顕正会のタイムテーブル part2

 平成30年の「弘通の足跡」(顕正新聞 第1428号)のグラフを検討してみよう。

 浅井会長は、過去の自身の発言について、はずしたことについては言及しないし、いわんや検証することもない。
 ところが本年の「年頭の辞」では、このように語っている。
  「出陣たる五万人男子部大会を開き、『二〇一九年までの二百万達成』を全員で誓願したのであった。その二百万が、二〇一九年を待たずに、一年も早く本年七月に達成されること、広布の決戦場に些かも遅れずと思えば、ただただ有難さが込み上げてくる
 あたかも、誓願がいつも達成されているかのように会員に思わせる、浅井マジックである。
  「一千万はあと15年(平成25年)」と、顕正会会長として誓い奉った一千万だったが、「些かも遅れず」どころか遅れまくっている。

 

 それでは、小生の5年前の予測(顕正会のタイムテーブル)について、自ら検証してみよう。
  「200万は7年後の平成32年(2020年)に達成」とグラフから読み取ったが、それは2年間前倒しされた。
 簡易なグラフからの読取りであれば、小生の予測(誰がやっても同じだが..)は充分信頼に値するだろう。

 では最新の「弘通の足跡」から、今後の推移はどうなるだろうか?  
 今から10年後の2028年(会長97歳)、約268万人とグラフから読み取ることができる。そして300万達成は、14年後の2032年(会長101歳)である。
 したがって、「2020年代に、いよいよ本格的な他国侵逼が起こる … 建白書において、『近き広宣流布・国立戒壇』という文言を、三たび使った。… 六千万は必ず成る。この確信のゆえに、敢えて『近き』『近き』『近き』と三度、繰り返したのであります」(平成24年8月)はレトリックに過ぎず、いつもの様に虚言となることは明白である。
 2020年代に六千万が成らないことは、「弘通の足跡」グラフが証言している。5年前の予測でも、300万達成は2035年で、数年しか違わない。

 結論は、5年前といささかも変わらない。もう一度ここに、再掲しよう。
  「顕正会が、広宣流布・国立戒壇の御奉公を成し遂げ 「紅の涙」云々というのは、浅井会長が御書を自己中心・自分勝手に解釈して創り上げた妄想に過ぎない。
 300万へのタイムテーブルが破綻していることは、すでに現実を反映したグラフが正直に示している。それは同時に、浅井昭衛・讃仰(個人崇拝)団体となってしまった顕正会は 『御仏意』に叶わない、ということである。
 浅井会長の妄想に騙され、大切な時間を御奉公(組織活動)に費やして、人生を無駄にしてはいけない。」 (櫻川 記)

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自己愛的人格構造

  「マインド・コントロール」(文春新書、岡田尊司著、2016年4月発行)から、独裁者やカルト指導者の支配の特徴を知っておこう。

 共感性の乏しさと支配する快感

 相手の立場になって痛みを感じるなら、相手を傷つけようとはしない。しかし、共感性が欠落していると、支配する快感を押しとどめる機構が働かない。
 マインド・コントロールは、虐待やイジメ、ハラスメントと共通する源をもっている。共感性が欠如すると、支配か利用かというあり方になる。
 自分は直接手を下さず、言いなりになる部下を使っての支配はリスクが少なく、支配の快感はいっそう大きい。それは病み付きになって、マインド・コントロール支配は中毒的な快感をもたらす。

 マインド・コントロールする側の特性

 独裁者やカルト指導者、独善的な上司や配偶者、親、イジメに走る子どもに至るまで、そこには本質的な共通項がある。

 その第一は、閉鎖的集団の中で優位な立場にいること。その優位性は、相手の安全を左右できるという点に関わっており、「生殺与奪の権利」を持つ。
 第二の点は、弱者に対する思いやりのなさ、さらに自身の正義だけを振りかざす倫理感の欠如である。
 そして第三には、支配することが快楽になるということ、「支配は中毒になる」のである。

 肥大した自己愛や万能感

 悪しきマインド・コントロールに走る者は、他者を支配する快楽が強列なのに比して、それを思いとどまる共感や思いやりを稀薄にしかもたない。
 そうした特性は精神医学的には、一つの「人格構造の特徴」に一致する。それは「自己愛性」である。「自己愛性人格構造」は、肥大した自己愛や万能感と、他者への共感性の乏しさや搾取的態度を特徴とする。
 独裁者であれ破壊的カルトのグルであれ、DV夫やパワハラ上司であれ、支配的な親や同級生へのイジメに愉楽を見出す小中学生であれ、基本的に同じ自己愛的な人格構造が認められる。 (※ 以上、岡田尊司著「マインド・コントロール」より

 独裁会長の自己愛的人格構造

 昭衛氏を妙信講草創期から支えた有為な人々は、ことごとく排除されもはや顕正会に痕跡を残さない。しかし小生の心の中には、御遺命守護を共に闘った先輩幹部諸氏の輝かしい姿が、今も鮮明に残っている。
 「試練と忍従」期を共に耐え、自ら育くんだ有為な人材を嫉妬し恐れ、昭衛氏はすべて排除してしまった。

 そして今日、長男の浅井克衛氏も娘婿の小峰勝彦氏も最高幹部の理事職から排除され、その理由や消息を問うことは顕正会ではタブーである。
 兄を猛毒VXで排除した独裁国家のドンも、身内をも排除する終身会長も、権力を維持するため厳しい情報統制を課することは同じようだ。

 

 

 

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スピリチュアル・アビュース

 顕正会は今や、典型的な「カルト教団」となってしまった。
 そのことを、〈カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュース」 の論理〉(藤田庄市著、春秋社、2017.05)に、見てみよう。

 藤田氏は、盲信や狂信や呪縛という言葉ではとらえ切れない カルト事件の深層に迫るため、「スピリチュアル・アビュース」 という概念を提示している。
  「スピリチュアリティ」(霊性)とは、「超自然的な力や存在に自己が影響を受けている感覚」 である。
 そこに教祖やリーダーが絶対的優越的地位を濫用し、教義や修行・儀礼などの宗教システムで働きかけ、恐怖感による圧迫・焦燥などの切迫感を与えることで信仰者の精神を操作する。

  「アビユース」とは、「濫用する、悪用する」ことであり、「虐待」をも意味する。信仰者を行動に駆りたてるのは、恐怖感・圧迫感・使命感で、信仰をやめることは罪悪とされる。カルト信者は、他から見ると異様な行動を取り、場合によっては犯罪まで犯してしまう。
 カルト教団は精神的・肉体的に会員を従属させ、財産等さまざまな面で信者から収奪する。そして、教団や集団の枠を超えて、ついには社会にまで累を及ぼすに至る。

 しかし、カルト信者は救済の実感や使命感、超越的存在と結ばれているという優越感など、精神的昂揚の中にある。
 「スピリチュアル・アビユース」は、精神の自由・人間の尊厳の重大な侵害そのものである。
 カルトは世俗の常識に反しているし、奇態さや異常さが際立ってスキャンダル性や事件性・特異性に目を奪われてしまうが、カルト現象の根底には「精神の自由の侵害」「人間の尊厳の否定」があることを見失ってはならない。

 この書 「カルト宗教事件の深層」 の最後には、「終章 東日本大震災被災地に響く終末の脅迫 -- ものみの塔と顕正会 --」の章を設け、顕正会員が福島第一原発事故被災地や全国の原発立地 あるいは原発反対集会などで、原発廃絶を主張する機関紙を配布しながら活発な勧誘活動を続けていることを紹介している。
 そして、顕正会員は浅井会長を盲信し、亡国が現実化しつつあるとの思い込みと、正本堂崩壊の現証によって宗教的かつ現実的な危機感・切迫感・使命感を強く持たざるを得ない、と分析している。

 そうした藤田氏の論述は、拙著「迷走する顕正会を斬る」でも言及したことであって、同感するところが多い。
 顕正会員諸氏には、我が身と組織の現状を省み 近い将来(会長滅後)を鑑みて、恐怖感や切迫感の濫用によって精神的に「虐待」されていることに、一刻も早く気づいていただきたい。

 そして、浅井会長に従いながら排斥・粛清・排除・処分され組織を離れた「理事」等の元最高幹部諸氏に、酷かもしれないが小生は問い糺したい。結句、自身がカリスマ会長から「アビユース」されたことは、自業自得果である。
 しかし、あなた方は会長の権威濫用の手先として、どれほどの「虐待」を会員に対して為して来たことか…、その自身の行為に 「忸怩たるものはないのか…!?」、と。

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顕正会の組織風土

 組織のあるところには、 「無責任の構造」がひそんでいる。
 今、豊洲市場への移転問題で都の官僚による情報隠蔽が表沙汰になっているが、そこには無責任の構造がある。

 中でも教団組織、とりわけ顕正会ではその傾向が、顕著である。
 顕正会員は何故、「数・ノルマ」を強要する無慈悲な組織風土に、疑問をもたないのか?
 その根拠を「無責任の構造」(モラルハザードへの知的戦略、岡本浩一著、PHP新書)を基に、分析してみよう。

 無責任の構造は、同調・服従・内面化によって、醸成される。これは人が集団に従うときの、不本意さの程度に対応している。
 もっとも不本意なのが服従である。不本意だという感覚がある限り、「無責任の構造」は拡大しない。
 しかし、不本意ながら従っているうちに、やがて不本意な行為の背景にある価値観を、自分の価値観として獲得してしまう。それが内面化である。
 同調や服従から内面化が生じるプロセスによって、「無責任の構造」が作られる。

 1.同調の行動モデル

 同調とは、モデルの行動が顕在する状況で、同じ行動をすることである。
 「内なる同調性」:人間は思っている以上に同調的である。
 「外なる同調性」:世間一般は同調を規範として持っている。
 顕正会では、総幹部会やビデオ放映等で「浅井先生絶対」が強調され、入会するとやがてそれに同調して行く。
 同調は、心理的に孤立無援であることが、大きな背景になっている。

 2.服従のメカニズム
 
 組織的・社会的圧力のもとで、不本意な行動をさせられるのが、服従である。
 顕正会では、末端幹部になると「折伏成果」のノルマが課され、不本意であっても上長の指示に従わざるを得ない。
 さらに、「結集成果」や「機関誌購読・広布御供養」等にも、前年比増の暗黙のノルマがある。

 3.内面化のプロセス

 内面化は、行動の背景となる価値観が習得されたため、強制力もモデルもなしに行動が継続される現象である。
 一つには 「認知的不協和」のプロセスとして、組織内で不協和(異なる意見)を小さくしよう、とする努力が働くことによる。
 二つには 「選択的情報接触」のプロセスで、自分や組織に有利な情報だけを選択することによる。
 顕正会ではこうして「浅井先生絶対」が内面化され、ノルマ未達の際は「浅井先生に申し訳ない」という心情に駆られる。

 4.脳機能の損傷

 ここからは小生の私見であるが、現代の脳科学では強烈な精神的支配(ストレス)を受け続けると、海馬や大脳新皮質に損傷を生じることが、ラットの実験等で検証されている。
 アルコールや薬物やギャンブル等の依存症でも、同様に脳機能の損傷がみられるという。
 顕正会員は、「浅井昭衛依存症」で脳の正常な判断機能が、物理的に損なわれている可能性がある。
 だから「6千万で御生骨が光を発する」などという、荒唐無稽な妄想を容易に受け入れてしまう。
 「本尊偽造問題」にしても薄々は「変だ」と感じつつ、自ら意識下に閉じ込め問題を隠蔽する。そうしなければ、自身のこれまでの人生の否定につながるし、幹部としての立場が保てない。
 
 顕正会員諸氏には自分が今、上記のどの<段階>なのか自ら見つめ直す時期が、来ているはずである。
 もはや、「無二の師匠」に残された時間は、きわめて少ないのだから。

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基礎教学書の広告


 基礎教学書(日蓮大聖人の仏法)の新聞広告が、ネットで話題になっている。

 そこで、今日(08月04日) Amazonの売れ筋ランキングをチェックしてみたが、「基礎教学書」 は、110,826位 だった。

 ちなみに、拙著「迷走する顕正会を斬る」 は、57,914位 となっている。

 広告もしていない拙著の方が、なんとランキング上位だった。

 顕正会本部は、「昨日、六月二十八日の「長野日報」に全国の先陣を切って基礎教学書の広告が掲載され」(顕正新聞 7月5日号)と、6月末から広告にこれ努めて来た。

 瑠璃堂みう氏によれば、長野日報(6/28)、千葉日報(6/29)、伊勢新聞(7/13)、下野新聞(7/14)、常陽新聞(7/14)、日刊ゲンダイ(7/20)、津軽新報(掲載日不明)、上毛新聞(7月6日)、熊本日日新聞(7/14)、琉球新報(7/26)、岩手日報(7/27)、胆江日日新聞(7/27) 等々。

 「ネットは見るな!」 として来た顕正会だが、総幹部会で浅井会長自ら 「購読申込みが広告によって、アマゾンに続々とよせられている」(取意、7月度総幹部会)と述べたという。そして、各部集会での幹部の登壇では、「基礎教学書 注文が殺到」、「アマゾンで宗教部門第1位」、「広告を見て逆縁者が入信」 等と叫んでいる。

 Amazon売れ筋ランキングとは、Amazon公式サイトによると 「商品の販売データなどを反映して、1時間ごとに更新される、人気商品のランキング」 とのことである。
 推定・数千万円の広告費を投じてなお、一古参会員が7年前に出版した本に一時的にでも遅れを取っている事実、これが顕正会の実力のリアルな一面である。

 顕正会員諸氏には、オカルト・妄想発言を連発する老会長の異常さに、もう気づいてよい頃ではないだろうか。

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第六天の魔王のターゲット

 浅井会長は云う。 「広宣流布が近づくにつれ、第六天の魔王は何としてもこれを阻止しようとする。どうやって阻止するのか。それは、最大の実力者の身に入って、その者を狂わせればいいのです」(顕正新聞3月5日(1369)号)と。

 昭和49年、宗門に於けるキーマン(実力者)は、数は小なりと雖も妙信講の本部長、浅井昭衛氏だった。第六天の魔王は、みごとにその浅井昭衛氏の身に入って「魔心・愚心出来」せしめ、狂わしめた。
 どのように、魔心・愚心出来したか。慢心(成功体験と全能感)によって、全権の理事長に就任し

  1) 自ら妙信講の解散処分を招き
  2) 法廷闘争で宗門を敵にまわし
  3) 離反寸前だった宗門と創価学会を協調させた
  (詳しくは、拙著 「迷走する顕正会を斬る」 第五章・第六章 参照)

 宗門の 「何という堕落、何という濁乱か」の現状は、浅井昭衛氏にその責任の多くがある。
 外には、正系門家をして四分五裂に導き、広宣流布を阻止し「濁乱の極」に導いたのは、他ならぬ浅井昭衛氏である。

 そして内に於いても、浅井昭衛氏は宗教法人「顕正会」会長の座に居座り、「国立戒壇」を看板にして、純粋な会員を使役し搾取し隷属させ、多くの人々の生活・人生を無惨にも破壊し続けている。
 会員は、道具でしかない。「浅井先生にお応えせん」と、一途に励む会員諸氏を使い捨て、独裁国家のような理不尽な組織運営を、40年以上も続けて来た。

 浅井昭衛氏には、国立戒壇建立への本気の「意志」も、「戦略」も「プラン」もない。あるのは 「プライド」と宗門への 「恨み」と、「はったり」と 「諸天頼み」である。
 教学研鑽を排除するのは、国立戒壇が見せかけの「看板」に過ぎないことを、会員に隠蔽するためである。浅井昭衛氏にとって国立戒壇もまた、<過去の功績>を会員に賛嘆させるための、都合のいい道具に過ぎない。

 各地に会館を建て、自ら複製せしめた異形の「大幅形木本尊」を祀らせることは、かつて日銀総裁の印がない札は「偽札だ」と本尊乱造を批判・否定した、自身の言明に違背している。「何という堕落、何という濁乱か」。
  「この男にも、第六天の魔王が入った」等と他者を批判しながら、自分だけは特別・別格だと思い込んでいる。こうした事例は、各種の人格障害にもよく見られる症例である。

 「無二の師匠」こそ、格好の魔のターゲットだったのだ。近いうちに顕正会員諸氏は、その師匠を失うことになる。
 しかし、自暴自棄になってはいけない。自分の生命と、家族は大切にしよう。人生をやり直すことは、必ずできるのだから。


          平成28年6月 櫻川 記

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ブラック 顕正会

 昨今、「ブラック企業」という言葉が、よく聞かれるようになった。以下の要件が当てはまれば、ブラック企業と呼ばれるという。

 ・ 企業および経営者の負うべき責任を明確にしていない
 ・ 末端の従業員(平社員、アルバイト、パート)の待遇を軽視している
 ・ 消費者や地域への貢献度が低い。(商品・サービスの質に劣る)

 さて、今の顕正会はブラック企業とよく似た組織風土の教団だと、わたしには思い当たる。  具体的に、顕正会にも当てはまるブラック企業の特徴(ウィキペディアより抜粋)を、見てみよう。

  経営者・上層部の問題

 1)独裁的経営。恐怖政治的経営、ワンマン経営、同族(親族)経営、成り行き任せの経営、法制度に対する軽視、等が蔓延している。

 2)経営者の神格化。個人崇拝を強制し、経営者の個人歴や言語録の暗記、経営者の著書の購入、感想文の執筆などが業務の一環として義務付けられ、経営者への信仰心が仕事の評価に繋がる仕組みになっている。

 3)長時間労働。サービス残業、経費の自己負担などが宗教的価値観に基づき美化され、従業員がそれらを自主的に行わざるを得ないような雰囲気作りがなされる。

 4)末端従業員の犠牲と消耗。従業員の過剰な負担による、使い捨てを前提としたビジネスモデルが構築されている。

 5)経営者の言動が法律よりも優先され、違法行為が公然とまかり通っている。

  組織の欠陥

 6)合理的に仕事を行う組織やルールを作らない。存在していても文章があるだけで、職務分掌がまともに機能していない。

 7)異常なポジティブ思考の強制など、上意下達と絶対服従が徹底化された組織。下層の従業員は会議にも参加できず、業務上の問題点の指摘もできない。

 8)自分の成績や自己保身のため、部下や周囲を次々と食い潰すクラッシャー上司や従業員を放置し、職場の問題として認識・対処するシステムがない。

 9)従業員の人格や人権を軽視。会社や経営者に対する絶対服従など従業員への洗脳を施し、会社のために命を投げ打つことも厭わなくさせる。

 10)責任を負うべき指示は、口頭で済ませる。記録が残らないので、指示者がミスをしても証拠がない。

 11)正当な業績評価や職務評価が行われない。軽微なミスでも多数の面前で罵倒し始末書を書かせたり、監禁や解雇に近い自主退職に追い込む。

 12)従業員への過重な負担。強烈なプレッシャーとストレスが掛かり続ける結果、組織末端の従業員や下級管理職が鬱病やPTSDなどを発症して次々と倒れる。最悪の場合、自殺者が発生する。

 13)仕事とプライベートの区別がない。業務に私情を持ち込み、私情に業務を紐付ける。親睦を深めることを口実にしたプライバシーへの干渉、業務の効率化を目的とした生活指導など。

 14)24時間 365日体制の、公私混同ネットワークを形成する。

 15)経営陣が従業員の言動を徹底的に監視。社内の盗撮や電話の盗聴、監視カメラ、密告の奨励、交友関係の監視やネットのアクセス履歴の盗み見、SNSでの発言の監視やプライベート活動の監視など。目的は従業員同士の団結をさせないこと、プライベートでの活動や人間関係を盾にした制裁や脅迫。

  待遇の問題

 16)激務で長時間労働・過重な責任。常に収益の向上を名目とし、人件費削減を過剰に追求するため、仕事量と内容に対して人数が絶対的に不足し、作業量が過重な上に増員や分業もできない。

 17)残業が当たり前。定時に終わらせることなど、到底無理な仕事量を押し付ける。「定時までに仕事をこなせなかったお前が悪い」などと叱責し、サービス残業を強制する。

 18)過労や労働災害に対し、自己責任論を持ち出す。従業員に非現実的な身体能力(絶対に疲れない、眠くならない、人体に有害な環境でも平気、泥酔しても安全運転 等)を求め、全ては従業員の能力不足に起因するというスタンスを貫く。

 19)成果主義や年俸制を導入するが、真の目的は人件費削減。裁量労働制やフレックスタイム制を悪用して、社員の拘束時間を無制限に延ばし、残業代を出さないために導入する。

 20)薄給の上に経費が自腹。諸経費を自己負担させる。

 21)ノルマ未達成の苛烈なペナルティ。ノルマが達成できない場合、所得税などを控除した手取り額を時給に換算した場合の額が、最低賃金以下になる。「罰金」などの名目で控除したり、給与を自主返納させたり、「自爆」行為を強制させ、手取りがマイナスになる場合もある。

 22)心身の健康を害するほどの身体的・精神的ストレス。終電過ぎまでの勤務や何日も会社に泊り込んでの仕事など、体調を崩したり、鬱病などの精神疾患を発症する。さらに過剰なストレスによるPTSDの発症、発作的な自死や過労死など生命を失う事態もある。

 23)スキルアップとキャリアアップは皆無。従業員は数年で退職に追い込まれるが、仮に何年も勤続したところで業務スキルや専門的なノウハウがほとんど身に付かず、キャリアアップのシステムや支援は実質的にない。

  退職の問題

 24)常識的な円満退職は期待できない。従業員側からは簡単に辞められない。「どこに行っても通用しない」などと脅迫したり、退職日を勝手に先延ばしする。一方で、会社側からは自由に解雇させられる。

 25)退職届を受理せず懲戒解雇にしたり、さらには退職後に会社から損害賠償を請求してくる。


 さて、こうして見るとブラック企業といえども給料が出るだけまだ顕正会よりまし、ではないだろうか。
 顕正会幹部諸氏よ。あなた方も、淺井会長の精神的奴隷となってしまった悲惨な被害者だが、同時に被害を社会に拡大している加害者でもあるのだ。


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願望にもとづく幻想

 平成25年4月度総幹部会で浅井会長は、安倍首相の経済政策・アベノミクスを批判して、こう述べた。
 
 そもそも、基本的な校正ミスがある。「昨年の三・一一以降、日本列島の地殻は極めて不安定になっている。この四月も…」、これは「昨年」でなく「一昨年」の誤り。
 「国立戒壇を推進する唯一の言論機関」(横田副理事長)と「自賛」する機関紙にしては、その編集部のレベルの低さが見て取れる。
 
 一事が万事、顕正会は「自賛」に満ちている。
 
 ブラック企業の宣伝文句か、催眠商法の謳い文句かと、見まごうばかりの自賛ぶりである。
 「自画自賛」の類語を調べてみると、このような言葉が出てくる。「自慢」「手前みそ」「自己満足」「独りよがり」「お手盛り」「我田引水」「売名行為」。
 すべて、顕正会によく当てはまる。
 
 「空樽(あきだる)は音が高い」(空っぽの樽を叩けば、大きな音が出る)
 つまり「自画自賛」は、劣等感の裏返しである。顕正会においては、自信の無さ(無能・稚拙・幼稚)の裏返しとして、独りよがり自己満足手前みそが鮮明に出ている。
 
 さて「願望にもとづく幻想」であるが、浅井会長の六千万会員・二〇二〇年代達成目標こそ、まさに「願望に過ぎない」と小生は指摘し続けて来た。
 他者に斬りつけた刃が却って自身を傷つけてしまっていることに、ダブル・スタンダードの浅井会長は気づかない。
 
 社会学の知見を、参考にしてみよう。「ダブル・スタンダードの存在する社会領域では、人びとは個人としての自律的な判断と行動が困難になりがちである。ダブル・スタンダードが、自己欺瞞を欺瞞として放置し、思考停止させる文化装置としての『心の習慣』であるのは、それが反省抑圧的なコミュニケーションだからである」(「ダブル・スタンダードの理論のために」、野村一夫著)
 
 たしかに、顕正会には自己反省が希薄で、思考停止自己欺瞞自律的な判断と行動が困難、という傾向が顕著である。
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よく見ててごらんなさい -- 異常者か詐欺師か? --

 

 平成25年3月度総幹部会で、浅井会長は安倍政権を批判して「よく見ててごらんなさい」と述べ、最後に大言を発して講演を結んだ。

 ・ 二〇二〇年代こそ、広宣流布の決戦場
 ・ この決戦場に、六千万の地涌の菩薩が馳せ参じ
 ・ 六千万の地涌出現は必ず間に合う

 浅井会長は、「二〇二〇年代に顕正会の会員数が必ず六千万となる」と期限を切って、途方も無い数字を言い切ってみせた。
 顕正会員諸氏には、大事なことであるから冷静に、よく考えてみて欲しい。広宣流布の決戦場たる二〇二〇年代の最後、会長の年齢は98歳となっている。

 浅井昭衛氏が「六千万の地涌出現は必ず間に合う」と本気で思っているなら、妄想も甚だしい。もはや正気を失っている、と言われてもしかたないだろう。
 六千万など無謀な幻想と判った上で、敢えて「必ず間に合う」と煽動しているなら、会員を誑かす悪質な組織ぐるみの詐欺である。
 いずれにしても異常者詐欺師か、そのどちらかということになりはしないか?

 浅井会長の言葉を借りて云おう。「よく見ててごらんなさい
 今の推移で行けば二〇二〇年代が過ぎても、顕正会は300万会員にすら達していないだろう。
 これまでも、「あと二十五年(平成19年)で人類絶滅」、「一千万はあと15年(平成25年)」等の言明に、浅井会長は煽動の責任も取らず何の釈明もしていない。まるでそうした言及など、過去に一切なかったかのようだ。
 そうであれば未来の六千万も、また同様の顛末と見るのが当然だろう。いわんや、二〇二〇年代の終わりに浅井昭衛氏が存命している可能性は、ほとんどないのである。

 もういいかげん、目を覚ましてもよい..のではないだろうか。
 顕正会員の諸君、先生と組織に御奉公を貫いて、人生を無駄にしないでほしい。
 もし、「浅井先生に騙されていようとも、自分は命かけて先生を信ずる」と、そこまでの覚悟があるならそれもいいだろう。
 しかし そのリスクは、せめて自分だけで負うべきである。他人までも、無責任な夢追い人の信奉者に、させてはいけない。騙されるのは自分だけにしよう、詐欺の片棒を担いではいけない。

 そして、心配することはない。顕正会の存在などなくても、「根本の妙国」たる日本が近く滅びる、などということはないのだから。(櫻川 記)

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新説 「事実上の国立戒壇」

 二月度総幹部会で、浅井会長は従来の自説を否定し、新義の「六千万・戒壇論」を展開した。 

 「いいですか。『国主此の法を用いて』とは、まさしく事実上の国立戒壇であります。この『国主』の背景には、六千万の地涌の菩薩が控えているからです。六千万の熱願で国家意志が決せられ、国を代表する国主が命かけて戒壇の大御本尊様を信じ祈り奉るならば、日本は始めて救われるのであります

 では、従来の自説を御遺命守護の原点である「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」に、見てみよう。


 「かかる絶対帰依・生命がけの大信心が上一人より下万民に至るまで漲る時、始めて国立戒壇が建立され、その戒壇堂に弘安二年の大御本尊は出御遊ばす」

 「その戒壇を始めて「事の戒壇」と申し上げ、広言流布の時を待ち給うて富士の宝庫にまします時はその大御本尊おわします処・義そのまゝ本門戒壇に当たるゆえ「義の戒壇」と申し上げる。これが七百年来の宗義である」

 「かくの如く先師は一糸をも乱し給わず。異口同音の仰せである。かかる白日の掟を誰か背く事が出来ようか。依って若し、時至らざるに事の戒壇と称し立てんとせば、よろしく広宣流布そのものの定義を変え、糊塗せざるを得ない」

 「或は云う。「上一人より下万民は理想ではあるが、謗法・一闇提の輩はいかに折伏すれども相当数残るは当然と…… これ等はこれ凡夫の思慮である。広宣流布はすでに仏意であり、仏力の所作である。だが大聖人は御書に「終に権経権門の輩を一人もなくせめをとして」(如説修行抄)と仰せ給い、或いは「仙予国王・有徳国王は五百無量の法華経のかたきを打ちて今は釈迦仏となり給う」(四条抄)とせられ、更には「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断つべし」(立正安国諭)と誡め、その上「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(治病抄)として邪宗の存在を許し給わず。この矛盾いかに会通すべきか」

 「かかる御書に跡形もなき己義を以て広宣流布の義を糊塗し、あたかも時が来たかの如く云うのは、まさしく未明をさして真昼と云い、冬をさして春と云うに等しい」

 「かくて一国一同に大聖人にいのちかけて帰依し奉る時が広宣流布である。すでに凡慮の及ぶ所に非ず、故に「ただをかせ給へ、梵天・帝釈の御計として日本国一時に信ずる事あるべし」(上野抄)との仰せを拝するのである」

 「されば、三大秘法抄・一期弘法抄の両抄ともに「時を待つべきのみ」との同一の御指南を拝するのである 」 (正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う) 


 新義の「事実上の国立戒壇」論は、過去の自説によりこう否定される。

 ・ 絶対帰依・生命がけの大信心が上一人より下万民に至るまで漲る時
 ・ これが七百年来の宗義である
 ・ 広宣流布そのものの定義を変え、糊塗せざるを得ない
 ・ これ等はこれ凡夫の思慮である
 ・ 大聖人は邪宗の存在を許し給わず。この矛盾いかに会通すべきか。
 ・ あたかも時が来たかの如く云うのは、未明をさして真昼と云い、冬をさして春と云うに等しい
 ・ 一国一同にいのちかけて帰依し奉る時が広宣流布である。すでに凡慮の及ぶ所に非ず
 ・ 時を待つべきのみ

 揚げ足を取ってただあげつらうために、こうした指摘をするのではない。「国立戒壇論」こそ、顕正会の唯一の存在意義であるから、ゆるがせにすることはできないのだ。
 事戒壇の重要な前提である「広宣流布」の定義を、浅井会長は突如 変更したのである。この一点に於いて、教条主義から修正主義への転換が為されたことに、気づいた会員はいるだろうか。

 正本堂を「御遺命の戒壇」とした惑義を否定するため、「広布の条件を満たしていない」と浅井昭衛氏は論じて来た。ところが今日、「四つの大難」が眼前となる状況において、その「広布の条件」では国が滅んでしまうことになる。過去の自説の論理では、辻褄が合わなくなってしまった。
 そこで俄に「六千万・事実上戒壇」説を提唱し、以ってかつての自説で依拠していた御金言 「権経権門の輩を一人もなくせめをとし」も「国中の謗法を断つべし」も「勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」も「日本国一時に信ずる事あるべし」も、浅井会長はここで無視し抛ったのである。
 しかして、いずれ将来このように辻褄が合わなくなることは、当初から自明のことだった。教条的な了解に堂々巡りし、戒壇義の論点に無理があったのだ。ところが、「自説は完璧」と自惚れていた浅井昭衛氏にはそれが見えず、齢81の歳になってようやく綻びに気づいた。

 今の「六千万・戒壇説」を是とするなら、過去の「糺し訴う」は非となってしまう。されば、御遺命守護の原点たる「糺し訴う」を浅井会長は「悪書」と呼ぶべきだが、それは望むべくもないだろう。
 宗門や創価学会や政治家には厳しい批判をするが、その批判の論拠が同時に自らに当てはまることに、浅井会長はついに気づくことがない。境界性・自己愛性の人格破綻だろうか、自分だけは別格で常にダブルスタンダードなのである。他者には「これ等はこれ凡夫の思慮」、「すでに凡慮の及ぶ所に非ず」等と決めつけ、自分の思慮は「凡慮でない」と思っている。
 そしてまた 顕正会の幹部諸氏の多くに於いても自分達は特別だと思い、顧みて自ら反省することがないのは悲しい。

 名簿上の顕正会員の大半が「連絡不能」・「消息不明」であることは、 50年以上に渡って組織に君臨し続けて来た浅井会長は、よく承知している。
 そして顕正会では、その六千万の基本たる「会員名簿」すら、満足に整備されていない。
 そのような、実態のない虚構の「六千万」で憲法改正等の「国家意志の発動」が、どうしてあるだろう。浅井会長は、どこまで<正気>なのだろうか? (櫻川 記)

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顕正会のタイムテーブル

 浅井会長は数々の、将来予測の「迷言」を残している。「あと二十五年(平成19年)で人類絶滅」、「一千万はあと15年(平成25年)」等は、有名である。
 しかし、過去の発言はなかったことにするのが、顕正会の流儀である。
 
 では、最近の会長発言ではどう言われているのか、見ておこう。
 「2020年代に、いよいよ本格的な他国侵逼が起こる … 建白書において、『近き広宣流布・国立戒壇』という文言を、三たび使った。… 六千万は必ず成る。この確信のゆえに、敢えて『近き』『近き』『近き』と三度、繰り返したのであります」(平成24年8月)
 「2021年までに台湾統一 … シーレーンは封鎖され日本は風前の灯火 … まさしく2020年代こそ広宣流布の決戦場」(平成24年11月)
 ちなみに中国の四段階の長期戦略は、「(1) 2000年までに、中国沿岸海域の防衛を達成。(2) 2010年までに、第一列島線内の制海権を確保。(3) 2020年までに、空母二隻を建造して第二列島線内の制海権を確保。(4) 2040年までに、米海軍による太平洋・インド洋の覇権を阻止し、米軍と対等な海軍を建設」(平成22年5月)―― だという。
 
 さて、右のグラフは、顕正会が顕正新聞(平成25年1月5日)に掲載したもので、これを分析するといろいろなことが判る。
 1) 100万から156万まで、ほとんど直線で推移している。
 2) その間に巨大地震・原発事故という大災害があったが、顕正会の進展にはその影響が見られない。
 3) したがって、過去の推移から補間した今後の予測は、言葉だけの「妄想」と違って確実性が高い。
 
 なぜこうした傾向となるか、その理由は一つには人材の使い捨てにある。
 浅井会長の稚拙な組織運営で幹部が常に切り捨てられ、実働会員数もほぼ一定で増えることがないからである。
 二つには、独善的な浅井会長の「諫暁書」を、世間は信用しないからである。
 国家的な大難が興起すれば、大宮の本部前には入会希望者が列をなす、はずではなかったか。
 しかし、「事前告知から動執生疑・断疑生信へ」等と 独り善がりな思い込みも空しく、 「四つの大難」が眼前となっても、顕正会に勢いが加わる見込みはない。
 
 それでは、今後の顕正会のタイムテーブルを、確認してみよう。
 グラフから読み取れば、200万は7年後の平成32年(2020年)に達成され、浅井会長の年齢は88才となっている。
 さらに、将来を補間してみよう。300万は22年後の平成47年(2035年)に達成され、浅井会長の年齢は105才。だが、このときすでに浅井会長は亡く、顕正会は崩壊しているだろう。
 そして計算上のことだが、6,000万は928年後の2941年となる。夢追い人・浅井会長が言う 「近き・近き・近き」未来は、このグラフでは今から700年よりはるか先である。
 
 顕正会が、広宣流布・国立戒壇の御奉公を成し遂げ 「紅の涙」云々というのは、浅井会長が御書を自己中心・自分勝手に解釈して創り上げた妄想に過ぎない。
 300万へのタイムテーブルが破綻していることは、すでに現実を反映したグラフが正直に示している。それは同時に、浅井昭衛・讃仰(個人崇拝)団体となってしまった顕正会は 「御仏意」に叶わない、ということである。
 浅井会長の妄想に騙され、大切な時間を御奉公(組織活動)に費やして、人生を無駄にしてはいけない。 (櫻川 記)
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平成25年 年頭の辞

 浅井昭衛会長は年頭の辞で、平成21年には「大法戦場に急ぎ到着しよう」、平成22年は「大法戦場に馳せ参じ」、平成23年は「広宣流布はすでに直線コース」、平成24年は、「本年から『御馬前の戦い』が始まる」、と述べて来た。 

 さすがに平成25年の年頭の辞では、「大法戦場」も「直線コース」も「御馬前の戦い」も「最終段階」も出てこず、ただ「日本に残された時間は少ない」とだけ述べている。

 浅井昭衛会長の年齢は81歳、「残された時間が少ない」のが浅井氏自身であることは、誰の眼にも明らかである。
 巨大地震・原発災害・国家破産・他国侵逼の「四つの大難」が眼前となったまさにその時、浅井昭衛氏にはもう「残された時間」がないのだ。会長の論法を適用すれば、それが「御仏意」ということになる。

 「六千万の地涌出現」が会長存命中に実現すべくもないことは、顕正会員諸氏も分かっているだろう。

 誇大妄想に踊らされ、「大規模の死身弘法」で人生を棒に振ってはいけない。(櫻川 記)

         ◇  ◇  ◇

   六千万地涌出現は必ず成る
           冨士大石寺顕正会会長 浅井昭衛

 昨年は、全顕正会員が地涌の菩薩の命にめざめ、六千万地涌出現は必ず成るの大確信に立たせて頂いた年であった。
 地涌の菩薩とは、下種の御本仏日蓮大聖人の眷属であり、広宣流布のお手伝いをするために、法華経の会座においては上行菩薩に率いられて出現し、いま末法においては日蓮大聖人に召し出だされて広布に戦う、無数の菩薩の集団である。
 日本国の人々は、この国に御出現された日蓮大聖人が、いかに尊貴そして大慈大悲の御本仏であられるかを知らない。この大事を教え広宣流布に戦うのが、地涌の菩薩なのである。

 日蓮大聖人は外用は仏勅使・上行菩薩、内証は実に三世諸仏の根源の御仏たる久遠元初の自受用身であられる。そして末法の全人類を成仏せしめるため、大慈悲を以て三大秘法を授与して下さったのである。
 かかる御本仏の崇高の化導を、日本国の善神たる天照太神・八幡大菩薩はもちろん、宇宙的スケールの力用を有する梵天・帝釈・日月・四天等の諸天も厳然と守護し奉る。
 この絶大威徳を下種本仏成道御書には「教主釈尊の御使なれば、天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合わせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば、梵釈左右に侍り日月前後を照らし給う。かかる日蓮を用いぬるとも、悪しく敬わば国亡ぶべし。何に況んや数百人に憎ませ、二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且く禁をなして、国をたすけ給えと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にありつれども、法に過ぐれば罰あたりぬるなり」と。
 仰せのごとく、日蓮大聖人は外用は仏勅使・上行、内証は久遠元初の自受用身。よって天照・八幡は地にひれ伏し、梵釈・日月は左右前後に侍って守護し奉るのである。
 かかる尊貴の大聖人を、当時の日本国は流罪・死罪に処し、しかも第三度の諌めにも改悔なきゆえに、「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」として、蒙古の責めという大罰を受けたのである。

 だが、日本国はそれより今にいたるまで、大聖人を軽賎し背き続けている。
 加えて、一国を諌めるべき正系門家は政治野心に燃える池田大作に諮って、唯一の御遺命たる「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建て、あろうことか、国立戒壇に安置し奉るべき本門戒壇の大御本尊を、その偽戒壇に居え奉ったのである。
 御本仏を冒涜し奉るの大罪、これより甚だしきはない。諸天いかで怒りをなさざらんや。
 ここに「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」の仰せのままに、いま日本に、御在世以来の亡国の大難が起こりつつあるのだ。
 その大難とは、巨大地震の連発、それに伴う原発災害、国家破産、そして他国侵逼の四つである。
 巨大地震の連発は、これ亡国の号鐘、他国侵逼の前相・凶兆である。一昨年の 「3・11」巨大地震を皮切りとして、首都圏直下、南海トラフの二大地震もいま刻々と近づきつつある。さらに陸域の活断層で発生する地震は列島の到るところで起こり得る。この未曽有の大地動乱だけでも、日本は潰滅的打撃を受ける。
 原発災害・国家破産の惨害については、もう説明の要もない。
 そして今、御在世の大蒙古を彷沸させる隣国の軍事超大国は、いよいよ日本への敵意を露わにして来た。
 日蓮大聖人に背く国には、諸天の力用により、自然と隣国の王が侵略の意志を懐くのである。
 ゆえに報恩抄には経文を引いて「時に隣国の怨敵、かくの如き念を興さん。当に四兵を具して彼の国土を壊るべし」と。
 この他国侵逼が起こるとき、日本は滅亡する。すべては仏法より事起こるのである。

 今の日本を見れば、刻々と近づく四大災難になす術もない。やがて日本は八方塞がりとなって滅亡を待つのみとなる。
 このとき、全日本人に、日蓮大聖人の大慈大悲と御本尊の大功徳を教えるのは、日蓮大聖人を魂とする地涌の大集団たる、我が顕正会以外にはあるべくもない。
 御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会が、いま一五六万の大集団となって国立戒壇めざして日本を独走しているのも、また「末法万年の事の戒壇」と偽称した正本堂が音を立てて崩壊したのも、すべてはこれ大聖人様の御仏意による。
 されば、日本国亡びんとする時、国立戒壇建立を決する鍵たる六千万の地涌出現が、叶わぬはずは断じてない。
 日本に残された時間は少ない
 さあ本年より、いよいよ大規模の死身弘法を以て、何としても大聖人様に応え奉ろうではないか。

   平成二十五年 元旦 (顕正新聞 第1262号)

 

 

 

 

 

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顕正会の代表役員

 平成22年9月に、浅井昭衛会長が宗教法人「顕正会」の代表役員をすでに退いていた、ということを知った。
 近々、登記簿の確認をする予定であるが、事実として間違いないことと思われる。

 教団のすべての<利権>を引き継いだ後任「代表役員」は、その8ヶ月前の平成22年1月に理事長に就任した、浅井城衛総男子部長である。
  直近の平成24年1月5日号の顕正新聞でも、城衛氏の肩書きは総男子部長であって理事長ですらなく、代表役員であることは「浅井先生絶対」の顕正会員に対し、厳重に秘匿されている。

 代表役員とは、「この法人を代表し、その事務を総理する」と「宗教法人顕正会規則」に定められているが、その規則が存在することすら顕正会員にほとんど知らされていない。(※「迷走する顕正会を斬る」)

 この規則の主旨は、「代表役員の選任方法」と「資産・財産の管理」にかかわることであり、顕正会のすべての「指揮権・財産権」は規則に基づいてすでに、浅井城衛氏に継承・世襲されていたのである。

 これほど重大なことが、顕正会員には一切知らされていない。
 何故か?
 それは、顕正会員に対する浅井昭衛会長の騙しと裏切りが、根底にあるからだ。

 では、騙し・裏切りとは何か?
 それは、「一国広布」も「国立戒壇」も浅井昭衛会長にとってすでに夢物語でしかないにもかかわらず、「あと十有余年」「天母山への紅の涙」等と、あたかも近く実現するかのように会員を欺いていることである。(※「冨士大石寺顕正会向上委員会」)

 拙著「迷走する顕正会を斬る」(日新報道、p319)でも、「一国広布は偽りの看板」であることを論じた。
  浅井会長が、実際はケチで貪欲であることを中枢幹部なら、みなよく知っている。せっかく築いた教団資産を、他人になど決して渡すものか..。浅井家で代々継承すること、それが昭衛氏の残された悲願なのだ。

 五〇有余年ひたすら待望した大地震だが、いつまでも来ないのでさすがに言及を控えた時、期せずして今回の巨大地震が到来した。
 ここぞとばかり、原発廃絶を叫び「原発推進を叫ぶ者は国賊だ」とまで言い切った浅井会長であるが、その意図は何か?

 浅井会長は、端的にこう述べている。
  「人々に原発災害・国家破産を指摘するのも、近き将来の他国侵逼を見つめさせるのも、偏に日蓮大聖人を信ぜしめるため、お題目を唱えさせるため」、と。(※「平成23年10月総幹部会 顕正新聞 11月5日号)
  ここで、「日蓮大聖人を信ぜしめるため、お題目を唱えさせるため」とは、「顕正会に入会させるため」と同義であることは、誰にも判るだろう。
  そして理の赴くところ、「原発災害・国家破産を指摘するのも、近き将来の他国侵逼を見つめさせるのも」、ひとえに人々を顕正会に入会させ「自分(浅井)を尊崇せしめるため」、ということに帰着する。!

 顕正会の現役活動会員諸氏には、かけがえのない人生を老人の妄想に幻惑されて棒に振る前に、浅井会長の一連の言動と組織の現状とを、よくよく見つめていただきたい。 (櫻川 記)

 

 

 

 

 

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平成24年 年頭の辞

 顕正会・浅井昭衛会長は年頭の辞で、平成21年には「大法戦場に急ぎ到着しようではないか」、平成22年は「御本仏の待たせ給う大法戦場に馳せ参じなくてはならぬ」、平成23年は「広宣流布はすでに直線コースに入っている」と述べて来た。

 さて、平成24年の年頭の辞で浅井会長は、<いよいよ本年から「御馬前の戦い」が始まる>と述べた。
 お得意の、「御馬前の戦い」である。平成16年には「大聖人御馬前の法戦場に到達」とされ、御馬前の法戦場とはこのとき百万達成のことだった。
 今回、巨大地震と百五十万達成で「御馬前の戦い」が始まったのだ、という。使い古したフレーズのリサイクル、使い回しである。
 では、何度でも繰り返される「次の御馬前の法戦場は?」と云えば、「あと十二年」(平成22年)の三百万であるが、浅井会長はその時もう居ないから「知った事ではない」ということだ。

 年頭の辞ではまた、「国民の過半数の六千万人が地涌の菩薩の魂にめざめ」、「六千万人の国民投票こそ国立戒壇建立の関所」と、新たに六千万が連呼された。
 平成10年の年頭の辞では「一千万をめざし」と述べ、平成12年には「一千万は必ず成る」としていたが、巨大地震到来で誇大妄想にさらに拍車がかかってしまった。
 妄想とは非合理的な思い込みであり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であることや、経験・検証・説得によって訂正不能であり、内容が非現実的であるということが特徴とされている。

 現在の百五十万ですら幻想であり、実態が伴わない化城であることを、浅井会長はよく知っている。
 すべて重々承知の上で、三百万や一千万や六千万という実現不可能な妄想に耽溺し、浅井会長は会員を騙し続けている。(櫻川 記)

         ◇  ◇  ◇

   国立戒壇建立の関所
               冨士大石寺顕正会会長 浅井昭衛

 日蓮大聖人は末法の全人類を現当二世にお救い下さる久遠元初の御本仏であられる。この御本仏、大慈悲を以て成仏の大良薬たる南無妙法蓮華経をお勧め下さるに、当時の日本国上下は、邪法の僧等の讒言に誑かされ、あろうことか主・師・親の大聖人を憎嫉し、御命を奪わんとして流罪・死罪に及んだのであった。
 この罪禍がいかに深重か。経文には「其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。
 これを不憫とおぼしめされ、大聖人様は諸天に申しつけて大蒙古の責めを起こされ、改悔せしめて一切衆生の後生の大苦を救い給うたのである。
 このことを王舎城事には「法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・罰し給いて 皆人に見懲りさせ給えと申し付けて候。乃至、あへてにくみては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と。
 しかるに、この大慈大悲もわからず、その後の日本は大聖人を信ぜず、背き続けて今に至っている。  「法に過ぐれば罰あたりぬるなり」(下種本仏成道抄)と。すでに日本はこの罪禍により、いつ亡んでも不思議はないのである。
 加えて、一国を諌めるべき正系門家は信心堕落して、御本仏一期の御遺命たる国立戒壇建立を抛ち、恐れげもなく偽戒壇・正本堂まで建てた。師敵対これに過ぎるはない。
 仏法は体、世間は影であれば、正系門家の濁乱は必ず国家を傾ける。大聖人は伝教大師の正系門家・叡山を例として、次のごとく御教示下されている。
 「仏法の滅・不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国我が朝を亡ぼさんとす」と。
 以上、一国の捨離と正系門下の違背。この二悪鼻を並べた今こそ、「末法濁悪」の直中なのである。
 ここにいよいよ広布前夜の「大罰の時代」が到来した。その号鐘が昨年三月十一日の、日本国を揺り動かした東日本超巨大地震であった。
 この超巨大地震は、大津波を引き起こして一瞬のうちに二万人の命を奪い、さらに原発を破壊して放射能を日本全土に撒き散らした。
 放射能は人間のDNAの鎖を切断して遺伝子異常を引き起こす。まさに「3・11」は、曽てなき異質の災禍をこの国にもたらしたのである。もし第二・第三の原発事故が起きたら、それこそ日本が滅ぶ。
 いま地震学者は一同に「日本列島は本格的地震活動期に入った」と言い、首都圏直下、西日本超巨大地震の切迫をも指摘している。もしこれらの地震が連発したら、東京、名古屋、大阪の三大都市も潰滅しよう。まさに大地動乱は亡国の予兆なのである。
 折しも北朝鮮の独裁者・金正日の急死によって、朝鮮半島と北東アジアは激動期に入った。一方、中東では、民衆暴動の連鎖でイスラム勢力が台頭し、孤立を深めた核保有国・イスラエルのイランに対する先制攻撃が懸念されている。
 インドに隣接する、これも核を保有するパキスタンが、中国に傾斜しつつあるのも不気味だ。
 日本の国債暴落・国家破産はすでに回避不能である。これが欧州の債務危機・中国のバブル崩壊・米国の財政逼迫と相互に影響し連動すれば世界恐慌となる。そして世界恐慌が世界大戦の引き金となることは、第二次世界大戦の事例に明らかである。
 いま地球上に起きつつあるこれらの動向の本質を仏法の眼で見れば --- それはまさしく、大聖人御予言の「一閻浮堤の大闘諍」に向いつつあるのだ。それがやがて我が国には、恐るべき「他国侵逼」となって現われる。
 この亡国の大難より国を救う法は、日蓮大聖人の三大秘法以外にはない。国立戒壇建立以外にはないのだ。
 しかし政治家には国を思う心なく、宗門僧侶には御遺命の大事がわからない。
 それでもいい --- 。たとえ堕落の政治家、無道心の僧侶等にこの大事がわからずとも、少しも構わない。この輩は、事が成れば「我も本より信じたり、信じたり」(上野抄)と言うに違いない。
 「春を留めんと思へども夏となる」(妙密抄)と。広宣流布・国立戒壇はもう誰人も止め得ない。
 諸天は大聖人仰せのままに客観状勢を作り、召し出だされた地涌の大集団は命かけて大法を弘通する。
 かくて国民の過半数の六千万人が地涌の菩薩の魂にめざめ、日蓮大聖人に南無し奉り、戒壇建立を熱願する時、国会の議決、閣議決定そして天皇の詔勅も申し下され、三大秘法抄に仰せのままの国立戒壇が、富士山天生原に屹立するのである。
 まさに六千万人の国民投票こそ、国立戒壇建立の関所である。
 この関所を見つめ、いよいよ本年から「御馬前の戦い」が始まる。勇躍歓喜して大聖人様に応え奉ろうではないか。

   平成二十四年元旦 (顕正新聞 第1228号)

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妄想の根拠 … 「御生骨」

 平成二〇年、浅井会長は「御生骨」について、こう言及した。
 「私は、この御生骨を昭和三十一年四月、日淳上人の御登座のおり、具に拝観させて頂きました。その時は、もう御肉が盛り上がって御歯の全体を包んでいるごとくで、御肉の色は薄紅色のごとく拝観できた。このとき私は『もう広宣流布は、甚だ近い』との確信を懐いた」

 これが、「広宣流布は甚だ近い」とする浅井会長が示し得る「確信」の、唯一の<根拠>なのだった。
 昭和三十一年といえば妙信講再建の前年、平成二〇年からすれば五〇年も前のことであり、昭衛氏が若干24歳の時の確信である。
 浅井会長が言う、「甚だ近い」というのはそういう時間的レンジでのことだ、ということを顕正会員は知らなければいけない。

 御生骨(御肉牙)の伝承を真に受けるのは、これもまた戸田会長譲りである。
 戸田氏は昭和31年3月、「御肉牙に関する請願書」を宗門に提出し、「この世界的秘宝『御肉牙』に関し、世界的にその存在を発表して反響を待つべき時であると信ずるものでありますが、この儀ば如何なものでございましょうか。特に医学界・生物学界・生理学界・その他科学界に広く発表したならば謗法となるものでありましょうか」として、「何卒、宗門当局におかれましては、この際『御生骨記録委員会』を結成して、御座替りの盛儀を期に御肉牙に関する一切の正確な記録をとって頂き度く」と申し入れたが、宗門(淳師)は無視して取り合わなかった。

 戸田会長が戒壇建立への指針を明確にし、国立戒壇への言及がはじまるのは、まさにこの時期を境にする。
 「この国立戒壇は、当然日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない」(「大白蓮華」、昭和31年4月1日)
 法道会からの妙信講離脱は、御生骨の拝観から1年4ヶ月後のことである。戸田・浅井両氏の動向は、御生骨による確信が根底にあると言えるだろう。

 浅井会長は、「御生骨こそ、広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた、富士大石寺に伝わる大事の秘宝である。… いうに甲斐なき凡夫の我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。… そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか」(平成二十年 「年頭の辞」)と、会員を煽動する。

 この御生骨については、「富士門家中見聞」(精師)に「其の頃御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以て日目に授けて曰わく、我に似り問答能くせよとて御肉付きの御歯と申すは是れなり、此の御歯当山霊宝随一なり、広宣流布の日は光を放ちたもうべしと云えり」、と伝承されている。
 この伝承の文脈においても、聖人曰わくの部分は「我に似り問答能くせよ」であり、「申すは是れなり」や「当山霊宝随一」や「光を放ちたもうべし」は、主語不明の後代の「云えり」に過ぎない。

 諸天や功徳を実体視し、かつ教条的な浅井会長であるから「と云えり」という伝承を、ストレートに受けとめてしまう。
 近年、ES細胞が医学界で「再生医療」への応用に、注目されている。生体外で、すべての細胞組織に分化する能力を保ちつつ、増殖させる事ができるからである。
 七〇〇年も生体外で生きていて、「御肉が盛り上がって御歯の全体を包んで」という昭衛青年の観察が事実なら、医学界・生物学界において衝撃的な出来事だろう。

 しかし、御生骨の伝承が今日の科学的・医学的な検証に、耐えうるべくもないことは自明である。
 「と云えり」という伝承は、他宗・他門にもいくらでもある。あくまで伝承は伝承として、その範囲で尊重すればよいのだ。 
 浅井会長のように、「御生骨こそ広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた」などと強引に言い張れば、自ら墓穴を掘るだけである。

 結論として、「あと二十年」(平成07年)とか「あと十有余年」(平成21年)とか「広宣流布は甚だ近い」(昭和31年)とする「確信」の唯一の根拠として、不確かな伝承を浅井会長は提示するだけである。
 そして、その「根拠」は二重・三重に、破綻を来たしている。(櫻川記)
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