おもいでを語る

昭和の思い出を語りたいと思います。

銀座線の思い出

2022-01-31 10:21:25 | 日記

今回は銀座線の思い出です。

銀座線が電気が消えるのは、昭和の世代は東京の人は皆知っていることです。

サイドレール(第三軌条という3本目のレール)から台車のところについている集電靴(シューと呼ばれているもの)から電気をとって走るもので、天井を低くできるメリットがあるのです。

ところが、古い電車になると蓄電装置がないので、集電が左右で変わる箇所やポイントなど一瞬離れる時に電気が消えるのです。

その間小さな補助電源がつくのですが、それがレトロで良い感じなのです。

銀座線のすごいところは、昭和の始めに走り出している頃から、原始的な列車停止装置、ATSがつけられており、赤信号の時は、線路脇の棒が立ち上がり、赤信号を無視すると、この棒が台車脇の非常コックにあたり、空気が抜け非常ブレーキがかかるのです。

この銀座線は近代化するまでは、丸ノ内線と共に、この装置がつけられていました。

銀座線や丸ノ内線の乗っていると、時々コロコロと音がするのが、サイドレールの左右の場所が変わった時です。








ツーマンカーの思い出

2022-01-23 20:19:39 | 日記
1960年代のバスは車掌が乗っていたバスからワンマンカーに移行する時代でした。

行き先を告げないで乗れるワンマンバスは気軽に乗れるのは魅力でした。

しかし、車掌が乗っていることで安心感がありました。

一人一人の個性的な地声のアナウンスは昭和でした。

コカ・コーラの思い出

2022-01-19 14:53:36 | 日記
私にとってコカ・コーラは小学校の2年生ぐらいの時かも知れません。

初コカ・コーラは母の友人から渡された飲み物だったのです。

それまで炭酸飲料はクリームソーダぐらい、または粉の春日井ソーダぐらいです。

強烈な炭酸と、薬臭い味。当時のこどもにとって旨いのか不味いのか、判断できない味でした。

その後生まれて初めての体験が‼️

強烈なゲップが口、鼻、目から飛び出し、目がうるうる。

当時はコーラと言えばビンしかなかった時代でした。

コカ・コーラのデザインは女性の体をイメージしているそうですね。

屋上遊園地の思い出

2022-01-16 21:55:58 | 日記
屋上遊園地。

昔はどこのデパートにも屋上遊園地がありました。こどもが多かった時代の遺産なのでしょう。

元々デパートは家族連れが多く、デパートは上層階に人気な売場を設け、他のフロアーもゆっくり見てもらおうという設定になっていました。

そのために最上階に食堂を、上層階におもちゃ売場や催事場、文具、書籍などの売場をもっていったそうです。

いかにデパートの上に人をあげるかということがデパートの経営効率をあげることにつながるそうです。

屋上には遊園地のほかにゲームセンターもありました。今思うと、全てがアナログのゲームだったですね。

デパートの屋上遊園は、さすがに普通の遊園地よりも規模は小さく、満足できるものではありませんですが、小学校の低学年ぐらいまでは楽しめる場所でした。



長靴の思い出2

2022-01-14 08:57:00 | 日記
長靴の思い出が人気あって第二回目です。




小学校5年生の頃、梅雨の雨上がりに買ったばかりのぶかぶかの長靴を素足履きで、1時間近くかけ電車に乗り継ぎ友達の家に行った時、友達と合流した時友達も長靴を履き、しかも素足でした。電車に乗り二人とも長靴をぶかぶかさせながら近くのデパートの屋上遊園に行き遊んだ思い出があります。

昔は舗装されていない道もあったので、ズックが汚れるから長靴を履くということが当たり前の時代でした。素足に長靴の子が多かったのは、どうせ汚れたり濡れたりするからということがあったようです。そのため、雨上がりの登校では、校庭がびしょびしょなので長靴通学が大半でした。

私は、普段は真夏でも靴下を履いて遊んでいましたが、長靴だけは素足という習慣があり、真冬雪が降っても長靴の時だけは素足で、それが気持ちがよかったです。良く「寒くはないの?」と言われることがありましたが、年中半ズボンだったので、寒さは感じませんでした。長靴が好きということではなく、昔のこどもは長靴が当たり前だった時代です。