挽歌(一) "浅井昭衛会長 逝去"

 宗教法人「顕正会」 浅井昭衛会長が、令和5年10月16日未明 逝去された。
 9月度総幹部会の2日後に体調を崩し、それから急激に衰えて行ったという。 生涯現役にして ピンピンコロリ、それは理想的な終焉といえるだろう。

 昭和41(1966)年4月から浅井昭衛会長に師事し、その生涯を見届けた者として溢れる懐いは尽きない。
 歴史的な評価は今後なされて行くだろうが、いま暫時その総括を試みれば その功罪は、両極端に渡る。
 "浅井昭衛会長が宗門に求めたこと" という視点から見れば、大きく括ればこのようになるだろう。
 宗門が池田大作会長の圧倒的な影響下にあった時、「正本堂は御遺命の本門戒壇に非ず」と糺し訴えた宗門人が、誰かあっただろうか。
 浅井昭衛氏の、その功績を否定することは、誰人もできない。

 
 "浅井昭衛会長が宗門に求めたこと"

  ◯  全国法華講連合会への不参加
  △  本山総登山(妙信講)の歎願
  ◎  正本堂は御遺命の本門戒壇に非ず
  ◯  全国末寺での本尊下附
  △  国立戒壇を宗門の公論に
  ◯  池田大作会長の宗門追放
  ◯  本部会館(妙縁寺重宝)本尊守護
  ✕  妙信講(顕正会)解散処分の撤回
  ◯  本門寺改称 断じて許さず
  ◎  大御本尊の奉安殿への遷座
  ✕  奉安堂の建設を取りやめよ!
  △  阿部日顕管長の懺悔
  ✕  一凶三悪の宗門追放
  ✕  阿部日顕管長への対決申し入れ
  ✕  完全免震の新御宝蔵を作り奉れ
  ✕  不敬の御開扉の即刻中止

 しかして、"浅井昭衛会長が道を違えたこと" は、あまりにも多い。浅井昭衛という人物は、大観してみれば「修羅の人」なのだ、とわたしは思う。
 宗教法人「顕正会」 の、異常な組織運営や組織の歪みのすべては、浅井昭衛会長に起因している。

 
 "浅井昭衛会長が道を違えたこと"

 ・  解っていながら増長し、宗門に対し「在家の本分」を違えた
 ・  国立戒壇(名称)否定の当否を、世俗の「法廷闘争」に求めた
 ・  大地震・経済破綻・人類滅亡などの脅威を以て、会員をノルマに奔走させ続けた
 ・  友人のいない孤独な生涯、支配するか支配されるかの関係、しか構築できない
 ・  唯我独尊の組織運営、有能な幹部ほど保身のため、理不尽な理由で尽く排除した
 ・  日蓮大聖人の権威を自身に投影し、「無二の師匠」と会員に仰がせた
 ・  伝統の教学指導を停止し、会員の幼稚化・低能化を促進した
 ・  三百万、一千万、六千万などと、無謀な数値目標を掲げ、会員を駆り立てた
 ・  御書全集発刊など、できもしない事業を掲げ会員を欺き、釈明すらしない
 ・  阿部日顕管長には対決を申し入れるが、大草一男講頭からは対決を逃げる
 ・  会員に無謀・過酷なノルマを課し、多くの会員の人生を破綻させた
 ・  自身の親族ですら幸せにできない、長男は再起不能、娘婿は放逐排除
 ・  見せかけの会員数、二百万会員と豪語しても実質活動会員は、数%というゴマカシ
 ・  ノルマに追われた会員が、路上生活者や外国人を勧誘することも容認
 ・  機関紙購読や広布御供養、ノルマ達成のため幹部の金銭立替も容認
 ・  会員名簿すら満足に整備しない、脱会者や死亡者も反映されていない

 とまれ、 教団組織の一切を仕切っていた浅井昭衛会長は、もはや不在となった。
 宗教法人「顕正会」はこれから、どのような行く末をたどるのだろうか。

  
 "宗教法人「顕正会」の行く末"
 
 ・  浅井城衛・新会長に、"国家諌暁" や "宗門諌暁" は力不足にして、望むべくもない
 ・  当面は組織として、故・浅井昭衛会長が号令した "三百万" を目指すだろうが、その暁に「国家諌暁」等
   の目標が示されなければ、活動の沈滞は免れない
 ・  現役活動会員の多くは、目標を見失って離脱して行くだろうし、その一部は宗門に帰伏して行くだろう
 ・  宗教法人「顕正会」は、わずかの岩盤支持会員によって浅井一族の生活基盤を支えるだけの教団、となる
   ことだろう


 以上、取り急ぎ点描した事柄を今後、詳細に論述して行く所存である。( 令和5年10月25日 櫻川 記 )
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種々御振舞御書の「上」(かみ)

 「日蓮誕生」(江間浩人著) は、これまで見過ごされてきた、"新たな視点"を数多く提示している。今回は、"種々御振舞御書" に多用される「上」(かみ)について見てみよう。(「誕生」p75)

 重要な「種々御振舞御書」( 建治二年 身延曾存 )を給わったのは、安房の光日尼である。幼少の頃の大聖人をよく知っている、きわめて近しい間柄にある尼御前であった。(「誕生」p36 )
 さて、種々御振舞御書の中に「上」が出てくるのは、以下の7箇所である。

「其の年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す。..(略).. 或は使ひを悪口し、或はあざむき、或はとりも入れず、或は返事もなし、或は返事をなせども上(かみ)へも申さず。これひとへにたゞ事にはあらず」
 これまで、「上(かみ)へも申さず」を、"執権に取り次がない" とする解釈がほとんどであったが、そもそも "十一通申状" は執権にも出されている( 北条時宗への御状 )ことを忘失している。(「誕生」p77 )

「まつり(政)事をなさん人々は取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。いわう(況)やこの事は上(かみ)の御大事いできたらむのみならず、各々の身にあたりて、をほい(大)なるなげき出来すべき事ぞかし」
 この「まつり(政)事をなさん人々」が「御評定に僉議あり」(種々御振舞御書)の面々であれば、「取りつぎ申したらん」人は上(かみ)以外にない。評定は幕府の最高政務機関であり、評定の長が執権なのである。(「誕生」p77)

「午(うま)の時計りにえち(依智)と申すところへゆ(行)きつきたりしかば、本間の六郎左衛門がいへ(家)に入りぬ。..(略).. 其の日の戌の時計りに、かまくらより上(かみ)の御使ひとて、たてぶみ(立文)をもって来ぬ」
「六郎左衛門尉の云はく、上(かみ)より殺しまうすまじき副状下りて、あな(蔑)づるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連(しげつら)が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかし」
 本間六郎左衛門が鎌倉より受け取った「上の御使ひの立文」と「上よりの副状」は、将軍家の発給だと「日蓮誕生」の著者は指摘する。(「誕生」p82)
 本貫地を "一所懸命" する御家人の忠誠は、将軍個人にではなく "将軍家"(鎌倉殿)に向けられていた。北条得宗家も、幕府権力を掌握していても御家人の一員に過ぎず、御家人にとっての「上」ではない。将軍家の公務は "御所奉行" が担い、将軍と妻子は側近に "御所御中間" を置いた。「上の立文」と「上の副状」の「上」とは、将軍家を指すとすればよく意味が通る。

「阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。夜もひるも高き山に登りて、日月に向かって大音声(だいおんじょう) を放って上(かみ)を呪咀(じゅそ)し奉る。其の音声一国に聞ふと申す。武蔵前司殿是をきゝ、上(かみ)へ申すまでもあるまじ、先づ国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ、或はろう(牢)に入れよと、私の下知を下す」
「かくの如くして上(かみ)へ此の由を申されければ、案に相違して、去ぬる文永十一年二月十四日御赦免の状、同じき三月八日に島につきぬ」
 この「武蔵前司」とは北条(大仏・おさらぎ)宣時であり、大聖人を陥れるため「虚(そら)御教書」(私の下知)を三度まで出している。その宣時が「上」と呼ぶのは、執権や連署であるはずはなく、まぎれもなく将軍家である。

「平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ。一々に経文を引きて申す。平左衛門尉は上(かみ)の御使ひの様にて、大蒙古国はいつか渡り候べきと申す。日蓮答へて云はく、今年は一定なり」
 大聖人は、幕府機関の評定によって流罪に処せられ、評定の裁定によって赦免された。その赦免の評定におそらく、上(かみ)の意向が働いていた。当時、執権も評定も意に介さぬほど幕府内の実権を握っていた平頼綱 (「天下の棟梁」(一昨日御書) )であるが、「上」の意向を無下にはできない。弾圧の先頭に立って大聖人の頸を刎ねんとした平左衛門尉頼綱が「上の御使ひの様にて」と不本意ながら神妙な態度を取ったのは、"上の申し付け" があったからに他ならない。(「誕生」p93 )

 "種々御振舞御書" に用いられる「上」とは、執権でも連署でも評定でもなく、ただちに "将軍家" であった。「日蓮誕生」著者の指摘は、鋭くそして重い。
 "富士の地下水に達する甚深の教学"と、教団内で尊崇・絶対視されている顕正会・浅井昭衛会長は、当御抄を勝手に「下種本仏成道御書」と改称して用いているが、従来の説を安易に踏襲して「上」を読み違えている。

 将軍家は、幕府のただの "お飾り"、ではなかった。そして、将軍家と日蓮門下の間には、さまざまに近しい接点があった。
 そうした視点で御抄を読み直せば、また違った "鎌倉の光景" が、立ち現れて来るだろう。( 令和5年6月5日 櫻川記 )
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池上宗仲・宗長について

 「日蓮誕生」(江間浩人著) は、これまで見過ごされてきた、"新たな視点"を数多く提示している。今回は、"池上宗仲・宗長" について見てみよう。

 池上右衛門大夫志宗仲は、武蔵国千束郷池上に在住した大聖人の有力檀越である。弟は、御馬番として将軍家の "大事の御馬" の管理をつかさどっていた池上兵衛志宗長であり、池上兄弟と称される。

 宗仲の父は、鎌倉幕府の引付方に属する十三奉行の一つ "作事奉行" をつとめたと伝わる、池上左衛門大夫康光である。康光は将軍家の近臣で、将軍・頼経の上洛に随行しており、春日大社参詣の将軍の輿の衛兵に康光の名が見える。(「誕生」p69)
 母は伊藤(印藤)二郎左衛門尉祐照(と妙一尼)の娘で、母の弟が成弁阿闍梨日昭、妹が妙朗尼である。宗仲にとって、弁阿闍梨は叔父であり、従兄弟に大国阿闍梨日朗と肥後房日像がいて、妙一尼は祖母である。
 
 父・康光は、極楽寺の良観房忍性の信者であった。忍性の策謀によって、宗仲は父から法華信仰を捨てるよう迫られ、建治二年・同三年の二度にわたり勘当された。勘当に際し、二人は「兄弟抄」( 建治二年四月 池上本門寺 )をはじめ、大聖人から多くの御抄を給わっている。
 宗長は、父に従うか、兄と共に法華信仰を貫くか、煩悶した。
「たゞしこのたびゑもん(右衛門)の志(さかん)どの(殿)かさねて親のかんだう(勘当)あり。..(略).. ひゃうへ(兵衛)の志殿をぼつかなし、..(略).. 今度はとの(殿)は一定をち(落)給ひぬとをぼ(覚)うるなり」(「兵衛志殿御返事」 建治三年十一月 妙覚寺 )。
 
「えもんのたいう(右衛門大夫)のをや(親)に立ちあひて、上の御一言にてかへりてゆり(許)たる」(「四条金吾御書」建治四年一月 )と。
 父から勘当されていた宗仲は、「上の御一言」で許されたという。 先の「四条金吾頼基について」でも見たように、ここで「上」とは将軍家に他ならない。
 池上氏は「康」が通字で、 宗仲の名は当初は康仲だった。関東の工匠らが将軍・宗尊の命令に従わなかった際、将軍は康仲に工匠らを説得させ、その功を賞し "御諱" の一 字 "宗" を与え、宗仲としたという。弟の宗長も、同様であろう。(「誕生」p69)
 
 宗仲の最初の勘当は、建治二年四月とされ、同年中に許された。再度の勘当は、建治三年十一月で、翌・建治四年正月に許され、父も大聖人に帰依した。
「良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、..(略).. 兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給ひ」(「兵衛志殿御書」弘安元年九月 池上本門寺 )と。
 池上家の家督問題は、日蓮門下(教団)にとって、大きな問題であった。「えもん(衛門)のたいうどの(大夫殿)のかへせに(改心)の事は、大進の阿闍梨のふみに候らん」(「弁殿御消息」 建治二年七月 )と、大進阿闍梨が大聖人の命を受け対応に当たった。大進阿闍梨は弁阿闍梨に、坊の"譲状"を残している。(「誕生」p9)
 
 ちなみに、大進阿闍梨と熱原法難で落馬した大進房、この二人は同一人と思われて来た。
 しかし最近の研究では、別人説が定説となって来ている。房号と阿闍梨号は別であり、大聖人の筆に両者(大進阿闍梨と大進房)の混乱はみられない。大進房はそもそも日蓮門下でもなく、はじめから滝泉寺院主代・行智側の人であっただろう。
 顕正会では「日興上人より上座に座っていた "大進房" が云々」と、御書講義で浅井昭衛会長が語っていたことを、小生はよく覚えている。
 
 大聖人の周辺・教線には、将軍家の近臣が多く存在した。そうした視点で御抄を読み直せば、また違った "鎌倉の光景" が立ち現れて来るだろう。( 令和5年5月30日 櫻川記 )

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四条金吾頼基について

 「日蓮誕生」(江間浩人著) は、これまで見過ごされてきた、"新たな視点"を数多く提示している。今回は、"四条頼基" について見てみよう。

 四条中務三郎左衛門尉頼基は官位が左衛門尉であり、その唐名(金吾)を以て四条金吾とも呼ばれる。
 頼基の主君・名越(江馬)氏は北条一門の名家で、初代・北条朝時は、北条義時(二代執権)の次子であり、北条泰時(三代執権)の弟である。
 承久の乱では、泰時が東海道の総大将として出陣し、朝時は北陸道の総大将となっている。ちなみに、名越は鎌倉の地名・江馬は伊豆の地名であり、朝時の家はその地名を以て "名越氏"・"江馬氏" とも呼ばれる。
 朝時の長子が江馬光時であり、頼基の主君である。光時は、四代将軍・頼経の近習筆頭として寵遇を蒙り、江馬氏は代々将軍家の近臣として仕えている。四条頼基は光時の隠居後、その家督を継いだ親時に仕えた。(「誕生」p69)

 頼経の将軍引退に際し、光時は得宗家に不満をもつ有力御家人の三浦氏・千葉氏と共に前将軍・頼経を立てクーデターを企てた。しかし事前に発覚するところとなり、光時は伊豆の江馬に流されたが、後に赦されて鎌倉に戻った。頼経は京へ帰され、三浦氏・千葉氏は滅ぼされた。

 大聖人が四条頼基に代わって、政所に提出する"陳状"(「頼基陳状」 建治三年六月 北山本門寺 )を認めた際、「又ほかのやつばらをもあまねくさはがせて、さしいだしたらば、若しや此の文かまくら内に奴原もひろうし、上へもまいる事もやあるらん」(「四条金吾殿御返事」 建治三年七月 常妙寺)と、陳状を鎌倉に流布した上で政所に提出すれば、「上」の耳に届くこともあるだろうと、頼基に告げている。
 この「上」とは、誰を指すのか?。従来は北条時宗、あるいは安達泰盛などと解釈されて来たが、「日蓮誕生」の著者はそれをきっぱり否定する。(「誕生」p78)
 大聖人は時宗を「相模守」「守殿」と呼び、泰盛 (秋田城介)は「城殿」である。
   
 頼基の主君である江馬殿に対しては、「主のめさん時はひるならばいそぎいそぎまいらせ給ふべし」(「四条金吾釈迦仏供養事」 建治二年七月 身延曾存)、「たとひ所領をめさるゝなりとも、今年はきみをはなれまゐらせ候べからず」(「四条金吾殿御書」 建治二年九月)と、「主」あるいは「君」とする。
 それでは「上」とは誰か、主君の江馬殿ではない。
 「二所の所領をすてゝ、法華経を信じとをすべしと御起請候ひし」(「四条金吾殿御返事」 建治三年七月)と、所領を捨てようとする頼基に対し、大聖人は「我とは御内を出でて、所領をあぐべからず。上よりめされいださむは法華経の御布施、幸ひと思ふべし」(同前)と述べ、自分から所領返上などしてはいけない、「上」に没収されるならそれは"法華経への御布施"と思え、と諭している。
 所領の安堵も没収も、それはそもそも将軍家の役割である。(「誕生」p79)

 「えまの四郎殿の御出仕に御とものさぶらひ(侍)二十四五、其の中にしうはさてをきたてまつりぬ。ぬしのせいといひ、かを・たましひ・むま・下人までも、中務のさえもんのじゃう第一なり。あはれ(天晴)をとこ やをとこやと、かまくらわらはべ(鎌倉童)はつじぢ(辻路)にて申しあひて候ひし」(「四条金吾殿御書」 建治四年一月)と。
 ここで「えまの四郎殿」とは将軍の近臣である江間親時、「御出仕」とは御所への出仕である。「御とも」とは四条頼基も同輩らと共に、江間殿に同行し御所に参じていた。

 大聖人の筆には「分々に随って主君を重んぜざるは候はず。上の御ため現世後生あしくわたらせ給ふべき事を秘かにも承りて候はむに、..(略)..頼基は父子二代命を君にまいらせたる事顕然なり..(略)..頼基成仏し候はゞ君をもすくひまいらせ..(略)..頼基に起請を書かしめ御坐さば、君又其の罪に当たらせ給はざるべしや」(「頼基陳状」 建治三年六月 日興筆北山本門寺 )、
 「所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御消息引き合せて見候ひ畢んぬ。此のは御文なきさきにすい(推)して候。上には最大事とをぼしめされて候へども、御きんず(近習)の人々のざんそう(讒奏)にて、あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候ぢうあう(縦横)の人こそをゝ(多)く候に..(略)..かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、..(略)..うらみまいらせ給ふべき主にはあらず」(「四条金吾殿御返事」 建治三年四月 身延曾存)と、「上」と「主」の明確な使い分けが見られる。

 さらに、「出仕より主の御ともして御かへりの時は、..(略)..上のをゝせなりとも、よ(夜)に入り て御ともして御所にひさしかるべからず」(「四条金吾殿御書」建治四年一月 真蹟なし)と。
 頼基は「主の御とも」して、(上の)御所に出仕していた。そして、たとえ「上」の申し付けであっても(主の)「御とも」して、夜更けまで御所に長居してはいけないと、「上」と「主」の違いは明々白々である。

 「さてはなによりも上の御いたはり(所労)なげき入って候。たとひ上は御信用なき様に候へども、との(殿)其の内にをはして、其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給ひ候へば、 偏に上の御祈りとぞなり候らん。..(略)..されば御内の人々には天魔ついて、..(略)..此の病はをこれるか。上は我がかたきとはをぼさねども、一たんかれらが申す事を用ひ給ひぬるによりて、御しょらう(所労)の大事になりてながしら(長引)せ給ふか。..(略)..若しきうだち(公達)、きり(権)者の女房たちいかに上の御そらう(所労)とは問ひ申されば、いかなる人にても候へ、膝をかゞめて手を合はせ、 某が力の及ぶべき御所労には候はず候」(「崇峻天皇御書」建治三年九月 身延曾存)と。
 「上の御いたはり」「上の御そらう」の「上」とは、もちろん主の江間殿であるはずがない、「上」すなわち将軍が病を得たのである。これまで間抜けたことに、 "上の病" とは "主の病" のことだと軽率に解釈されて来たし、小生は顕正会でそう教わって来た。しかし、病を得たのが江間殿なら「きうだち」や「きり者の女房」が、そこに登場すべくもない。顕正会も日蓮門下も、一同に思い込みにとらわれて御書を読み違がえ、かくも重大な "史実" に今まで気付かずに来た !!。

 頼基は、主の供として御所に出仕し「大事の御所労を…たすけまいらせ」と、上の病の治療をも仕っていたのである。(「誕生」p80)
 「此の所領は上より給ひたるにはあらず、大事の御所労を法華経の薬をもってたすけまいらせて給びて候所領なれば、召すならば御所労こそ又かへり候はむずれ。爾時は頼基に御たいじゃう(怠状)候とも用ひまいらせ候まじく候」(「四条金吾殿御返事」 建治三年七月)と。
 もし上が再び頼基の所領を没収するなら、病がぶり返すことにもなるでしょう。その時は詫び状を出されても、左遷された頼基は上の治療に伺うことができませんぞ、と云うのである。

 弘安元年には「日蓮が下痢(くだりはら)去年十二月卅日事起こり、今年六月三日四日、日々に度をまし月々 に倍増す。定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来、日々月々に減じ」(「中務左衛門尉殿御返事」弘安元年六月 立本寺)、
 「身に当たりて所労大事になりて候ひつるを、かたがたの御薬と申し、小袖、彼のしなじなの御治法にやうやう(漸) 験(しるし)候ひて、今所労平癒し本よ りもいさぎよくなりて候」(「四条金吾殿御返事」弘安元年閏十月)と、頼基は大聖人の重い病を投薬を以て癒やしている。

 大聖人の周辺には、将軍家に近い人が数多く存在する。江馬光時・親時も、四条頼基もそうである。そうした視点であらためて御書を読み返してみれば、これまでと違った歴史的な "鎌倉の光景" が、また立ち現れて来るだろう。( 令和5年5月25日 櫻川記 )
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妙一尼について

 "迷走する顕正会を斬る"サイトの所蔵資料に、「日蓮誕生 — いま甦る実像と闘争」を紹介した。著者 (江間浩人) は、これまで見過ごされてきた、"新たな視点"を数多く提示している。
 今回は、「日蓮誕生」から "妙一尼" について見てみよう。  

 建治三年、妙一尼が鎌倉から馬に乗って、身延の大聖人を訪れている。その馬とは、将軍家所有の馬であり、池上兵衛志宗長が管理していた。(「誕生」p13)池上の北には、馬込の地名が残っている。

 右大将・源頼朝が、由比ヶ浜の眺望を楽しむため建てた"桟敷"を、近臣の印東次郎左衛門尉祐照が管理をまかされ、"桟敷殿"と呼ばれた。印東祐照の妻が、"さじきの尼御前" と呼ばれた妙一尼である。(「誕生」p11)
 "さじきの尼御前" といえども、将軍家の馬を勝手に使うことはできない。池上宗長が、将軍家にお伺いを立て "許可" を得たからに他ならない。

 それにしても「かれたる朽木のやうなるとしより尼」(「妙一尼御前御消息」、建治元年五月 法華経寺)の一介の尼御前に、将軍家からそのような許可が降りるわけもない。
 大聖人は「此の度此の尼御前大事の御馬にのせさせ給ひて候由承り候。法にすぎて候御志かな」(「兵衛志殿女房御書」、建治三年三月二日 真蹟なし)と、池上宗長の妻に書を送っている。「此の尼御前」とは妙一尼、「大事の御馬」とは将軍家の御馬である。まことに尋常ではない、「法にすぎて候」である。妙一尼は、惟康将軍の縁者だからこそ、尋常ならざる配慮があった、との著者の説は説得力がある。(「誕生」p80)

「此の御房はいかなる事もありていみじくならせ給ふべしとおぼしつらんに」(「妙一尼御前御消息」、建治元年五月)と、妙一尼は大聖人が幼少の頃からその成長を見守り大成を願って来た。大聖人が京都に遊学されたとき、京での便宜を図ったのは妙一尼であっただろう。妙一尼は工藤祐経の長女で、京に生まれている。工藤祐経は、後白河院の武者所筆頭である。妙一尼の息子が成弁阿闍梨日昭、甥が大国阿闍梨日朗である。
 佐渡配流の際には、ただちに佐渡に下人を遣わしている。「滝王丸之を遣使さる。(略) 此は末代の凡女、彼は上代の聖人なり。志既に彼に超過す。来果何ぞ斉等ならざらんや。何ぞ斉等ならざらんや」(「さじき殿御返事」、文永十年四月二六日 瑞竜寺)

 さらに妙一尼は、大聖人の佐渡流罪赦免の "評定" の、訴人となっているという。妙一尼が「訴人」となったことで将軍家が動き、ついに評定が動いた。(「誕生」p83)「日蓮がゆりて候ひし時、いかに悦ばせ給はん」(「妙一尼御前御消息」、建治元年五月)と。

 大聖人の生涯を通じて、妙一尼の存在はまことに大きく、そして重い。( 令和5年5月20日 櫻川記 )
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日蓮誕生 - いま甦る実像と闘争

 論創社から昨年、「日蓮誕生 - いま甦る実像と闘争」(江間浩人著)が発刊された。





 これまで "日蓮大聖人伝" は、<信仰者> としての弟子の立場で「御抄」の記述と後代の弟子の "伝承" をもとに、多くが編纂されてきた。
 したがって、中世を専門とする歴史学者なら当然熟知している "吾妻鏡" や、幕府発行の "文書"・貴族の "記録" 等は、ほとんど顧みられることがなかった。

 北条得宗家の執権政治体制の完成期において、「日蓮が一門」に "将軍家" に近い人々が多くいたという、著者(江間浩人)の指摘は刮目に値する。名越氏、千葉氏、工藤氏、平賀氏等と、大聖人が強い繋がりを持っていることは知られているが、その政治的立場には関心が向けられて来なかった。

「大豆御書」(文永七年/弘安三年、富士大石寺)の宛先は、「御所御返事」である。また、「初穂御書」(弘安元年、身延曽存)の宛先も「御所御返事」である。
 従来の "御所" の解釈では、漠然と "幕府の高位の武家" や "幕府直々に仕えている高位の人" や "波木井一族" などとされてきた。

「宗祖御遷化記録」(日興、西山本門寺)の "御葬送次第" には、大聖人の棺の最も近い処に「源内三郎 御所御中間」と記されている。当時、"御所" と云えば「鎌倉殿」の御所であり、「将軍家」に他ならない。将軍家の使者が、宗祖の葬列を飾っていたのである。
 これまで日蓮門下では誰も、「御所」がただちに「将軍家」であるとは、思ってもみなかったのだ。

 本書は、史学の立場から新たな視点で大聖人の出自、弟子・檀那との姻戚関係、将軍家との関連等を考察した、画期的な書である。(櫻川 記)
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顕正会のタイムテーブル part3

 令和5年(2023年)、久々に "顕正会のタイムテーブル" を検証してみよう。
 
 10年前に「顕正会のタイムテーブル」を記したが、平成25年(2013年)の7月に顕正会は160万の会員数となっている。年頭の辞では、「六千万の地涌出現」を謳っていた。
 5年前の平成30年(2018年)の7月、顕正会は200万の名目会員を達成した。「顕正会のタイムテーブル part2」では、「300万達成は、14年後の2032年」と記した。
 
 期せずして5年毎の "定点観測" になったが、今年の「顕正新聞」元旦号(第1601号)の「弘通の足跡」のグラフを見てみよう。


 簡単な補間直線を引くだけで、誰がやってもこうなるだろう。"300万達成は、7年後の2030年(会長99歳)" と推定される。
 大事の "広布の最終決戦場" である2020年代に、300万達成はギリギリ間に合うかもしれないが、白寿となる浅井昭衛会長が健在である可能性は極めて低い。
 こうした推移は、十年前から凡愚の小生でも容易に見通せたことで、微力ながら警鐘を鳴らしてきた
 このグラフが示すところ、"一千万" も "六千万" も "あと○○年" も、"自己愛人間" の "脳内妄想" であることに、そろそろ顕正会員諸氏は気づいてもよいのではないか。
 
 「年頭の辞」を振り返れば、なつかしいフレーズが並んでいる。
 
  平成07年(1995):「あと二十年」
  平成08年(1996):「六年後の十万人の国会請願」
  平成11年(1999):「あと十五年の誓い弥々堅し」
  平成12年(2000):「百万が成れば一千万は必ず成る」
  平成14年(2002):「国家財政破綻も巨大地震も、早ければ2002年、遅くとも2005年」
  平成17年(2005):「残された時間はあと十有余年」
  平成19年(2007):「この五十年のうちに…国立戒壇建立は必ず成る」
  平成21年(2009):「残された時間は、あと十五年」
  平成22年(2010):「あと十二年」
  平成23年(2011):「広宣流布はすでに直線コースに入っている」
  平成25年(2013):「六千万地涌出現は必ず成る」
  令和02年(2020):「いざ広宣流布の決戦場へ」
  令和05年(2023):「早く三百万を成し遂げ大聖人の御馬前に」

 百万が成って "大聖人御馬前の法戦場" に到達しても、二百万が成っても、世の中は変わらなかった。
 百万が成れば次は二百万を目指し、二百万が成れば三百万を掲げ、そのサイクルはエンドレスである。
 そして、「あと二十年」、「あと十五年」、「あと十有余年」と、"ゴールポスト" "御馬前の法戦場" は、どこまでも遠のくばかりである。
 顕正会員は、同調・服従・内面化により、こうした過去の "事実" と "現実" から目をそむけ、浅井会長の巧妙な "マインドコントロール" にあらがえない。 
  
 安倍晋三元首相暗殺を受け、昨年末に急遽、 旧・統一協会の被害者救済を目的とする新法「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」が成立した。
 カルトの核心は "マインドコントロール" にあり、被害者救済法では「カルト問題」の解決にならない。
 顕正会は、恐怖感による切迫感を与えることで信仰者の精神を操作する、まぎれもない「カルト教団」である。
 
 結論は一貫して、10年前と変わらない。
  広宣流布・国立戒壇建立の御奉公を成し遂げ 「紅の涙」云々というのは、浅井会長が御書の恣意的な解釈で創り上げた妄想に過ぎない。
 浅井昭衛・個人崇拝団体となった顕正会は、 "御仏意に叶わない" ということである。
 浅井会長の妄想に騙され、大切な時間を御奉公(組織活動)に費やし、人生を無駄にしてはいけない。 ( 令和5年1月13日 櫻川記 )

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オンラインを全組織で

 令和3年6月度総幹部会、「オンラインを活用して広宣流布を力強く進めよう」と題して、浅井城衛理事長が登壇した。それが、顕正新聞 第1549号の紙面に「理事長指導」として、掲載されている。
 浅井会長も、ポスト浅井昭衛の組織継承について、周到に配慮していることが知られる。

「御遺命守護完結」の虚構、地方会館の「大幅形木本尊」複製、「御書全集発刊」の消滅、平成25年「一千万達成誓願」の破棄 等々、会員諸氏に何の説明もせず「後は知らん」という準備はできている。

 さて、「理事長指導」はなかなか画期的な方針転換だった、ように見える。
 
 それは一つには、総幹部会等の「ネット配信」 二つには、「リモート座談会」であります。
 これらオンラインを活用した戦いは、今後、広布を力強く推進するうえで画期的なものといえ、全組織が積極的に活用していくべきであります。
 「ネット配信」
 総幹部会の映像をネットで広く視聴できる環境を整えて下さいました。ネット配信は、時間や場所を選ばず、いつでもどこでもスマホやパソコンさえあれば視聴でき、...視聴者の裾野が格段に広がり、今や折伏や指導にフル活用されております。(略)
 「ネット座談会」
 今やほとんどの人がスマホやパソコンを所有しておりますので... 無料のビデオ通話アプリを使えば、リモートの座談会が誰でも簡単に行える環境が整いました。リモート座談会の利点は、大勢の同志が同時に参加し、画面に映し出される一人ひとりの表情を見つつ会話ができることであり、(略)
(顕正新聞 第1549号)

 小生が、「冨士大石寺顕正会の基礎知識」サイトを開設したのは、2000年6月であった。「御遺命守護資料館」サイトは一年後の2001年6月に開設した。2003年6月に、上長の矢島総務・武蔵野地区部長(当時)を通し、ただちにサイトを閉鎖するよう「本部命令」が伝えられた。
 以後、2004年にかけて総務と面談・メールを重ね、根拠を示し情報発信の必要性を訴え、理不尽な「本部命令」を拒否し続けた。

 同時に、本部に対し顕正会の組織上の問題点(特に幹部の機関誌購読費負担)を指摘し、その改善案を具申した。
 また、執筆中の「本門戒壇の本義」の本部への原稿提示と、小峰理事(当時)による拙著への出版妨害という経緯を経て、2005年10月 小生は除名処分となり、異例の「本部通達」が顕正新聞紙上に掲載された。

 時は移り 芙蓉茶寮の通販が始まり、紆余曲折を経て 顕正会顕正新聞社の公式サイトが開設されている。
 そして今、<ほとんどの人がスマホやパソコンを所有>する時代となり、「ネット配信」「ネット座談会」という<オンラインを活用した戦い>は、<全組織が積極的に活用していくべき>とされるに至ったことは、感慨深いものがある。

 顕正会員は、オンラインを活用した<戦い>の中で、さまざまなネット情報に触れることになるだろう。しかし、顕正会員が浅井マジックから脱却することは、容易ではない。
 創価学会は、すでにはるか以前から本部幹部会を衛星放送で放映しネット利用も進んでいるが、組織の情報統制は強固である。創価学会の跡を追う浅井会長も、そうした状況を見据えた上で「オンラインを全組織で」に、ようやく踏み切ったのだろう。

 誑惑・たばかりというのは、必ず崩れるのです。(略)
 大聖人様は報恩抄において、「誑惑久しからず」との御意を、譬えを挙げて次のように仰せ下されている。
「尼犍が塔は数年が間利生広大なりしかども、馬鳴菩薩の礼をうけて忽ちにくづれぬ。鬼弁婆羅門がとばりは多年人をたぼらかせしかども、阿湿縛窶沙菩薩に責められてやぶれぬ」と。
 このように、いかに巧みな誑惑も、責める者があれば必ず崩れるのです。
顕正新聞「御遺命守護特集号6」第1488号

 御遺命違背を責める浅井会長が、自ら「大幅形木本尊偽造」の誑惑や「平成25年一千万達成」等の自語相違を重ねて恥じないのは、いったいどうしたことか
「誑惑久しからず」であり、<責める者があれば必ず崩れる>のである。
<ほとんどの人がスマホやパソコンを所有>する時代、浅井会長の誑惑を責める者もまた少なくない。
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決戦場の第二年

 令和三年 (2021年)の「年頭の辞」で、浅井会長はこのように締めくくった。

 「三百万こそ広宣流布の重大関門である
 「さあ、決戦場の第二年、一筋に三百万を見つめ、何としても大聖人様に応え奉ろうではないか
 
 浅井昭衛会長の年齢はいま89才、本年末には90才となる。ご長寿で第一線でのご活躍、めでたいことである。
 さて、2020年代が「広宣流布の決戦場」であるなら、2029年末に浅井会長は98才となる。
 しかして残念ながら小生の予測によれば、「300万達成は、..2032年(会長101歳)」である。
 
 つまり「広宣流布の決戦場」たる2020年代に、「広宣流布の重大関門」である三百万が達成できる見込みはない。
 大石寺門流は四分五裂し日蓮門下も異体異心、「近き近き近き」広宣流布は幻想である。浅井会長に「 残された時間が少ない」ことは、「一点の疑い」もない。
 
 どうか顕正会員諸氏よ、「無二の師匠」という幻想に、一刻も早く気づいていただきたい。
 大切な人生を、自ら台無しにしてはいけない。
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自己愛人間への対応術

 浅井昭衛・顕正会終身会長が「自己愛人間」であることは、これまで拙著「迷走する顕正会を斬る」でも指摘して来た。
 ホチキス・サンディ著、「結局、自分のことしか考えない人たち―自己愛人間への対応術」の紹介と、古参会員から現役顕正会員諸氏への助言を記すことにしよう。



 本書の内容は、「あなたの身近に存在している『自己愛人間』、彼らの7つの大罪とは―。
 恥を知らない、歪曲して、幻想をつくり出す、傲慢な態度で見下す、ねたみの対象をこきおろす、特別扱いを求める、他者を平気で利用する、相手を自分の一部とみなす。
 他者を犠牲にして自己を守ろうとする、自己愛人間の複雑な心理構造を解き明かし、その毒から身を守るための4つの戦略を紹介。
 彼らの理不尽な言動に振り回され、傷つけられ、人知れず苦しんでいるあなたのための必読書
」と、紹介されている。

 事例がすべてアメリカで、身近な自己愛人間に対する問題であるため、依義判文して浅井昭衛会長とその組織に当てはめて読んでみよう。

 著者紹介:ホチキス・サンディ、心理学博士、精神分析医、公認臨床ソーシャルワーカー。専門分野はパーソナリティ障害、特に自己愛性パーソナリティ障害とその対人関係。
 
◇ 「自己愛人間から身を守る四つの戦略

 浅井昭衛会長と、浅井チルドレンと化した上長の理不尽な言動に振り回され傷つけられ、組織の同調圧力に苦しんでいる現役顕正会員諸氏は、どのように対処したらよいのか…。

 ご参考まで。

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 戦略1 「自分を知る

 顕正会員は浅井昭衛会長に出会い、誇大感と万能感に強くひかれ、特別な気分を味わっている。刺激的で、充実した日々が送れるからだ。
 だが、自分を犠牲にして幻想を追い求めたところで、心は満たされず遂には却って傷つくばかりである。 
 会長の自己愛の罠に陥る時、あなたはかけがえのない人生を捨ててしまっている。
 
 サバイバルのためのポイント

  1、 浅井昭衛会長が自己愛人間であると、相手の正体がわかれば 自分の身も守りやすい。
  2、 会長の言説に激しい感情を覚えた時には、過去のどの弱みのボタンが押されたのかを自分に問いかけよ。
  3、あなたはただ、自己愛人間が自身の感情を処理する手段として、使われたにすぎない。
  4、 組織内で惨めな思いをした時には、気持ちを切り替える方法を見つけよう。時には相手の精神年齢が幼児並みだと思うことが役に立つ。
  5、 復讐したいという衝動を抑えること、彼らに異議を唱えたり説教したりしない。
  6、 あなたが投影を跳ね返したことを、心の中で十分に確認すること。

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 戦略2 「現実を受け入れる

 幻想は、自己愛人間の大きな特徴だ。事実の歪曲や捏造、誇張や自慢、嘘や否認。
 自己愛人間は現実を色々な方法で遠ざけ、幻想を維持し誇大感と万能感とを支えようとする。
 そのためには共犯が必要で、自分を承認し いいつけに従う相手が必要である。中には大喜びで、すごい役割を果たそうとするものもいる。自分の価値を確認したいし、生きている実感が欲しいと、望んで自己愛人間の共犯になろうとする。

 多くの自己愛人間が、社会の上層部を占めているのは、どういうわけだろうか?
 自己愛人間の魅力的な誘いに応じてしまうのは、自信をなくしてしぼんだ自己を膨らませたいという、私たち自身の欲求のせいである。
 自尊心が揺らいでいる時や、人生が虚しく感じられる時には、自己愛人間がその問題を解決してくれるように思えるからである。
 
 サバイバルのためのポイント

  1、 自己愛人間の力を借りて夢を描くのではなく、自分自身の力で夢を見つけよう。どれほど魅力的に見えたとしても、自己愛人間とその非現実的な世界を避けよう。幻想の世界に引き込まれれば引き込まれるほど、自分を見失うことになる。
  2、 理想化した姿ではなく、自己愛人間の本当の姿を見ることが大切だ。 
  3、 自己愛人間が誰かに対して、嘘をつく、騙す、見下す、傷つける、裏切る、利己的に利用する、という行動を見せたら、次の相手はあなたかもしれない。
  自己愛人間と特別な関係(息子や娘婿ですら...)にあるからといって、自分は被害を免れると思ってはいけない。罠にはまった証拠であり、現実に戻れという合図なのだ。
  自己愛人間は、誠実に振る舞うことはない。あくまで、自分の自己愛を満たすために行動する。
  4、 浅井昭衛会長の人間性を変えられる、などという幻想は捨てよう。自己愛人間には、その能力が欠けている。
  5、 時に夢を見る(天母山への紅の涙の行進...等)のもいいが、人生は荒廃し取り返しがつかないことになる。
 
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  戦略3 「境界を設定する
 
  自己愛人間とは、成長が止まってしまった人たちだ。彼らにとって周囲の人間は、自分の欲求を満たすために存在する。
  その欲求を満たさないものは利用価値がなく、心理的な意味で存在しないのと同然だ。

  それ以外の点では、頭の回転も速くユーモアがあって教養もあり魅力的でもあるが、対人関係を見れば子供っぽい自己愛人間であることに気付くだろう。
  自己愛人間は日常的に、必ず境界を侵害する。日常的に特権意識を持って、あなたの境界を侵害する。
  彼らから身を守る方法はひとつしかない、あなたの方で境界を設定することだ。

 サバイバルのためのポイント

 1、 境界を設定する際の秘訣は、コントロールだ。相手はあなたよりも人を操る術に長けているから入念に作戦を練っておく。目標は何で、期限は何時までか。これまでに何を試したか、どんなことが成功して、どんなことが失敗したか。
 2、 相手と対等の立場に立って、自分の気持ちや意見をはっきりと伝える。 「アサーティブ」という方法は、主体的な自己主張や自己表現の手段として、非常に有効である。
 ところが、相手が自己愛人間の場合には効果がない。自己愛人間はあなたの主張を、個人的な攻撃と受け取るから。
 3、 相手に会いに行く前に怒りを鎮めておこう。大切なのはあなたの気持ちがどれだけ楽になるかという点であることを忘れないこと。
 4、 相手との関係が思わぬ展開を迎えることに備えよう。あなたが、自分で自分の人生をコントロールしようとし自己愛人間の心の平静を乱す時、相手は必ず何らかの対抗手段に出る。
 一旦設定した境界は、何が何でも守り抜くこと。
 
 ________________________________________
 戦略4 「相互関係を築く
 
 自己愛人間の毒から身を守る最も効果的な方法とは、そもそも彼らと深く関わらないことである。
 現実を見抜く目や自制心を持ち努力を重ねれば、健全な毎日をおくることは可能だ。
 あなたが自分自身の弱点を認め、幻想や歪曲を見破り 利己的に利用しようとする相手から勇気を持って身を守れば、人生は変えられる。
 ________________________________________

 以上、「結局、自分のことしか考えない人たち―自己愛人間への対応術」の第3部、「自己愛人間から身を守る4つの戦略」の要約である。

 ちなみに目次は、このようになっている。

 第1部 自己愛人間の7つの大罪
 第2部 自己愛はどこから生まれるのか
 第3部 自己愛人間から身を守る4つの戦略
 第4部 あなたのまわりの自己愛人間たち
 第5部 子どもを自己愛人間にしないために

 
 さて、「自己愛人間」についていろいろな特徴が掲げられているが、顕正会員諸氏においては、思い当たるところがあるだろうか?
 
  ・ 恥を知らない
  ・ 幻想をつくり出す
  ・ 傲慢な態度で見下す
  ・ ねたみの対象をこきおろす
  ・ 特別扱いを求める
  ・ 他者を平気で利用する
  ・ 相手を自分の一部とみなす
  ・ 誇大感と万能感
  ・ 事実の歪曲や捏造
  ・ 誇張や自慢
  ・ 嘘や否認
  ・ 騙す、傷つける、裏切る

 
 
 
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二百万達成

 平成30年7月度総幹部会で、矢島総務より「二百万達成」が報告された。
 それを承けて浅井会長は、かつての御遺命守護の自己讃歎物語を長々と語って、最後に「さあ、次の目標は三百万であります」と述べた。
 身命を削って「二百万達成」を目標に、無理な御奉公を重ねてきた会員諸氏は「次の目標は三百万」を、どのような思いで聴いたことだろうか…。



ボクシング・山根明会長の溢れんばかりの「自己愛」>(文春オンライン / 2018年8月7日 )に、「理屈に合わない持論を展開し、説明になっていなくても正当性を堂々と主張するのも 自己愛」として、独裁者の有り様を分析している。
 「自分に対する特権意識が強く、なんでも許され、特別に取り計らわれるのが当然であると思っている。万能感が強く、自分が一番偉いため、言動も態度も尊大で傲慢、人は自分の言う通りに動けばいいと思っている。他人は自分の目的を達成する道具であり、他人の存在や気持ちは意識していない
 「このような人物は、権力を持つほどに他人には厳しく自分には優しくなり、ルールを簡単に破り自分勝手に振る舞いやすい。失敗を恐れ、自分の立場を弱くすることを嫌うため保身が強く、自分の責任は認めない他罰的傾向も強くなる」(文春オンライン)

 どんな組織・団体でも、批判や監査の目が届かない体制・制度で人事と金庫(経理)を握れば、人はその権力を手放したくない。批判するものは除名・左遷・パワハラで排除し、周囲はイエスマン・茶坊主・女帝だけとなる。そうしてドンは、やりたい放題の絶対権力者・終身会長になる。

 こうした組織の私物化は、人類の歴史が始まって以来の難題で、その妙薬は批判と監視と抗議である。
 「諫臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」(北条時宗への御状)と。
 かつて、宗門にあって諫臣・争子の役割を担った浅井会長は、講中・会内における諫臣・争子を悉く排除して絶対権力を掌握し、組織の私物化に突き進んだ。
 小生はこのブログでも、「自己愛的人格構造」や「顕正会の組織風土」や「指導者と詐称者」等、浅井会長の独裁私物化をささやかながら指摘し続けて来た。

 一般社団法人「日本ボクシング連盟」は、日本オリンピック委員会に加盟しているから、「第三者委員会を設けて真相を究明せよ」との指示を拒めなかった。
 一方、宗教法人法はあまりにザルで、浅井昭衛会長は国から宗教法人「顕正会」に税制の優遇を受けつつ、人事・経理においてやりたい放題を続け、会員を「紅の涙」の幻想・妄想に巻き込み、多くの人々の人生を狂わせている。  

 さて、データに基づく予測では、三百万達成は14年後の2032年で、会長の年齢は101歳である。
 顕正会員諸氏には「次の目標 三百万」を迎えて、これまでの浅井昭衛会長の言葉をしっかり思い起こして欲しい。

 

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冨士(創刊号)

 妙信講再建当時、講中の様子がどんなものであったか、これからしばらく振り返ってみよう。

 昭和36年の冨士(創刊号)と、顕正新聞(41号)が小生の手元にある。小生が入信する5年前の資料であるが、先輩諸氏からわたしに託されたものである。

 昭和36年4月、細井日達上人は「事の戒壇とは富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(「大日蓮」一八三号)と指南した。
 4月15日、教学部結成式が音羽の本部で開催され、浅井昭衛企画室長による六巻抄講義が始められた。

 5月28日、妙信講は第七回総会を開催(千代田公会堂)、浅井企画室長は「使命あればこそ妙信講は試練に耐える。信心が仏意に叶えば必ず広布のお役に立つ」と講演した。
 同月、創価学会は二百万世帯を達成した。池田会長は二百万世帯を背景に、「王仏冥合の実践の関所ともいうべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である」(「大白蓮華」一二一号、昭和三十六年六月)と述べた。

 このとき妙信講は、1,400世帯となっていた。


 9月1日、教学誌「冨士」が創刊された。
 9月、法華講第一回全国連合登山会が挙行された。法華講連合会発足の、第一歩である。
 11月、総本山の御会式に、妙信講員120名が参加した。


妙信講の組織は本部の下に七ヶ支部二ヶ直属班が法陣を布き本部の機構は本部企画室、財務部、教学部、青年部、婦人部、から成っている」(冨士 創刊号) 

 当時の妙信講では、講員はすべて各支部に所属し、支部長が組織運営の中核を担っていた。

 しかしその後、浅井昭衛氏は支部を解体して四者体制に移行し、さらに壮年部を潰してしまった。
 そして伝統ある教学部も、ひっそりと葬ってしまった。

 

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顕正会のタイムテーブル part2

 平成30年の「弘通の足跡」(顕正新聞 第1428号)のグラフを検討してみよう。

 浅井会長は、過去の自身の発言について、はずしたことについては言及しないし、いわんや検証することもない。
 ところが本年の「年頭の辞」では、このように語っている。
  「出陣たる五万人男子部大会を開き、『二〇一九年までの二百万達成』を全員で誓願したのであった。その二百万が、二〇一九年を待たずに、一年も早く本年七月に達成されること、広布の決戦場に些かも遅れずと思えば、ただただ有難さが込み上げてくる
 あたかも、誓願がいつも達成されているかのように会員に思わせる、浅井マジックである。
  「一千万はあと15年(平成25年)」と、顕正会会長として誓い奉った一千万だったが、「些かも遅れず」どころか遅れまくっている。

 

 それでは、小生の5年前の予測(顕正会のタイムテーブル)について、自ら検証してみよう。
  「200万は7年後の平成32年(2020年)に達成」とグラフから読み取ったが、それは2年間前倒しされた。
 簡易なグラフからの読取りであれば、小生の予測(誰がやっても同じだが..)は充分信頼に値するだろう。

 では最新の「弘通の足跡」から、今後の推移はどうなるだろうか?  
 今から10年後の2028年(会長97歳)、約268万人とグラフから読み取ることができる。そして300万達成は、14年後の2032年(会長101歳)である。
 したがって、「2020年代に、いよいよ本格的な他国侵逼が起こる … 建白書において、『近き広宣流布・国立戒壇』という文言を、三たび使った。… 六千万は必ず成る。この確信のゆえに、敢えて『近き』『近き』『近き』と三度、繰り返したのであります」(平成24年8月)はレトリックに過ぎず、いつもの様に虚言となることは明白である。
 2020年代に六千万が成らないことは、「弘通の足跡」グラフが証言している。5年前の予測でも、300万達成は2035年で、数年しか違わない。

 結論は、5年前といささかも変わらない。もう一度ここに、再掲しよう。
  「顕正会が、広宣流布・国立戒壇の御奉公を成し遂げ 「紅の涙」云々というのは、浅井会長が御書を自己中心・自分勝手に解釈して創り上げた妄想に過ぎない。
 300万へのタイムテーブルが破綻していることは、すでに現実を反映したグラフが正直に示している。それは同時に、浅井昭衛・讃仰(個人崇拝)団体となってしまった顕正会は 『御仏意』に叶わない、ということである。
 浅井会長の妄想に騙され、大切な時間を御奉公(組織活動)に費やして、人生を無駄にしてはいけない。」 (櫻川 記)

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自己愛的人格構造

  「マインド・コントロール」(文春新書、岡田尊司著、2016年4月発行)から、独裁者やカルト指導者の支配の特徴を知っておこう。

 共感性の乏しさと支配する快感

 相手の立場になって痛みを感じるなら、相手を傷つけようとはしない。しかし、共感性が欠落していると、支配する快感を押しとどめる機構が働かない。
 マインド・コントロールは、虐待やイジメ、ハラスメントと共通する源をもっている。共感性が欠如すると、支配か利用かというあり方になる。
 自分は直接手を下さず、言いなりになる部下を使っての支配はリスクが少なく、支配の快感はいっそう大きい。それは病み付きになって、マインド・コントロール支配は中毒的な快感をもたらす。

 マインド・コントロールする側の特性

 独裁者やカルト指導者、独善的な上司や配偶者、親、イジメに走る子どもに至るまで、そこには本質的な共通項がある。

 その第一は、閉鎖的集団の中で優位な立場にいること。その優位性は、相手の安全を左右できるという点に関わっており、「生殺与奪の権利」を持つ。
 第二の点は、弱者に対する思いやりのなさ、さらに自身の正義だけを振りかざす倫理感の欠如である。
 そして第三には、支配することが快楽になるということ、「支配は中毒になる」のである。

 肥大した自己愛や万能感

 悪しきマインド・コントロールに走る者は、他者を支配する快楽が強列なのに比して、それを思いとどまる共感や思いやりを稀薄にしかもたない。
 そうした特性は精神医学的には、一つの「人格構造の特徴」に一致する。それは「自己愛性」である。「自己愛性人格構造」は、肥大した自己愛や万能感と、他者への共感性の乏しさや搾取的態度を特徴とする。
 独裁者であれ破壊的カルトのグルであれ、DV夫やパワハラ上司であれ、支配的な親や同級生へのイジメに愉楽を見出す小中学生であれ、基本的に同じ自己愛的な人格構造が認められる。 (※ 以上、岡田尊司著「マインド・コントロール」より

 独裁会長の自己愛的人格構造

 昭衛氏を妙信講草創期から支えた有為な人々は、ことごとく排除されもはや顕正会に痕跡を残さない。しかし小生の心の中には、御遺命守護を共に闘った先輩幹部諸氏の輝かしい姿が、今も鮮明に残っている。
 「試練と忍従」期を共に耐え、自ら育くんだ有為な人材を嫉妬し恐れ、昭衛氏はすべて排除してしまった。

 そして今日、長男の浅井克衛氏も娘婿の小峰勝彦氏も最高幹部の理事職から排除され、その理由や消息を問うことは顕正会ではタブーである。
 兄を猛毒VXで排除した独裁国家のドンも、身内をも排除する終身会長も、権力を維持するため厳しい情報統制を課することは同じようだ。

 

 

 

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スピリチュアル・アビュース

 顕正会は今や、典型的な「カルト教団」となってしまった。
 そのことを、〈カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュース」 の論理〉(藤田庄市著、春秋社、2017.05)に、見てみよう。

 藤田氏は、盲信や狂信や呪縛という言葉ではとらえ切れない カルト事件の深層に迫るため、「スピリチュアル・アビュース」 という概念を提示している。
  「スピリチュアリティ」(霊性)とは、「超自然的な力や存在に自己が影響を受けている感覚」 である。
 そこに教祖やリーダーが絶対的優越的地位を濫用し、教義や修行・儀礼などの宗教システムで働きかけ、恐怖感による圧迫・焦燥などの切迫感を与えることで信仰者の精神を操作する。

  「アビユース」とは、「濫用する、悪用する」ことであり、「虐待」をも意味する。信仰者を行動に駆りたてるのは、恐怖感・圧迫感・使命感で、信仰をやめることは罪悪とされる。カルト信者は、他から見ると異様な行動を取り、場合によっては犯罪まで犯してしまう。
 カルト教団は精神的・肉体的に会員を従属させ、財産等さまざまな面で信者から収奪する。そして、教団や集団の枠を超えて、ついには社会にまで累を及ぼすに至る。

 しかし、カルト信者は救済の実感や使命感、超越的存在と結ばれているという優越感など、精神的昂揚の中にある。
 「スピリチュアル・アビユース」は、精神の自由・人間の尊厳の重大な侵害そのものである。
 カルトは世俗の常識に反しているし、奇態さや異常さが際立ってスキャンダル性や事件性・特異性に目を奪われてしまうが、カルト現象の根底には「精神の自由の侵害」「人間の尊厳の否定」があることを見失ってはならない。

 この書 「カルト宗教事件の深層」 の最後には、「終章 東日本大震災被災地に響く終末の脅迫 -- ものみの塔と顕正会 --」の章を設け、顕正会員が福島第一原発事故被災地や全国の原発立地 あるいは原発反対集会などで、原発廃絶を主張する機関紙を配布しながら活発な勧誘活動を続けていることを紹介している。
 そして、顕正会員は浅井会長を盲信し、亡国が現実化しつつあるとの思い込みと、正本堂崩壊の現証によって宗教的かつ現実的な危機感・切迫感・使命感を強く持たざるを得ない、と分析している。

 そうした藤田氏の論述は、拙著「迷走する顕正会を斬る」でも言及したことであって、同感するところが多い。
 顕正会員諸氏には、我が身と組織の現状を省み 近い将来(会長滅後)を鑑みて、恐怖感や切迫感の濫用によって精神的に「虐待」されていることに、一刻も早く気づいていただきたい。

 そして、浅井会長に従いながら排斥・粛清・排除・処分され組織を離れた「理事」等の元最高幹部諸氏に、酷かもしれないが小生は問い糺したい。結句、自身がカリスマ会長から「アビユース」されたことは、自業自得果である。
 しかし、あなた方は会長の権威濫用の手先として、どれほどの「虐待」を会員に対して為して来たことか…、その自身の行為に 「忸怩たるものはないのか…!?」、と。

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