
ジェシカ・タンディ(1909-1994)はロンドン生まれ。
アメリカに渡って、ブロードウェイ初演の『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作)でヒロインのブランチ役を演じて評判となり、以後エミー賞を何度も受賞する舞台女優として活躍しました。
その後ハリウッドにも進出するのです。
蚤助が最初に彼女のことを知ったのは、ヒッチコックの『鳥』(THE BIRDS‐1963)で、ロッド・テイラーの母親役としてでしたが、その後は全然見かけなくなってしまいました。
この映画を最後に彼女は映画界から離れて再び舞台へ戻っていたのです。
ところが80年代に入ると、再びスクリーンに戻り、『コクーン』(COCOON‐1985)や『ニューヨーク東8番街の奇跡』(BATTERIES NOT INCLUDED‐1987)などに、おばあちゃん役で堂々と姿を見せるようになりました。
俳優のヒューム・クローニンとのおしどり夫婦ぶりも有名でしたが、1982年の『ガープの世界』(THE WORLD ACCORDING TO GARP)では、これが映画デビュー作となったグレン・クローズ扮するフィールズの両親役でタンディ=クローニンが夫婦で出演していましたし、『コクーン』などでも共演していましたね。
そのタンディが、史上最高齢(80歳)でアカデミー主演女優賞を獲得したのが、『ドライビングMissデイジー』(DRIVING MISS DAISY‐1989)でした。
もともと劇作家アルフレッド・ウーリーの舞台劇をウーリー自身が映画用に脚色したものです。
物語の始まりでヒロインのデイジーはすでにおばあちゃんですが、それからおよそ25年間の出来事が語られていくドラマなので、タンディを始めとした出演者がだんだん老けていくメイキャップが見事で、作品の屋台骨を支えていると言っても過言ではありません。
アカデミー賞では、主演女優賞、脚色賞のほかにメイキャップ賞も授与されています。
この映画はこの年のアカデミー作品賞を受賞したのですが、監督したブルース・べレスフォードはオスカー候補にもならなかったというのが話題となりました。
アカデミー賞の歴史をひもとくと、作品賞受賞作の監督が監督賞にノミネートもされなかったというのは、『つばさ』(WINGS‐1927)のウイリアム・ウェルマンと、『グランド・ホテル』(GRAND HOTEL‐1932)のエドマンド・グールディング以来三度目の珍事でした。
1948年、永年勤めた教職を退いたユダヤ系未亡人のデイジー(J・タンディ)は、ある日、運転を誤って隣家の垣根に車を突っ込ませてしまいます。
母の身を案じる一人息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、母の車の運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)という初老の黒人を雇うことにします。
典型的なユダヤの婦人で元教師のデイジーにとっては、周囲から嫌味な成金と思われるのを危惧してホークを意固地になって拒絶します。
しかし、黙々と仕事に励み、正直な人柄に根負けして、悪態をつきながらもホークの運転する車に乗ることになります。
こうして始まったデイジーとホークの奇妙で不思議な関係は1台の車の中で、やがて何物にも代えがたい友情の絆を生みだしていくのです…
ユダヤ人と黒人、使用する側と雇われる側、学校教師をつとめたインテリの女性と字も読めない無学の男、お互いにまったく違う二人は長い歳月の間に少しずつ友情をはぐくんでいくのです。
特別ドラマティックな事件が起こるわけでもなく、声高なメッセージを主張するわけでもないことが、かえって強い印象を残します。

デイジーは次第に認知症があらわれて、施設で過ごしています。
感謝祭にデイジーを訪問したブーリーとホーク。
息子のブーリーを追いやって、デイジーはホークと二人きりで話をします。
デイジーはブーリーが今でも毎週運転手としての給料をホークに支払っていることを知るのです。
「元気なの?」
「何とかやっています」
「私もよ」
「それが人生というものです」
何気ないやりとりですが、人生の終わりも近い老人同士の会話なので、とても感動的です。
デイジーが感謝祭のケーキを食べようとしてフォークを落とすと、ホークがケーキを口に運んであげます。
これがラストシーンなのですが、実に淡々としていて、この作品にふさわしい潔い終わり方だと思いました。
タンディはもちろん、誠実な運転手を演じたフリーマン、珍しく真面目な役柄をやっているエイクロイドなど出演者がみな実にうまいのに感心しました。
タンディはこの映画の後も『フライド・グリーン・トマト』(FRIED GREEN TOMATO‐1991)に出演し、またもやアカデミー助演女優賞にノミネートされています。
タンディはその3年後に他界したのですが、最晩年に至って映画女優としての最高の栄誉に浴したわけで、高齢だったとはいえまことに残念なことでした。
なお、アルフレッド・ウーリーの舞台版の方も、5~6年ほど前に日本で上演され、奈良岡朋子と仲代達矢がそれぞれデイジーとホークを演じました。
実際の舞台は見ていませんが、いかにもという配役だなと思った記憶があります(笑)。
ということで、今回の1句…
アメリカに渡って、ブロードウェイ初演の『欲望という名の電車』(テネシー・ウィリアムズ作)でヒロインのブランチ役を演じて評判となり、以後エミー賞を何度も受賞する舞台女優として活躍しました。
その後ハリウッドにも進出するのです。
蚤助が最初に彼女のことを知ったのは、ヒッチコックの『鳥』(THE BIRDS‐1963)で、ロッド・テイラーの母親役としてでしたが、その後は全然見かけなくなってしまいました。
この映画を最後に彼女は映画界から離れて再び舞台へ戻っていたのです。
ところが80年代に入ると、再びスクリーンに戻り、『コクーン』(COCOON‐1985)や『ニューヨーク東8番街の奇跡』(BATTERIES NOT INCLUDED‐1987)などに、おばあちゃん役で堂々と姿を見せるようになりました。
俳優のヒューム・クローニンとのおしどり夫婦ぶりも有名でしたが、1982年の『ガープの世界』(THE WORLD ACCORDING TO GARP)では、これが映画デビュー作となったグレン・クローズ扮するフィールズの両親役でタンディ=クローニンが夫婦で出演していましたし、『コクーン』などでも共演していましたね。
そのタンディが、史上最高齢(80歳)でアカデミー主演女優賞を獲得したのが、『ドライビングMissデイジー』(DRIVING MISS DAISY‐1989)でした。
もともと劇作家アルフレッド・ウーリーの舞台劇をウーリー自身が映画用に脚色したものです。
物語の始まりでヒロインのデイジーはすでにおばあちゃんですが、それからおよそ25年間の出来事が語られていくドラマなので、タンディを始めとした出演者がだんだん老けていくメイキャップが見事で、作品の屋台骨を支えていると言っても過言ではありません。
アカデミー賞では、主演女優賞、脚色賞のほかにメイキャップ賞も授与されています。
この映画はこの年のアカデミー作品賞を受賞したのですが、監督したブルース・べレスフォードはオスカー候補にもならなかったというのが話題となりました。
アカデミー賞の歴史をひもとくと、作品賞受賞作の監督が監督賞にノミネートもされなかったというのは、『つばさ』(WINGS‐1927)のウイリアム・ウェルマンと、『グランド・ホテル』(GRAND HOTEL‐1932)のエドマンド・グールディング以来三度目の珍事でした。
♪♪♪♪♪♪
1948年、永年勤めた教職を退いたユダヤ系未亡人のデイジー(J・タンディ)は、ある日、運転を誤って隣家の垣根に車を突っ込ませてしまいます。
母の身を案じる一人息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、母の車の運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)という初老の黒人を雇うことにします。
典型的なユダヤの婦人で元教師のデイジーにとっては、周囲から嫌味な成金と思われるのを危惧してホークを意固地になって拒絶します。
しかし、黙々と仕事に励み、正直な人柄に根負けして、悪態をつきながらもホークの運転する車に乗ることになります。
こうして始まったデイジーとホークの奇妙で不思議な関係は1台の車の中で、やがて何物にも代えがたい友情の絆を生みだしていくのです…
♪♪♪♪♪♪
ユダヤ人と黒人、使用する側と雇われる側、学校教師をつとめたインテリの女性と字も読めない無学の男、お互いにまったく違う二人は長い歳月の間に少しずつ友情をはぐくんでいくのです。
特別ドラマティックな事件が起こるわけでもなく、声高なメッセージを主張するわけでもないことが、かえって強い印象を残します。

デイジーは次第に認知症があらわれて、施設で過ごしています。
感謝祭にデイジーを訪問したブーリーとホーク。
息子のブーリーを追いやって、デイジーはホークと二人きりで話をします。
デイジーはブーリーが今でも毎週運転手としての給料をホークに支払っていることを知るのです。
「元気なの?」
「何とかやっています」
「私もよ」
「それが人生というものです」
何気ないやりとりですが、人生の終わりも近い老人同士の会話なので、とても感動的です。
デイジーが感謝祭のケーキを食べようとしてフォークを落とすと、ホークがケーキを口に運んであげます。
これがラストシーンなのですが、実に淡々としていて、この作品にふさわしい潔い終わり方だと思いました。
タンディはもちろん、誠実な運転手を演じたフリーマン、珍しく真面目な役柄をやっているエイクロイドなど出演者がみな実にうまいのに感心しました。
タンディはこの映画の後も『フライド・グリーン・トマト』(FRIED GREEN TOMATO‐1991)に出演し、またもやアカデミー助演女優賞にノミネートされています。
タンディはその3年後に他界したのですが、最晩年に至って映画女優としての最高の栄誉に浴したわけで、高齢だったとはいえまことに残念なことでした。
なお、アルフレッド・ウーリーの舞台版の方も、5~6年ほど前に日本で上演され、奈良岡朋子と仲代達矢がそれぞれデイジーとホークを演じました。
実際の舞台は見ていませんが、いかにもという配役だなと思った記憶があります(笑)。
♪♪♪♪♪♪
ということで、今回の1句…
「老け方をぐさりと突いた同い年」(蚤助)