冨士大石寺顕正会向上委員会

     「会長無謬神話」の崩壊を直視しよう

顕正会のタイムテーブル part3

2023年01月13日 | ◆ 動向

 令和5年(2023年)、久々に "顕正会のタイムテーブル" を検証してみよう。
 
 10年前に「顕正会のタイムテーブル」を記したが、平成25年(2013年)の7月に顕正会は160万の会員数となっている。年頭の辞では、「六千万の地涌出現」を謳っていた。
 5年前の平成30年(2018年)の7月、顕正会は200万の名目会員を達成した。「顕正会のタイムテーブル part2」では、「300万達成は、14年後の2032年」と記した。
 
 期せずして5年毎の "定点観測" になったが、今年の「顕正新聞」元旦号(第1601号)の「弘通の足跡」のグラフを見てみよう。


 簡単な補間直線を引くだけで、誰がやってもこうなるだろう。"300万達成は、7年後の2030年(会長99歳)" と推定される。
 大事の "広布の最終決戦場" である2020年代に、300万達成はギリギリ間に合うかもしれないが、白寿となる浅井昭衛会長が健在である可能性は極めて低い。
 こうした推移は、十年前から凡愚の小生でも容易に見通せたことで、微力ながら警鐘を鳴らしてきた
 このグラフが示すところ、"一千万" も "六千万" も "あと○○年" も、"自己愛人間" の "脳内妄想" であることに、そろそろ顕正会員諸氏は気づいてもよいのではないか。
 
 「年頭の辞」を振り返れば、なつかしいフレーズが並んでいる。
 
  平成07年(1995):「あと二十年」
  平成08年(1996):「六年後の十万人の国会請願」
  平成11年(1999):「あと十五年の誓い弥々堅し」
  平成12年(2000):「百万が成れば一千万は必ず成る」
  平成14年(2002):「国家財政破綻も巨大地震も、早ければ2002年、遅くとも2005年」
  平成17年(2005):「残された時間はあと十有余年」
  平成19年(2007):「この五十年のうちに…国立戒壇建立は必ず成る」
  平成21年(2009):「残された時間は、あと十五年」
  平成22年(2010):「あと十二年」
  平成23年(2011):「広宣流布はすでに直線コースに入っている」
  平成25年(2013):「六千万地涌出現は必ず成る」
  令和02年(2020):「いざ広宣流布の決戦場へ」
  令和05年(2023):「早く三百万を成し遂げ大聖人の御馬前に」

 百万が成って "大聖人御馬前の法戦場" に到達しても、二百万が成っても、世の中は変わらなかった。
 百万が成れば次は二百万を目指し、二百万が成れば三百万を掲げ、そのサイクルはエンドレスである。
 そして、「あと二十年」、「あと十五年」、「あと十有余年」と、"ゴールポスト" "御馬前の法戦場" は、どこまでも遠のくばかりである。
 顕正会員は、同調・服従・内面化により、こうした過去の "事実" と "現実" から目をそむけ、浅井会長の巧妙な "マインドコントロール" にあらがえない。 
  
 安倍晋三元首相暗殺を受け、昨年末に急遽、 旧・統一協会の被害者救済を目的とする新法「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律」が成立した。
 カルトの核心は "マインドコントロール" にあり、被害者救済法では「カルト問題」の解決にならない。
 顕正会は、恐怖感による切迫感を与えることで信仰者の精神を操作する、まぎれもない「カルト教団」である。
 
 結論は一貫して、10年前と変わらない。
  広宣流布・国立戒壇建立の御奉公を成し遂げ 「紅の涙」云々というのは、浅井会長が御書の恣意的な解釈で創り上げた妄想に過ぎない。
 浅井昭衛・個人崇拝団体となった顕正会は、 "御仏意に叶わない" ということである。
 浅井会長の妄想に騙され、大切な時間を御奉公(組織活動)に費やし、人生を無駄にしてはいけない。 ( 令和5年1月13日 櫻川記 )