健太郎の物見遊山

不動産業界に25年。現在、全国行脚中なので、全国の面白い話題や不動産関係の話、健太郎の個人的なブログを提供していきます。

外国人が感激したニッポンの魅力

2008-02-24 15:54:34 | Weblog
 「COOL JAPAN」をご存知だろうか。これは、NHKの番組(BS hi 水曜日 夜 7:00~7:44 BS1日曜日 午前 0:10~0:54(土曜日 深夜))で、私たちが当り前と思ってきた日本の文化が、外国の人には格好いいモノとして受け入れられ、流行しているものを紹介する番組だ。
 
 来日間もない外国人の感性をフルに活かし、クールな日本の文化を発掘。例えば、ファッションやアニメ、建築、料理など、私たちが当たり前と思ってきた日本の様々な文化を取材してその魅力と秘密を探る番組構成になっている。

 私もたまに見るが、毎回、なるほどと思ってしまう。以下、今までに取り上げられたCOOLな話題だ。

●日本がクールだと注目されているワケ1「ハイブリッド」                                                スーパー銭湯・ハイテクトイレ・ブタの扇風機・オムライス・プリクラ  
●日本がクールだと注目されているワケ2「チームワーク」                                                ナイター応援・企業スポーツ・火消し半纏・制服・職場体操・パーテーションなしのフロア・出張のおみやげ・居酒屋
●日本がクールだと注目されているワケ3「おもてなし」                                                演出いっぱいの披露宴・電車の発車音・デパート・24時間OPENの郵便局・マンガ喫茶・旅館
●日本がクールだと注目されているワケ4「伝統」
日本庭園・神式結婚式・和室・盆踊り・花嫁修業・だるま
●日本がクールだと注目されているワケ5「かわいい」
女子高生の制服・キャラクター・お弁当・顔文字絵文字・ニッカボッカ

 この番組を見ていると「日本もまだまだ捨てたものじゃない」と実感する。日本の最新技術や伝統文化、それに応用力など感心してしまう。日本では当り前でも、外国人から見るとまた違った日本が見えてくるのが面白い。
                         
 皆さんも是非、外国人の目から見た日本を実感してみては。

あの「イチロー」と同じ病気!?

2008-02-18 19:26:27 | Weblog
 先週から書き続けている自叙伝が10,000文字を遂に突破した。土・日があったので、集中できたことが良かった。こんなに原稿を書いたのは人生初の出来事だ。卒論のときもかなり長く書いたが、参考書を片手に書いたので、今回の比ではない。

 面白いことに過去のことを書いていると、すでに忘れてしまっている事が次々に思い浮かんでくる。何とも不思議な現象だ。やはり、頭は使ってないと老いて行くのかもしれない。30,000文字が目標なので頑張ろう。後、何日かかるのだろう・・

 話は変わるが昨日、NHKで「イチロー」の独占インタビュー番組の再放送をやっていた。取材の中で、彼が今まではプレッシャーがかかると気分が悪くなったり、プレーに影響がでる話をしていた。

 それを見て「あのイチローでもプレッシャーには勝てないのか」と思った。実は私もイチローとは次元が違うが、慣れないセミナーの講師や人前で話すことにプレッシャーを感じていた。セミナーが近づくとイチローみたいに健康障害がでる。

 しかし、イチローが「これからはプレッシャーに背を向けずに、プレッシャーを受け入れて楽しみたい」と言った言葉に「なるほど」と感心してしまった。恥ずかしい話だが、私は「いや」だとか「恥ずかしい」の低レベルの問題なので比較にはならないが・・・

 いい話を聞いたので、私は今後、全てのプレッシャーを楽しむことにした。

メキシコ料理(ラ・ボラーチャ)

2008-02-16 09:30:57 | Weblog
 昨日は役員会が終わって久しぶりに皆で食事に行った。メンバーが会社の近くに美味しいメキシコ料理の店(ラ・ボラーチャ)があるので行きませんか、と言うことで行くことが決まった。そのラ・ボラーチャは中央区高砂にある。

 シルバー高砂というビルの1Fの一番奥に店はあったのだが、その前に何故か入口のドアが二つあった。一つ目かなと言うことで開けてみたら「残念」えっ、二つ目を開けたら「ハズレ」とベニア板に紙が貼り付けてあった。

 皆で「何っ、これ」と言って、三番目のドアを開けたらそこが店の入口だった。なかなか面白い趣向を凝らした店だと思った。店のオーナーはメキシコで2年間料理の修業をしてきた愛想のいい「す~」さん。

 料理はタコスからナリネーラなど口が絡まりそうな名前の料理が沢山あって、殆ど名前を覚えていない。ただ、最後に出てきた鳥の丸焼きは最高に美味かった。それと、メキシコといえばテキーラ。この店には80種類のテキーラがあるらしく壁面にずらりと並べてあった。

 私はテキーラを飲んだ記憶がなかったので、色んな種類のテキーラを注文してみた。味は日本の焼酎に近いが、それよりちょっと上品な味がした。どれも35度近くあるので意外と酔いは早い。ストレスが溜まっている人にはいいのかも(笑)

 最後にサブマリンという名前のテキーラを注文してみた。これはビールを入れたグラスにテキーラの入った小さな器をそのまま入れる飲み物だ。多分、器が沈んでいる姿とそれを飲んで酔いつぶれる様を表現した名前なのかもしれない。

 サブマリンは確かに効いた。お陰さまで、朝起きたら凄いアイデアが浮かんだ。

http://www.laborracha.net/



ふくちゃんラーメン博多店

2008-02-09 23:38:51 | Weblog
 ふくちゃんラーメン博多店に今日、行ってきた。いつかはと思っていたが、忙しくてその機会が中々なかった。福岡市早良区田隈が本店だが、土曜・日曜日は外で並ばないとまず食べられない。博多店もその覚悟をして行ったら、意外と直ぐに座れた。

 このふくちゃんラーメンは元々、早良区藤崎に店舗があって、そこから田隈に移転している。先代の親父は職人気質の人間でいつも黙々と仕事をしていた。湯で釜に「カーン、カーン」と湯きりの勢いある音を立てていた姿が印象的だった。

 現在は本店を息子さんが跡を継いで、博多店は娘夫婦がやっていると聞いている。店内は本店より広くゆったりした感じがする。メニューをみて、本店と違うことに直ぐに気付いた。メニューにランチや焼ラーメン、ラーチャンなどがあった。

 昼時だったので私は餃子定食をお願いした。ラーメンは本店とそんなに違いは無かったが、餃子は本店が旨いと素直に思った。一緒に行った社員が「焼ラーメン」が珍しいと替え玉をお願いして食べていたが、後で聞いたら「沈黙」していた。

 壁にかけてあった店の紹介記事に博多店では「ラーチャンや焼ラーメン」のオリジナル商品をだしていますと出ていたが、私は親父が残してくれたラーメン一本で十分だと思った。ランチや新商品を先代が知ったら悲しむに違いない。

 博多店が長く続くことを願いたい。 
http://www.fukuchan-ramen.com/index.htm

ネットワークビジネス、その2

2008-02-07 09:30:24 | Weblog
 「ネットワークビジネス」最近縁がなかったが、突然、幼なじみから連絡があって話を聞く羽目になった。どのネットワークも私にすれば同じ様にしか聞こえないが、当の本人達からすると何かが違うらしい。

 真剣に話す姿を見ていると、このビジネス(情熱)を何で他で生かせないかといつも思ってしまう。彼の話によると、今回のネットワークは2回目で、前回のネットワークはあまり良くなかった(儲からなかった)ので辞めたそうだ。

 でも、彼の話を聞いて何人かの人が紹介なり、商品なりを購入してネットワークへ献上したことになる。彼が辞めたのはいいが、紹介された人や商品を購入した人はどうなるのだろうか。また、新しいネットワークへ入って同じことが起きないとも限らない。

 紹介するにも後々のことまで考えないと「紹介した人」の信用に関わる話だ。以前、私にネットワークを紹介した業界関係の人は、最近、まったく連絡がない。思うに、このネットワークビジネスには友人・知人は招かない方がいいと思う。

 如何ほどの収入になるかは分からないが、もっと大きな何かを失いかねない要素を含んでいる。仕事なら仕事、友人なら友人として会いたいものだ。

祖母の魂(たましい)

2008-02-06 16:04:15 | Weblog
 知人に「健太郎さんは色々やりますねー」とよく言われる。自分では普通と思っていたが、そう言われればそうかもしれない。B型の「習性」なのか「性」なのか、よく自分でも分からない。ただ、私が中学生の頃、祖母に「人と同じことはするな」と言われたことが原因かもしれない。

 実は、祖母の言葉には深い意味があった。祖母には生まれつき顔に痣(アザ)があって、幼少の頃、相当なイジメにあったそうだ。そこで、祖母はそんな人達を見返すために、敢えて人のやらないことにチャレンジしたそうだ。

 例えば、みんな算数が苦手だと分かると算数で1番に、運動会でも1番。周りが髪を伸ばせば短くするなどなど、顔のハンディを人のやらないことで克服したそうだ。それが祖母の人間形成に大きく影響している。

 一見、卑屈にも見える行為だが当時はそれしか方法がなかったに違いない。実は私も祖母の教えを実行して、何度も救われたことがある。私の現在のモットーは「発想の飛躍」だ、誰でも「発想」まではするが、それを「飛躍」させる人は少ない。

おっと、話が飛躍したので元に戻る。祖母は学校をTOPの成績で卒業して「助産婦」の免許を県で1番に取った。その後、親戚筋の人とお見合いで結婚したが添りが合わずに離婚。家をでて2人の子供を抱えながら助産婦の仕事で生計を立てた。そんなどん底のときに巡り会ったのが私の祖父だ。

 祖母が生前「大恋愛の末、結婚した」と嬉しそうに語っていたのを憶えている。当時のことを考えると2人の子持ちの女と初婚の男性、反対されて当然の時代だ。祖父は地元の地主の次男坊だったが、財産を一切もらえなかったことが当時を物語っている。

 二人は周りの冷たい視線を受けながら必死に頑張った。だが、4人の子供にも恵まれ、これからと言うときに祖父は39歳の若さで食中毒で亡くなっている。祖母の悲しみは計り知れない。しかし、持ち前の負けん気で、祖母は必死に頑張った。その血が私の中にも流れている。

 祖母は96歳で亡くなったが、彼女の功績は人口20,000人の町で助産婦として約4000人の子供の出産に立ち会った。その功績を認められ死後、国から黄綬褒章を授かっている。私は祖母にはなれないが、近づく努力はしてみたい。