<彫刻家>大河原タカノリの作品集【現代カノン派】・彫刻・絵画美術館

新制作展彫刻家/元新構造展会員/日展彫刻家画家大河原隆則の作品・クンストインハイデルブルク賞クリスチャン日本彫刻家

【第85回新制作展 入選 雑記】

2022-09-23 | 日記

 

第85回新制作展 入選 雑記


新制作展に久しぶりに出品し、入選した。

新制作は、出品者の3分の1程度しか

入選できず、昔から厳選と言われている。

彫刻部に関していえば、作品の質、大きさ、

素材の豊富さ等からいって、他の公募展

と比較しても群を抜いている。

創立当時から、会員には、本郷新、舟越保武

佐藤忠良、柳原義達等スター作家がいた。

そして、会員ではないが、ウルトラマンを

デザインした成田亨などもいる。

作家意識、プロ意識の強い団体といえる。

現在の会員、出品者にも実力のある作家は

数多くいる。

「寄贈の話は、10月以降になります。」

「寄贈を受けるとは、一言もいってない、いいですか?」


好きで、何百万もの価値のある物をくれるとは

いってない。

育った郷土を愛してるが為だけに、言ったことだ。

もう少し、賢くなって言葉を選んだほうがいい。

そう、思うよ、ホント。

並々ならぬ努力の末に、入選してること

まして、私は、モデルを使わずに頭と感覚と理論で

作品を構築しているので、他の作家とは一線を画す。

それがどういうことだか、わかっているのかね。

そしてそこに、病理を感じる。作家と美術館の立場の

逆転が、そこにはある。

作家がいれば、美術館のひとつぐらい建つ。

箱物ありき、ではないのだ。

作家を大事にしない美術館は、滅びる。

美術館に行かなくても、ネットで見れる時代だから。

作家にとっても、美術館にとっても

過渡期にある。

次の時代は、どうなるのか。

先を見据えた行動を取りたいものである。

今回の作品は、型取りはとうに済んでいて

修正を加えて、着色を施すまでと成っていた所に

突発的な事故で怪我をして

杖を突きながら歩き、手伝いの下

完成させたものである。

作業は、一度に長時間は無理で30分ぐらいずつ

小刻みに採って造り上げた。

正直言って、大変だった。

完成した作品も入選レベルまで持って行けたので

良かったと思っている。

欲を言えば受賞できるともっと良かった。

流石に受賞は難しいのでこれだけは、

その時の出品者の面々にも拠るところが大きい。

20回入選を重ねて、やっと受賞という人もいる。

難易度が半端ない。

その半端ない賞も二回以上取って、やっと会員候補に

なるという難しさ。

皆、40,50,60過ぎてからやっと会員になる所だから、

至難の業なのだ。

実に25年ぶりの入選ということで家族は、驚いている。

知人、親戚にはこれから報告するが、

まず、2020年に亡くなった父に報告しよう。

母は、まだ存命なので兄貴の下に連絡を入れよう。

皆、何と言ってくれるか、楽しみなところだ。

道楽とは、言わせない。こんな苦労があるのだから。

金を積めば入るところなら、金持ちの道楽と

言われても良いが、私の通る道は、

金を積んでも通れない道だ。

絵を描けば良いよ、とは良く言われるが、

私は、彫刻が絵よりも好きなのだ。

彫刻が、出来なくなってどうしようもなくなったら

絵に転身しようとは、思っているが

次から次と沸いてくる彫刻的アイデアを

如何すればいいんだ。

アイデアが、1000あれば、形になるのは10ぐらい

だろう。

それだけ、湯水のように出てくる。

ヘンリー・ムーアが70台頃からか助手を世界中から

集めて、大きなサイズのブロンズ抽象作品を造ったが、

そんな感じで、自分も出来れば良いなあ、と考えている。

ヘンリー・ムーアの作品は、世界中にある。

アイデアは、あるんだよ。沢山ね。

自分一人じゃそれをすべて形にすることは、無理なのだ。

アイデアが無くて、人のをパクルやつがいるのが、信じられない。

そんなに出てこないものかね。

アイデアが、豊富に出てくる方法を教えてあげよか?

沢山、物、作品を見て、沢山、寝ることだよ。

するとその内、頭の中に、3Dのイメージが浮かんで来るよ。

人のを真似せず、影響を昇華することだよ。

私は、背丈ほどのデッサン帳がある。様々なポーズを取った

男性、女性のデッサンだ。抽象系や絵画もある。

それを若い勉強熱心な人に見せればどうなんだろう?

参考になると思うよ。

1986年に上野でヘンリー・ムーア展があった。

そのとき、私は、教師をしていたが修学旅行と

合い間って、ラッキーなことにその大規模展を

見ることが出来た。

アトリエのテーブルの上にあるような小さなものから

巨大なものまで沢山あった。

巨大なある作品を見ている内にめまいがしてきた。

これが、ヘンリー・ムーアのすごい所か!と感動した。

彫刻を見ていてめまいがした作家は他にもいて

それは、あの舟越保武の少年像だった。

舟越のその作品は、少しだけ、軸をずらして造られていた。

その自然でない立ち方が、鑑賞者にめまいを誘発したのだろう。

不思議に、佐藤忠良の作品にはめまいがしたことはない。

軸が、ずれていないのだ。

動き出す感じを受けた作家は、柳原義達の半抽象立像である。

作品が、動き出す感じをブーシェ感と言うが、モデリングの

巧みな技術によってそれが実現される。

舟越は、静謐感。忠良は、緊張感。柳原は、ブーシェ感。

こんなところだろう。

こういったスター作家は、亡くなった。

私が、知らないだけなのだろうと思う。

皆、大学で教鞭を取り、後進を育成している。

 

 

次の台風、発生前に

気功砲撃った。24日11:30

https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20220924-00316470

 


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