#704: 霧深き日

2015-07-27 | Weblog
霧の街といえば、サンフランシスコかロンドンか、はたまた釧路か…(笑)。サンフランシスコや釧路の霧は季節的、地理的条件によるものだそうだが、ロンドンの霧は一年中出るらしい。それというのも産業革命以降のスモッグが原因だとか。ロンドン周辺には多数の工場が立地し、そのため大気の汚染が進行し、空気中の水分が霧状になりやすいらしい。「霧の都」といいながら、その原因はあまりロマンチックではない。

前稿に登場した映画「踊る騎士」(A Damsel In Distress)の挿入曲「A Foggy Day」(霧深き日)の舞台はロンドン。正式な曲名は「A Foggy Day In London Town」だったそうで、タイトルが長すぎたのか、いつの間にか「A Foggy Day」だけになってしまった。
霧にすっぽりと包まれたロンドンでフレッド・アステアが歌う。昔からの言い伝えで、城の窓から飛び降りて無事だった者はその城の令嬢と結ばれるという。それと知らずアメリカ人ダンサーのアステアが飛び降りてしまったため、伯爵令嬢のジョーン・フォンテインと結婚するというミュージカル・コメディだ。作詞アイラ・ガーシュウィン、作曲ジョージ・ガーシュウィン。この頃、ジョージはすでに脳腫瘍におかされていて、この映画の封切りを待たず亡くなってしまう。

A FOGGY DAY (1937)
(Words by Ira Gershwin / Music by George Gershwin)

<Verse>
I was a stranger in the city
Out of town were the people I knew
I had that feeling of self-pity
What to do, what to do, what to do
The outlook was decidely blue

But as I walked through the foggy streets alone
It turned out to be the luckiest day I've known

<Chorus>
A foggy day in London town
Had me low, had me down
I viewed the morning with much alarm
British Museum had lost its charm

How long I wondered, could this thing last
But the age of miracles hadn't passed
For suddenly I saw you there
And through foggy London town
The sun was shining everywhere...

私は都会では異邦人
この街には知り合いはいない
自己憐憫か何かを感じた
何をすればいい? 何をすれば?
見通しは明らかにブルーなものだ

でも ひとり霧の深い通りを歩いていると
最もラッキーな一日に変わろうとしていた

ロンドンの街に霧がたちこめる日
私は落ち込み へこんでいた
不安でいっぱいの朝を迎えて
大英博物館もその魅力を失ってしまっていた

こんなことがいつまで続くっていうんだ
でも奇跡の時代は終わっていなかった
突然 君がそこにあらわれた
霧のたちこめるロンドンの街じゅう
太陽があらゆるところを照らしたんだ...

「霧に包まれたロンドンの街、すっかり落ち込んだ私。あてもなくさまよう私…」と歌い始めて、やがて突然愛する人が登場して「心の霧も晴れ、霧に包まれたロンドンの街が太陽の光で輝きだす」というオチになる。どこにもありそうな歌詞なのだが、上品で優雅さが感じられる。

シナトラの十八番として有名だが、軽快なリズムに乗って、男の変わりゆく恋心を洒落た味わいで聴かせ、なかなかカッコイイ。ここではヴァースは省略、いきなりコーラス部から歌う。


男女いずれでもサマになる歌だ。オーケストラをバックに優雅にロマンチックに歌うのが通常のパターンだが、クリス・コナーは趣味のよいラルフ・シャロンのピアノ・トリオをバックに、ハスキー・ヴォイスでロンドンの霧の雰囲気を盛り上げていく。それがジャズ・ヴォーカルの王道かもしれない。


ちょっとユニークなところでは、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのデュエットは聞き逃せない。元々「君に出会えてよかった」という歌なので、二人の余裕たっぷりのヴォーカルは曲の雰囲気にピッタリ。オスカー・ピーターソンをはじめとした伴奏陣もバッチリだ。


インストではデイヴ・ブルーベック、キャノンボール・アダレイ、レッド・ガーランド、ウィントン・マルサリスなど多士済々のヴァージョンがあるが、中でも聴きものはチャーリー・ミンガスのものだろう。霧の都会の喧騒(警官の笛や車のクラクションなど)が重ねられていく。直立猿人が叫び声を上げて未来に向かって二足歩行を始めていくというコンセプト・アルバムに、この曲を入れたのは何か意味がありそうだ。果たして人類は本当に進歩したといえるのだろうか。


歌ほどのロマンもなくて霧笛鳴る  蚤助




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