#707: あかりが見えた

2015-08-26 | Weblog
戦後70年の夏が過ぎ去ろうとしている。
全国各地で「戦後70年」関連の行事や式典が行われたり、いろいろなメディアによってさまざまなかたちの報道がなされていた。だからというわけでもあるまいが、例年以上にひときわ暑い夏だった。

太平洋戦争の末期ともなれば、最後の力をふりしぼって戦意高揚、徹底抗戦というわけであろう、当時の日本は軍歌一色であった。「同期の桜」(西條八十作詞、大村能章作曲)、「加藤隼戦闘隊」(田中林平作詞、原田喜一作曲)、「特幹の歌」(清水かつら作詞、佐々木俊一作曲)などが流行していた(ようだ)。

一方、敵国アメリカといえば実にのんびりしたもので、ノスタルジーをかきたてる歌もあったが、ほとんどが恋の歌であった。
中でも「I'm Beginning To See The Light」(あかりが見えた)という曲などはその最たるものである。

I'M BEGINNING TO SEE THE LIGHT (1944)
(Words & Music by D. George, H. James, D. Ellington, J. Hodges)

I never cared much for moonlit skies
I never wink back at fieflies
But now that the stars are in your eyes
I'm beginning to see the light

I never went in for afterglow
Or candle light on the mistletoe
But now when you turn the lamp down low
I'm beginning to see the light...

月の輝く空なんか関心なかった
蛍に目をやることなんてなかった
でも 今 君の瞳に星が輝き
あかりが見えてきた

一度も夕映えに見とれることはなかった
ましてやヤドリギのロウソクの灯なんて全然
でも 今は君が明かりを暗くすると
あかりが見えてきた...

このあと、「ある日、突然、君が現れて僕の心に火をつけちゃった。君のキスが僕の唇を燃え上がらせちゃった。恋のあかりが見え始めてきた」などと続く。堅物がやっと恋に目覚めるというお話である。流行する曲ひとつにしても彼我の差は大きく、これでもう日本の敗戦は決まりというわけですかな(笑)。

44年の秋、デューク・エリントン楽団がニューヨークの「ハリケーン」というクラブに出演していた。ある日、そこへトランペット奏者で人気バンドリーダーのハリー・ジェームズと作詞家のドン・ジョージが遊びに来て、エリントンとエリントン楽団のアルトのスター奏者ジョニー・ホッジスと談笑しているうちに、何か歌でも作ろうという話になり、ああでもない、こうでもないと意見を出し合った。さすがに才人たちである。あっと言う間に一曲仕上げてしまった。それが「I'm Beginning To See The Light」だ。

44年11月にハリー・ジェームズ楽団がキティ・カレンのヴォーカルをフィーチャーして録音、次にデューク・エリントン楽団もジョヤ・シェリルの歌入りで録音。45年の早春から全米でヒットした。

エリントン流のヒップな感覚にあふれたジャズ・チューンだが、歌詞も語呂が良い名調子なので、ご機嫌にスウィングする。本来は訳などという野暮な真似はせず、原語で味わうのが正解なのだろう。某評論家センセイは、都々逸や川柳を英訳しようとする愚と同じなので、俗中の気品とでもいうべきこの歌はぜひ原詞で味わっていただきたいと断言しておられた。歌詞さえピタッとはまれば上手く聞こえる曲だからか、日本人の歌手が取り上げることが多い(笑)。

最初に当てたキティ・カレン、フランク・シナトラ、メル・トーメ、ナンシー・ウィルソン、デラ・リーズ、ボビー・ダーリン、ペギー・リー、ジョー・ウィリアムス等々、名唱・好唱も多士済々だ。

エラ・フィッツジェラルドは、45年に録音したインク・スポッツとの共演盤が、ビルボード誌のヒットチャートのトップ10入りを果たしたほか、エリントンのソングブック集(57年)でエリントン楽団と共演しているが、63年録音のカウント・ベイシー楽団との共演盤がグルーヴィー。肩の力を抜いてこれだけスウィングするのは天性のものだろう。いかにも楽しそうにリラックスした歌声だ。編曲はクインシー・ジョーンズ。


エラが出たところで、次はルイ・アームストロング。こちらはエリントンとの共演(61年)。トランペット・リードの三管で1コーラス演奏したあと、ルイの軽快なヴォーカルが入る。2コーラス目からはメロディをフェイクしてルイらしい雰囲気のヴォーカルが聴ける。トラミー・ヤング(tb)、バーニー・ビガード(cl)、モート・ハーバード(b)、ダニー・バルセロナ(ds)に、ルイのトランペットという当時のサッチモ・オールスターズに、偉大なるエリントンがピアノで客演という夢のセッションだ。


インストでは、有名なジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットが名演を残している。53年の録音で、マリガンのバリトン・サックス、チェット・ベイカーのトランペット、カーソン・スミスのベース、ラリー・バンカーのドラムスという面々。熱いけどなかなかクール、昔風にいうと「イカス」演奏だ。


間違いなく天才ピアニストの一人だったフィニアス・ニューボーン・ジュニアがデビュー・アルバム「Here Is Phineas」(56年)でフレッシュな演奏を残している。アート・テイタムの再来と評されたほどの天才肌だったが、バド・パウエル同様、精神障害の持病から全盛期が短かった。パウエル以降の多くのピアニストが右手のメロディ・ラインに重点を置いたスタイルだったのに対し、フィニアスはアート・テイタムやテディ・ウィルソンのように両手のバランスがよくとれ、加えて両手で同じメロディ・ラインを弾くユニゾン(いわゆるオクターヴ奏法)を多用するなどなかなか個性的なピアニストだった。この当時は、前途洋々たる若手の登場と期待されていたはずだ。オスカー・ペティフォードのベースが十分拾われていないのが残念な録音だが、ケニー・クラーク(ds)の高速ブラッシュも聴きものだ。


常連になってもお茶は出ない医者  蚤助


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