健太郎の物見遊山

不動産業界に25年。現在、全国行脚中なので、全国の面白い話題や不動産関係の話、健太郎の個人的なブログを提供していきます。

博多を知っと考(福岡城編)

2006-12-09 17:03:25 | Weblog
 福岡城が何で福岡城と命名されたのか皆さんはご存知だろうか?実は福岡城を築城した「黒田官兵衛」こと黒田如水(くろだじょすい)の出生地に関係がある。如水は備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の生まれで、その由来でこの地を「福岡」とした。

 黒田如水は戦国時代、安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国中津城主で豊臣秀吉の軍事参謀として仕え、調略や他大名などの交渉に従事、活躍した人物だ。如水は、秀吉に天下を取らせた男として名高い。

 あの本能寺の変で中国大返しを実現させたのは如水の功績と言われている。秀吉、家康両者の天下獲りに黒田家が大きく関わっているのは歴史上、確かなようだ。黒田如水・長政親子は1600年、豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52.3万石の大封を得て名島城に入城し福岡藩が成立した。

 名島城はもともと立花鑑載が築き、小早川隆景が拡張したものだ。しかし、大藩の居城としては城・城下町ともに手狭だった、そこで、現在の福岡城の城地である福崎丘陵を新城候補地に選定した。慶長6年(1601年)には新城建設が開始された。

 7年の歳月をかけ慶長12年(1607年)に、47の櫓を配し、面積は九州一の広さを誇る面積47万平方メートルと、大封に相応しい城郭が完成した。築城の名手であり近隣の熊本藩主加藤清正もこの城を賞賛した。特に野口佐助一成が指揮した石垣が素晴らしく、別名「石城」とも呼ばれている。