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なごや環境大学 開講

2005-03-21 15:50:43 | カンキョウ

なごや環境大学開講記念シンポジウムにいってきた。

C.W.ニコル氏を生で見たのは初めて。

基調講演の氏の話は、まず北極越冬隊時代の発掘調査や、
イヌイット(※注:エスキモーは差別語)の伝説に残っていた、8000年前のマンモスの狩りの話、
エチオピアの国立公園での内戦、ゲリラの悲惨さ、
南ウェールズの炭鉱産業で破壊された森が蘇ったことに勇気付けられ「アファンの森財団」を作ったことなど、
具体的な経歴・体験から、徐々に日本の話題へと移行していき、
日本は世界稀に見る自然界の多様性を持ったところであり、
数十年前はその信じられない美しさと、それを守りそれと共に生きる誇りを持った人たちがいたのに、
いつのまにか森は全てスギに植え替えられて不法投棄は後を絶たず、
それでもアクションを起こせば、地道に愛をもって森を守っていけば、
必ず自然は答えてくれる、いや、というよりも、
世界中で進行している環境破壊とそれを取り巻く複雑な諸問題群の中でも、
日本の状況は相当恵まれていると、彼は語ったのだった。
内戦もなければ、貧困もない。地道に根気よく木を植えていけば、
ふところの大きな日本の自然は驚異的な力でもって回復していくという
確信ではなく事実をわれわれの前に示した。
アジテーションと言ってもいいくらいの彼の呼びかけに、
kentasistaは話のクライマックスでついつい泣きそうになってしまった。

氏の話し振りは感情的、情緒的に過ぎるという批判もあるだろうけれども、
外国人であった彼がいつしか日本の森に魅せられ、日本国籍を取得し、
こうして日本人のわれわれの前で強いメッセージを放っていること、
そしてそれは英語なまりの愛すべきクセのある日本語を話すチャーミングな大男の
少したどたどしい話術とあいまって、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
なごやの市民を奮い立たせるには十分すぎる基調講演だった。


その後のパネルディスカッションでは、明確な物言いは避けながらも、
万博などの巨大ハコモノプロジェクトへの明らかな批判的な冷ややかな視線が、
徐々に会場との一体感を増していった。

「幸せ」の基準を考え直すことから話は始まった。
このテーマをとっかかりとして始めることはいささか聞き飽きた、
凡庸だと始めは思ったのだが、具体的な資料:
例えば、安井氏の、右肩上がりの曲線ではなくて、
右肩下がりの曲線であらわせる世の中の事象の紹介、
売り上げを下げても利益は上げられる、これに成功している会社の紹介、
(甲府のとある会社は、週3日は社員に社所有の畑での耕作を義務付け、
その畑でとれる野菜を社員は日々食べているらしい)
など様々な角度からの具体例から、「幸せ」を考えるというやり方は面白かった。

具体例は挙げだすとたくさんあるので、
またの機会に書くことにしよう。