昨日のTV番組で「ワルを救う魔女」と題して、日暮里中の元女教師の話が取り上げられていた。昭和40年代、彼女の受け持つ教室は当時、不良の巣窟だった。しかし、彼女はその原因を調べ、問題になっているリーダーに魔法をかけることを思いつく。
どういうことかと言うと、人には必ず不良になる原因がある。それに対して彼女は捨て身で生徒と会話していく。それでも納得してもらえなかったら、何と自宅に住まわせ教師と言った立場から母といった立場で生徒と向き合った。
そうすることで、札付きの生徒が徐々に先生に心を開きだす。高校生になるなど思っていなかった札付きの生徒が、最後には高校に行きたいと先生に心を打ち明ける。そこから生徒と先生の個人授業が始まり、彼は見事、高校に入学することができる。
それを繰り返すうちに、彼女は「ワルを救う魔女」と呼ばれるようになった。彼女の下を巣立った生徒は、先生に教えてもらった心の教育を忘れない。本当に素晴らしいと思った。教育は教科書だけではない、心の教育が如何に大切かを思い知らされた番組だった。
彼女の教え子は約2000人。武田信玄同様、「木くばり教育」が分かっている先生に学べた生徒は幸だと思った。
時代は遡ること江戸時代。豊臣家の遠縁にあたる大分(豊後)の木下家、家老に生まれた帆足万里(ほあしばんり)という学者がいた。彼は豊後の三賢人の一人といわれた人物だ。万里は家老の家に生まれたので、政治や経済には明るかった。
しかし、彼は塾を開いて弟子達に教えていた。礼儀とか服装には無頓着で、家老になった後も袴などは曲がったままだった。彼の学者としての名声が高まると訪問者も増えたが、服装は無頓着なままだった。
そんな彼の弟子に小田と言う青年がいた。かなり早い時期から万里の門下生だったが物覚えが悪い。いくら教えても理解しない。万里は特別に小田だけを残して補修を行うが、教えたことを直ぐに忘れてしまう。
そんな折、尻尾の長い野良猫が万里の塾に住みついた。万里が「この猫は異常に尻尾が長すぎる」とつぶやいたら、脇にいた小田がカミソリを持ってきて猫の尻尾をスパッと切ってしまった。あまりの早業に周囲の人は驚いた。
万里がそこで「小田は素晴らしい才能を持っているなぁ、外科医にでもなったらどうだ」と冗談めかしにいった。その夜、小田が万里の傍にやってきて「先生、私は先生のお言葉に従う決心をしました、ご指導お願いします」と告げた。
万里は外科方面の知識が無かったので最初、戸惑った。しかし、自分が「外科医になれ」と言った以上、投げ出すわけにはいかないと外科方面の勉強に夢中になった。他の弟子達には、それが何のためなのか直ぐに分かった。
「僕達は頭の悪い小田のために犠牲になっている。先生も先生だ。」しかし、万里はそんな声には耳も貸さなかった。「一人の門人を育てられなくて、何で多くの門人を育てることができようか」と思っていた。
ある程度の外科関係の知識を教えた万里は、ある日、小田に言った「お前が勉強すべき書物はこれとこれだ、また、師として仰ぐ先生は、この先生とこの先生だ」小田は感激した。小田はその後見事な外科医になった。
万里の遅れた門人も絶対見逃さず、その人間に潜んでいる能力を発見しようとする態度は、たんに知識を教える師というだけでなく、人間の誠意という心を示した師だったように思う。万里にも信玄と同じ「木くばり教育」を見た。
現在の国も教育委員会も教師も、もっと子供の心に響く「木くばり教育」をしてもらいたいものだ。
どういうことかと言うと、人には必ず不良になる原因がある。それに対して彼女は捨て身で生徒と会話していく。それでも納得してもらえなかったら、何と自宅に住まわせ教師と言った立場から母といった立場で生徒と向き合った。
そうすることで、札付きの生徒が徐々に先生に心を開きだす。高校生になるなど思っていなかった札付きの生徒が、最後には高校に行きたいと先生に心を打ち明ける。そこから生徒と先生の個人授業が始まり、彼は見事、高校に入学することができる。
それを繰り返すうちに、彼女は「ワルを救う魔女」と呼ばれるようになった。彼女の下を巣立った生徒は、先生に教えてもらった心の教育を忘れない。本当に素晴らしいと思った。教育は教科書だけではない、心の教育が如何に大切かを思い知らされた番組だった。
彼女の教え子は約2000人。武田信玄同様、「木くばり教育」が分かっている先生に学べた生徒は幸だと思った。
時代は遡ること江戸時代。豊臣家の遠縁にあたる大分(豊後)の木下家、家老に生まれた帆足万里(ほあしばんり)という学者がいた。彼は豊後の三賢人の一人といわれた人物だ。万里は家老の家に生まれたので、政治や経済には明るかった。
しかし、彼は塾を開いて弟子達に教えていた。礼儀とか服装には無頓着で、家老になった後も袴などは曲がったままだった。彼の学者としての名声が高まると訪問者も増えたが、服装は無頓着なままだった。
そんな彼の弟子に小田と言う青年がいた。かなり早い時期から万里の門下生だったが物覚えが悪い。いくら教えても理解しない。万里は特別に小田だけを残して補修を行うが、教えたことを直ぐに忘れてしまう。
そんな折、尻尾の長い野良猫が万里の塾に住みついた。万里が「この猫は異常に尻尾が長すぎる」とつぶやいたら、脇にいた小田がカミソリを持ってきて猫の尻尾をスパッと切ってしまった。あまりの早業に周囲の人は驚いた。
万里がそこで「小田は素晴らしい才能を持っているなぁ、外科医にでもなったらどうだ」と冗談めかしにいった。その夜、小田が万里の傍にやってきて「先生、私は先生のお言葉に従う決心をしました、ご指導お願いします」と告げた。
万里は外科方面の知識が無かったので最初、戸惑った。しかし、自分が「外科医になれ」と言った以上、投げ出すわけにはいかないと外科方面の勉強に夢中になった。他の弟子達には、それが何のためなのか直ぐに分かった。
「僕達は頭の悪い小田のために犠牲になっている。先生も先生だ。」しかし、万里はそんな声には耳も貸さなかった。「一人の門人を育てられなくて、何で多くの門人を育てることができようか」と思っていた。
ある程度の外科関係の知識を教えた万里は、ある日、小田に言った「お前が勉強すべき書物はこれとこれだ、また、師として仰ぐ先生は、この先生とこの先生だ」小田は感激した。小田はその後見事な外科医になった。
万里の遅れた門人も絶対見逃さず、その人間に潜んでいる能力を発見しようとする態度は、たんに知識を教える師というだけでなく、人間の誠意という心を示した師だったように思う。万里にも信玄と同じ「木くばり教育」を見た。
現在の国も教育委員会も教師も、もっと子供の心に響く「木くばり教育」をしてもらいたいものだ。