特集ワイド:寂聴さんが怒っています
毎日新聞 2015年06月12日 東京夕刊
第二次世界大戦が終わって70年後の夏である。まさかこの年が「戦争のできる国」元年になるのか? 「そんなおかしなことがあっていいはずない!」。作家の瀬戸内寂聴さんは怒り心頭らしい。万感の思いを聞きに京都は嵯峨野の寂庵(じゃくあん)を訪ねた。
中国人観光客であふれる嵐山を抜ければ、さすがに辺りはひっそりしている。濃い緑が心地いい。庵の玄関を入ると、コチョウランがにおった。見れば、俳優の渡辺謙さん、南果歩さん夫妻連名の札がある。この5月15日に93歳になった寂聴さんへのお祝いらしい。「ちょくちょく2人でお見えになるのよ。謙さん、いい男ね」。4月に自宅療養から法話に復帰したばかり、いささか心配していたが、その顔はつやつや。なんでも美顔パックをされているとか。
よく聞こえるようぴったり寄り添ってのインタビュー。吐息まで感じる近さである。どぎまぎしていたら、怒られた。「どうしてみんなもっと早く立ち上がらないんですか! 新聞もあまり書かないでしょ。ハッキリ。このままだと戦争へ突き進んでしまうじゃないですか。戦争とは人を殺すことです。殺さないと殺される。仏教は<殺スナカレ 殺サセルナカレ>。私はそういう戒律を第一にあげている釈迦(しゃか)の弟子ですからね。坊さんももっと立ち上がらないと」
◇死に花咲くんじゃない
いら立つ理由がある。寂聴さん、1991年の湾岸戦争の時は寂庵の道場に<殺スナカレ 殺サセルナカレ>の張り紙をして抗議の断食祈とう。2003年のイラク戦争ではポケットマネーで朝日新聞に意見広告を出した。「行動しないと気がすまないたちなの」。そして安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を目指して安全保障関連法案の成立を急ぐ現状も傍観していない。京都の円山公園で5月30日にあった平和運動グループなどで組織する「戦争をさせない京都1000人委員会」の決起集会に「政権に立ち向かう覚悟が必要だ」との音声メッセージを寄せた。さらに−−。
「とっておきのアイデアが一つある。高齢社会だから年寄りはいっぱいいる。戦争を知っている世代ですよ。その年寄りが集まって国会を囲んで座るの。夜は寒い、昼間は暑い。そのうち死にます。5人や6人。そうしたらさすがに日本中、大騒ぎする。もちろん私も行かないと。弱ってしまいましたが、いつ死んでもいいんですから。死に花が咲くんじゃないかしら」
◇徴兵なんて復活よ
実はこのインタビュー、秘書さんが同席している。最新刊の小説「死に支度」では「モナ」として登場する孫娘のような元気はつらつの27歳が、先生、またとんでもないこと口走ってみたいなあきれ顔をしている。「うちにきて5年目かな。文学少女じゃないところが気に入ったの。私の作品を一冊も読んでいなかったし。アハハ」。小説にこんな2人のやりとりがある。
「……三年先には、今よりもっと結婚相手なんかいなくなるのよ。今の政府の政治がつづけば、戦争が始まり、若い男はみんな戦場に出征よ」
「今は徴兵制度なんかないですよう!」
「バカね、戦争したがってる政府は憲法九条変えて、日本をまた戦争出来る国にして、徴兵制度なんて、その日に復活よ。自衛隊はそのまま軍隊になる。今度戦争する時は、あなたたち、女だって徴兵されることになる」
そんな近未来はまっぴらごめんだが、目をこらせば、彼女の薬指にリングが光っている。寂聴さん、慌ててモナさんの指を見た。「あら。何、それ」「ああ、これは違いますう」「まぎらわしい指輪なんかするんじゃないの」「すみません」。庵にほのぼのした笑いが広がる。そして大正に生まれ、昭和、平成と生きてきた作家はゆっくり戦争を語りだす。夫と渡った中国・北京で迎えた終戦の日のこと、翌年に一家3人で引き揚げ、列車の窓から見た広島の光景……。だが、最も苦しく、悲しそうな目になったのは義兄のことだった。
「出征して7年も過ぎてシベリアから帰ってきた。捕虜生活で教育されたんでしょうね。すっかり洗脳されていました。木工職人で、自分の作ったたばこ入れの出来がよく、スターリンが使うからと取り上げられ、配給のたばこや酒、砂糖がたくさんもらえたらしい。それを戦友に回したんだ、と弾んだ口調で話していたんです。ところが、しばらくすると部屋の戸をぴたりと閉ざし、隅っこでうずくまっている。どうしたのか尋ねると、多くの戦友が異国で死んで自分は生き残ったのが申し訳ないと泣く。埋めるのが大変だったんだと……」
◇安倍さん、とっつかまえて叱るわ
翻って国会での安保法制論議、こうした戦争の実相はまるで見えてこない。永田町の体たらくを寂聴さんは嘆く。「問答になってないじゃないの。(民主党の)辻元清美さんの質問に安倍さんが、早く質問しろとヤジを飛ばしたり。テレビの中継を見ていたら、安倍さん、何しゃべってるんだこの女、みたいなバカにした顔をしている。ひどいですよ。肝心のところははぐらかす。でも清美さんをはじめ野党議員もだらしないわねえ。問答は納得できるまで突っ込むべきでしょ。もっとやっつけなければ。こんな国会、子供が見てもおかしいと思うんじゃないですか」
ここ寂庵には政治家を含め各界の著名人が教えを請いにやってくる。我が世の春の安倍さんも人の子、悩みがあるかもしれない。ひょっこり現れ、門をたたいたらどうされますか?
「飛んで火にいる夏の虫よ。とっつかまえて、アンタ、なんでこんなバカなことするのと叱るわ。せっかく戦後70年、日本は戦争で誰も殺さずにきた。なぜ、今になって憲法を、憲法9条を変えなくちゃいけないんですか、と。アメリカからの押しつけ? 棚ぼた? この平和憲法を手にするまでどれだけの同胞が死んだと思うんです。その犠牲があって、もらった憲法じゃないの。家庭内野党とか言っていたヨメさんに期待していたけど、賢くなかったわね」
応接間の棚にかわいいお地蔵さまがちょこんと載っている。「それ細川さんにプレゼントしていただいたの」。昨年2月の東京都知事選に細川護熙元首相が小泉純一郎元首相とタッグを組んで出た。掲げた旗は「脱原発」。寒風の中、寂聴さんが応援演説に回っていたのを覚えている。だが、結果は負け。「翌日だったか、細川さんに電話したんです。お疲れさま、芸術家なんだから早くふすま絵を描いて、と。すると、もう描いてます、だって。火山活動が活発で、地震も頻発している。こんな列島で原発を続けようとする政府が信じられない。なくても暮らしているじゃないですか。東北の被災地ではまだ仮設住宅が残っている。薄っぺらな建物ですよ。4年もたてば傷んでもくる。オリンピックにお金を使う時ですか。原発事故は収束しているというけど、昔の大本営発表でしょ。負けてるのにちょうちん行列をしてましたから」
◇死んだらあとは勝手にして
それにしても寂聴ワールドは萎縮する世の空気とは正反対である。「そりゃそうよ。戦争中に書けなかった作家を知っていますから」。理想の死にどきは93歳だと思い定めてきた。「社会主義者の荒畑寒村先生がそうでした。もうひとり94歳で亡くなられた里見〓先生もあこがれです。お二人とも最期まで意識がはっきりしておられて、それに色気がありました。昨年、92歳になったばかりで圧迫骨折で病床につき、胆のうがんの手術までしました。でも死に損なった。まだ楽にはしてやらんぞということでしょう。残された命、大きな小説を一つ書きたいわね。ただ、このままだと日本はまた小説が書けない時代が来るかもしれない。だから戦うしかないんです」
じっと聞いていたモナさんが言った。「超人ですね。内側から出てくるエネルギーがすごい。命がけなんです。で、次の朝、死んでるかもって思ったら、ぴんぴんしてる」
遺書はあるんですか? おしまいに寂聴さんに問うてみた。
「気持ちがコロコロ変わるから、半年ごとに書き直さなきゃいけないのよ」。するとモナさんがぴしゃり。「違う、違う。毎日でしょ」。「そうね。もう遺言もいらない。死んだら後は勝手にしてくれーだわ」【鈴木琢磨】
瀬戸内寂聴さん:「戦争に近づいている」安保法案に反対
毎日新聞 2015年06月18日 21時22分(最終更新 06月18日 22時33分)
「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」=安倍政権
*昨年大怪我をしてしまいましたが、ようやく山に復帰。また誘ってくださいね。*