おもいでを語る

昭和の思い出を語りたいと思います。

トロリーバスの思い出

2022-02-18 16:14:14 | 日記


トロリーバス。

戦後、大都市で急成長しました。

今では黒部の立山黒部貫光のみになってしまいました。

私が乗ったことがあるのは都営と横浜市営だけですが、静かなモーター音、屋根から飛び出た2本の集電ポール。

未来のバスという感じがしました。

実はトロリーバスというのは、決められたところしか走れない鉄道の仲間なのです。正式名称は無軌条電車、つまり線路のない電車ということです。これを運転するには大型二種とは違う無軌条電車の操作免許が必要なのです。

そのために、トロリーバスにはナンバープレートはついていません。

東京のバスはなんと
品川駅ー渋谷駅ー池袋駅
池袋駅ー王子駅ー三ノ輪ー浅草
池袋駅ー王子駅ー亀戸駅
上野公園ー浅草ー亀戸駅ー今井
4系統もあったのです。

子どもの頃なので、亀戸方面は乗ったことがありません。

排気ガスも出さないエコなトロリーバスは、結局邪魔にされ横浜を最後に都市部では全滅してしまいました。

しかし現在では国内では水素電池バスや、関西電力や海外では電気バスも走り出しています。





銀座線の思い出

2022-01-31 10:21:25 | 日記

今回は銀座線の思い出です。

銀座線が電気が消えるのは、昭和の世代は東京の人は皆知っていることです。

サイドレール(第三軌条という3本目のレール)から台車のところについている集電靴(シューと呼ばれているもの)から電気をとって走るもので、天井を低くできるメリットがあるのです。

ところが、古い電車になると蓄電装置がないので、集電が左右で変わる箇所やポイントなど一瞬離れる時に電気が消えるのです。

その間小さな補助電源がつくのですが、それがレトロで良い感じなのです。

銀座線のすごいところは、昭和の始めに走り出している頃から、原始的な列車停止装置、ATSがつけられており、赤信号の時は、線路脇の棒が立ち上がり、赤信号を無視すると、この棒が台車脇の非常コックにあたり、空気が抜け非常ブレーキがかかるのです。

この銀座線は近代化するまでは、丸ノ内線と共に、この装置がつけられていました。

銀座線や丸ノ内線の乗っていると、時々コロコロと音がするのが、サイドレールの左右の場所が変わった時です。








ツーマンカーの思い出

2022-01-23 20:19:39 | 日記
1960年代のバスは車掌が乗っていたバスからワンマンカーに移行する時代でした。

行き先を告げないで乗れるワンマンバスは気軽に乗れるのは魅力でした。

しかし、車掌が乗っていることで安心感がありました。

一人一人の個性的な地声のアナウンスは昭和でした。

コカ・コーラの思い出

2022-01-19 14:53:36 | 日記
私にとってコカ・コーラは小学校の2年生ぐらいの時かも知れません。

初コカ・コーラは母の友人から渡された飲み物だったのです。

それまで炭酸飲料はクリームソーダぐらい、または粉の春日井ソーダぐらいです。

強烈な炭酸と、薬臭い味。当時のこどもにとって旨いのか不味いのか、判断できない味でした。

その後生まれて初めての体験が‼️

強烈なゲップが口、鼻、目から飛び出し、目がうるうる。

当時はコーラと言えばビンしかなかった時代でした。

コカ・コーラのデザインは女性の体をイメージしているそうですね。

屋上遊園地の思い出

2022-01-16 21:55:58 | 日記
屋上遊園地。

昔はどこのデパートにも屋上遊園地がありました。こどもが多かった時代の遺産なのでしょう。

元々デパートは家族連れが多く、デパートは上層階に人気な売場を設け、他のフロアーもゆっくり見てもらおうという設定になっていました。

そのために最上階に食堂を、上層階におもちゃ売場や催事場、文具、書籍などの売場をもっていったそうです。

いかにデパートの上に人をあげるかということがデパートの経営効率をあげることにつながるそうです。

屋上には遊園地のほかにゲームセンターもありました。今思うと、全てがアナログのゲームだったですね。

デパートの屋上遊園は、さすがに普通の遊園地よりも規模は小さく、満足できるものではありませんですが、小学校の低学年ぐらいまでは楽しめる場所でした。