東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
3月11日(金)に発生した大地震、ご承知の通り揺れは尋常ではなかった。
「宮城県沖地震」も体験しているが大揺れになってからあの時以上と確信した、そして時間が長い腕時計を見ていたが10分以上も、一旦おさまったか?と思ったらまた強烈な余震が襲ってきた。
家の中は目茶苦茶、日が暮れていたので片付けは翌日とした。
本棚が倒れたが柱で止まった為、ガラス破損は免れた。
電気は即停電、家に戻った時、水道はまだ出ていた風呂、バケツ等に水を確保、そしてついに水道は止まってしまった。
家中の懐中電灯を集め「ロウソク」を探して点灯。
残り物で夕食をとる、ラジオを聞いていたが地震当日は宮城県内の被害状況の情報は殆どなかった、把握できていなかったのであろう。
電気が復旧するまで三晩を「ロウソク」で過ごす、夜は冷える「ホカロン」があったのでかなり助かった。
布団に入ったが頭が寒くて毛糸の帽子探し、釣りの時に使った物があった、これをかぶると全然違う。
携帯電話は繋がり難いのではなく「圏外」の表示【iPhone】は通常でも電波状態が他社に比べ良くないと思っていたが肝心な時「圏外」では話にならない。
14日に電気が復旧して電話、ネット等通信手段の確保が出来た、テレビを観ると信じられないような津波の映像、そして甚大な被害。
冷蔵庫、冷凍庫の在庫品から現状にあわせ無駄のないような数日分の献立表を考える。
水の確保は大切だ「糸こんにゃく」の水分を利用、白菜、玉ねぎ、を加えて水を使う事なくストーブの火を利用して牛丼を作る。
5日間もった「牛丼」何度か温めた後半の方が味がしみて美味しくなってきた。
天候は暖かくなった日もあったが雨、雪の日もあり。
水道復旧の予定は全くわからないので雨水、雪、を集めて水の確保に努めた。
トイレ、キッチンシンクの洗浄、汚れた手を洗うのにはこの水を有効活用している。
水道の復旧は3月25日の予定のようだまだ一週間程ある、しかし他の被災状況の報道を見ると怪我もせず幸運だったと思う。
ガス復旧の見通しは全くたっていないようだ、水がきてもその後はどうするか?
なるようにしかならないだろうしその時に考えるしかないだろう。
ご心配を頂き連絡を下さった皆様、水、他物資を補給してくれた皆様、心より厚くお礼申し上げます。