#218: 絵短冊のことなど…

2010-02-12 | Weblog
 「けやぐ柳会」会員の京子さんは、チャキチャキの江戸っ子で歯切れのよい口調が何とも気持ちがよい。蝉坊さんの同僚で、これまで川柳を実作して投稿されたことはないのだが、確かな観賞眼をお持ちで折にふれ的確な批評をしていただく。また蚤助も何度か頼み込んで「お題」を出してもらったりしている。時々、酒席をご一緒して、そのたびに教養あふれる楽しい話題を提供してもらうので盛り上がるのである。

 ご実家は都内の旧家であるが、この度、江戸時代には銀座で商店を経営していたご先祖が収集をしはじめたという「絵短冊」を紹介した本(「絵短冊十二カ月~四季の花鳥風詠」)が芸艸堂から発行された。監修・解説は美術評論家で平塚市美術館長の草薙奈津子氏である。130点あまりの絵短冊を80数ページにわたってカラー図版と作家の解説をされている。

 寡聞にして絵短冊というのを知らなかったが、草薙氏や京子さんの解説によれば、概ね次のようなものであるようだ。鎌倉時代の末頃から始まった和歌を書く色紙のようなもので、やがて細長い料紙に金銀箔をおいたりしながら、華やかで変化に富んだものが生まれ、いつしか和歌を書くのみではなく、絵を描く素材としても使われるようになったもの、ということらしい。現存する最も有名な絵短冊は山種美術館蔵になる「本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵短冊帖」(17世紀初頭)というもののようだ。未見であるが、何しろ光悦に宗達である。一冊の画帖に収められていて、むろん、主役は光悦の書になる和歌なのだが、それに絵画空間として楽しまれる要素を併せ持つので、装飾的な感覚で宗達が下絵を描くというのだから、なんとまあ贅沢なものではないか。時を経て、下絵そのものが独立していったようだ。

 作例は多いとは言えないようだが、源流が和歌なので文学性をもち、気軽な絵画世界としても人々に親しまれる要素はあったようだ。しかも、江戸時代の「商人」の誕生といった社会の変化も影響しているようだ。こういう中でこの「内田コレクション」というものの成り立ちがあるわけだ。残念ながら、今日では絵短冊はほとんど描かれないという。「席画」の衰退と関係している、と草薙氏は記す。作家たちが宴席などで気楽に描くことを忌み嫌うようになってきたという。絵画が高尚なものになったということであると同時に、現代の日本画家が即興で描くことができなくなったということを意味する。近代の日本画は写実に絶対的な価値をおくという状況下では当然のことかもしれないのだ。

 このコレクションは、江戸時代の酒井抱一、谷文晁、歌川広重から現代の大家、川合玉堂、川端龍子、前田青邨、伊東深水、武者小路実篤等、綺羅星のような画家がずらりと並んでいる。短冊という画材の制約もあり、難しい主義主張はないが、四季折々の様々な花鳥風詠を楽しむことができる。ユーモア、軽妙、優しさ等を兼ね備えたヒーリングの絵画と言ってもいいかもしれない。折にふれて開きたい本である。

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「画家の名を聞いてなるほど名画なり」 


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2 コメント

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お礼 (京子さん砧の里より)
2010-02-20 13:44:27
絵短冊の明快な書評恐れ入ります。画家の名を聞いても誰か分からない短冊もありますが、楽しんでいただければ幸いです。
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絵短冊 (管理人)
2010-02-21 15:00:16
またいろいろ「目から鱗」のような話を聞かせてください。楽しみにしています。
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