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しっちょいどんの世界史勉強ノート

世界史の勉強をまとめていきます。

サンスーシ宮殿で宣言したものとばかり思っていた

2014-11-07 17:55:53 | 高校世界史教科書
『山川詳説世界史B』のP229には、「サンスーシ宮殿でフルートを演奏するフリードリヒ2世」という絵画が紹介されている。
この宮殿はフリードリヒ2世が、オーストリア継承戦争中にベルリン郊外のポツダムに建設したもので、「憂い無し」という意味があるという。
フランスでは講和会議がヴェルサイユ宮殿でおこなわれているので、てっきりドイツでそのような会議はサンスーシ宮殿でおこなわれているものと早とちりしていた。
しかし、第二次世界大戦のポツダム会談やポツダム宣言がおこなわれた場所は、ツェツィーリエンホーフ宮殿であるという。
まあどちらも「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界遺産に登録されているのですが、ちょっとショックですね。



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アルタイ語族と日本語

2014-11-06 22:19:44 | 高校世界史教科書
昔はアルタイ語族の中に日本語や朝鮮語も含められ、学習させられていたが、現在では「日本語と朝鮮語の帰属については定説がない。(山川『詳説世界史B』のP13より)」とされている。
地理の教科書では、アルタイ語族が語族として成立するかもあやしいとして「アルタイ諸語」と記述しているものもある。
山川の『詳説世界史B』には、P13に昔ながらの系統分類表がのっているが、山川の『新世界史B』や東京書籍の『世界史B』などにはないようだ。結構、古代オリエント世界を学ぶときには、「インド=ヨーロッパ語系」や「セム語系」など無造作に使われていることが多いので、系統分類表があった方がわかりやすい気がする。
しかし、「セム」と兄弟のようによく登場していた「ハム」がいつの間にか消えていますね。栄枯盛衰を感じます。



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昔は皇太子夫妻だったが

2014-10-27 22:23:20 | 高校世界史教科書
昔は皇太子夫妻だったが、

山川詳説世界史BではP332に「1914年6月末,オーストリア帝位後継者夫妻がボスニアの州都サライェヴォでセルビア人の民族主義者に暗殺された。」

東京書籍世界史BではP331に「バルカン情勢が緊迫するなか,1914年6月28日ボスニアの州都サライェヴォで,オーストリアの帝位継承者夫妻が暗殺された。」

山川新世界史BではP344に「1914年6月,オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者夫妻がボスニアのサライェヴォでセルビア人に暗殺されたことをきっかけに,オースストリア=ハンガリーは同盟国ドイツの支持を得て,翌月セルビアに宣戦布告した。」

現在は皇位継承者で統一されているようだ。



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結婚と妻帯は同じか?

2014-10-25 21:55:05 | 高校世界史教科書
東京書籍世界史BのP156では「また,当時は,聖職者の結婚,世俗領主による聖職者の任命はありふれたことで,聖職売買もめずらしくなかった。」とある。

山川詳説世界史BのP131では「教皇グレゴリウス7世はこの改革をおしすすめ,聖職売買や聖職者の妻帯を禁じ,また聖職者を任命する権利(聖職叙任権)を世俗権力から教会の手に取り戻して教皇権を強化しようとした。」と説明している。

同じく山川新世界史BのP137では「カロリング朝時代の末期には,国王や貴族が司教座や修道院を私物化し,聖職者や修道士の生活にも,妻帯や聖職売買(シモニア)などの悪習がはびこっていた。」となっている。

結婚と違い、妻帯は、今の言葉で事実婚も含むんじゃないかと思った。しかし妻とは女性の配偶者を言い、配偶者は法律用語で事実婚は含まないと言う。(Wikipediaより)
最近、カトリックの聖職者の愛人達が、「結婚させろ!」とデモをしたというニュースを見たので、気になり調べてみた。


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儒教の国教化

2014-10-24 18:26:11 | 高校世界史教科書
山川詳説世界史BのP73に「漢代の初めには法家や道家の思想が力をもったが,武帝の時代には,董仲舒の提案により儒学が官学とされ,礼と徳の思想による社会秩序の安定化がめざされた。」とある。
山川新世界史BのP73にも同じ文章がのっている。
東京書籍世界史BのP77には「第7代武帝は,地域社会の推薦によって人材を登用し(郷挙里選),董仲舒などの儒家の意見を採用して国家体制の維持に努めた。このため儒家の思想は,国教(儒教)の地位を獲得し,その教えは国家の正当な学問(儒学)として発達した。」

『中国通史 問題史としとてみる』(堀敏一著 講談社学術文庫出版 2000年)のP115では「古来の説では,武帝のときから儒教が国教になったといわれています。国教という言い方はもちろん,ローマ帝国がキリスト教を国教化したという事実にならったのです。」といっている。しかし堀はこの説に否定的で,武帝の時代を過ぎてもなお,法家と儒家の対立があったことを述べている。

また板野長八の,光武帝の時に国教としての儒教が成立したという説を紹介している。
また本書のP119にある,「董仲舒の学問は,「今文(きんぶん)」といって当時の文字で書かれていた。秦の始皇帝の時に焚書坑儒でテキストが紛失したが,漢代になりあちこちで発見されるようになる。これらは「古文(こぶん)」と呼ばれたが読めなかったので鄭玄のような訓詁学が生まれたという。



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