#535: あなたのために生きるなら

2013-06-04 | Weblog
“Easy Living”というスタンダード曲がある。
1937年のアメリカ映画「街は春風」(Easy Living)のために、レオ・ロビン(作詞)、ラルフ・レインジャー(作曲)が作った。
映画はジーン・アーサーとレイ・ミランドが共演したラヴ・コメディーだというが、私は未見である。
資産家が妻のために買った毛皮のコートをうっかり窓から落としてしまい、それを下町の貧しい女の子がたまたま拾い上げて…というオハナシだったようだが、監督のミッチェル・ライゼンという人は知らないし、推測されるようにこの映画は大コケしたのだそうだ。

しかし、同年、映画で使われたこの曲を、ビリー・ホリデイが吹き込んだことで、この曲の運命は大きく変わってしまったのである。
つまり、彼女が歌ったことにより、今日までスタンダードとして歌い継がれているといって過言ではないほどの名唱なのである。
当時のビリーは、公私ともにテナー奏者レスター・ヤングとの強い愛情と信頼関係にあって最も輝き、幸福な時期であった。
レスターのニックネーム「プレス」(大統領という意味のプレジデントを縮めたもの)はビリーが付けたものだし、ビリーの愛称「レディ・デイ」はレスターが付けたものである。
音楽的にも、人間的にも当時の二人は相思相愛だった。
この歌の伴奏は、名人クラスのメンバーを揃えたテディ・ウィルソン楽団がつとめているが、サックスはもちろんレスター・ヤングであった。


(Billie Holiday & Lester Young)


この曲は、原題を直訳した「気ままな暮らし」という邦題で知られているのだが、“easy”という言葉を辞書で引くと、「容易な、やさしい、簡単な、(人柄や生活が)安楽な、ゆったりとした、くつろいだ、寛大な、甘い、(条件や規則が)厳しくない、ゆるい、(調味料が)控えめな、のんきな、無頓着な、感化されやすい、(性的に)誘惑されやすい」などと載っていて、結構微妙にニュアンスに違いがある。
“I'm easy for you”などと言うと、「何でも君の言うとおりにする」という意味になったりするのだ。

現実はままならず、なかなかそうはいかないのだが、“easy living”というのは心安らぐ生活のことで、お互いに愛し愛され、信頼しあえる毎日が過ごせるということである。

Living for you is easy living
It's easy to live when you're in love
And I'm so in love
There is nothing in life but you
あなたのために生きるって 安らぐ生活
あなたに愛され あなたを愛する
人生にあなたしかいないみたいに
後悔なんかしない あなたとのこと
愛してくれさえすれば 私は何でもするつもり
愚かかもしれない 私って
みんなにも言われる 馬鹿だって
でもそれでもいいの…

「気ままな暮らし」という邦題とは正反対の、男にとことん惚れ抜いた純情で健気な女のひたむきな気持ちを描いたもので、歌の冒頭のフレーズから「あなたのために生きるなら」などという邦題もあり、歌の内容からいえば、こちらの方がずっとピッタリの題名である。
原題がわずか二語なので、無理に日本語にすることはなかったのでは、と思う。

♪ ♪

          

そのビリーの歌声を収録したのが、左の“BILLIE HOLIDAY & LESTER YOUNG COMPLETE RECORDINGS”という2枚組のアルバム。
ビリーとレスターが共演したレコーディングを全曲集めたもので、“Easy Living”の録音は1937年6月1日。
ビリーにとって、この歌は、レスターに対する気持ちを最もストレートに訴えたものだったに違いなく、声にも艶と張りがあって、素晴らしい感情表現で聴く者をホロリとさせる。

サラ・ヴォーン、カーメン・マクレエ、ダイナ・ワシントン、ジューン・クリスティなども素晴らしい録音を残しているが、1953年のペギー・リーの“BLACK COFFEE”(中央)も、ジャズ・シンガーとしてのペギー・リーの力量を最大限に発揮した名唱である。

ボズ・スキャッグスが2003年に発表した“BUT BEAUTIFUL”(右)は、ポップ畑、AOR歌手の手慰みのようなアルバムと思ったが、想像以上に真剣に歌いこまれていて驚かされる。
この一途な愛の歌をサックスとベースだけの伴奏で、見事なジャズ・ヴォーカルに仕立てている。

インストではやはり以下の3枚を挙げておきたい。

          

マイルス・デイヴィスのムードたっぷりなミュート・プレイも魅力的だが、この曲のトランペットではマイルスよりはブラウニーに軍配を挙げたい。
“CLIFFORD BROWN MEMORIAL ALBUM”(1953‐左)では、時に悲痛な叫びのように聞こえるハイノートを織り交ぜながら、見事な構成力と豊かな表現力で、まるで美しい歌声のようなプレイを披露している。

中央は、フィル・ウッズの“WARM WOODS”(1957)、チャーリー・パーカー直系の朗々たるアルトのワン・ホーンで会心のバラード・プレイを聴かせる。
私の好きな演奏だ。

アルトのワン・ホーンをもう一枚、この曲をアルバム・タイトルにしたポール・デスモンドの“EASY LIVING”(1963)で、白人知性派が抑制の効いたクールな演奏を聴かせる。
共演のジム・ホールのギターもいいなあ。

♪ ♪ ♪

この曲は、1995年の映画「マディソン郡の橋」(The Bridges Of Madison County)ではジョニー・ハートマンの歌唱がサウンドトラックで使われていた。
メリル・ストリープが良かったし、映画作家としてのクリント・イーストウッドの資質や音楽のセンスなどに改めて脱帽させられた。

なお、生涯の中で、短い期間だったとはいえ幸福に満ちた時間をともに過ごしたビリー・ホリデイとレスター・ヤングが、世を去ったのは奇しくも同年1959年のことであった。
二人はきっと手に手を取って天国の階段を上って行ったのであろう。

夫婦には見えない仲の良いふたり (蚤助)



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2 コメント

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変な邦題 (蝉坊)
2013-06-05 04:07:45
ネットで散見しましたが、グレン・キャンベル「恋はフェニックス」のような変な邦題は、もはや「文化」とでも呼べるような現状なのですね。メディアの表現の自由、営業の自由ということなのでしょうね。
「サブカルチャー変な邦題やりたい放題」ま楽しけりゃいいか!っていう世界?
良し悪しは「マス」の品性っていうのもなんだか責任転嫁のような気がしないでもないですがね。
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変な邦題 (蚤助)
2013-06-05 11:19:42
いやあ、蝉坊さん。
洋楽だけではなく、、洋画の邦題も昔から似たようなものでした。
拙ブログの「#385: 洋画の邦題あれこれ」という過去記事でもふれております。
最近の傾向として、子供に無理な当て字をして難読の名前をつけるという悪しき風潮もあって、少々苦々しく思っています。
7月に初孫が誕生する予定なのですが、
娘夫婦には変な名前だけはつけないでくれと密かに願っている次第です(笑)。
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