健太郎の物見遊山

不動産業界に25年。現在、全国行脚中なので、全国の面白い話題や不動産関係の話、健太郎の個人的なブログを提供していきます。

人類みな兄弟かも!?

2008-05-19 08:29:44 | Weblog
 人類の先祖は黒人だったという学説をご存知だろうか。もともと人類の祖先はアフリカの類人猿から始まり、そこから世界各地へと広がったという話から考えると、そう考えるのは自然なことなのかもしれない。その過程で突然変異などを繰り返して白人、黄色人種が現れたといわれている。

 でも、何で最初が黒人なの?と私は思った。調べてみると、アフリカという地域が起因していることが分かった。アフリカは赤道直下で紫外線が強く、メラニン色素(ユーメラニンorフェアメラニン)がないと紫外線を直接細胞に受けることになり生命の維持が厳しい地域だったということだ。

 人類はメラニン色素を手に入れたことで、紫外線の強いアフリカでも生きて行けるようになった。では、手に入れる前はどうだったかというと、実は「白」かったのではないかという説がある。類人猿はもともと毛が生えていたので、実は皮膚は白かったと考えられている。

 それを裏付ける話として、現在のアフリカにいるチンパンジーの皮膚が白いことがあげられる。私も進化の過程で黒い肌になったと考えるのが自然だと思う。それを考えると「人間は最初から黒人ではなくて白人?だったのでは」と思ってしまう。(あくまでも仮説だが・・・)

 話はそれるが、先日、オーストラリアの白人に皮膚癌が多いといったテレビ番組があった。それは、白人にメラニン色素が足りないのが原因だと伝えていた。もともとオーストラリアには白人などいなく、イギリスから移住してきた歴史がある。

 オーストラリアもアフリカ同様、赤道直下の国なので当然、紫外線が強い。そこにメラニン色素の少ない白人が住んだらどうなるかは、自然が証明してくれているように思う。所詮、人は自然の力には及ばない。その自然の摂理を壊して、人の行く末に将来はあるのだろうか。

 話はそれたが、アフリカから広がっていったと考えられる人間が、黒人から白人、黄色人種に変っていったと言うことは、人類みな兄弟説は十分考えられる。

外国人が感激したニッポンの魅力

2008-02-24 15:54:34 | Weblog
 「COOL JAPAN」をご存知だろうか。これは、NHKの番組(BS hi 水曜日 夜 7:00~7:44 BS1日曜日 午前 0:10~0:54(土曜日 深夜))で、私たちが当り前と思ってきた日本の文化が、外国の人には格好いいモノとして受け入れられ、流行しているものを紹介する番組だ。
 
 来日間もない外国人の感性をフルに活かし、クールな日本の文化を発掘。例えば、ファッションやアニメ、建築、料理など、私たちが当たり前と思ってきた日本の様々な文化を取材してその魅力と秘密を探る番組構成になっている。

 私もたまに見るが、毎回、なるほどと思ってしまう。以下、今までに取り上げられたCOOLな話題だ。

●日本がクールだと注目されているワケ1「ハイブリッド」                                                スーパー銭湯・ハイテクトイレ・ブタの扇風機・オムライス・プリクラ  
●日本がクールだと注目されているワケ2「チームワーク」                                                ナイター応援・企業スポーツ・火消し半纏・制服・職場体操・パーテーションなしのフロア・出張のおみやげ・居酒屋
●日本がクールだと注目されているワケ3「おもてなし」                                                演出いっぱいの披露宴・電車の発車音・デパート・24時間OPENの郵便局・マンガ喫茶・旅館
●日本がクールだと注目されているワケ4「伝統」
日本庭園・神式結婚式・和室・盆踊り・花嫁修業・だるま
●日本がクールだと注目されているワケ5「かわいい」
女子高生の制服・キャラクター・お弁当・顔文字絵文字・ニッカボッカ

 この番組を見ていると「日本もまだまだ捨てたものじゃない」と実感する。日本の最新技術や伝統文化、それに応用力など感心してしまう。日本では当り前でも、外国人から見るとまた違った日本が見えてくるのが面白い。
                         
 皆さんも是非、外国人の目から見た日本を実感してみては。

あの「イチロー」と同じ病気!?

2008-02-18 19:26:27 | Weblog
 先週から書き続けている自叙伝が10,000文字を遂に突破した。土・日があったので、集中できたことが良かった。こんなに原稿を書いたのは人生初の出来事だ。卒論のときもかなり長く書いたが、参考書を片手に書いたので、今回の比ではない。

 面白いことに過去のことを書いていると、すでに忘れてしまっている事が次々に思い浮かんでくる。何とも不思議な現象だ。やはり、頭は使ってないと老いて行くのかもしれない。30,000文字が目標なので頑張ろう。後、何日かかるのだろう・・

 話は変わるが昨日、NHKで「イチロー」の独占インタビュー番組の再放送をやっていた。取材の中で、彼が今まではプレッシャーがかかると気分が悪くなったり、プレーに影響がでる話をしていた。

 それを見て「あのイチローでもプレッシャーには勝てないのか」と思った。実は私もイチローとは次元が違うが、慣れないセミナーの講師や人前で話すことにプレッシャーを感じていた。セミナーが近づくとイチローみたいに健康障害がでる。

 しかし、イチローが「これからはプレッシャーに背を向けずに、プレッシャーを受け入れて楽しみたい」と言った言葉に「なるほど」と感心してしまった。恥ずかしい話だが、私は「いや」だとか「恥ずかしい」の低レベルの問題なので比較にはならないが・・・

 いい話を聞いたので、私は今後、全てのプレッシャーを楽しむことにした。

メキシコ料理(ラ・ボラーチャ)

2008-02-16 09:30:57 | Weblog
 昨日は役員会が終わって久しぶりに皆で食事に行った。メンバーが会社の近くに美味しいメキシコ料理の店(ラ・ボラーチャ)があるので行きませんか、と言うことで行くことが決まった。そのラ・ボラーチャは中央区高砂にある。

 シルバー高砂というビルの1Fの一番奥に店はあったのだが、その前に何故か入口のドアが二つあった。一つ目かなと言うことで開けてみたら「残念」えっ、二つ目を開けたら「ハズレ」とベニア板に紙が貼り付けてあった。

 皆で「何っ、これ」と言って、三番目のドアを開けたらそこが店の入口だった。なかなか面白い趣向を凝らした店だと思った。店のオーナーはメキシコで2年間料理の修業をしてきた愛想のいい「す~」さん。

 料理はタコスからナリネーラなど口が絡まりそうな名前の料理が沢山あって、殆ど名前を覚えていない。ただ、最後に出てきた鳥の丸焼きは最高に美味かった。それと、メキシコといえばテキーラ。この店には80種類のテキーラがあるらしく壁面にずらりと並べてあった。

 私はテキーラを飲んだ記憶がなかったので、色んな種類のテキーラを注文してみた。味は日本の焼酎に近いが、それよりちょっと上品な味がした。どれも35度近くあるので意外と酔いは早い。ストレスが溜まっている人にはいいのかも(笑)

 最後にサブマリンという名前のテキーラを注文してみた。これはビールを入れたグラスにテキーラの入った小さな器をそのまま入れる飲み物だ。多分、器が沈んでいる姿とそれを飲んで酔いつぶれる様を表現した名前なのかもしれない。

 サブマリンは確かに効いた。お陰さまで、朝起きたら凄いアイデアが浮かんだ。

http://www.laborracha.net/



ふくちゃんラーメン博多店

2008-02-09 23:38:51 | Weblog
 ふくちゃんラーメン博多店に今日、行ってきた。いつかはと思っていたが、忙しくてその機会が中々なかった。福岡市早良区田隈が本店だが、土曜・日曜日は外で並ばないとまず食べられない。博多店もその覚悟をして行ったら、意外と直ぐに座れた。

 このふくちゃんラーメンは元々、早良区藤崎に店舗があって、そこから田隈に移転している。先代の親父は職人気質の人間でいつも黙々と仕事をしていた。湯で釜に「カーン、カーン」と湯きりの勢いある音を立てていた姿が印象的だった。

 現在は本店を息子さんが跡を継いで、博多店は娘夫婦がやっていると聞いている。店内は本店より広くゆったりした感じがする。メニューをみて、本店と違うことに直ぐに気付いた。メニューにランチや焼ラーメン、ラーチャンなどがあった。

 昼時だったので私は餃子定食をお願いした。ラーメンは本店とそんなに違いは無かったが、餃子は本店が旨いと素直に思った。一緒に行った社員が「焼ラーメン」が珍しいと替え玉をお願いして食べていたが、後で聞いたら「沈黙」していた。

 壁にかけてあった店の紹介記事に博多店では「ラーチャンや焼ラーメン」のオリジナル商品をだしていますと出ていたが、私は親父が残してくれたラーメン一本で十分だと思った。ランチや新商品を先代が知ったら悲しむに違いない。

 博多店が長く続くことを願いたい。 
http://www.fukuchan-ramen.com/index.htm

ネットワークビジネス、その2

2008-02-07 09:30:24 | Weblog
 「ネットワークビジネス」最近縁がなかったが、突然、幼なじみから連絡があって話を聞く羽目になった。どのネットワークも私にすれば同じ様にしか聞こえないが、当の本人達からすると何かが違うらしい。

 真剣に話す姿を見ていると、このビジネス(情熱)を何で他で生かせないかといつも思ってしまう。彼の話によると、今回のネットワークは2回目で、前回のネットワークはあまり良くなかった(儲からなかった)ので辞めたそうだ。

 でも、彼の話を聞いて何人かの人が紹介なり、商品なりを購入してネットワークへ献上したことになる。彼が辞めたのはいいが、紹介された人や商品を購入した人はどうなるのだろうか。また、新しいネットワークへ入って同じことが起きないとも限らない。

 紹介するにも後々のことまで考えないと「紹介した人」の信用に関わる話だ。以前、私にネットワークを紹介した業界関係の人は、最近、まったく連絡がない。思うに、このネットワークビジネスには友人・知人は招かない方がいいと思う。

 如何ほどの収入になるかは分からないが、もっと大きな何かを失いかねない要素を含んでいる。仕事なら仕事、友人なら友人として会いたいものだ。

祖母の魂(たましい)

2008-02-06 16:04:15 | Weblog
 知人に「健太郎さんは色々やりますねー」とよく言われる。自分では普通と思っていたが、そう言われればそうかもしれない。B型の「習性」なのか「性」なのか、よく自分でも分からない。ただ、私が中学生の頃、祖母に「人と同じことはするな」と言われたことが原因かもしれない。

 実は、祖母の言葉には深い意味があった。祖母には生まれつき顔に痣(アザ)があって、幼少の頃、相当なイジメにあったそうだ。そこで、祖母はそんな人達を見返すために、敢えて人のやらないことにチャレンジしたそうだ。

 例えば、みんな算数が苦手だと分かると算数で1番に、運動会でも1番。周りが髪を伸ばせば短くするなどなど、顔のハンディを人のやらないことで克服したそうだ。それが祖母の人間形成に大きく影響している。

 一見、卑屈にも見える行為だが当時はそれしか方法がなかったに違いない。実は私も祖母の教えを実行して、何度も救われたことがある。私の現在のモットーは「発想の飛躍」だ、誰でも「発想」まではするが、それを「飛躍」させる人は少ない。

おっと、話が飛躍したので元に戻る。祖母は学校をTOPの成績で卒業して「助産婦」の免許を県で1番に取った。その後、親戚筋の人とお見合いで結婚したが添りが合わずに離婚。家をでて2人の子供を抱えながら助産婦の仕事で生計を立てた。そんなどん底のときに巡り会ったのが私の祖父だ。

 祖母が生前「大恋愛の末、結婚した」と嬉しそうに語っていたのを憶えている。当時のことを考えると2人の子持ちの女と初婚の男性、反対されて当然の時代だ。祖父は地元の地主の次男坊だったが、財産を一切もらえなかったことが当時を物語っている。

 二人は周りの冷たい視線を受けながら必死に頑張った。だが、4人の子供にも恵まれ、これからと言うときに祖父は39歳の若さで食中毒で亡くなっている。祖母の悲しみは計り知れない。しかし、持ち前の負けん気で、祖母は必死に頑張った。その血が私の中にも流れている。

 祖母は96歳で亡くなったが、彼女の功績は人口20,000人の町で助産婦として約4000人の子供の出産に立ち会った。その功績を認められ死後、国から黄綬褒章を授かっている。私は祖母にはなれないが、近づく努力はしてみたい。

むし湯、初体験(鉄輪温泉)

2007-08-06 18:22:26 | Weblog
 一度は入ってみたかった「むし湯」を初めて体験した。10分程度の時間なのに、むし風呂を出るときは少し眩暈がした。私達が行った「鉄輪温泉」は別府から由布院方面に向かう途中にある。町全体が温泉めぐりできる。

 町営の無料駐車場に車を止めて私達が目指した「鉄輪むし湯」は新しく石畳を敷いた「みゆき坂」を少し登った所にあった。敷地に入って直ぐ右側に、足湯ならぬ「あし蒸」がある。4席ほどの椅子があって、そこに両足用に箱が置いてある。

 利用者はその箱の中に足を入れて「あし蒸」することができる。(ありがたいことに無料)
むし湯は古民家風の作りだったが、建物の中は普通の温泉の受付だった。入浴料500円、タオル200円、レンタル浴衣210円(持参でも可)を支払って脱衣所へ。

 脱衣所で健康状態をチェックされ問題なかったら、浴槽で体を洗うように指示される。それが終わったら浴衣に着替えていよいよむし風呂へ、部屋に入る前に10分間のタイマーをセットしたものを手渡された。

 むし風呂の中は蒸気と床一面に敷いてある薬草の臭いで独特の匂いがする。枕元に石が置いてあってそれを枕に寝ることにした。5分もたたないうちに物凄い汗がでてきた。(普通のサウナであれば3回ほど入らないとこんなに汗はでない)

 足の裏も熱くなったのでタイマーを見たらまだ7分、その間汗が止まらない。日頃我慢できる私がギブアップしそうになった。その後はタイマーを見ながら時間が早くたつことをひたすら願った。ピー、私の願いがようやく届いた。

 「ふっー」その一言、部屋をでたら浴衣は汗でビッショリだった。浴衣に付いた薬草を払い落として浴槽へ、暫くは体を洗う気力もなく冷水をひたすら体に当てた。不思議なものでむし湯は何分立っても汗が引くことがない。

 お陰さまで前日の二日酔いが一気に醒めた。


どう変わるシャッター通り

2007-02-14 09:27:18 | Weblog
 先週、山口県下関市に行った。商店街を車で走ったら、殆どの店舗のシャッターが下りていたのに驚いた。話は聞いてはいたもののすごい状況だ。下関の不動産会社に話を聞いたら、店舗だけじゃなく事務所も同じ状況だと言うことを教えてくれた。

 世間は少し景気が良くなったと言うが、ここにはあてはまらないことを実感した。福岡でも天神・大名は活気があるけれど、それ以外は、虫食い状態にシャッターが下りている。これも2000年に行われた※大店立地法が影響しているのだろうか。

 規制緩和で行われた大店立地法だが、中小店舗にとっては正に死の宣告だったのかもしれない。しかし、現在営業している商店主にとっては、そうとばかりも言っていられない。何とかしなければ明日が無いのだ。

 調べてみると、全国に同様の悩みを持った商店街が山ほどある。参考になるか分からないが、全国で生き残りをかけ頑張っている商店街の活動を調べてみた。商店街が活性化するためには下記の3つの項目が必要だと言われている。(中小機構調査参照)

1.地域コミュニティの再生
2.新たな担い手の活用と育成
3.中心市街地の商業集積の新たな役割

1.地域コミュニティの再生
○東京都八王子市のNPO「多摩フュージョン長池」
 フュージョン長池は、かつてニュータウンと呼ばれた活気にあふれた街だが、高齢化・失業率増加・環境問題などで衰退していくのを見かねた住民有志たちが数名で始めた市民運動だ。
 今日では近隣の団地と相談して、約600世帯の地域に「見附が丘連絡協議会」が結成され、「自由に自立した人々が創る街」を推進している。また、住民指導で高速インターネットを誘致し話題になるなど、NPOとして活動のフィールドを広げている。
○藤沢エコネット
 住民が主体となって、「人間が住むにふさわしい環境都市・藤沢の実現」に向けて、平成6年に設立されて以来、市民や近郊農家などに対して、環境問題に関する情報発信やエコロジカルな暮らし方の普及・啓蒙活動を行っている。
○長野県小川庄
 人口4,000人にも満たない過疎の村が、昭和61年に商品化した“おやき”は、今や全国的に知られる地域ブランドとなり、年商8億を稼ぎ出す村の屋台骨事業へと成長している。一品づくりは、地域経済の振興と同時に、村の高齢者たちの生きがいや働きがいをも創出している。
○長野県飯田市の中心市街地活性化
 「もはや商業だけの活性化策では、街に人は戻ってこない」という危機意識から、集合住宅を核にした再開発ビルの建設で、都心に人を呼び戻すことに成功。

2.新たな担い手の活用と育成
○若手商店主の自信づくり 
 岡崎市が中心となって、中心市街地にまちづくり情報の発信拠点である「街情報ステーション」を開設し、市民にまちづくり意識を共有してもらうと同時に、ここを拠点に商店主らを対象にした商店街セミナーやまちづくり勉強会を実施。
 チャレンジショップで育った商店主が、中心市街地の空き店舗に入居して商売を始めるなど、取り組みの成果は少しずつ表れ始めている。
○外部から新しい血の導入
 福山商工会議所では、「外からでもいいから、次の時代を担っていける若手商店主らを入居させることが大切」と割り切り、全国に先駆けて平成7年から、家賃補助による空き店舗対策を手がけてきた。
 背景にはやはり、「このままでは商店街に虫食いのように空き店舗が増えていく」という危機感があった。同商工会議所ではすでに50近いテナントを空き店舗に入居させ、このうち約70%が現在でも営業を続けているという成果を引き出している。
○シニア層や早期リタイア組の人材活用
 滋賀県長浜市の地元のシニアたち約40人で経営している「プラチナプラザ」は、家庭菜園を利用した「野菜工房」、手作り料理を販売する「おかず工房」、リサイクルショップの「リサイクル工房」、交流の場を提供する喫茶「井戸端道場」の4店舗を、商店街の空き店舗にオープンさせ、地域住民にも観光客にも喜ばれ、新たな人波をつくることに成功している。

3.中心市街地の商業集積の新たな役割
○地域に役立ち、高齢者にやさしい商業集積
 栃木県足利市の異なる商店街の商店主らが大同団結して取り組んでいる「わたらせ御用聞き」は、買い物に出られないお年寄りのための、御用聞き宅配サービス事業だ。
 また、京都の西新道錦会商店街では、宅配サービスのほか高齢者向けのサービスとして、空き店舗を活用した給食サービススペースを開設し、週1回の給食事業を実施している。
 広島県三原市では中心市街地にある商店街の空き店舗に、三原商工会議所が中心となって福祉ショップを開設し、市内の障害者支援団体が中心となって、店舗運営を行っている。
 普段、郊外の授産施設でしか働く機会のない障害者らが交代で、店番や宅配サービスなどを行うことで、中心市街地や商店街を「ノーマライゼーション社会」の実践の場としていこうと考えている。
○環境問題に取り組む、地域のリサイクル拠点として
 東京都新宿区の早稲田商店街から始まった、エコステーションは、空き缶やペットボトルの回収機を設置し、リサイクル運動を普及させると同時に、サービスチケットの発行などで、商店街振興にもつなげていく、一石二鳥の手法が地域住民にもうけて、全国に10を越えるエコステーションを設置した商店街ネットワークが広がっている。
 行政も手が回らないリサイクル事業を商店街が運営していくことで、地域のリサイクル拠点としての役割を商店街が担っている。
○地域コミュニティへの身近な暮らしの情報発信拠点
 東京の渋谷周辺の幡ヶ谷・西原・笹塚のまちにある10の商店街(約700店舗)、平成11年にインターネット上に開設した「ささはたドッとこむ」は、地域ポータルサイトを目指している点で新しい試みといえる。通常、商業集積が手がけるホームページというと、ネットショッピングなどのeコマースに走りがちなのだが、同サイトでは、商店街情報だけではなく、地域の公共情報やローカルニュースなども盛り込み、都市生活者との新しいコミュニケーションを確立しようとしている。

 上記のように色んな形で生き残りに向けて取り組んでいる商店街があることが分かった。私が携わっている不動産業界は、このような地域活性には無くてはならない存在なのだが、私が知る限りその役割を果たしている人は数少ない。

商店街の活性化のために私達が何かをしなければいけないことを思い知らされた。

※大店立地法は、大型店舗への規制を大幅緩和した法律です。

坂は坂でも「まさか」のさか

2007-02-02 19:33:36 | Weblog
 いつもの勉強会でバッテン荒川のことが話題になった。メンバーの一人が、そのバッテン荒川が生前、人生にはいろんな坂があって「上る坂」「下る坂」それと「まさか」のさかがあることを私達に話して聞かせてくれた。それを聞いて全員「なるほど」と頷いた。

 確かに人生、下り坂もあれば上り坂もある。しかし、「まさか」のさかは必ずある。「まさか」がない人生を送れればいいんだろうが、商売などやっていると、その「まさか」に遭遇する確立が一般の人に比べて高くなる。

 私の「まさか」はテナント仲介を始めた最初の契約のときにあった。新築テナントビルの契約で、何も知らなかった私は色んな人の話を聞きながら慎重に契約業務を行ったつもりだった。契約も無事終わり、さて引渡しと言ったときに、「まさか」が起こった。

 オーナーがビルの最終検査で、テナント入口部分の階段が気に食わないので変更すると言ってきたのだ。契約者に変更される話しと、それによる入居日の変更を告げたとたん騒動が始まった。私の契約した店舗は海外のブランド商品を集めたブティックだった。

 契約者に「入居日が遅れると輸入した季節物が売れなくなってしまう。その損害をだれが償うのか」と詰め寄られた。オーナーにその話をしたところ自分の所は関係ないと冷たく突き放され、それどころか、そんな入居者とは契約しないといわれた。

 話はもつれにもつれ、最終的には弁護士を間に入れての話し合いになった。あれだけ慎重に行ったのに、「まさか」が私の思いもよらぬところで発生してしまった。オーナーのことは別として、私に季節物の取り扱いの知識があれば、この問題も防げたのかも知れない。

 契約は白紙となり契約金を返すことで和解となったが、実に後味の悪い結末だった。皆さんも「まさか」に会わないようくれぐれも気をつけましょう。