてしまいそうだ。
教科書では、「国家が経済に介入して自国を富ませる政策を重商主義という。」(山川P223)とある。
また、重商主義思想の生まれた背景として、「ヨーロッパがアジアとの貿易で金銀の貨幣がたえまなく流出したから」(東書P242)とある。
そのような国家が商工業を規制する重商主義が支配的であったのが、18世紀になり、重農主義がでてきた。「これは、国家の富の源泉を農業生産に求め、そのために穀物取引の自由化を主張するものであった。」(実教P218)
また、「アダム・スミスは、『諸国民の富』で国民の生産活動の全体を富の源泉とみなし、分業と市場経済の基礎理論を展開して、自由主義的な古典派経済学を確立した。」(山川P238)と続く。

『経済学者たちの闘い』(若田部昌澄著 東洋経済新報社発行 2013)は、10年前に発行された本に「リフレ戦記」という補章を付けて、再発行されたもの。経済史の本といってもよく、ジョン・ロー、デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスからケインズのあたりまで、書かれている。
ジョン・ロー、デイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスの3人は、スコットランド出身である。なぜスコットランド人が、このように活躍したのか不思議だったが、本書P44にこのように書いてあった。「なぜ、(ヒュームとスミス)二人は親友だったのか。ともにスコットランド出身という同郷意識だけではあるまい。それよりもここでは、二人が当時のイギリスにおいて、既得権益打破のために闘った「同志」であったことを重く見たい。」


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石原孝哉『幽霊のいる英国史』

2014-02-25 19:02:36 | 書評
石原孝哉『幽霊のいる英国史』集英社新書 2003年 P11より
「イギリスのゴーストは基本的にはキリスト教的なゴーストである。カトリックでは、ゴーストは煉獄の住人とされる。煉獄は、天国でも地獄でもないある種の中間地帯で、うかばれない霊魂、すなわち洗礼を受ける前に死んだ幼児や、この世に思いを残した霊魂が住むところである。しかし知ってのとおり、イギリスでは、ヘンリー8世(在位1509~47)の時代に王妃との離婚問題に端を発した宗教改革があって、カトリックは排除されてしまった。プロテスタントは煉獄の存在そのものを公式には認めていない。煉獄がなければそこに住むとされるゴーストもいないはずなのだが、プロテスタントの国にもゴーストはいる。一般に、プロテスタントのゴーストは悪魔に近い存在とされ、人間に危害を加える恐ろしいものとみなされる傾向が強い。ところが、イギリスのゴーストは大部分がひとびとに愛される存在なのである。 最近、日本のある団地に幽霊が出るとの評判がたち、住民が気味悪がってつぎつぎと出ていってしまうとの報道があった。これがイギリスなら、住民が逃げ出すどころか、空き部屋まですべて完売になるだろう。日本の幽霊は「崇りの神」的な性格を捨てきれないのに対して、イギリスのゴーストの多くは怖いけれども、歓迎すべき、ありがたい珍客なのである。 先ごろ、おかたいことで有名な「タイムズ」紙の日曜版に、ある不動産広告が載っていた。掲載されている住宅は普通の物件よりもかなり割高であるが、見たところ高級住宅にも見えない。実はここにはゴーストという目に見えない(あるいは目に見える?)付加価値がついているのである。 」
個人的には、第四章のチャールズ1世やクロムウエルのところが、興味深かった。


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