#411: ジャズの伝道師

2012-02-22 | Weblog
僕は見た
狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを…

そう始まるアレン・ギンズバーグの詩集『吠える』(HOWL)が出版されたのは1956年のことでした。
ジャック・ケルアックの長編小説『路上にて』(ON THE ROAD)の発表が57年、ウイリアム・バロウズの『裸のランチ』(THE NAKED LUNCH)が世に出たのが59年でした。
彼らは、当時ビートニクスと呼ばれ、アメリカの文学に相前後して登場した新世代でした。

そんな時代に、世を席巻した音楽が「ファンキー・ジャズ」でした。
「ファンキー(FUNKY)」というのは、一言でいうと、より泥臭く、より熱っぽく、よりソウルっぽいモダン・ジャズのスタイルですが、それまでのハード・バップと比べると非常に判りやすい音楽だったのです。
「ファンキー」の代名詞ともなったのがアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ(以下JM)の『MOANIN'』でした。

ドラマーのアート・ブレイキーが「JM」を結成したのは55年のことですが、それは、実質的にピアニストのホレス・シルヴァー率いる五重奏団を発展的に継承したものでした。
当初はシルヴァーが音楽監督となり、強力な統率力を持ったブレイキーとの双頭バンドの色彩が濃かったのですが、やがてシルヴァーが他のメンバーを引き連れて独立すると、以後メンバー・チェンジを繰り返しながらブレイキーとJMはあちこちのレーベルにワンショットの契約でアルバムを録音するようになります。
いわばJMの苦闘時代というべき状態でした。

1958年になると、ブレイキーは、テナーのベニー・ゴルソンを音楽監督に迎え、それにクリフォード・ブラウンの後継者として名声を高めつつあった天才少年リー・モーガン、ファンキーなピアノを身上とするボビー・ティモンズ、堅実なベース奏者ジミー・メリットをグループに参加させました。
この布陣によって、JMは低迷時期から脱することになるのです。



1958年の秋、ブレイキーとJMはこの新メンバーで「ブルース・マーチ」、「ドラム・サンダー組曲」などゴルソンのペンになる人気曲やティモンズが作ったタイトル曲を含むアルバム『MOANIN'』を録音した直後、ヨーロッパ・ツアーを行います。
58年11月から12月にかけてのことでしたが、ヨーロッパ全域を空前のジャズ・ブームに陥れた歴史的なツアーとなりました。

特にフランスでは熱狂的な歓迎を受け、フランスのジャズ・シーンに決定的な影響を与えたのでした。
このときの模様は、3枚組(CDでは2枚組)の『クラブ・サンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ』(ART BLAKEY ET LES JAZZ MESSENGERS AU CLUB ST. GERMAIN)というライヴ・アルバムと、オリンピア劇場でのライヴ盤で聴くことができます。
どちらも甲乙つけがたい熱気あふれる演奏が収録されていますが、メンバーの覇気、気力の充実ぶりと、コンサートを完全収録している点で、「サンジェルマン」の方がトータルのポイントが高いと思います(冒頭の画像)。
クラブ・サンジェルマンはパリのライヴ・スポットですが、JMのこのアルバムによって一躍世界中にその名を知られるようになりました。

[DISC 1] 1. Politely / 2. Whisper Not / 3. Now's The Time / 4. The First Theme / 5. Moanin' With Hazel / 6. Evidence (We Named It Justice)
[DISC 2] 1. Blues March For Europe No.1 / 2. Like Someone In Love / 3. Along Came Manon / 4. Out Of The Past / 5. A Night In Tunisia / 6. Ending With The Theme

演奏曲はJMの十八番ともいうべきものばかりで、ファンキーなムードとモダンなジャズ感覚がブレンドされたJMならではの迫力あるプレイが楽しめます。

ご存じのように、『MOANIN'』はボビー・ティモンズ作のゴスペル色の強い傑作曲です。
黒人教会における牧師と信者とのコール・アンド・レスポンス(呼びかけと応答)形式をもったブルースですが、「サンジェルマン…」のDISC‐1の5では、「MOANIN' WITH HAZEL」というタイトルになっていることにご注目!

この曲の作曲者ボビー・ティモンズのピアノ・ソロが3コーラス目に入った辺りで、会場にいた女流ピアニストのヘイゼル・スコットが感極まって「Oh Lord, Have Mercy!」と叫んでしまいます。
一説には、そのまま失神してしまったというハナシもあるのですが、演奏のバックでその後もやたら騒ぎ立てる女性の声が聴こえるので、失神というよりも興奮しすぎて我を忘れたというのが真相ではないかと思われます。

ゴルソンとモーガンによって生み出されるフロントのハーモニーには、その後のJMのスタイルにおける大きな特徴となったブルージーな音の広がりがあり、これがわずか2本の管楽器によって吹奏されているとは思えないほどの厚みを感じさせます。
さらにはリーダー、ブレイキーのエネルギッシュなドラミング、「ナイアガラ瀑布」とも形容された大音量でスネアーを乱打しながらバンド全体のサウンドをコントロールしていきます。

この後、JMは60年の大みそかに初来日を飾るのですが、フランス同様、わが国の音楽界をやはりファンキー・ジャズ一色に塗りつぶしたのでした。
年越し蕎麦の出前で忙しい岡持ちの兄ちゃんまで口ずさんでいたという伝説が残るほど「MOANIN'」は鮮烈な衝撃を日本国中に与えました。

この初来日時には、メンバーはすでにテナーがゴルソンからウェイン・ショーターに代わり、ゴルソン=ティモンズ時代のファンキー一辺倒から、JMのスタイルは新時代を伝えるモード・ジャズに移っていました。
しかし、わが国では『MOANIN'』と「サンジェルマン…」2作品が大ヒットしていて、JM・イコール・ファンキーというイメージが確立していたのでした。
したがって、彼らのステージは「ブルース・マーチ」や「モーニン」が常に演奏され、日本全国どこへ行っても、ファンキーが主流となっていくわけで、そのことを考えると、JMはまさに名実ともにジャズを日本に伝えた伝道師だったのです。
というわけで、わが国におけるモダン・ジャズの幕開けを飾った作品として絶対に忘れられない重要なアルバムであり、当時の熱いジャズの最良のエッセンスが盛り込まれている作品ということになるのです。

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ヘイゼル・スコット女史ではありませんが、酔うとつい叫びたくなってしまいますね。

OH LORD, HAVE MERCY!…

ということで、

「酔っているときは忘れる薔薇の棘」(蚤助)


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