冨士(創刊号)

 妙信講再建当時、講中の様子がどんなものであったか、これからしばらく振り返ってみよう。

 昭和36年の冨士(創刊号)と、顕正新聞(41号)が小生の手元にある。小生が入信する5年前の資料であるが、先輩諸氏からわたしに託されたものである。

 昭和36年4月、細井日達上人は「事の戒壇とは富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(「大日蓮」一八三号)と指南した。
 4月15日、教学部結成式が音羽の本部で開催され、浅井昭衛企画室長による六巻抄講義が始められた。

 5月28日、妙信講は第七回総会を開催(千代田公会堂)、浅井企画室長は「使命あればこそ妙信講は試練に耐える。信心が仏意に叶えば必ず広布のお役に立つ」と講演した。
 同月、創価学会は二百万世帯を達成した。池田会長は二百万世帯を背景に、「王仏冥合の実践の関所ともいうべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である」(「大白蓮華」一二一号、昭和三十六年六月)と述べた。

 このとき妙信講は、1,400世帯となっていた。


 9月1日、教学誌「冨士」が創刊された。
 9月、法華講第一回全国連合登山会が挙行された。法華講連合会発足の、第一歩である。
 11月、総本山の御会式に、妙信講員120名が参加した。


妙信講の組織は本部の下に七ヶ支部二ヶ直属班が法陣を布き本部の機構は本部企画室、財務部、教学部、青年部、婦人部、から成っている」(冨士 創刊号) 

 当時の妙信講では、講員はすべて各支部に所属し、支部長が組織運営の中核を担っていた。

 しかしその後、浅井昭衛氏は支部を解体して四者体制に移行し、さらに壮年部を潰してしまった。
 そして伝統ある教学部も、ひっそりと葬ってしまった。

 

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冨士 第十七号 (6412)

      ( 昭和三十九年十二一月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )

       大石寺三門前より望む富士山 




               年頭の辞 



                  ◇     ◇     ◇
 「茲に昭和四十年の新春を迎え講中一同、外に邪教撲滅の法戦に、内には三障四魔に打ち勝ち信心の情熱の中に自ずと本年の瑞気黎明を感ず」


 この講頭先生の言葉の背景が、妙信講員に理解できたのは後のことでした。昭和三十九年の四月、池田会長は法華講総講頭に就任しました。五月には平沢法華講連合会委員長が妙縁寺に出向き、能化の松本住職に「妙信講と縁を切れ」と迫りました。さらに妙信講に対し、「教学部を廃止せよ、顕正新聞を廃刊せよ」と、命じたのでした。
 浅井先生は当時の心境を、「妙信講の前途は真っ暗だった」、「いつ潰されるかわからない」、「毎日毎日が薄氷を踏むような思い」(顕正会の歴史と使命)と述べられています。そうした状況の中で、「本年の瑞気黎明を感ず」、「春は草木も又、寒気を突き破り若き芽を出す」、「希望の中に生きぬかねばならない」と、講頭先生はおっしゃっていたのでした。

 妙信講の「命」は、教学です。“たとえ登山は出来なくとも、教学部の名は捨てようとも、断じて教学研鑽の灯だけは絶やさない”、それが先生のご覚悟でした。
 一念信解と称して教学研鑽を捨閉閣抛、以て「群狐に笑わるる」(閻浮提中御書)今日の事態の出来、果たしていかなることでしょうか。



               黎明 





                  ◇     ◇     ◇
 「日本人は従来「日本」に対して二重の誤りをおかして来た。一つには敗戦で崩れ去るまでの帝国主義日本である。富国強兵の優越のみを誇った「日本」は大聖人の仰せられ給う「小日本国」に過ぎない。勿ちに修羅道を感ずる運命とはなった。これに懲りて本有の日本をも忘れ去った戦后の浮薄は第二の誤りであった。外来の皮相の民主々義に正念を抜かれ、いたづらに卑屈になって自国を下げて喜んでいる。もういい加減にこの二重の悪酔より覚めねばならない。黎明の時は来ているのである」


 浅井先生のこの主張は、一貫して変わりません。隣国の核の脅威に直面して、世間の思潮は今ようやく「いたづらに卑屈になって自国を下げて喜」ぶことから脱しつつあることは、憲法改正論者が首相に就任したことからも知られます。
 そして憂うべきは、宗門にあって未だ現憲法と皮相の民主々義を基として、「本有の日本」における御遺命の「本門戒壇」の重大な意義が、失われていることでした。この悪酔から疾く、覚めなければなりません。



                聖訓解説

           「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」
 
 愚人と云うのは世間法には明かるくとも仏法に暗いのと、何れも暗いのとが愚人と云はることとなる。本題の愚人たる天台真言の大僧は、再往は仏法愚であるが、一住は中々仏法にも賢であるから、厳密に図をつくれば、仏法中に入りて本迹種脱の区別を立てねばならぬ。ここには面倒じやから略する。
 要するに世間にも仏法にも、何れの階段の智徳に於いても、一重超越したる高尚の義理は平凡の者の賛同する所とならぬ。平凡の附和電同するのは、平凡の事柄のみである。群衆心理は常に常識以下にありて以上に出でぬ。大声俚耳に入らずとは、此等のことであらう、長春白雪唱高くして和する者少しと。
 嗚呼、愚人はいやだ、グーダラベーはいやだ、国に多くなれば国を危うくし、宗門にはびこれば宗門を亡ぼすかも知れぬ。

                  ◇     ◇     ◇
 「嗚呼、愚人はいやだ、グーダラベーはいやだ」
、当時この文章を読んで落語のような語り口に、まずびっくりしたことでした。そして仮にも正系門家の猊座にあられた方が、「宗門にはびこれば宗門を亡ぼすかも知れぬ」などとおっしゃるとは、何たることかと幼稚なわたしは思いました。
 冨士の編集部がこの時、あえてこの日亨上人の聖訓解説を掲載した意図は、今になって判ります。

 時に宗門に賢人在さず、妙信講の道理の諫訴なくしては正本堂をして、「七百年来の念願であり、久遠元初以来の壮挙」、「日蓮大聖人の御遺命たる本門戒壇建立の具体化であり、宗門七百年来待望の壮挙」と、池田会長に決定されていたことでしょう。
 しかるに法義に昏き愚人は、今や顕正会にこそ充満しています。



        -- 目と耳 --
               研修部の試験迫る




                  ◇     ◇     ◇
 「学ばずに使命が果せるか」、「正宗信徒の伝統を秘めた妙信講では、佐渡の大聖人の御姿をしのび「行学たへなば仏法あるべからず」の御金誡を拝して教学研鑽である」


 何故にして大事の教学研鑽から、顕正会員を遠ざけるのでしょう。顕正会員が教学を身につけると、不都合なことが本部中枢にあるのでしょうか。
 学ばず学ばせずして、広宣流布の使命は果せません。「学ばずに使命が果せるか」と。使命を棚上げしてまで、何を護りたいのでしょうか。
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冨士 第十六号 (6411)

      ( 昭和三十九年十一月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


               第十回総会 
 

               講頭講演 

 
 
 

                  ◇     ◇     ◇ 
 「只ひたすら宗祖日蓮大聖人様の御目的であらせられる広宣流布の御願業に向い、「総ては立正安国論に勘えたるが如し」と仰せになった其の立正安国論の御聖旨に従い、本門戒旦の大御本尊の功徳を先づ日本民族に伝へ、仏国日本の建設に、王仏冥合を願い、御本尊流布を致しまして、皆が幸福になる様にと願うより、外に何ものも目的は御座いません」

 
 この妙信講の精神は、変わってはなりません。仏国日本の建設と共に、講員一人ひとりの幸せと成仏得道を願われたのが、浅井甚兵衛先生でした。
 自転車のペタルをふんで、一軒々々廻って信心の指導に当られた講頭先生が、「本部が信じられないなら出て行け」 などという顕正会幹部の冷酷無慚な指導の実態を今ご覧になられたら、何とおっしゃることでしょう。


               浅井企画室長講演 

 
 

                  ◇     ◇     ◇ 
 「自慢にはなりませんが、妙信講には財力はありません、いつも財務部長の握っているサイフは空であります、これ位貧乏な講中はない。そして講中の建物も一つもない。だが妙信講には火にも焼かれぬ、刀でも切れない信心がございます」
 
 顕正会は宗教団体の法人所得順位で、今や第7位にランクされています。地方には多くの会館が建ち、あたかも多造塔寺堅固の如くです。
 「火にも焼かれぬ信心」とは、わずか3千世帯の妙信講が翌年には、男子一千結集を成し遂げたことで知られます。117万の若き集団を豪語する顕正会が、男子3万を結集するのになお3年の年月を要するとは、いかなることでしょうか。
 
 「鹿は良き皮とうまい肉があるから、人に狙われるのであります。妙信講も使命と妥協を許さぬ清純な信心ある故に、三障四魔が行く手をさえぎるのであります。これを強盛な信心で乗り切った時、始めて妙信講の大使命が判って参ります」
 
 この企画室長の指導はまた、今の顕正会に当てはまります。魔は本門戒壇建立を妨げるため、まず学会中枢に入り次に宗門中枢を誑かし、最後に顕正会中枢を狙うこと必定でしょう。


               報道 

 

                  ◇     ◇     ◇ 
 「 思想戦に研修部の精神
 更に研修部を代表して木内研修部長が立ち“今後に於ける広布の斗いは言論戦であり思想戦であると思います。この時に当り色心不二の大哲理をひっさげ邪智謗法の輩が反対せんとして反対しえない理論を示し、その邪を打破って進んで行く、こゝに我々研修部員は思いを致し、将来に対する大使命を強く自覚し真剣に研鑽して行く所存であります”と述べた」

 
 わずか3千の妙信講でしたが将来の思想戦に備え、かくも大きな使命を自覚していました。そして今こそまさに、その時にあたります。「一念信解」でどうして、思想戦を戦えるでしょう。
 あってはならない教学部の廃止、未だ説明なき主任理事(教学室長)の失脚、組織の中枢に何が起こっているのでしょうか?

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冨士 第十五号 (6410)

      ( 昭和三十九年十月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


               信心と教学の大事 
 
 

                  ◇     ◇     ◇ 
 「行のない信仰、学ぶことのない仏法は存在しません」、「我々が若し教学が弱かったなら、大聖人様の願業であられる広宣流布への斗いもでき得ないし、第一に大聖人様の叱りを受けなければならない」、「先づ毛穴から入れること」、「教学は解らないからこそ学んで行くのだと云う精進が一番大切」と。

 わたしはこういう指導を、いつも先生から先輩諸氏から、嫌というほど聴いて来ました。



            たゆまず、あせらず信心のカで前進 
 
 
 

                  ◇     ◇     ◇ 
 「折伏の月だからやる。然も班長一人でがんばる、あとは誰もついて来ない、これでは岩盤にシャベルです、常日頃から班員一人一人の生活に目を配り、果してみんな功徳を受けているか、この大御本尊に会えて歓喜を持っているか、と折角の御本尊を頂いても修行もせねば功徳も知らぬと、これは指導の不徹底です」と。

 壮年部では一昨年の暮れ、先生と壮年部長から再び、同じような指導がありました。「カチンカチンのツンドラではいけない、ミミズが住めるような豊かな大地になるよう、あたたかい指導を徹底しなさい」と。
 わたしはこれがあるいは顕正会が変わる兆しであって、百万達成の後に於いて壮年部だけでなく四者に浸透して行くかもしれないと、ひそかに希望と期待を持ったことでした。しかしたった数ヶ月で、そうした指導は影をひそめました。目先の成果だけをひたすら求め、「置き去り」と「岩盤にシャベル」が繰り返されています。


               男子部の武田武士
                 精神をつかんで歌おう! 

 
 さる十月三日夜の男子部班長会の席上で、男子部の幹部会で歌っていく武田節が講頭先生の許しをえて発表された。
 浅井青年部長は、この武田節について″我々が歌う武田節は、あの節まわしのうまい流行歌の武田節ではない、我々は依義判文して妙信講が家の武田節として歌っていくのです”といわれ、次の三つの歌詞についてそれぞれ次のように解釈され、この精神で歌っていくことになった。 

  武 田 節

一、甲斐の山々 陽に映えて
  われ出陣に 憂いなし
  おのおの馬は飼いたるや
  妻子に恙があらざるや・あらざるや

 我々は使命をうけてこの世の中に生れてきたのです、広布に向って斗っていくのです。その使命に向って斗う時にそれをさまたげるのは自分達の廻りの環境です、自分の商売がひっくり返っていたり、生活が乱れ借金だらけであったりしていては大使命を果せるわけがない、この大使命を果すが故に武士でいえば馬が大丈夫か、妻子眷属は大丈夫かというのである。
 いつでも憂いなく広布に斗えるように職業は大丈夫か、商売は大丈夫か身の用心堅固にということで、大聖人様がかって四条金吾殿に向って″貴方は大切な使命がある身である日々の生活を、油断なく固めていきなさい″と御指導遊ばされておりますが、この精神です、すなわち広宣流布に斗う者の用心、この気持でこの一番を歌っていこう

二、祖霊まします この山河
  敵にふませて なるものか
  人は石垣 人は城
  情は味方 仇は敵・仇は敵

 使命ある妙信講の砦を守る決意です、祖霊ましますとは先祖代々の霊の事ですが、今我々の男子部からみるならば、講頭先生が血と汗で築き上げてきたこの妙信講です、指一本だれにもさせず守って下さった、誰れもわからないでしようけど妙信講の前進に当っては、数々の障礙があった、それをいまゝで毅然としてはねのけ、自分の全魂をかけて守り育てゝ下さったのです、この妙信講が今正に飛躍せんとするとき、これをさまたげる者に指一本ふれさせてなるものか、これが決意です、
 妙信講の城を守る、如何にして、何を以って守るかというならば、云く人材と団結です、「人は石垣・人は城、情は味方仇は敵」であるとは、お互いに同志を暖かく激励し合って進もうということです、仇は怨嫉です、清純な信心に怨嫉はありません、先生が築いたこの使命ある妙信講を我等男子部の人材と団結で守りぬく決意です。

三、躑躅ヶ崎の 月さやか
  うたげを尽せ 明日よりは
  おのおの京をめざしつつ
  雲と興れや武田武士・武田武士

  「つゝじが崎の月さやか・うたげを尽せ」これは一つの枕でして、ゆとりです、「明日よりはおのおの京をめざしつゝ」この京という事が問題です。なんの為に出陣するのか、目的は京にあるということです。京とは京都、京都とは天皇のおられた所です、天皇のおそばに登ってその近隣を守っていこうということです、そこで我々は今京というのはお山です。
 我々講中は武士団ですよ、講中は昔からお山を外護するというところに本質があったのである、こゝに講頭先生の御考えは、妙信講を大きくしてどうのこうのという気持は微塵ももっておられない、″日蓮によりて日本国の有無はあるべし乃至仏法は体、世間は影の如し″との御金言を通し、常に御山の姿をみているならば日本国の盛衰がわかるのだといわれ総本山を守る清純なる使命を果していくのが講中であるといわれています。
 故に他に求めるところは何等ございません、信仰を一切利用しません、これが清浄の檀越です。清浄な信心で守護し奉る、これが我々が出陣する目的です。この清浄なる信心を持って立つものが真の地涌の末流である、こういう者が雲のように起ってこなければいかん今、男子部が一千名を参集しようというのも、本当に先生の心を心としてお山を守っていこうという斗いを進める為です。それに当って若き地涌の眷属が雲と起って出ないわけが絶対にない、こういう決意と精神をもってこの新しい出陣に当って武田節を力いっぱい歌っていこうではありませんか。

                  ◇     ◇     ◇ 
 「生活が乱れ借金だらけであったりしていては大使命を果せるわけがない」、「憂いなく広布に斗えるように職業は大丈夫か、商売は大丈夫か」とは、これまた先生並びに諸先輩の、かつての常の指導でした。
 信心第一はもちろん基本で大切ですが、いまは職業も商売もそっちのけが当たり前。成果至上主義がもたらす、刹那主義にむしろ陥っていないでしょうか。「広宣流布に斗う者の用心」に欠けることがないか、自ら省みることが必要でしょう。

 「何を以って守るかというならば、云く人材と団結です」、「お互いに同志を暖かく激励し合って進もう」、「仇は怨嫉です、清純な信心に怨嫉はありません」と。
 いまの顕正会ほど、人材と団結をないがしろにする組織は、めずらしいでしょう。怨嫉による有為の人材の排除、疑問を投げかける会員はたちまちに処分。団結を壊すのは、中枢幹部諸氏でありました。しかし「使命ある妙信講の砦」は、いまも息絶えていません。

 「講中は昔からお山を外護するというところに本質があった」、「これが清浄の檀越です。清浄な信心で守護し奉る、これが我々が出陣する目的です」と。
 妙信講の再建の精神は、突き詰めればこの一点にありました。



                -ひとこと-
  回を重ねて 

 
 ▼過日講頭先生は富士第四号を読む心構えを御自身の体験を通して次のように指導された。 

 ▼今から二十五・六年前の事ですがあるとき、日満上人(六十三世)にお目通りしたときに「浅井さん仏教手保登記(単行本)がわかるかね」といきなりたずねられた。
 いままで読んでいて一通りは理解したと思っていたのですが、うっかり「エー」とでも返事をしたら何を質問されるかわからない。そこで私は「ハアー」「ハアー」といってわかるようなわからないような、あいまいな返事をした(笑)。
 ▼ところが、日満上人は、私のその気持を見抜かれたのか、自問自答して「うん、そうだろう、わからないだろう」という、そして更に「一回・二回読むとわかったような気がするけど、五回・六回読んでいくとわからなくなってくる、まあ二十回も読めば少しわかってくるだろう」と仰せられた。
 なる程、五回・六回まで読んでいるうちにいままで全然気付かなかった疑問が出てきて進まなくなった。

 ▼そこで、あせらずに回を重ねて、真剣に読み続けました。十回・二十回と、その中に御法主上人が仰せの通り、どうやら開けてきたのです。
 ▼今、富士の第四号を皆さんが読むに当ってもこの事が肝要であると思う、難しいから何回もくり返し、くり返し読んでいくそして常に求めていく、また二回・三回読んでわかったというようでは本当ではない、自分の信心の向上につれて変っていくまだまだこれからである。

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冨士 第十四号 (6409)

      ( 昭和三十九年九月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


               仕事と信心活動 
 
--- 信心しているからといって仕事に甘えてはいけない、むしろより以上に責任を感じていかなければならないという事ですね、 

 そうです。講頭先生もよく御指導されますが、仕事をそっちのけで信心々々では本末顛倒ですからね。信心を真剣に実践するならば、仕事にもおのずから真剣になるはずです。

--- 最后に、よく信心第一という事がありますが、どのように受けとめて実践されていますか、

 信心第一という事は、生活の中心を見失なうなという事だと思います。すなわち信心を立てた生活です。
 仕事が忙しいから信心が出来ません、よくいう人がありますね、これです、私達はみんな絶対の幸福を求めての生活です、仕事も実はそれを完成させる一つの手段です。それなのに絶対の境涯を築き上げる根本の信心が出来なくてはそれこそ徒労です!
 如何なる時においても常に御本尊を中心とした生活、それが信心第一という事だと思います。

                  ◇     ◇     ◇ 
 当時の浅井先生の青年部員への指導は、「正しい信心をしている者であればこそ、仕事の面でも第一人者にならなくてはいけない」、でした。
 巌虎氏のブログでも紹介されていましたが、「青年部の皆さんがだんだん育って、強盛な信心を土台として、御書を心肝に染め、人間的にも成長し、社会的にも力を持つ、そういう人材が多く出てこなければその後の戦さは出来ない」と、わたしは教わって来ました。

 しかしながら、今の青年諸氏の実状を見聞きするにつけ、わたしは暗澹たる思いに沈みます。「仕事をそっちのけ」の本末顛倒が、いたるところで横行。教学部は廃止。「御書を心肝に染め」は、一念信解の大合唱に取って替わられました。
 深夜零時を過ぎての対象者宅訪問を、理事が公式の集会で賛嘆し奨励する非常識。その社会的逸脱・自己中心的幼児性は、「人間的にも成長」とはほど遠いと、云わざるを得ないでしょう。
 御書を心肝に・人間的に成長・社会的にも力、そういう人材を排除する顕正会。もはや「その後の戦さは出来ない」という事態に、残念ながら立ち至っているかもしれません。


          仏様が何故難を受けるのか
               強敵を招いて自らの三徳を顕す 


 大善に会えば大悪も霊化

 仏の出現の前には一切の悪も霊化されて了うのです。凡夫の悪に押し切られるのではない、逆に用いて化導の助けとして行く、「魔及び魔民仏法を守護す」です。
 若し平の左衛門なくんば、良観なくんば御自身の境界を顕す事が出来ない。此の為に自ら難を招くのです。あくまで滅罪観は傍意です。  
 世間にも云う、自分を鍛えてくれるものは味方よりは強き敵と、もう我々は絶対の御本尊を頂いた以上は難も迫害も成長のコヤシと出来るのです。

 八方塞りの時に本当の信心 

 仏法には絶対に犠牲がない。信心していながら難があり壁にぶつかったら寧ろ勇み立たなくてはならない、弱い気持をふき飛ばしてお題目を唱え抜き、信じ通して行くのです。突破した時に見て下さい、若しこの難がなかったら自分の境涯はこんなには変らなかっただろうと思う位に宿命が変って来るものです。だから敗け戦の時の信心が、逆境の時の肛の決め方が一番大事なのです。その時つかんだ信心が一番真剣で深いのです。
 御書に「命にかゝわる程の事ありて始めて仏になるべし」と仰せです。うわついた信心では成仏できないのだと大きな難を身に受けた時、自分の力で到底乗り切れない壁にぶつかった時に本当の信心が湧き出て来る。
 大難が宿命転換のコヤシになって行くのです。だから「智者は喜び、愚者は退く」と仰せなのです。

 魔を魔と見破れ

 仏道修行は魔との斗いです。魔というのはきまった形があるわけではない。信心の気持をたぶらかす働きを云うのです。だから変幻自在です。よく三障四魔と云ったってその時は自分では解らない。そうですよ、挨拶して「今晩は」なんて云って来ないんですから、(爆笑)打ち勝って、あとであゝ御本尊を疑わなくてよかった、負けなくてよかったと、危い所だったと、こういう事になるのです。 だが魔も守護するんだといっても甘い気持ちではたぶらかされて了う、まず魔を魔と見破る見識がなければならぬ、甘い博愛主義なぞは観念論です。
 良観房との祈雨の対決といい、平の左衛門とのギリギリの龍の口の対決といい大聖人様の用心厳しき御態度、打ち勝ったあとに於て始めて逆即是順です。

 お題目を唱える者が勝つ

 魔を魔と見破るのも、打ち勝つのも要は信心です、お題目を本当にしつかり唱えているか、いないか、それで決まって行く、智識があるとか、頭が好いからわかる問題ではない。世間の浅き智慧とは違う、御本尊様に汗を流して唱える者が実相を見させて頂くし、乗り切る力も勇気も湧いて来るのです。
 八方ふさがりの壁を信心で乗り切って来れば想像もしなかった幸福の境涯が開けて来る。この大聖人の仰せが、仏法が、虚妄であるか、本当であるか、一人一人が身を以て体験をして見ようではありませんか (拍手)

                  ◇     ◇     ◇ 
 「仏道修行は魔との斗い」、「魔を魔と見破る見識がなければならぬ」とは、まことにその通りです。魔は変幻自在に、絶大な権力を持った創価学会中枢に御遺命を歪曲させ、絶大な権威を持った宗門中枢をして慰撫・与同させました。
 残るは顕正会であればどうして、魔が手をこまねいていることがあるでしょう。会長無謬神話と成果至上主義を一念信解で支え、信心を空洞化させ組織の幼稚化を進展させることに、成功しつつあるようです。



            将来をかけた一千結集
                  信心の力で断固勝利を 


  

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冨士 第十三号 (6408)

      ( 昭和三十九年八月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )

         

                  ◇     ◇     ◇ 
 昭和三十二年八月三日、それは再建妙信講の旗が高々と世に掲げられた、意義深き日でした。それから星霜四十九年、当時誰が今日の 「会長無謬神話」 と 「誓願・ノルマ至上主義」 の姿を、想像し得たでしょう。
 「云うは易く行うは難い。世に大言壮言を為す者は多いが、永い年月に益々その鉄石の志を貫く者は稀である」 とは、まことにその通りでした。
 魔障は中枢に入ります。再び今日、妙信講再建の使命は、重大でしょう。勝ち抜く兵法は唯一つ、云く 「法華経に勝る兵法なし」 と。


        松本日仁尊能師御言葉 



        講頭先生挨拶 


        浅井企画室長挨拶 








                  ◇     ◇     ◇ 
 「基準はあくまで仏法の道理であります。大聖人様の御意であります。権力のある者の云う事が常に正しいとは限らない、大勢のおもむく所が正しいとは限らない。若し大勢の云う所が仏法に則っていればそれに従って行くのが当然であります、だが違っていたらどうなるか、その時こそ獅子王の心を奮い起して敢然と立たねばなりません」 と。
 権力や大勢への盲従・安住を潔しとせず。妙信講の再建の精神は、まさしくここにあります。


        教学の研鑽と信心 





        大客殿落成慶祝登山行わる 



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冨士 第十二号 (6407)

      ( 昭和三十九年七月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


        勤行の仕方について 





                  ◇     ◇     ◇ 
 「あまり形式にこだわり過ぎるのはどうかとも思う。『元心の所為をとり、乃至小節にこだわらず』です」と。
 今年に入って、台湾版の勤行要典が作成されました。これはいずれ国内でも、同様にするという事であろうか。妙信講の当時から見ると、かなりの改変です。「乃至小節にこだわらず」の範囲に、収まっているのでしょうか?


        日蓮正宗綱要 (6) 堀日亨上人

 宗祖の御時代も、そのころであって、南都の小乗戒も、北嶺の大乗戒もほとんど授戒が絶えていたのを見て、時のしからしむるものとして、本門の本円戒を起すべき大願を立てられた。
 その御内証には、広大なる御計画があったであろうが、順序からいえば、伝教大師の戒壇が手本となるべきじやが、三国一の名山たる富士山の下に、堂々たる戒壇堂を中心にして一大仏教都を建設しようという御考えであったろうが、その地割なども、公にしてない。
 日興上人に口伝せられて、その伝統の上人の腹中に存ずるのであろうが、場所だけは天母原と後世にいっておる。しかし、たしかな縄張りや、戒壇堂の設計、または授戒の作法等は、その時の法主の口伝から出ずべきものであろう。
 ただし、堂に安置する御本尊だけは前もって御こしらえになってある。すなわち今の戒壇の大御本尊である。
 この戒壇について、事相にあらわるる戒壇堂と、義理の上で戒壇とも思えるの二つがある。事相の堂は、将来、一天広布の時に、勅命で富士山下に建ち、上は皇帝より、下は万民にいたるまで授戒すべきところであるが、まず、それまでは本山の戒壇本尊安置の宝蔵が、まずその義に当るのである。末寺の道場も信徒の仏間も軽くは各その義をもっているといえる。
 (以下次号)

        研修部員のために 





                  ◇     ◇     ◇ 
 昨今は口を開けば「一念信解」の連呼ですが、当時は五千世帯の講中で毎月、このレベルの教学を膝詰めで学ばせていただいていました。

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冨士 第十一号 (6406)

      ( 昭和三十九年六月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )
 





                  ◇     ◇     ◇
  「大局の戦略を欠く」とは、あまりにも現今の顕正会に当てはまること、ではないでしょうか。「妙信講の命は教学にある」と、わたしたちは常々先生から指導をいただき、一騎当千の強者たるべく励みとして来たことでした。
 しかるに今は、教学は「一念信解」の妨げとなるから不要であると云わんばかりの指導が、顕正会において徹底されています。



        日蓮正宗綱要 (5) 堀日亨上人

 宗祖様は、一往はこの別け方を用いらるるけれど、その本門の上にさらに一箇の本門をもうけて、それを第三の法門といって、自分の本領となさった。それは次の種脱判と同じである。
 終りに種脱判というのは、大聖人の御口伝の法門で、他門では、あまりいわない奥深い文底本門の重に立つ見方である。御書の中では、開目抄と本尊抄とに少しばかり、その片鱗を示されたが、はっきりとしてない。
 末法今時には、この日本国に、本門の教主釈尊という仏と、妙法五字の大法とがあらわるるということは、御書の多くに、明らかに示されているけれど、その本仏本門の教主釈尊というのは、いつ、いずれに生れたひとか、または理想上の名号か、題目の五字というのは、何人がもっているものかという、具体的には明らかでない。もっとも通仏教の汎神観のようになにごとも理想や抽象にぬりつけて、強いて大きくボカそうというなら、それでもよかろうが、宗祖様のは、どうしても、そのありふれた類でないようであるので、ぜひとも、このことは事実に明示せにゃならぬ。
 すなわち本仏というのは、現世に生まれた凡夫僧であり、本法とは寿量品の奥底に沈めてあったのである。久遠の本仏と同格であるけれども、妙覚果満の姿をあらわさない名字の凡僧で、本因行の形であるところの、宗祖大聖人が、無宿善の荒凡夫の心田に、始めて妙法の仏種を下ろす。この本因下種の仏法が、今の時と国とに密接と合う生命ある教えである。
 この地盤から眺めて、寿量品の文に明らかに示された、久遠実成第一番の顕本仏や、その本果の妙法や、それ已下の仏と法とは、疾に御用のすんだもので、現代には無用のもの、すなわち脱仏脱法とする。この見方が、実に一般から驚異せらるべき秘中の秘説なのである。
 上の権実、本迹、種脱の三段の道理の入口は、第三法門と一体である。名称の違いだけである。また観心本尊抄の五重三段の法門とも、これから出た開目抄の五重相対の法門とも、確と連絡しておる。これらが本宗で諸教の資格を区別する必要な法門である。
 このほか、四重興廃とか、五重円とかいうのも、なお、この足しにはなるが、そのままには、使えぬ。それは天台でできた法門でもあり、一度こちらの物に作りなおしての上である。
 今下に諸図を釣りて見よう。


        砂村問答(6)


                  ◇     ◇     ◇
 しばらく中断していましたが、「冨士大石寺顕正会向上委員会 資料館」として、ブログの更新を再開します。
 新たに、顕正会の向上・改革の為の総合コミュニティサイトとして、「冨士大石寺顕正会向上委員会」を、試験運用中です。当ブログのリンクからお入りください。



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冨士 第十号 (6405)

      ( 昭和三十九年五月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )

 巻頭言

   勤  行                  講頭 浅井甚兵衛


 信心の修行は勤行に始って勤行に終る。入信して第一に指導を受けるのは勤行である。そして最後臨終の時も南無妙法蓮華経と唱えるのである。
 若し勤行を怠ったとする。折角の良薬も棚に置いて眺めているのに等しい。良薬と雖も飲まなければ肉体に作用を起さない。仏力・法力まします大御本尊と雖も真剣な信心口唱なくしては我等の生命に感応し給う事はない。
 入信して功徳があるとか無いとか云って愚痴の繰り言を並べている人の全部に云える事は真剣なる勤行に欠けている事実である。

 我々の所信・所唱の御本尊は既に日蓮大聖人が血の滲む身読体験の上に二十七年を経て建立し給うた功徳じゅである。末法の一切大衆を救い切るという証拠のある御本尊である。証拠とは御本仏の現証である。歴史上に於て未だ曾って誰が文底下種の仏法をお説になったであろうか、誰があの様な想像をも絶する大難を一身に受けた事があったろうか。しかも仰せの寸分も違う事なく自界叛逆・他国侵逼は声の響きに応ずる如く一国に顕れ、国土にも長星は一天に亘り、大地は震裂して異様の感応を示したのである。
 「当に知るべし、仏の如き聖人生れたまわんか、大虚に亙って大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん、当瑞大地を傾動して三たぴ振裂す、何れの聖賢を以て之に課せん」(顕仏未来記)

 若し大聖人が御本仏でなかったならば、一切大衆を救う御力がないとならば龍の口の御頸の座に於てお生命を落されていたに違いない。「聖人は横死せず」と我々凡夫は現証を以て始めて確信を得るのである。この御本仏日蓮大聖人が、「日蓮が魂を墨に染め流し書きて候ぞ 信ぜさせ給え」 と仰せの御本尊である。大慈悲の結晶ではないか、浅薄な疑いを起す前に「若し功徳が無いならば龍の口に於て大聖人の御頸は飛んでいる筈だ」と思いを深く此の一事に込めて信を取るべきである。
 残る問題は自分の信行の強弱である。御本尊の御安置だけはしてあっても、樒は枯れて葉もなく、御宝前はホコリだらけになってはいまいか、信心がかゝる状態ならば生活も枯れて生気なく、悩みも又多い筈である。御本尊は生身の日蓮大聖人である。仏様に仕える気持があれば御宝前を汚なく出来るものではない、師に仕えるのは仏法を得る第一歩である。
 その上に、心ゆくまて勤行を甲し上げる。これ位気持ちのよい事はない.入信当時は苦しいと思う事があるかも知れない、時には忘れてしまう事があるかも知れない。だが日々魔縁をしりぞけて勤行に励むうちに、弱々しい信心も大御本尊の御法魂散影して、こわそうとしてもこわせぬ金剛信が必ずいつしか生れてくる。勤行位たのしい事はない筈である。主人とも親とも師匠とも敬って、御本尊に日々近づくのがまことに慕わしくならなければならない。
 「濁水心無けれども月を得て自ら清めり、草木雨を得、あに覚りあって花さくならんや」(四信五品抄)と、御本尊の仏力・法力をたのんで信心口唱に励めばいつしか想像も出来なかった幸福は必ず湧いて来る。最大の仏果を得る、これ末法の観心の姿なのである。

 更に五十九世日亨上人の勤行に就いての次の御指南を引用させて頂く、「お題目の唱え方は、身に油断怠りなき様、心に余念雑念なき様にありたい。口より出す声は早口であったり粘口であったりしてはならぬ。落ち着いて、しっかりと、尻強よに中音に唱えねばならぬ。唱うる数には定まりがない。多くとも少なくとも、その人の都合であるが、身体の方は両の指掌を合せて、指先が鼻の下に向くように、眼は確かに御本尊に向うように、そしてからだ中が歓喜でぞくぞくする様にありたい。御本尊と我等と一体不二になるまで励まねばならぬ」と。「御本尊と我等と一体不二」の境界とは暗愚にして我等気づかずとは云えまことに有り難き境界である。
 故に大聖人は国中の諸人へ次の如く仰せを下し給うた。「問う汝が弟子一分の解なくして但一口に南無妙法蓮華経と称するその位如何。答う、此の人は但四味三教の極位、並びに爾前の円人に超過するのみにあらず、はた又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出する事百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟を軽ずる勿れ、乃至、天子のむつきにまとわれ大竜の始めて生ずるが如し、蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と。

 何の智解はなくとも御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える者の仏法上の位は実に高いのてある。既にかくの如く大聖人が「蔑如すること勿れ」と日本国中に命令を下され擁護を垂れ給うているのである。
 しかるに入信したとはいえ指導の徹底を欠く故か、本人の宿縁微弱の故か、勤行にも励まず、依って功徳の歓喜も知らずに退転している姿が若しあったなら何とも残念な事である。あたら宝の山に入りながら空しく帰るに等しいと思える。新入信者に対してとりわけ幹部諸氏の親切なる指導を切に望む所以である。
                  ◇     ◇     ◇
 「残る問題は自分の信行の強弱である」のはもとよりですが、「指導の徹底を欠」き、置き去りの常態化を不思議とも思わないのは、何とも残念な事です。
 「幹部諸氏の親切なる指導を切に望む」との、講頭・浅井甚兵衛先生の切なる望みを、思うべきではないでしょうか。
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冨士 第九号 (6404)

      ( 昭和三十九年四月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


        謹訳


 「一念信心が起れば一念の仏、二念信心が起れば二念の仏、一時信心が起れば一時の仏、一日信心すれば一日の仏である。かように信心のもとは法を聞くという所に在るのである」
 「故に法を聞いて信心を起し、退く事なく強盛の修行をして、自分も他人も倶に安らかに同じく寂光に帰入するように広宣流布を祈ることが肝要である」
                  ◇     ◇     ◇
  一念信解の意義、まさしくここにあることでしょう。退く事なく強盛の修行を貫くためには、「信心の背骨」たる教学は欠かせません。



 初信者のために   絶対の境涯確立へ 競い起る妨害を突破




 「ところがこの正しい仏道修行には当然のようにそれを妨げようとする数々の抵抗がある事を覚悟しなければならないのです。初心者の中にはよく御本尊様をいただくとすぐさま幸福な生活が約束され、波風の立たないおだやかな安住の生活に入るという誠にねがってもない安易な考えを勝手に作りあげている方がおるのです。そのために一寸した難にぶつかるとまるで驚いて御本尊様に八ッ当りを飛ばし果ては退転する人まで出てくるのです」
 「いかなる苦難に会おうとも御本尊様を護持して真剣に修行にはげむ事が、成仏へのカギである、真の幸福への直道であると御教示されているのです。会い難き御本尊を深厚なる宿縁によって、今受持信行できるのだという、この喜びをはっきりと自覚すると共に真剣な情熱で信心をみがき、堂々と三障四魔をふんさいしていこうではありませんか」
                  ◇     ◇     ◇
 今の顕正会には、利益だ功徳だ運がよくなる等と「誠にねがってもない安易な考えを勝手に作りあげている方」がずいぶん多いとわたしは思うが、いかがなものだろうか。

 「これ等の功徳は大御本尊の究極の大功徳から見たらまだ途中の段階である。これを以って甘えて精進の厳しさを忘れてはならない」
 「自己の安逸のみを願って求道心なく、精進なき者をどうして諸天は守護するであろうか」
 「わずかな功徳に甘えている者には煩悩魔は便りを得る。己心に巣食って内部より精進の気魄を鈍らせる、断破する利剣は唯信の一字である」
 「将来を見つめて大精進の気魄を持つべきである、そして大聖人の弟子として本来の御約束を果そうではないか」

 わたしたちもまた、このような信・行に住したいものです。


            妙信講歌集

                  ◇     ◇     ◇
 この中でわたしが知っているのは、「東洋広布の歌」だけで、その他はまったく記憶にありません。当時の総幹部会では始めに「東洋広布の歌」で、終わりが「武田節」の合唱。わたしは今でも、この二つの歌の歌詞は諳んじています。
 「東洋広布の歌」の元歌が、創価学会の 「九州広布の歌」だったことは、ずいぶん後にネットで知りました。
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冨士 第八号 (6403)

      ( 昭和三十九年三月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


        日蓮正宗綱要 ② 堀日亨上人

 大聖人は、これを、わが身弘教の満足として、これを機会に、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を筆して、後世の人々のために、ことに一天広布、本門戒壇国立の時のために、日興上人に賜えられた。
                  ◇     ◇     ◇
 「一天広布、本門戒壇国立の時のため」、稀代の学匠・御高徳の日亨上人の、まことに有難き尊き御指南です。




 私たちは組織等といゝますと、なにかそこに入ると規則に縛られて自由がきかなくなるように考えますが、妙信講の組織は世間一般の種々な組織とは全然違いまして、正しい信心の実践、そして信心練磨のために、御本尊を中心として、講頭先生によって作られたものであり、実に私たちの為にあるのです。
 大聖人様は、「受るはやすく持つはかたし。さる間成仏は持つにあり」と仰せられ、御本尊をいたゞいてからが信心の第一歩であり、いかなる事があってもしっかりと御本尊を拝して常に精進をつゞけていく事が、絶対の幸福を築く肝要であると誠めておられます。(略)
 また、浅いながらも信心を実践して少々功徳がみちみちてきますと、それに甘えて精進を忘れたり、あるいは慢心を起したりして、これからという時に崩れていく人もあります。このように私たちは、とくに入信早々の頃は自分をとりまく縁に紛動されやすく、折角つかんだ正しい道をふみはずさないともかぎりません。
 しかし、常に先輩同志と共に、御本尊を中心とした清らかな組織に入って正しい信心実践をつゞけるならば、悪縁に迷わされることはありません。ゆうならば組織によって私達の小さな信心の芽が守られ育てられていくのです。
                  ◇     ◇     ◇
 組織が「実に私たちの為にある」所以は、「強盛の信心修行あれば必ず一生成仏」(寿量品談義)の信心練磨の場なればこそでしょう。それが第一義であり、その基本の上に随力弘通を展開するのが、妙信講の組織です。しかし、転倒して数を追うことが目標になると、組織に縛られて自由がきかなくなるのでした。
 「成仏は持つにあり」であれば、「置き去り」や「広布残留孤児」などということ、あってはなりません。況や除名や謹慎を乱用し、あたら悪縁に追いやり信心の芽を摘むこと、清らかな組織のすることではありません。自戒し反省すべきことでしょう。

     報道欄
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冨士 第七号 (6402)

      ( 昭和三十九年二月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )


    謹訳




前進の手帖 力ある者はイバらず



 強い指導ということはイバルことでは断じてない。
 指導はあくまでも慈悲が根本。強き信心に立てるよう、功徳に満ちるようにと、弱き人をはげまし、御本尊様を指さし、そのもとへ導くのである。あくまで相手のことを思う慈悲の一念が根本だ。だから当然親切に、ていねいに温かく、いやしくもゴウマンなる素振りなどあるべきはずはない。しかもその中にも慢心して仏法をあなどるものには厳然たるきびしさをもって接していく これが強き指導の態度である。
 自分の好き嫌いの感情にとらわれてことばを吐く者は指導をする資格なし。修羅の心はイバルのが特徴、自分をえらく見せようとして、相手を見下げたことば、無礼な態度をしていたらまだまだほんものではない。
 “吐える犬ほど弱い”という。イバルものほど、いざというときには実力がないものだ。幹部は決してイバってはならない。温かく、しかも強く導く人、情熱の人、慕われる人、実力の持主たれ。
                  ◇     ◇     ◇
 指導についての指導、こうした心構えは当時の幹部諸氏等に、充分に浸透していました。わたしの入信はこの二年後ですが、わたしに接してくれた先輩諸氏は皆ていねいで温かく教学も優れ、慕わしく思われる方々でした。
 いまはかなり様相が異なります。数に追われるゆえでしょうか、イバってゴウマンな指揮・命令・強要を、強い指導と勘違いしている幹部が少なくないようです。威張るとは「強そうに偉そうに振る舞う」ことです。会長の権威を後ろ盾に偉そうに振る舞い、百万の数を頼みに強そうな振る舞いが目に付きます。自戒・反省すべきところでしょう。
 「吐える犬ほど弱い」、当時はよく耳にしましたが、最近は聞かなくなりました。
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冨士 第六号 (6401)

      ( 昭和三十九年一月二十三日発行、発行兼編集人:白石秀一 )






  -- 妙信講初登山の砌 --  日達上人猊下御説法

 「本日は妙信講の方々千五百余名御本山に御参詣あって大御本尊様にお参りし、誠に仏恩報謝の為これ以上の喜びはないものと存じます」
 「仏教といえばこれは勿論宗教でありますが、世間の道徳ということと、宗教ということゝ感違いしておる人が多いのでございます」
 「仏教もより一層研究し教学の真随を究めるがよろしいのであります。大聖人様は心地を九識に保ち修行を六識に於てせよとおゝせになっております」
 「九識心王と申しましてわれわれの心は普通は八識をとりますが、そのも一つ裏に第九の九識心王があってその八識を動かしてゆくのであります」
 「六識というのは、眼耳鼻舌身意、われわれの眼で見、耳で聞き、口で味わい、鼻でかぐ、体でもって感じを持つという、この日常のわれわれの六識をもって修行してゆかなければならないということをお説きになっております」
 「数珠を持って手を合して、大きな声を出して御本尊様に南無妙法蓮華経と声をはげまして唱え、又自分のお題目を人に説く、すなわち折伏する。そうゆう六識を持っての修行が最も大事であるということを大聖人様がおゝせになっております」
 「真実に修行を伴なった信心はわれわれの住んでおる国土がすなわち仏国土であるということになってゆくのである」
 「この国土を此土寂光と説くところの法華経の信心をもって、南無妙法蓮華経と御本尊に唱えていってこそ初めて、この世界が寂光浄土と転じて、そしてわれわれがその信仰によってこの身、すなわち即身成仏の境涯が開かれていくのであります」
 「われわれが即身成仏というと即座にこの身が仏様だと考えては大変な間違いでございまして、われわれのこの身の南無妙法蓮華経の修行が仏である。仏の行がわれわれの南無妙法蓮華経の行であると考えていかなければならない」
 「われわれは五欲、この体を持っている以上は五欲もある。いろんな煩悩というものにとざされておる。その煩悩そのまゝの成仏というのが即身成仏である。煩悩を超越したとか、無念無想におって仏になるなどということは皆観念である」
 「われわれのこの迷いの心そのまゝ南無妙法蓮華経の光に照らされて、仏になるということが最も大事であります。不離五欲、欲を離れず不断煩悩、煩悩を断たず、すべて南無妙法蓮華経によって成仏するのであると大聖人様はお教えになっております」
 「方便品に正直捨方便、但説無上道と説いておる。正直にそういう方便権教をすてて、ただ一乗の妙法蓮華経を信心していってこそ真実の仏の境涯に到達することが出来るのであります」
 「皆様は益々この仏法をはげまれ、大聖人の御書を心肝にそめておられております。誠に最近の信徒の皆様は立派な仏教学者であり、謗法の宗派の人々から比べれば数等すぐれた仏教学者である。しかもそうでありながらかつ、本山に詣でて戒壇の大御本尊様に向い奉り、痛い足をちゃんとそろえて、手を合して南無妙法蓮華経と唱える、そこが修行が六識に於てする所の実際の姿でございます」
 「どうか皆様も六識を持って信心に励まれ、そして大聖人様の広宣流布の大願を成就することをいっそうお願いする次第であります。わずかの時間でございますが私のお願いを兼ねて御挨拶といたします」



  -- 講頭講演 -- ( 於総本山大講堂にて )



                  ◇     ◇     ◇
 昭和三十七年十一月二十七日、創価学会は三百万世帯を達成しました。
 昭和三十八年三月三十一日、全国法華講総登山が催され、妙信講からは千三百余名が参加。七月十五日には「若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問はず、全て是れ広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」(『大日蓮』八月号)と、異例の『訓諭』が出されました。こうして創価学会の宗門支配が進み、連合会からの弾圧が激しさを増す中、九月二十六日に妙信講は宿願の三千世帯を達成しました。
 昭和三十九年一月一日発行の『日達上人御講演集』(鳳書院発行)では、創価学会により「国立戒壇」の語が「本門戒壇」と改竄されました。
 一月五日、こうした状況に於いての三千世帯達成報告の、初の妙信講単独登山でありました。



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冨士 第五号 (6312)

 ( 昭和三十八年十二月二十三日 発行、発行兼編集人:白石秀一 )





 「常に精進の気魄を持て」

 「此の御本尊は即身成仏の大導師であらせられる。即身成仏は仏道修行の究極の目的、人生の最大幸福の境界である」
 「大は小を兼ねると云う。究極の大果報・成仏の境界の前には既に目前の小さな悩みは解決されている筈である、此の御本尊様に値い得た以上は生死の大海は安心して渡り切れる」
 「これ等の功徳は大御本尊の究極の大功徳から見たらまだ途中の段階である。これを以って甘えて精進の厳しさを忘れてはならない」
 「これは初心の功徳である」「そのまゝ退転せずに信心を貫けば必ず即身成仏するというおはげましである」
 「だが心配が一つある。それは功徳に甘える事の無きやである」
 「万が一にも仏道修行に対する厳しい精進の気魄を失う事があったら憂慮すべきである。一生成仏の上から云って却って災である」
 「かくの如き御精神を拝し折伏に身を挺する御本仏の眷属なればこそ諸天は守護するのである」
 「自己の安逸のみを願って求道心なく、精進なき者をどうして諸天は守護するであろうか」
 「即身成仏の仏果の前には必ず三障四魔が在る」
 「決してわずかな功徳に甘えてはならぬ、仏道の修行は一生である」
 「末法の始め、御本仏の逆縁広布の御化導に連るとは云え、如何に当時の弟子方にとって信心を貫き通す事が難しかった事か」
 「わずかな功徳に甘えている者には煩悩魔は便りを得る。己心に巣食って内部より精進の気魄を鈍らせる、断破する利剣は唯信の一字である」
 「将来を見つめて大精進の気魄を持つべきである、そして大聖人の弟子として本来の御約束を果そうではないか」  
                ◇     ◇     ◇
 わたしがじっくりこれから語って行きたいテーマが、いわゆる「功徳」「現世利益」についてでした。常々思うに現世利益なるものは、たかだか天上界の境涯でしかありません。天上界は六道輪廻の世界であって、天人といえども五衰を免れません。しかしながら功徳・利益を信心の目的と取り違える、乞食信心・取引信心の人が少なくありません。それは仏道ではなく外道の領域であって、ひとえに幹部の指導の粗末さ故でありましょう。
 浅井講頭の指導は、まったく違います。即身成仏が仏道修行の究極の目的と示し、自己の安逸のみを願って求道心なく精進なき者を諫め、わずかな功徳に甘えている者には煩悩魔が便りを得ると誡めます。
 「運がよくなるから」と言ってあげれば「ウン」と云って入信する、などと壮年部の地区の班座で指導していたY地区部長の言葉を、わたしは忘れません。




                  ◇     ◇     ◇
 日淳上人の御命令にして、妙信講の宿願であった三千世帯達成。その御報告の総登山会の参加者は、壱千五百四十五人にのぼりました。
 ドブ板を踏んで通っての折伏、そして謗法払い・御受戒・御入仏式。こうした地道な弘通の実現は、浅井講頭の常の指導と「信心の背骨」たる教学錬磨の賜でありました。
 当時・創価学会では「マンボウ折伏」などと呼ばれる乱脈があり、戸田会長はそうした数を追う風潮を諫めていました。比べて妙信講がいかに峻厳なる化儀であったか、この一事を以て知られましょう。
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冨士 第四号 (6210)

 ( 昭和三十七年十月二十五日 発行、発行者:木内純一郎、編集者:浅井信衛 )




                教学を学ぶ人に
                            研修部主任 木内純一郎
 愈々灯火親しむ候と成りました。毎日々々の信心修行の合間を縫って教学に親しむことの出来ることの福運を感ぜずにはいられません。
 我が妙信講に於て、十一月の下旬に教学試験を実施致すことに成りました。
 従来、日蓮正宗の宗門の歴史を見た時に、此「教学」の二字は、片時もゆるがせにされていない宗門七百年の伝統であります。日蓮大聖人の御精神を清浄に厳護しきって七百年間、化儀化法純然と不変に持たれて来たのは、実に教学の力に負うもの又多大である。
 若し教学弱くして、数多き邪宗教と勝劣を決定することが出来得なかったとするならば、これこそ大聖人様から、不知恩の者と御叱正を受けるであろう。我々は不敵なる折伏の闘士として、御本尊様への絶対の信仰と共に、大いに教学の研鑽をして行こうでほありませんか。
 我々は何事によらず興味の有ることは知りたいと求めるものである。これと同様に仏法と生活とはどういふ関係か、三大秘法と何か、大聖人様とはどういう仏でいらっしゃるのか、この様なことが次々起ってくるはずである。それを一つ一つ解明し、はっきりと知ることによって確信が生れてくる。 教学は物識りを作り上げるのではなく、叉学者を養成するものでもない。自分の信心を深めるためであり、広宣流布へのひたぶるなる熱意を培うものであります。教学なき折伏は行き詰る。いやその力を発揮し得ないです。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学絶えなば仏法は有るべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるペく候
 この御金言は信心修行の鉄則であります。教学は若い人にまかせておこう。と云うのではなく、我々の信心は一時的なものではなく、一生を貫ぬき通して不退転の信心を目指して行かなければなりません。
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